雨宮処凛がゆく!

 選挙が終わった。
 メディアは与党「圧勝」と伝えている。

 安倍首相は「国民の信任が得られた」と胸を張り、「アベノミクスをさらに前進せよ、という国民の声を頂くことができた」と上機嫌。
 が、選挙翌日に送られてきた全労連の「第47回衆議院議員選挙の結果について(談話)」によると、「自民党の比例得票数は1765万票であり、前回2012年より約100万票増やし得票率は33.1%となったが、絶対得票率は17.4%であり、6人に1人の支持に過ぎない」とのこと。
 それなのに、「信任が得られた」という「お墨付き」が与えられたかのように錯覚させてしまう選挙制度。集団的自衛権や原発再稼働などの反対世論はさまざまなメディアを見渡しても6〜7割だというのに、このカラクリには「いくらなんでもおかしいだろ!」と叫びたくなってしまう。
 
 が、そんな選挙でも、希望はあった。選挙速報で次々と自民党議員が当確を決めていく中、時々テレビ画面に映し出される「当確を受けて踊る人々」。オール沖縄の勝利に、私の胸は何度も熱くなった。今、私たちがもっとも学ぶべきは、沖縄の闘いだろう。
 共産党が多くの議席を伸ばしたことも、安倍政権の暴走をなんとか止めようという力を感じさせるものだった。
 
 が、やっぱり今の状況では、どうしたって安倍政権が好き勝手できてしまうのである。
 なんたって、選挙期間中に話すことと言えば「アベノミクスの成果自慢(自分に都合の悪いデータは除く)」ばかりだったのに、与党過半数が確実になった途端、「憲法改正は悲願」と語り出す安倍首相。
 ここから予想される未来は、考えれば考えるほど暗澹たるものだ。
 派遣法は改悪され、残業代はゼロになり、生活保護をはじめとするセーフティネットは更に切り下げられ、既に施行されている秘密保護法のもと、なんとなくモノが言いにくい空気が形成され、そんな空気の中で憲法が変えられ、原発は再稼働されまくり、武器も原発も輸出されまくり、そうして「集団的自衛権」という言葉のもとに、貧しく職がない若者がどこか遠い国に駆り出される――。
 
 妄想とか考え過ぎだったら、それに越したことはない。しかし、第二次安倍政権が始まってたった2年。この2年で、本当に多くのものが破壊されてきたし、今も破壊されようとしている。格差・貧困問題にかかわり始めて8年。「生きさせろ!」とずっと声を上げてきたが、安倍政権となってから、その言葉には「戦場に行かせるな!」という意味も含まれるようになった。こんなことになろうとは、誰が予想しただろうか。例えば5年前、10年前の日本を考えてほしい。21世紀の日本で、本気で「戦争させるな!」と言わなければならない事態になるなんて、あなたは予想していただろうか。
 
 だからこそ、最近、戦争の本ばかり読んでいる。特にここ最近、保阪正康さんとシンポジウムでご一緒させて頂く機会が2度あり、保阪さんの語る戦争の話にものすごく刺激を受け、著書を読んでいる。「なぜ、誰一人としてどこかで立ち止まって、この戦争は何のために戦っているのかを検証しなかったのか」。そう問い続ける氏の言葉に、私の中で「あの戦争」は急に息づき始めた。そう、「止めるチャンス」は何度もあったのだ。そんなことを考えていくと、今もひとつの「止めるチャンス」なのかもしれないと思えてくる。
 
 今年の6月、取材で沖縄に行ったことも大きかった。ひめゆりの塔や集団自決の現場などを回り、立っていられないほどの衝撃を受けた。ある意味、「沖縄の悲劇」は私にとって「学校で習った話」だった。平和教育の一環として、とにかく「戦争はいけないのだ」と繰り返された子ども時代。そんな経験を通して、いつの間にか私の中には「戦争の話」=「説教臭い話」というおかしな図式が出来上がっていた。それはおそらく、この国の多くの同世代の中にある感覚だと思う。しかし、沖縄に行って、そんなものは木っ端みじんに打ち砕かれた。子どもの頃に授業で聞かされる「戦争」と、大人になってから学び直す「戦争」は、まったく違うものとなる。子どもと違ってそれなりの人生経験があるからこそ、悲劇の手触りがまったく違うのだ。

 「でも、戦争の本なんて難しそうで読みたくない」という人にオススメしたいのが、戦争体験者・水木しげる氏の漫画である。最近、『総員玉砕せよ!』『敗走記』を読み、ただただ衝撃を受けた。今は『水木しげるのラバウル戦記』を読んでいる。漫画には、兵隊だけでなく現地に住む人々や「ピー屋」も登場する。こういう本を読むと、今年の夏の「慰安婦論争」はなんだったんだろう、と遠い目になってくる。
 これから歴史はもっと修正されていくかもしれないし、複雑怪奇な世界情勢の中、誰もが全体像を把握しないまま、自衛隊がどこかに派遣されたりするかもしれない。
 この国がおかしな方向に行きそうな時に必要なのは、声を上げることはもちろん、知識なのだと思う。

 最近、取材で呉に行き、「海上自衛隊呉史料館」を訪れた。「てつのくじら館」とも呼ばれるそこは潜水艦と掃海艇(機雷を除去する役割を持つ艇)をテーマとした展示施設。そこで自衛隊が湾岸戦争時に行なった機雷撤去などの展示を見、話を聞き、「集団的自衛権」と絡めていろんなことを考えた。いろんなことを思ったが、先日書いたイスラム国やイラクの現在といった話と同様に、私は「機雷撤去」についてもあまりにも知らなすぎるのだ。そしてたぶん、この国に住む多くの人が、その辺りのことにまったく詳しくない。知らないのに、「なんかそうしないとヤバいんでしょ?」程度の認識で、顔の見えないどこかの誰かがもしかしたら傷ついたり命を失ったりしてしまうかもしれないということ。そしてそのことに、たぶん関係者以外は心を痛めたりもせずにすぐに忘れてしまうこと。

 私は人一倍「忘れっぽさ」には自信がある。今日の朝ご飯も昨日食べたものも既に思い出せない今この瞬間だ。だからこそ、たくさん勉強して、いろんなことを知って、対抗していかなければ。

 第三次安倍政権発足を前に、心に誓ったことである。

展示館にて。バックは機雷。

 

  

※コメントは承認制です。
第320回 第三次安倍政権発足に誓う。の巻」 に4件のコメント

  1. magazine9 より:

    新聞に大きく打ち出された「圧勝」の文字ですが、そもそもの投票率、得票率を考えると、単純に「圧勝」とくくってしまうことで、見えなくなってしまうものがあるのではと思います。選挙は終わりましたが、あきらめずに「それは、おかしい!」と言い続けるのは、私たちの責任。それには雨宮さんの言うように、きちんと知っていかないといけないだろうと思います。しんどいですが、それが「不断の努力」じゃないでしょうか。

  2. うまれつきおうな より:

    私はあえて今の空気を応仁の乱直前に似てる、と言ってみたい。政府は大名に貸すために民に高税をかけ大名は将軍の機嫌をとるために地元を搾取し裁判は徹底的に弱いものいじめで、周りもおこぼれめあてに尻馬に乗る。海外貿易重視で国民は無視。幕府批判は拷問。応仁以前の室町幕府はやたらと大名を戦に動員する小さくて強い政府だった。(やたらと選挙する時点で安倍サンも相当な戦好きだと思う)何より小泉首相の手法が信長より恐怖将軍義教によく似ていたと思う。義教の時代から応仁の乱まで26年、そのうち10年は将軍が子供だったので差っ引くと東京五輪の後がなんだか怖い気がする。中東やロシアのように<独裁の後は混乱または戦争そして独裁>にならなければいいのだが。

  3. なると より:

    コメント欄の編集部(?)さんへの返信でもあるのですが……。

     

    毎回、選挙が終わるたびに与党の得票率と投票率を掛けあわせて「実際は国民のこれだけにしか支持されてない」なんて話を見ます。でもこれになんの意味があるのかわかりません。何の指標としてこの数字を出したんでしょう。

     

    安倍政権に対する審判を見たいのであれば、使うべきは「与党を支持してる人の割合」(すなわち与党の絶対得票率)ではなくて、「与党を許容していない人の割合」(すなわち野党の絶対得票率の合計)ではないでしょうか。投票率自体が下がるなかで与党が得票率を伸ばしたということは、与党にNOを突きつけた人が減ったということです。この結果を「完敗」以外の何と呼べばいいのでしょうか。

     

    文中『集団的自衛権や原発再稼働などの反対世論はさまざまなメディアを見渡しても6〜7割だというのに、このカラクリには「いくらなんでもおかしいだろ!」と叫びたくなってしまう。』とありますが、内閣支持率は選挙後微増し51% (読売新聞調査) あり、自民党の政党支持率は頭ひとつ抜けています (ガクッと下がってはいますが)。本当にカラクリがあるとお思いなのですか? ただ単に論点がずれてるだけなのでは?

     

    選挙だけがすべてではありません。日頃から「それはおかしい」と声を上げ続けることは大事です。でも事実から目を背けているかぎり、また同じことを繰り返すと思うのです。

  4. 時の河 より:

    中教審による「新しい入試制度」の答申を読んだだろうか?
    小中学校に導入された全国学力テストを高校に広げた形だ。小学校から高校までテスト漬けの学生生活といえるだろう。
    だが待ってほしい。テストを実施する予算があるなら、奨学金制度に金をかけるべきではないのか。以前、雨宮さんが取り上げたよううに、育英会が廃止され民営化された後、ローン返済に苦しむ学生が増えている。多くの国で奨学金は貸与でなく支給だし、少なくとも無利子で貸与されるべきではないのか。
    学生への全国テスト導入は、テスト実施企業への官僚の天下り先を増やす、つまり官僚の利権拡大が目的としか思えない。

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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