雨宮処凛がゆく!

 熊本が大変なことになっている。本震だと思っていたのに、よりにもよってそれが「前震」で、今も絶え間なく余震が続き、被害は拡大し続けている。
 それなのに、川内原発は動き続けている。
 これが狂気の沙汰ではなくてなんなのだろう。私は今、この国に何度目かの深い絶望を抱いている。

 さて、そんな大地震に言葉を失いながらある雑誌をめくっていたところ、言葉を失うどころか「開いた口が塞がらない」としか言いようのない文章に出会ってしまった。
 それは「新潮45」5月号に掲載された曽野綾子氏の連載「人間関係愚痴話」第60回「動物の原則」。

 またこの人か・・・。というのが正直なところだが、原稿は「保育園落ちた日本死ね!」問題から始まる。
 曽野氏はまず、あのブログを「薄汚い文章」と指摘し、「今さらながら、日本人の表現力の低下と、日本人が自分を生かしてもらっている国や社会に対して正当な評価をできない認識の甘さを露呈している」と続ける。そうして中東の難民に触れ、「日本からは、着の身着のまま家も家財道具も捨てて、何の保証もない外国に逃げて行こうとする難民はいない」のだからと続け、お決まりの「昔は」から始まる文章となる。ちなみに曽野氏は80代。

 昔は、「子供は、必ずしも幼稚園にも行かなかった」。入れる入れないは「あくまで個人の好みであって、それは娘に茶道を習わせるか習わせないか、という程度の自由な選択の元にあった」。
 えーっと、どこから突っ込まさせて頂けばいいのでしょうか? しかも曽野氏は、現代の日本で妻も働かなければならない最大の理由は家のローンと指摘。え、そうなの? 初めて聞いたんだけど。別にローンなくても家賃払わなきゃでしょ? しかし曽野氏は「あいつらは家のローンのために妻が働き保育園が足りないと騒いでおる」と勝手に立腹。以下のように続く。

 「しかし私からみると、現代の夫婦はずいぶん贅沢になっている。
 まずローンという名の借金をしてマンションを買うなどということは、昔の人には許されないことだった」

 と、「ローン=贅沢」みたいなことを書くのだが、その後、昔の夫婦生活を描いていくと、「やがて子供が一間をほしがるようになると、仕方がない、そろそろうちでもローンを組んでマンションを買うか、ということになったものだった」と、先ほどの「ローンは昔の人には許されなかった」説を自身で鮮やかに覆すという技を披露。
 で、唐突に「しかし今の若者たちの青春は、私から見ると明らかに贅沢だ。スキーだ、ライブだ、旅行だとお金を使う。貯金などせずにお金があれば海外旅行にも行く」。

 私はこの一文を読んで、脳を脱臼しそうになった。この人の「若者像」は、「ディスコでフィーバー」的な30年前の1980年代あたりで止まっていらっしゃる・・・。誰か、教えてあげて! 今の私大生への仕送り額が、1日あたりの生活費にすると850円で過去最低だってことを。2人に1人の大学生が奨学金という名の借金を背負わされていることを。6人に1人の子どもが貧困だということを。非正規雇用の平均年収が168万円だってことを。

 しかし、そんなことを言ってもこの人は「仕送り貰うなんて贅沢」「奨学金を借りるなんてモラルがない」「子どもの貧困は親がだらしないだけ」「年収が低いのは努力が足りない」などと言うのだろう。
 そうして原稿は、唐突に「猿は子供が生まれると四六時中赤ん坊を抱いている」などの話になり、こう続く。

 「だから私は女性たちの敵といわれようと、子供を持った後の若い母は、最低六年間、できれば十二年間くらいは家庭にいて、いつも子供とべたべたとくっついて暮らし、その後で働きに出ることを勧めたいのである」

 自分のことを「女性たちの敵と言われようと」って、結構この人、客観的な視点はあるんだな・・・。この辺りまでくると、いろいろ通り越してそんな境地に達してくる。

 さて、その後は、曽野氏自身の話になっていく。
 「私の場合、子供が小さい時に、プロの作家になった上、幼児を抱えた数年間に最も多量に書く運命に直面した。この過酷な試練に耐えて書き続けられた者だけが、一人前の作家になる、と思われていた面がある」
 こういう文章を読むと、ほほう、この人も仕事と子育ての両立でいろいろ大変だったのだな、とほんの少しだけシンパシーを感じたりもする。が、次の一文がこれ。
 「現実を振り返れば、私は私の実母と同居していたから、母が始終子守を手伝ってくれた」
 さっきのシンパシーを返せ! 思わず叫びそうになっていた。

 それにしても、ここまでズレた感覚の人が堂々と文章を書き、発表しているとはすごいことである。曽野氏はこの原稿で、以下のようなことも書いている。

 「現代の人は、若い時代にも貧乏をしなくなった、のか、許せなくなったのだ。貧乏は、大した屈辱ではない。ことに若いうちの貧乏は、むしろノーマルな状態である」

 この高度経済成長時代で止まったままの価値観が、数々の若者支援を遅らせ、大量のワーキングプアを生み出した。今や90年代に若者だった私の世代は40代に突入し、ずーっと貧困に喘いでいる同世代は少なくない。
 「若いうちの苦労は買ってでもしろ」。上の世代は私たちが若い頃はそう嘯き、若くなくなると「努力が足りなかったんだ」と責め立てる。しかし、企業の利益のために非正規雇用を増やし、雇用の調整弁として労働を不安定にしてきたのは誰なのか。どの世代なのか。そして意味のない精神論で追いつめ、時代遅れの妄言を振りまくだけで「強者に都合のいいシステム」をより強化させてきたのは誰なのか。ネットカフェで寝泊まりする「苦労」をし、ブラック企業で寝る間もないほどこき使われる「苦労」をし、また家を追い出されて無一文で街を彷徨う「苦労」をした若者たちは、身体も心も破壊され、「頑張る」気力など残されていない。

 曽野氏は昨年にも、産経新聞での記事が「問題」となっている。
 高齢者介護のための労働移民受け入れに触れつつ、それでも外国人と居住だけは別にした方がいいという内容のコラムだった。
 これには南アフリカ大使館が「アパルトヘイトを許容し、美化した。行き過ぎた、恥ずべき提案」と産経新聞に抗議。人種差別が問題となったのだが、私にはもうひとつ、気になった点がある。日本に来て高齢者の介護をする外国人労働者を、なぜか「娘さん」と、最初から「女性」を前提にしていたところだ。
 なぜ、彼女は介護労働者を女性に限定するのか。それは介護などが「女の仕事」とされ、ゆえに低賃金に抑えられてきたというこの国の歴史とも符合する。日本社会に深く深く根付く、差別の構造。更に曽野氏は高齢者の面倒を見るために、衛生上の専門的な知識など必要ない、とも主張。日々、様々な感染症を気にしながら働く介護労働者の中には、これを読んで怒りに震えたという人もいた。

 無知は、罪だ。曽野氏の原稿を読んで、私は思う。無知は時に人を侮辱し、傷つける。そして自分の中の脳内イメージで何かを決めつけることも罪であり、有害だ。
 これらの原稿を読んで、私は絶対に、よく知らないことを頭の中の「イメージ」で勝手に決めつけたり、知らないままに発信したりしないでおこう、と強く自分を戒めた。
 そんな曽野氏の連載の最後のページには、彼女の新刊の広告があった。
 『人間の愚かさについて』というタイトルだった。

 

  

※コメントは承認制です。
第374回有害で、役に立たない精神論〜またあの人が変なことを書いている〜の巻」 に16件のコメント

  1. magazine9 より:

    「私はひとりでがんばってきた」と他人を責める人だって、実際には時代や景気、家庭環境であったり、職場であったりと、何かしら、誰かしらに支えられて生きてきたのではないかと思わずにはいられません。何より暗い気持ちになるのは、こんな理不尽な文章に同調する人が少なからずいるのだ…ということです。

  2. 久我祐子 より:

    曽野氏の文章や発言を未だに取り上げて出版する出版業界やマスメディアにこそ問題の本質があるのだと思います。

  3. 微妙な時代認識だな〜。あの〜日本の大学生がリッチになったのは80年代前半のポパイとデイスコでフィーバーの時代(ジュリアナなんかの巨大クラブの時代はもっと後)からなんですよ。60年代は高度成長だったけど大学生は貧乏!70年代も少しはマシになったけどまだ貧乏!実際、70年代末頃は、俺の回りのみんな、四畳半北向きの家賃15000円とかいうアパートに住んでたもん。かぐやひめの「神田川」の世界♪ まあ金持ちの子弟もいないわけじゃなかったけれど、それはごく少数。

  4. […] (2016年4月20日「雨宮処凛がゆく!」より転載) Source: Huffpost […]

  5. のほちゃん より:

    私も80代女性ですが、知り合いにも20世紀に取り残された様な人が多いです。
    そうそうカッカしなくても、もう何の影響力もないと思いますよ。

  6. 和田啓二 より:

    この人は国権優位志向から中外(華夷の隠語)二重に血縁差別と血縁擬制を行う記紀神話を奉じ、喜んで集団自決をするカルト信者を増やそうとした。具体的には渡嘉敷の赤松隊が留利加波基地のニッパハウスの厳しい生活から抜け出し、阿波連の民家で温かい食事や会的な睡眠を取りたいとの潜在願望から留利加波基地を放棄、基地隊の本部壕建設の大幅な遅れを招いた。その心理的負債を返すため、米軍上陸直前に勤務隊本部基地予定地に朝鮮人軍夫を貸したことが泛水失敗及び住民集団自決の遠因になったことを隠すために「ある神話の背景」で20を超える嘘を書き込んだ。
    私が再発見した(コロンブスのアメリカ再発見と同じ意味合い)司法制度改革審議会で赤松隊と個別に会ったとの嘘、泛水時に潮位が干潮に転じたという嘘は誰も否定できない。しかし、このような人間の文章を文部相は道徳の副教材に選んだ。小の虫は大の虫の犠牲になれ、王陽明の朝廷の赤子、つまり国家・行政あっての国民であり、行政権力に属さない国民は赤子のごとく権利能力は持てない、見ざる言わざる聞かざるという節度を守り忍従に堪えよと刷り込み続ける。

  7. AS より:

    「若い時の苦労は買ってでもせよ」なんて大嘘です。苦労せずに済めばそれに越したことはない。
    大学卒業後2年間無職、やっと入社した会社も3年で辞め、以後11年にわたってニートと父親の鞄持ちを続け、行政府の長にまで上り詰めたあのお方が好例です。

  8. Jun Maeyama より:

    この手の方々の特徴として、都合の悪い統計などの数字や数値は、無視をするか、それは嘘だとして持論を展開するのはお決まりのようだ。知識人だか、言論人だか知らないが、自分の言葉の種を少しは社会の実態から拾ってきたもらいたいものだと思う。私は雨宮さんの捉え方がとても普通に思える。

  9. 新しい炊飯器 より:

    昭和の高度成長の時代ならまだしも、
    頭が「昭和」で止まってるおっさんおばさんが多すぎる。
    雨宮氏が関わってる問題で、そういう状況の人に、
    昭和おじさんおばさんが精神論をぶっ垂れる。

    政治経済法律などの基礎教養を学び直したりする、
    ある程度年齢が行ったら大学に入学しやすいシステムとか、
    造ってくれませんかね?

  10. つくし大好き より:

    雨宮氏に大いに賛同。
    要は、曽野綾子氏の発言が、都合が良いオッサンが、まだこの国には沢山いるということなのでしょう。
    妻が外で働くとメンツの保てない脆弱なオッサンや、妻が家にいてくれないと何一つできないオッサン、
    子育てできない(全くしなかった)ダメダメなオッサン達を、気持ちよくしてくれる曽野綾子氏の文章は、
    平成の世では、もはや希少価値。だからきっと珍重されるのでしょう。
    もっとも、そんなオッサンがいっぱいの某政党と、その支持者には、いい加減目を覚まして欲しいですが。
    でも、まあ、そんなオッサンたちでも票は持ってますし、その世代を気持ちよくさせながら、票を稼ぐという戦略は
    まだしばらく有効なのかもしれない、というのが 残念に思うところです。

  11. 富崎勤 より:

    雨宮さんの主張には共感できるものが多いです。
    この曽野綾子批判も、その一つです。

    曽野綾子とか金美齢とかに見られる、
    いわゆる「あの手の主張」というのは
    「他者の幸福度・生きやすさ、世の中の福利厚生」
    なんて、実はどうでもいい。

    >アタシの美学に合わない! 理想に合わない! だからダメです!  
    >アタシの「お好みの考え」通りの世の中にしなさい! その通りに生きなさい!
    という思考回路に、ほかならない。
    しかも、それが「正論」っぽく聞こえてしまうからタチが悪い。

    だから、そうした曽野綾子の世評が、
    いかに世の実態に合わぬもので、
    生きにくさを倍加させるシロモノであることを喝破する
    雨宮さんの主張には、大いにに共感できます。

  12. この人の40代くらいの文章はけっこう好きだったんだけど、
    10年くらい前からはあんまり受け付けなくなっていた。
    このごろは脳みそが化石化してるんじゃないの?
    年寄りがしてはいけないこと=「説教・昔話・自慢話」全部やっちまってる。

  13. オヤジ・札幌在住 63歳無職 より:

    離れて暮らす30代の息子夫婦は、籍を入れた翌年に結婚式を行い新居を構えた。通勤時間片道2時間半かかる場所。次の年には第1児誕生。新車購入。この春から子を預け妻は元の職場へ復帰し、共働きとなった。夫は土日も出勤し、帰宅は21~22時。妻の通勤時間は2時間。妻は料理が得意ではない。夫婦はスギ花粉に弱い。近況を携帯電話家族割りで無料で会話していたが、夫婦は格安スマホに変えることにし、「LINEだとタダだから」と、ガラケーの我々に勧める息子。おかげで、わたしの妻はLINEアプリつきのガラホをわざわざ購入。最近、子が初めて風邪をひき夫婦が感染しダウン。新居も新車もまだで良かったのではとオヤジ的には思うのだが…。夫婦は今後ローン返済のため、孫の将来のために、バリバリ夫婦共働きでがんばりぬくのだろう。だが、その最愛の子供は小学生ではかぎっ子。独りメシってことに…。愛情たっぷりの一家団欒はいつどこで!?

  14. asa より:

    なぜ、彼女は介護労働者を女性に限定するのか。それは介護などが「女の仕事」とされ、ゆえに低賃金に抑えられてきたというこの国の歴史とも符合する。日本社会に深く深く根付く、差別の構造。更に曽野氏は高齢者の面倒を見るために、衛生上の専門的な知識など必要ない、とも主張。日々、様々な感染症を気にしながら働く介護労働者の中には、これを読んで怒りに震えたという人もいた。

    ということは、戦前の日本に置き換えれば、自らが使い物にならない間抜け兵士の性奴隷として好き勝手に弄ばれてしまったという大日本帝国軍性奴隷問題の前科をごまかそうとして、高齢者にしてみれば、多額のお金を騙し取られてしまった被害額を取り戻してやると言っておきながら、その被害額をちゃっかりとネコババして、「貰えるものは貰っておこう」なんていうことで生活保護不正受給者の真似をしているアメリカの言いなりになって、そのまま幸せに暮らして参りましょう、なんてボロを、自ら白状しているのと同じことなのでは?

    この目的と根拠を問い詰めれば、「核発電推進原理主義組織にまんまと騙されて核開発計画書を作り上げた外務省が、これがバレることがないように、頭隠して尻隠さず、という言い訳をしているに等しいものではないかというのが、キャリアコンサルタントから見た、この曽根綾子をはじめとする一部の日本人ならびに、この政権与党そのものに対する本質的な見立てそのものであることを、厚生労働省にしてみれば、もうお分かりのことですよね

    ということで応えてやりたいところだし、個人的には、もうこれ以上介入することは出来ませんね。

  15. もりもり より:

    ってか、作品を書かないあの人は作家ではない。評論家でしかない。
    作家? 錯覚? 自分の職業、間違えているでしょ。

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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