雨宮処凛がゆく!

 芸能人の母親の生活保護問題がメディアを騒がしていることは皆さんもご存知の通りだ。

 まさに先週、「生活保護を受けられなくての死」の現場を取材してきただけに、この騒動が何をもたらし、結果的に何を残すかを考えると、暗澹たる気分に包まれる。

 発端は、週刊誌報道。そこに自民党の「生活保護に関するプロジェクトチーム」(座長・世耕弘成氏)の片山さつき議員が「不正受給の疑いがある」と厚生労働省に調査を求め、騒動は大きくなる。そうして小宮山厚生労働大臣は25日、「親族側に扶養が困難な理由を証明する義務」を課すなどの生活保護改正を検討する考えを示す。この問題は「一芸能人のスキャンダル」的なものから「生活保護」全般を巡る政治的な問題に発展してしまった。

 そうして「生活保護」に関するバッシングが続いている。

 もう、このことに関しては何度も何度も何度も書いてきたので、過去の文章「205万人の命」などをお読み頂ければと思う。
 この原稿には、過去に生活保護を受けていたAさんという女性が登場する。彼女の「自殺を一度も考えずに生活保護申請をした人は一人もいないのではないか」という言葉が、ずっと胸の中に残っている。

 自殺。ここ数年貧困問題にかかわってきて、あまりにも多く耳にしてきた言葉だ。

 だからこそ、私は姉妹「孤立死」事件の調査で訪れた札幌での記者会見でも、「自殺」について触れた。申請に同行したり、相談を受けたりする中で、当事者の人から「自殺」「死」という言葉を聞かなかったことは一度もないからだ。人は仕事を失い、生きるためのお金を失い、場合によっては住む場所を失い、頼れる人間関係を失った時、同時に「生きる意欲」も失っていく。そんな時、「最後のセーフティネット」として生活保護という制度があることを伝えると、人によっては「自分なんか死んだ方がいい」と口にし、またある人は「本当に申し訳ない」と言いながら、「もう自殺するしかないと思っていた」と告白する。

 貧困問題にかかわる人の多くは、少なくない「死」を間のあたりにしている。路上で凍死してしまった人の遺体の第一発見者になったり、自殺死体の発見者になったり。09年末から10年お正月まで開催された「公設派遣村」でも死者が出た。50代の男性が亡くなったのだ。公設派遣村を何度か訪れ、顔見知りの入所者もできていた私にとって、「あの中から死者が・・・」という現実は、あまりにもやれきれないものだった。

 貧困問題にかかわる前にはメンヘル問題を取材していたことから、「死」は決して遠いものではなかった。何人もの友人・知人の葬儀に参列した。「生きづらさ」をこれ以上ないほどこじらせて自ら命を絶った人の中には、かなりの生活困窮が背景にあった人もいた。経済面での不安がもう少し解消されていれば違う結果になったのでは、という思いは今も強い。しかし、生活保護にはいつもバッシングがつきまとう。そしてそのことが、時に本人を追いつめていく。あまり知られていないことだが、生活保護受給者の自殺率は、それ以外の人たちの自殺率よりずっと高い。多くの人は「働けない自分」「国のお世話になっている自分」を責めている。自分を責め続けている人には、たった一言の心ない言葉が死への引き金になってしまう可能性が充分にある。

 今回、小宮山大臣は「扶養が困難ならその証明を義務づける」という考えを示した。このことで蘇ったのは、25年前の餓死事件だ。前回の原稿で姉妹餓死事件に触れたわけだが、姉妹が亡くなった白石区では25年前にも3人の子どもを持つ39歳シングルマザーが餓死する事件が起きている。この時、白石区役所は「離婚した前の夫の扶養の意思の有無を書面にしてもらえ」と女性に告げた。まさに「扶養できないならそれを証明しろ」と言っているわけだ。しかし、別れた夫にそんな書面を提出してもらうことは簡単なことだろうか? 別れた夫に限らず、複雑な家族関係を抱える人は多い。結果、シングルマザーの困窮は放置され、餓死してしまった。「証明」を義務づけることは、このような事態が再び引き起こされる可能性を充分すぎるほど孕んでいる。

 最後に。現在の生活保護バッシングの背景に見えるのは、「自分より得・楽している人がいるのは許せない」という気分だ。このことについては「『誰かが自分より得・楽してるっぽい』問題」 として過去に書いたので、こちらも参照してほしい。

 また、今回、自民党の「生活保護に関するプロジェクトチーム」が大きな注目を集めたわけだが、私自身は「こいつらが得・楽してるからdisれ!」というかけ声をかける人の言うことは絶対に信じないようにしている。特定の層を攻撃し、多くの人にガス抜きのネタを与え、「よくやってくれた」「スッキリした」という人を増やし、自らの存在感をアピールして得をするのは誰なのか。それを支持した人の中からは、のちのち自らが困窮状態に置かれた時に「自分で自分の首を締める」ような結果になったと後悔する人が現れるのではないか。そして「disれ」とかけ声をかける人は、どんな政治的策略にもとづいてそういったことをしているのか。

 私自身も、現在の生活保護制度がそのままでいいと思っているわけでは決してない。特に「出口」に向けての制度があまりにも貧弱だと思っている。しかし、バッシングは大抵の場合「ガス抜き」で終わってしまう。これをきっかけに、建設的な議論に発展していくことを願ってやまない。

 

  

※コメントは承認制です。
第230回 芸能人家族の生活保護問題に思う。の巻」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    作家の星野智幸さんが自身のブログで、
    〈(今の状況の背景にあるのは)象徴的に言えば、「人を殺したい欲望」〉だと思う、という文章を書かれています。
    そして〈私たちがバッシングし、叩こうとし、殺そうとしているのは、「俺」なのだ。〉とも。
    本当に見るべき、改善されるべき問題はどこにあるのか。
    単なる「バッシング」は、何の解決にもならないどころか、
    弱者(ときには自分も含めた)をさらに追い詰めることにしかならないはずです。

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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