雨宮処凛がゆく!

 沖縄で機動隊員が「土人」「シナ人」などの暴言を吐いたことが多くの批判を受けている。

 ちょうどそんなニュースが流れ始めた頃、どう思えばいいのかわからないような、だけどじわじわと打ちのめされるような出来事に遭遇した。

 それはある女性アイドルのライブに行った時のこと。っていうか、「なんでお前がアイドルのライブに?」という突っ込みは、私が自分自身に100回くらいしているのだが、ある女性アイドルが突然好きになってしまったのだから仕方ない。もともとこちらは10代から筋金入りのバンギャ。二十数年にわたり、ヴィジュアル系を追いかけてきた我が身に起きた突然の「アイドル降臨」という事態に戸惑いつつも、「ライブに行きたい!」「生で見たい!」という気持ちが抑えきれずにいそいそとネットでチケットを予約し、コンビニで引き換え、その日を楽しみに楽しみに待っていた。

 そうして、当日。

 何しろ彼女たちのライブを見るのは初めて。ドキドキしながら開演を待っていると、開演時間を過ぎたところでオープニングSEらしきものが流れ始めた。といっても曲ではない。何か雑踏の中で録音されたような音だ。聞いていると、それは苛立った女性の声で、誰かとモメているようだった。なんだろう? これもライブを盛り上げるための仕込みなんだろうな、とワクワクしながら聞いていると、苛立ったような声の女性は、「なんで反原発、左翼、朝鮮人のデモは許可するのにこっちは駄目なんだよ」というようなことを吐き捨てるように言ったのだった。

 よくわからないが、ネット右翼っぽい女性が、警察らしき人とモメているような音声のようだった。え? え? 今、「反原発」とか「左翼」とか「朝鮮人」とか言ったよね? 混乱しながら聞いていると、その後も女性が警察らしき人に絡む声が続き、再び「反原発、左翼、朝鮮人が」というところで音声はゆっくりとフェイドアウト。会場からは大きな笑いが起きたのだった。
 
 そうして、ライブはアイドルたちの映像から始まった。

 何が起きたのか、よくわからなかった。しばらくの間、ぽかんとしていた。だけど、それからずっとずっと生で見たかったアイドルたちがステージに登場しても、私はなんだか凍りついたように動けなかった。曲も覚えてフリも覚えて行ったのに、ずっと私の中には「反原発」「左翼」「朝鮮人」と憎々しげに吐き捨てるあの女の人の声がずーっと回っていて、すごく好きな曲でみんなが盛り上がっているのを見るとなんだか悔しくて悲しくて涙が出そうで、だけど客席のみんなはあんな音声など当然気にせずに盛り上がっていて、私だけがそんなところに躓いておかしいんじゃないかって気がして、そして一緒に行ったA子を見ると、隣で立っていたA子も憮然とした顔で全然ノッてなくて、「出ようか」ということになって、会場を後にした。楽しみにしていたライブは、こうして少しも楽しめないまま終了してしまった。

 今でも、あれがなんだったのか、自分の中で整理できていない。どうしてああいう音声がかかったのか、なんらかの文脈があったのか、「新規ファン」である私には想像する術もない。だけど、そのアイドルはいわゆる尖った笑いが売りで、ライブ前の「尖った笑いネタ」として、ネット右翼らしき女性の音声をもってきたのかもしれない。実際、会場はウケていた。

 だけど、私はその時、頭が真っ白になったのだ。なぜなら、「反原発」「左翼」「朝鮮人」などの言葉は、ネットで私や私の周辺の人たちを罵倒する時によく使われている言葉だから。いや、「反原発」「左翼」までは別にいいかもしれない。だけど「朝鮮人」という言葉は、ヘイトスピーチで苦しむ人々の生の声に触れてきた身に、鋭く突き刺さった。

 この音声がどういう意図でわざわざライブ前にかけられたのか、私には想像するしかない。「警察っぽい人に絡む右翼っぽい女性」の音声。そしてそこにちりばめられる「反原発」「左翼」「朝鮮」というキーワード。私と同じように、「オープニングの音声を聞いてどうしようもなく不快になった」A子と、ライブを途中抜けした後、居酒屋でやさぐれながら考えた。そうして出た結論は、やはり「ただ、ウケ狙いとしてやったのでは?」というものだった。

 別に深い意図などなく、なんとなくトンガッた笑いとして、ネトウヨが反原発とか左翼とか朝鮮人とか言ってる音声を流した――のだとしたら。

 そこまで考えて、ちょっと頭がクラクラした。きっと、まったく、本当に全然悪気などないのだと思う。ウケを狙っただけなのだと思う。だけど、それこそが今の時代を象徴するものに思えるのだ。なぜなら、在特会などはこの10年ほどをかけて、「差別の娯楽化」という空気を作ってきたからだ。特にネットの中ではあまりにも心ない言葉でさえ、許容されてきた。そして多くの人が、そんな状況に「慣れ」てきた。あの音声は、その「空気」は私が思っているよりもずっとずっと深く広く強固に浸透していることを気づかせるに十分だった。

 私がそのアイドルにハマったのは、精神的にいろいろ疲れることが多いからだ。貧困問題に取り組んでいると、特に「自己責任論」をふりかざす人に心底疲れるし、沖縄の「土人」発言にもグッタリしたし、選挙絡みでも疲れることが多いし、それにヘイトスピーチも独特の疲労感を私に与える。

 だからこそ、「何もかも忘れさせて非日常を味わわせてくれるアイドル」にハマった。そうして曲を覚え、チケットを買い、ライブに行ったら、まったく悪気のない感じの精神的通り魔に遭った――。そんな気分である。

 別に直接的に「反原発」や「左翼」や「朝鮮人」を笑い者にする音声ではない。どちらかと言うと、嘲笑されているのはその声の主であるネトウヨらしき女性かもしれない。だけど、私は怖かった。なんとなく、侮蔑の対象にされている気がした。アイドルファンにはまったく顔など知られていないのに、ここに自分がいるって周りの人にバレたらヤバいんじゃないか、と緊張した。いたたまれなかった。そして、あとから思った。もし私が「朝鮮人」だったら? 緊張は「恐怖」に変わっていただろう、と。

 オープニング音声の後、客席の前の方にいた男性が、さっと帰っていくのが見えた。もしかしたら、彼は在日コリアンだったのかもしれない。それか「反原発」「左翼」だったのかもしれない。もしくは、ネトウヨだったのかもしれない。私には、わからない。

 今も私は、あの時の気持ちを整理できないでいる。そして時々思い出しては、この国の「空気」が数年前とは大きく変わってしまったことに、愕然としている。

 そして一度は好きになったアイドルだからこそ、表現にはくれぐれも気をつけてほしいな、と余計なお世話だけど思っている。

 

  

※コメントは承認制です。
第392回どこに着地していいのかわからない体験〜アイドルのライブで耳にした不穏な言葉〜の巻」 に11件のコメント

  1. magazine9 より:

    そんな音声がライブで流れたということに、まずぎょっとしましたが、それが本当にただの「ウケ狙い」なのだとしたら、そこにはもっと深刻な問題が潜んでいるように思います。「会場で起きた笑い声」に、悪意はないのかもしれませんが、そうした「無邪気さ」こそが一番怖いものではないでしょうか。――この違和感を見逃していると、取り返しのつかないことになるような気がしてなりません。

  2. 土田裕一 より:

    本当に、ただのウケ狙いだとしても・・
    制作者側にそれに対する認識が無いことが怖い。
    アイドルには責任は無いけど、影響はある。
    長い目で見ると怖さが増す。

    会場のファンたちの中にも、雨宮さんたちと同じ気持ちになった人もいたかも知れない。いや、いて欲しい。
    一部でもファンにそんな気持ちにさせたとしたら、スタッフはプロ失格だ。

  3. 樋口 隆史 より:

    最近、ミリタリー系のアニメやゲームが大流行しているのも気になります。「朝鮮人」って言葉は本来自然に「日本人」ってその国の人をさす言葉なのに、なぜここまで変質してしまったのか。この言葉、もう言葉として使い物にならなくなった来ているから、今度から「高麗人」って言葉に代えたらどうかな?と思っています。

  4. 青木智弘 より:

    このアイドルのみなさんとスタッフは、ノーベル文学賞を辞退するかもしれない、ボブ・ディランを聴いた方がよいと思った。ボブ・ディランに共感できないなら、自分の表現活動を続けていいのかどうか、真剣に悩んだ方がいいと思うよ、老婆心ながら。

  5. 佐井 亜紀 より:

    一音楽ファンとして、心から驚き、涙が出てきました。
    もし私の好きなミュージシャンのライブに行ってそんな音声が聞こえてしまったら、と思うと本当に絶望しかない。

  6. yama より:

    私自身が無自覚に人を傷つける言動を数多くしてきたと思うので、とても書く資格ないが、ウケをねらって差別発言を流す感覚は、絶対やめるべきと思います。
    差別・嘲笑・罵倒文化ではない文化を私らは創れるはずだ。

  7. AS より:

    サザンのコンサートで「ピースとハイライト」が歌われた際に、背後のスクリーンに「平和」が各国語で投影されたのですが、これにハングルが含まれていたのをネット上で論った奴らがいました。
    ちょうど対蹠にある話ですよね。
    ナチスや親衛隊は問題にされるのにこういうことが問題にならない、これが日本の現状を如実に物語っていると思います。

  8. お園 より:

    今の世の中、便利になったように見えますが、
    精神的に疲弊した人で溢れています。
    その行き場がない怒りが弱者に向けられていると思います。

    原始時代には戻れませんが、機械化・高速化から
    離れて時間を過ごそうと思います。

  9. 鳴井 勝敏 より:

    戦後レジームからの脱却を図り、鎖国時代の復活を図ろうととでもいうのだろうか。どうもそんな高度の話でもなさそうだ。私には、自分の弱点を隠すための手段に過ぎないと見える。自分に自信を失っているのだ。だから、他者の評価がとても気になる。その結果、個性が埋没され、「一人一人違って当たり前」という発想は生まれない。そして、不安が募り,偏見が生まれ、差別を生む。そのことを典型的に表すのが嘲笑であり、罵倒である。これは自分の弱点を隠し、自分を癒すもっとも身近な手段なのだ。           私達一人一人が自信を持つことはとても大事なことだと思う。解決策は個性を磨くことであろう。人の評価を気にしない個性。これは自分を強くし、他人に優しくできる力が培われることと思う。

  10. free より:

    わかります。フードバンクのある活動を紹介したら、友達は「シングルマザーとか、障害者って言ってもさ、国から保護金を貰ってる。なまけてるみたい、何だかね。。。」と言ったし,仲の良い働き者の友人は、「ホームレスってさ、働きたくない人達なんだよね!」と怒りの表情でつぶやいた。私は在日です。嫌韓っていう人たちには話をしたいと思って来たけど、一人で一体何ができるんだろう。今は私は帰化という形になったけど、結婚して子供もいるので、それが正しいと思っている。在日に対して偏見を持っている人達は差別というより何も知らない事に恐怖を覚える。政治って、関心を持っても、どうにもできない自分にイライラする。今は自分の年齢に対してもだけど、太刀打ちできないこの国の病理みたいなものに只々怒りを覚える。

  11. パッカー より:

    僕もそのライブ行ってました。
    僕はどっちかといえば右寄りですけど、あのSEはホントにビックリしてドギマギしました。
    後でライブ中に本人が「最近YouTubeで見つけた変なおばさんの動画の音声を使った」と言ってたので、ほんとに何の悪気も無く「ただの面白いおばさん」として使ったんだと思います。(かつての「引越しおばさん」のように。)
    スタッフもそんなにいないだろうし、あのSEを使うのは知らなかったんじゃないですかね?

←「マガジン9」トップページへ   このページのアタマへ↑

マガジン9

雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

最新10title : 雨宮処凛がゆく!

Featuring Top 10/277 of 雨宮処凛がゆく!

マガ9のコンテンツ

カテゴリー