雨宮処凛がゆく!

新聞社・議員へ

立川市職員に生活保護者が殺された!
真相を追及して公開、処分してほしい
知り合いの○○(個人名なので伏せます)が高松町3丁目のアパートで12月10日に自殺した
担当者の非情なやり方に命を絶ったよ
貧乏人は死ぬしかないのか
生活保護はなんなのか
担当者、上司、課長は何やっているのだ
殺人罪だ

平成27年12月 ○○の知人

 すべてはこの1枚のファックスから始まった。

 2015年12月31日、立川市の共産党市議団控え室に届いたものだ。

 2016年の年明け、市議がこのファックスに気づく。上條彰一・立川市議(共産党)は事実関係を明らかにするよう市に求めるが、市は「個人情報」を盾に応じない。そうしてファックスが届いてから1年と4ヶ月経った17年4月11日、弁護士などによって「立川市生活保護廃止自殺事件調査団」が結成され、東京都に質問状と要請書を提出。記者会見を行なった。私も調査団の呼びかけ人の一人である。

 ここで経緯を振り返ろう。

 亡くなったのは、立川市で生活保護を受けていた48歳のAさん。15年12月10日に自殺した。

 自殺前日、Aさんには、生活保護の廃止通知書が送られていた。このことから、生活保護廃止という通知を受け、絶望して自殺したことが推測される。保護の廃止理由は、「就労指導違反」。

 そんなAさんの経歴を見ていくと、「この20年間の雇用破壊の犠牲者」という言葉が浮かぶ。

 高校卒業の頃はまだバブルの時代。27歳頃までは、正社員や期間工として自動車工場などの職場を転々としている。当時は「期間工」でもまだまだ稼げた時期。途中、陸上自衛隊に2年間所属。

 しかし、90年代後半頃から、派遣会社を転々とするようになる。04年には製造業への派遣が解禁となり、派遣労働がどんどん低賃金、短期雇用になっていった。08年にはリーマンショックが起き、派遣切りの嵐が日本を襲い、多くの人が路上へ追いやられるが、Aさんはそれを先取りするような形で、07年頃、39歳頃から路上生活に追いやられてしまう。その理由はやはり派遣切りらしい。

 そうして10年、42歳の頃、国分寺で路上生活をしていた彼は、府中緊急派遣村に繋がり、生活保護を受け国分寺市内のアパートに入居。

 が、14年6月頃には居場所がわからなくなり、同年7月、立川市内で路上生活をしていた彼はおそらく生活保護を受けて、市内の無料低額宿泊所に入所。 同年12月、そこを退所してアパートへ移る。この無料低額宿泊所を出る条件は、「仕事があること」「携帯電話があること」「転居先アパート物件があること」。リサイクル品回収の仕事か、土木・建築関係の仕事をしていたとみられている。

 彼が自殺するのは、アパートへ転居して1年後のことだ。

 その間、何があったのか。

 私の手元には、彼に対する「生活保護法第27条第一項の規定に基づく指導指示書」と銘打たれた文書がある。Aさんに対して役所から出されたものだ。働く能力がある人が生活保護を受けた場合、就労指導といって、「仕事を見つけてください」と役所から指導される。

 Aさんがどのような形で求職活動をしていたか、今となってはわからない。が、役所が出したこの指導指示書は、要約すると「とにかく早く仕事につけ、じゃないと生活保護を打ち切るぞ」という内容のものだった。これらの指示書が、9月には同日に3通も出され、10月には「保護停止決定書」が出され、またまた就労指導の通知が出され、そうして12月、「廃止通知書」が出されるのだ。この翌日、Aさんは自ら命を絶っている。

 問題なのは、この「廃止」が妥当だったのか、ということだ。

 生活保護を打ち切られるということは、収入を絶たれるということだ。自分だったら、と想像してみてほしい。派遣切りなどで職を失い、過酷な路上生活も経験し、生活保護を受けてやっと取り戻した「住まいのある生活」。が、仕事はなかなか見つからない。そんな中、保護を廃止すると言われたら。家賃も払えず、生活費、食費もない。また路上に戻るのか、それとも死ぬしかないのかという究極の選択を迫られる。

 この廃止処分について、立川市議の上條氏は、市の担当課長に聞き取りした際のことを記者会見で話した。担当課長は「就労指導に従わないから保護を廃止した」と述べ、Aさんには「路上生活の経験があるので、保護を廃止してもなんらかの形で生きていけるんじゃないか」と話したという。

 その話を聞いた時、目の前が暗くなった。これほど剥き出しの「差別」があるだろうか。あいつは路上で暮らしていたから、また路上に追い出しても生きていけるはず、という決めつけ。これは人間に対して使われていい言葉では決してない。そして廃止処分を受け、彼は路上に戻ることを選ばず、死を選択しているのだ。

 上條議員は、その担当課長に聞いたという。「指導に従わないということで、懲らしめの意味で保護を切ったのか」と。

 すると答えは「そうだ」というもの。また、「困ったら相談に来るだろう」とも述べていたという。が、彼は相談になど訪れていない。彼の中で、立川市はとっくに「相談できる相手」ではなくなっていたのだろう。

 「でも、ちゃんと仕事探していれば保護を切られることもなかったんじゃないの?」そんな意見もあるだろう。が、果たして彼は「働ける」状態だったのだろうか。

 彼と接した支援団体の人などによると、「死にたい」と口にすることもあり、うつ状態が疑われたという。また、高校卒業後、短期で職を転々とするという経歴や、路上にまで追いやられてしまったという事実から推測できるのは、軽度の知的障害や発達障害などがあった可能性だ。

 しかし、立川市が、彼の病気や障害の疑いについて、なんらかの対応をしていたかは明確ではない。というか、そのような疑いをもっていたら、それほど厳しい就労指導はしないだろう。うつや発達障害、知的障害があったかもしれないのに「とにかく働け」と言われ続ける辛さ。この日、申し入れに参加した稲葉剛氏によると、このような厳しい就労指導は、稲葉氏がこれまで支援したケースでもあったという。

 「文書で、何月何日までに月10万円以上の仕事につくこと、という指導を出している自治体もあります」

 それはあまりにも非現実的な要求である。本人がいくら働きたくても、雇ってもらえないことには話は始まらない。

 一方で、生活保護受給者の「厳しい就労指導を苦にした自殺」について耳にしたことは一度や二度ではないという現実もある。とにかく働け、この日までに働け、じゃないと保護を打ち切るぞ、という脅しにも似た「指導」。

 真面目な人であればあるほど自分自身を責めるだろう。連日のようにそんなことを言われていたら、生きていて申し訳ない、なんて気持ちになってしまうかもしれない。その上、仕事を探しても探しても落ち続けていたら、更に生きていく自信を失ってしまう。自分なんか生きていても……、なんて気持ちになってしまうことだってある。そんな時、いつにもまして厳しい就労指導に晒されたら、心が折れてしまうこともある。

 さて、それではなぜ、立川市ではAさんに文書で何度も就労指導が行なわれ、「従わないから廃止」というやり方が横行したのか。

 私の手元にある資料に、その「回答」と言えるものがある。立川市の「平成27年 事務事業評価表」だ。事務事業名は「生活保護費」。

 ここに平成27年の「目標値」が書かれている。「就労支援による保護廃止」の目標値として、「20」という数字が書かれているのだ。27年度は20人、就労支援によって働いてもらい、生活保護から卒業してもらいましょう、という目標である。

 これで思い出したのは、10年ほど前に北九州で、生活保護を「辞退」させたり、水際で申請できなくしたりし、餓死や自殺が相次いだことだ。そんな北九州市には、やはり厳しい数値目標があった。「ノルマ」があるからこそ、申請を受け付けず、打ち切りや「辞退」の強制が続き、それが多くの死者を生み出してしまったのだ。

 その時の反省がなんら生かされず、15年末、失われたAさんの命。

 が、このような状況の背景にあるのもまた、福祉事務所の人員不足だ。生活保護のケースワーカーの一人当たりの担当は80ケースが基準とされている。しかし、立川市では、ケースワーカー一人当たりの担当が96.7世帯、人数にして127.8人。現場はやはりオーバーワークなのだ。

 この日の記者会見で、稲葉氏は、このような厳しい就労指導の背景にあるのは「国の生活保護費抑制の方針」と指摘した。とにかく利用者を減らしたい、予算を減らしたいという国の圧力。それが現場を苦しめ、結局は、もっとも弱い立場の人の命を奪っている。皺寄せは、いつも弱者にだけ押し寄せる。そんな光景を、どれくらい見てきただろう。

 彼の死から、1年と4ヶ月。

 とにかくこうして調査団が結成され、真相究明が始まった。彼の無念に突き動かされるように多くの人が集まり、今、いろんな事態が動き出している。

東京都に質問状と要請書を提出する宇都宮健児弁護士と、後藤道夫さん。

 調査団による記者会見。左から私、稲葉剛氏、都留文科大学名誉教授の後藤道夫氏、宇都宮健児氏、立川市議の上條彰一氏、弁護士の田所良平氏

 

  

※コメントは承認制です。
第413回立川生活保護廃止自殺事件。の巻」 に6件のコメント

  1. magazine9 より:

    路上生活や生活保護に至るまでに、その人はお金だけではない多くのものを失っていると言われます。それは家族だったり、信頼だったり、尊厳だったりするのかもしれません。その人の背景や思いと無関係に、効率や経済性で人の価値が判断されてしまう。これは社会全体が抱えている問題ではないか。この市職員の対応に通じるようなことが自分の中にもないだろうか、と考えてしまいます。

  2. 名無し より:

    悲しく悔しい事件です。弁護団の方々が動いてくださったことが救いです。
    この記事にもありますが、私もこの件は転職回数の多さから人間関係で孤立し易い軽度知的障がいか発達障がいの可能性が高いと思います。昔は人間関係や複雑な労働には不器用でも、一つのことに打ち込むような職人的な職業がありました。現在は効率化と高度な分業化が進み、かなり能力の高い方でもついて行くことに必死です。ましてや平凡な能力の人や平凡に届かない能力の人が排除されることは火を見るより明らかです。この平凡な能力とは健康で能力のある男性で学歴も必須です。もう何をするにもハードルが高いのです。
    報道でコンビニの商品に電子タグを付けることになりました。レジに立って労働する方は雇用がなくなります。座る椅子の数は減って行くのです。医療関係もこれからロボットや人工知能が代替えしていくことでしょう。どんどん人件費は圧縮されます。労働してもしなくても、生きることができる世の中にしなければ、病人、老人、障がい、女性で生まれたこと、失業…人命を数字というコストに置き換え排除していく世界の行き着く先に生き残れる人はどれほどいるのか?排除した人が次は排除される側になる可能性は否定出来ません。自分は大丈夫でも子どもや孫はどうでしょうか?もうやめましょう。人間の命を数字に置き換えるのは…食べ物は捨てるほどあります。住む場所もあるのです。この衣食住をコストとしてお金に置き換えた途端に人間は創造力を失います。恐ろしいことです。
    今後の弁護団の追及と再発防止の取り組みに大きな期待をしています。

  3. 藤籔貴治 より:

    雨宮さんこんにちは
    以前神戸のシンポジウムでご一緒させていただいた元北九州ケースワーカーの藤籔貴治です。大変ご無沙汰しています。
    国は1980年に北九州で申請抑制と就労廃止の数値目標を導入させ、全国の福祉事務所に北九州に視察に行くよう勧めていました。
    立川市は国の勧めで視察に行き北九州方式を導入していた可能性があります。国の関与も調査すべきと考えています。どうぞよろしくお願いします。

  4. 谷村雅代 より:

    立川に住んで35年、全く愛着の湧かない市です。食中毒問題でもセンター方式で最悪のPFIです。センターを建てた敷地は鉛の土壌汚染地だし、半数の小学校は自校方式という教育の機会不均等。小学校も経済効率のため住民の声を全く無視して今回統廃合されます。市職員のレベルも恐ろしく低くなっています。

  5. あん より:

    酷過ぎる現実ですね。
    わたしも生活保護を受けておりますが、家族や身内からの拒絶に耐えられません。何よりも辛いです。
    役所よりも身内が、病気も許さず楽しむことも許さずに、働くことばかり強いてきます。奴隷のように気働きしている感覚です。
    お正月までひとりっきりで何年もひきこもりがちです。
    生きてる感覚がなく、目覚めた瞬間から息ができません。
    保護のお金はほとんど手をつけることができずに、自虐的な生活を送っています。毎日死を考えます。
    寝る場所はありますが、完全にホームレスです。

  6. 水野京極 より:

    死んでしまうのが、追い詰められし生活保護受給者には、最後の道かもしれません、私も立川市で生活保護受給してますが、ケースワーカーにはノルマがあるらしく私に、今月のノルマがどうのこうのと言ってます。
    私は、病気で生活保護に転落してしまいましたが、自分を守るために、立川市とのやり取りは電話や直接話す時に必ずし録音してますが、録音しますと了解をとると人が変わったかのような話し方になります、これが現実

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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