雨宮処凛がゆく!

 東日本大震災から丸2年が経った。

 1万5000以上の命が奪われ、行方不明者は今も3000人近く。避難生活を余儀なくされている人は31万人にものぼり、そのうち原発事故による避難者は15万人以上。

 この国が、根底から形を変えた日。多くの命が奪われ、町が流され、そして原発事故によって国土の一部が立ち入りできない場所になってしまうという最悪の事態は今も続いている。

 3月10日には全国各地で脱原発を掲げたデモや集会が開かれ、東京では4万人が参加したという。私はこの日、新潟の長岡で講演し、その後参加者とともに長岡の町をデモした。長岡は、柏崎刈羽原発から30キロだ。

 そんな長岡で、福島から避難しているという若いお母さん2人の話を聞く機会があった。

 一人は南相馬に住んでいたA子さん。もう一人は、いわき市から避難してきたB子さん。

 彼女たちの友人の多くは今もいわきなどに残り、生活を続けているという。

 避難に関する人間関係のこじれなどは、これまでも耳にしてきた。避難した人と、残った人との間の、どうしようもなく埋められない溝。

 「自分が避難することが、残っている人への否定になるのではないか」という迷い。

 残っている友人たちは、おそらく「ここで子育てしている私たちはなんなの」と思っているのではないか、という罪悪感に似た気持ち。一方で、避難しない人たちにも様々な事情がある。仕事のこと、家族のこと、経済的なこと。だからこそ、放射能についての情報をシャットダウンし、「大丈夫」と思い込むという作法を選択する人もいるという話を聞いて、なんだか泣きたくなった。多くの人が、今この瞬間も、身を引き裂かれるような思いで時に不本意な選択をせざるを得ない状況に追い込まれている。

 B子さんは、避難してから7ヶ月後、子どもを連れて一旦はいわきに戻ったという。放射線量が下がったと発表されたからだ。

 しかし、自宅近くの線量を測ると、やはり、高い。結局、数ヶ月でまた長岡に戻ったものの、その間苦しんだのは「周りとの温度差」だったという。幼稚園では、子どもを外で遊ばせる。砂埃が舞う様子が、「放射能の粒」が舞っているように見えてくる。「心配しすぎ」という人もいる。しかし、子どもへの放射能の影響など、調べれば調べるほど不安は募るばかりだ。

 結局、背中を押したのは、子どもに将来「なんで避難させてくれなかったの?」と聞かれたらどう答えればいいのか、という思いだったという。

 避難するか、しないか。自分だったらどうするだろう。震災以降、何度も何度も考えた。仕事や経済的なことなど、様々な条件がクリアできれば避難するだろう。しかし、様々な条件が揃わなかったら? 私自身も不安な情報はシャットダウンし、「大丈夫」と自分を納得させて日々をやり過ごすという方法を選択するかもしれない。そうして避難していく人に、複雑な思いを抱えるかもしれない。本当は、悪いのは避難する人でも残る人でもないのに。原発さえなければそんな溝などできていないのに。3・11後、どれほど「原発事故によって亀裂が入った人間関係」についての話を聞いてきただろう。そのたびに、原発というシステムの罪深さにため息が出る。

 避難生活は、家族との暮らしも奪う。A子さんは家族全員で避難しているものの、B子さんは、夫が福島に残っているという母子避難生活。月の交通費だけで3万円ほどの出費になるという。1世帯が別々の世帯になるだけで生活費もかさむ。そんな生活が、もう2年も続いている。この先どうするか、具体的な目処は立っていない。「宙に浮いたような状態」という表現を聞いて、今も避難生活を強いられる気の遠くなるような数の人たちを思った。

 A子さんは、言った。

 「もうこれ以上、こんな思いをする人を増やしたくない。だから当然原発反対ですが、自然や命を守るのは当たり前のこと。そんな当たり前のことを、なぜわざわざこうして集会を開いて言わなければならないのでしょうか?」。

 B子さんは、「原発事故で避難してきて、その避難先が柏崎刈羽の30キロ圏内という皮肉」にも触れた。だからこそ、柏崎刈羽原発の再稼働は決して許さない、と力強く語った。

 2人の言葉で特に印象に残っているのは「何も変わらない現実にうんざりしている」というものだ。

 変わらない現実どころか、政府は原発政策を「脱原発」から大きく後退させ、再稼働する気満々だ。一体、こうして避難している福島の人たちになんと言い訳するつもりなのだろうか? 「経済のためには仕方ないんで我慢して下さい」とでも言うつもりなのだろうか? それほどまでに原発被災者を堂々と無視し、見捨てるような政治に、一体何を期待すればいいのか、もうそこからわからない。

 最後に、A子さんは言った。

 「大変ですね、可哀想ですね、と言われるのはもう嫌。福島の人たちは疲れきっているので、被災していない皆さんが声を上げてほしいです」

 3・11から、2年。私たちがすべきことは、まだまだたくさんあるのだ。

3月6日、生活保護基準引き下げに反対するデモが開催されました! 宇都宮健児弁護士(中央)、河添誠さんと

 

  

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第257回 あの日から、2年。の巻」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    住み慣れた場所に、安心して住み続けたい。
    子どもたちに、外で走り回らせたい。
    3・11以降踏みにじられたままの、たくさんの「当たり前」。
    もう2年。そして、まだ2年です。

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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