伊藤塾・明日の法律家講座レポート

2015年10月3日@東京校

「けんぽう手習い塾」でおなじみの伊藤真さんが主宰する、資格試験学校の伊藤塾では、
法律家・行政官を目指す塾生向けの公開講演会を定期的に実施しています。
弁護士、裁判官、ジャーナリスト、NGO活動家など
さまざまな分野で活躍中の人を講師に招いて行われている
「明日の法律家講座」を、随時レポートしていきます。
なおこの講演会は、一般にも無料で公開されています。

【講師】
山﨑裕人 氏
(元警察大学校校長、元小泉純一郎首相秘書官)

●講師の主なプロフィール:
千葉県生まれ。1976年警察庁入庁。1984年岡山県警察本部警備部長へ異動、1986年栃木県警察本部警備部長へ異動。1988年在インドネシア日本大使館1等書記官に任官。1992年カンボジアPKO派遣文民警察隊長、1998年福井県警察本部長、2001年インドネシア国家警察長官政策アドバイザー。2005年小泉純一郎内閣総理大臣秘書官、2008年元警察大学校校長を務める。2009年インドネシア国家警察長官政策アドバイザー兼インドネシア国家警察改革支援プログラム・マネージャーとして3度目のインドネシア勤務。2012年警察庁辞職。

はじめに

 警察の立場から国際社会に向き合ってこられた山﨑裕人先生は、「日本は、PKOへ警察を派遣し続けて欲しい」と語ります。山﨑先生は、日本が初めて海外へ自衛隊を派遣したカンボジアPKOに文民警察隊長として派遣されました。  
 社会人生活の3分の1を海外で過ごされたという山﨑先生は、3度にわたるインドネシア勤務で国家警察改革に携わってこられた他、総理秘書官として官邸から日本外交を間近に見てこられてきました。
 今回は、山﨑先生にこれまでのご経験をふまえ、警察の視点から国際社会と日本との付き合い方について、お話しいただきました。

PKOへの参加と国際社会のジレンマ

 私は、警察庁に入庁し2012年に辞職するまでの36年間で、33度の辞令を受け、国内外で様々な仕事をさせていただきました。国内では岡山や栃木、福井など、だいたい1年、長くても2年弱で異動してきました。海外では、計3回10年半にわたるインドネシア勤務が最も長く、ほか9カ月間のカンボジアPKOへの参加など様々な経験をさせて頂きました。それらすべてが満足のいくもので、本当に充実した警察官人生を送ることができたと感謝しております。
 カンボジアPKOへは、1992年、私が40歳のときに「日本文民警察隊長」として政府から派遣されました。なぜ日本初参加のPKO警察部隊隊長に私が選ばれたのか。これは、私にとって長年の疑問だったのですが、後日当時の長官に聞いてみると「お前がでかいからだろう」との答えが返ってきました。体が大きい人間の方が、体格のいい欧米の人々と対等に渡り合えるだろうという理由からだったようです。185cmと大きく生んでくれた両親に感謝しています。
 カンボジアPKOの最大の目的は、内戦を繰り広げて来た「四派」の参加による民主的な総選挙の実施でした。私たち文民警察の任務は、その選挙実施のための現地警察の監督、指導及び助言でした。
 国連というのは、いわば寄り合い所帯です。当時、カンボジアPKO文民警察部門には三十数カ国が参加しました。一定の国際的ルールが存在する軍隊と違って、警察は国ごとに仕組みが違います。警察の制度は、その国の歴史や文化等と対になって成立、発展してきているのです。各国で異なる部隊が世界中から集まり、「国連」という旗の下でまとまって行動する。果たしてうまくいくと思いますか?
 例えば、カンボジアに派遣された文民警察3000名のうち、日本から参加したのはわずか75名です。当時、文民警察1人あたり日当として1日145ドル給付されていたのですが、国によっては、日当のうち例えば45ドルは本人の手取りで、残り100ドルは組織に納めるというようなシステムになっていたようです。そういうこともあって、警察官を多数派遣していた国というのは、インド、パキスタン、バングラディッシュ、ガーナ等、いわゆる「発展途上国」が多かったように思います。
 これは極端な例かも知れませんが、このような寄り合い所帯の組織で、果たして紛争当事国の警察を指導、助言、監督できるのでしょうか。これが国際社会の実態の一部です。PKOに参加するまで、私は国連という組織に憧れを感じていましたが、カンボジアでの9カ月を経験した結果、その憧れは夢に留めておくべきだという結論に至りました。
 

軍から市民警察へ インドネシア国家警察改革

 カンボジアPKO同様、10年半以上にわたるインドネシア勤務も私の人生の大きな出来事です。1回目は、1998年、日本大使館に一等書記官として勤務しました。2回目、3回目は、いずれも政策アドバイザーという立場で、インドネシア国家警察改革プログラムに携わりました。警察ではもちろん、外務省の役人でも、同じ国に3回、10年以上勤務するというのは珍しいケースです。
 2001年、2度目のインドネシア勤務は、1997年に発生したアジア通貨危機の余波を受け、スハルト体制が崩壊した直後の時期でした。長らく続いた「開発独裁」から「民主国家」へと改革を進める中で、それまで治安維持を担っていた国軍から警察の組織を独立させ、「市民警察」を組織する必要がありました。当時、インドネシア政府はアメリカ、イギリス、オーストラリア、日本等へ改革支援を依頼したのですが、このときのインドネシアの警察長官が、カンボジアPKOで私が一緒に働いていた同僚だったのです。「山﨑に来てほしい」という彼の鶴の一声で、私が派遣されることになったようです。
 警察庁とJICAが協力しているこの改革支援プログラムは、5年を1期として、現在3期目を行っているところです。2017年からは4期がスタートすることが大筋決まっています。JICAの単独プログラムで20年も続くものは珍しく、それなりに評価されている証だろうと思います。
 技術指導を行っていると、相手側の中に、非常に融通無碍な人材に出会うことが出来ます。そういう人に出会うと、非常にやりがいを感じます。一方で、絶対にこちらの意見を受け入れないというタイプの人間に出会うこともあります。そういう人と膝を付き合わせて向き合い、少しずつほぐしていく。伝えたいことが伝わったときには、これもまたやりがいを感じることが出来ます。
 10年経過し、少しずつプログラムの成果が現れて来ています。インドネシアの警察の中に、市民の安全確保が使命という意識を持つ警察官が着実に増えて来ました。また、軍隊型警察の経験を全く持たない新しいリーダーが次々と生まれています。彼らが、私たちが支援し築き上げて来た土台の上に、新しいものを積み重ねていっているのです。「市民警察」の制度が、着実にインドネシアの社会に根付いて来て、今では空気のように当たり前の存在になってきているようです。こんなに嬉しいことはありません。

日本の警察ブランドを海外に派遣しよう

 国際社会とお付き合いしていく上で一番重要なことは、「敬意」だと思います。その土地の人びとへの、歴史、伝統、文化、風習、生活習慣、宗教に敬意を払ってお付き合いできるかが、非常に重要です。
 世界を旅すれば、日本は、突出して素晴らしい国だと感じます。これから日本が国際社会の中で果たすべき役割について、あえて限定的に「軍事」「非軍事」とくくる必要はないと思います。憲法の文言、解釈で認められた範囲内であれば軍事的支援は当然ありえると思います。今回の平和安全保障法制が成立したおかげで、日本が、また一つ「ふつうの国」に近づくことができました。国際社会の中で、日本の責任を果たす法的枠組みが出来たと思います。
 非軍事的な部分としては、インフラ整備や学校建設など様々なツールが存在すると思います。例えば、日本の警察にはブランド力があります。とりわけ「交番」という言葉は世界中で知られているキーワードでしょう。世界では、日本中どの町にも必ずある交番という制度が、世界トップの治安の良い国の基盤となっている、というイメージがあるようです。また、日本の警察制度では、警察学校から始まり、階級が上がるたびに必ず学校に入り、その階級にふさわしい教育を受けさせます。このように「人材育成」に力を入れている点も日本の警察の誇れる点だと思います。
 日本の警察は、カンボジアPKOの中で発生した1名の警察官の殉職事件をきっかけに、海外に警察官を派遣することに対して非常に消極的です。しかし、私は、警察という組織の中から有能な人材をもっと世界へ送るべきだと思います。日本が世界に誇れる点を活かして、国際社会に貢献するべきだと思います。 
 私の夢は、いつの日か、日本の警察がかの地の警察から学ぶ日が来ることです。

 

  

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