B級記者どん・わんたろうが「ちょっと吠えてみました」

 「原発容認」にカジを切るにあたって、野田首相は国内での議論を積み重ねるより先に、海外へ向けてどんどん発言して既成事実化する作戦に出た。公の場で国際公約にしておけば「外国に約束しちゃったから仕方ないじゃん」と開き直れると踏んだのだろう。日本国民もなめられたものだが、それはそれで、ある意味、頭のいいやり方だとは思う。
 で、野田さんとやら、9月22日の国連の原子力安全首脳会合で、「日本は、原子力発電の安全性を世界最高水準に高めます」と高らかに宣言すると同時に、「日本は、原子力利用を模索する国々の関心に応えます」とうたった。続けて「数年来、エネルギー安全保障や地球温暖化防止のため、新興諸国をはじめ、世界の多くの国々が原子力の利用を真剣に模索し、我が国は原子力安全の向上を含めた支援をしてきました。今後とも、これらの国々の我が国の取り組みへの高い関心に、しっかりと応えていきます」と語っている。要するに「『原発輸出』のご要望があれば、これからも積極的にお受けいたします」という意思表示である。
 そんな折、ちょうど良いタイミングで「日本の原発輸出がインドの人々にもたらすもの」と題した講演会があったので出かけてきた。講師は、岐阜女子大南アジア研究センター客員教授の福永正明さん。「原発輸出」は奥が深く、さまざまな側面からアプローチすべきテーマだとわかった。
 「日本の原発輸出は動き始めている」と福永さんは切り出した。国連で輸出継続を表明した野田首相は11月にもインドを訪問する予定で、その際に何らかの動きが予想されるそうだ。インドへの原発輸出の前提となる原子力協定の締結交渉はすでに昨年6月から始まっており、「今後、かなりのスピードで進んでいくのではないか」と見立てていた。
 インド政府は3.11後も、原発新設を推進する意向を明確に示している。人口12億、しかも平均年齢27歳の若い国の経済成長は著しく、電力が不可欠だ。しかし、原油や天然ガスといった資源を持たず、既存の原発は老朽化している。「経済成長の維持に手っ取り早いし、自前でエネルギーを確保したいという希望が強い」。インドが原発に頼ろうとする理由を、福永さんはこう説明した。
 インドは戦後、独自に原子力開発を進めてきた。核拡散防止条約(NPT)に入らないまま1998年には核実験を実施し、国際社会で強い批判を浴びた。流れが変わったのは2000年代になってから。経済成長力に着目したアメリカの主導で、08年に原子力供給国グループ(NSG、日本を含む46カ国)が原子炉や核燃料のインドへの輸出を例外的に認める決定をする。アメリカは79年のスリーマイル島事故以降、自国内で原発の新規建設をしていないこともあり、日本企業の協力を求めている、というわけだ。
 日本の経済界にしてみれば願ってもない動きだし、民主党も経済政策の目玉にと飛びつき、菅政権時代の「新成長戦略」に盛り込んだのである。福島原発事故で国内での原発新設は不可能になったから、「『このままでは日本の技術力がダメになる。市場や雇用も失われかねない』と経済界を中心に危機感が募っている」と、福永さんは政府が輸出にこだわる背景を分析していた。
 後で調べてみたら、朝日新聞別刷りグローブ(4月17日付)にインドの原発計画に関する記述があった。既存の20基のほか、「世界原子力協会によるとインドには建設中の原発が5基、計画が18基ある。構想段階は40基にものぼる」「現在は発電量の68%を石炭火力発電でまかなうが、よりクリーンな電源として原発に投資をして、2050年までには発電量の25%をまかなう見通し」と書かれている。
 講演会では、欧米の企業がインド東海岸の1カ所(6基)と西海岸の1カ所(4基)に建設する原発に、日本企業の技術の導入が取りざたされている、なんて話も出ていた。ちなみに、鳩山さんという元首相は今年1月に訪印した時に、地図を指して「ここに日本企業が原発を造ってもいい」とインドの首相に話したとか。
 もっとも、インド国内では福島原発の事故後、危険を懸念して反原発運動が起こっており、死者も出ている。8月以降、反汚職運動と連動して各地で活発化しているが、政府は「力で潰そうとしている」そうだ。
 どう考えればいいのだろう。
 原発を輸出するのであれば、単に設備や技術にとどまらず、事故防止などの安全対策はもとより、「廃炉や最終処分の手法まで含めて提供しなければ、先進国の傲慢と言われる」と福永さんは指摘していた。NPTに加盟せずに核兵器を持つインドへの原発輸出に対しては、核不拡散という日本の国是を覆し、NPTを形骸化させるという批判も根強い。
 一方で、インドをはじめ新興国にしてみれば、これまでさんざん原発を利用して経済的な利益を享受してきた先進国に、今さら「危ないから造るな」なんて言われたくはあるまい。「多少危険だって、裕福な生活をしたい」と願う気持ちを頭から否定はできない。日本国内の原発を受け入れた地域と似ていて、「じゃあ原発抜きでどうやって経済発展すればいいのか」と問われた時に、私たちは新興国の民に代案を提示できるだろうか。福永さんは「この人たちの暮らしをどうするという視点」の必要性にも触れていた。
 インドの場合、さらに先住民の土地の収奪という要素が絡んでいる。「自分の土地で自給自足して生きていければいい」と信じ、カネでは転ばない人たちの反対である。資本主義と相反する価値観だけに、問題はより複雑になっているようだ。
 国には国の事情があるわけで、原発を推進するかどうかは、まずはその国の意向が尊重されて然るべきだろう。「日本が輸出しなくたって、アメリカやフランスやロシアや中国が輸出したら同じことじゃん」という理屈もわかる。だが、福島原発事故の十分な検証も済まないうちに、日本政府が先頭に立って原発や技術を輸出するとなると、どうしても強い違和感を禁じ得ない。原発輸出に単純に反対するつもりはないが、少なくとも、いろいろな側面からもっともっと、きちんと議論する必要はあると思う。
 それにしても、反原発の人たちはどうして正面から原発輸出に向き合わないのか。菅政権の8月はじめには輸出継続が決められていた。にもかかわらず、9.19デモでは「原発止めろ」「再稼働反対」といったスローガンばかりで、私が取材した限りでは「原発輸出反対」を訴えるシュプレヒコールやプラカードはなかった。
 国内では「ただちにすべての原発を停めろ」と主張しながら、そんなに危険な原発を外国にばらまくことには見て見ぬふりってのは、身勝手じゃないかい? 自分の身の上に直接の危険が及ぶことさえなければいいのかい? って突っ込みたくなるよね。もちろん、ひとたび海外の原発で大きな事故が起きれば他人事でいられないってことは、福島の例がはっきり示しているはずなのだけれど…。多角的な思考と論理が求められている。

 

  

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第63回 「原発輸出」を
黙って見ているだけでいいのか
」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    『深刻な食中毒を引き起こしたばかりのレストランの経営者が、
    同業者の会合で「食品衛生の高い技術を提供する」と言ったら、
    一体、どう思われるか』とは、東京新聞コラム「筆洗」(9月24日)の一文。
    現地政府の側にも技術提供を求める声があるのは事実であっても、
    それでも、やはり福島の事故を経験した私たちがやるべきは、
    そこにはっきりと「ノー」を言うことではないのか。
    みなさんは、どう考えますか?

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どん・わんたろう

どん・わんたろう:約20年間、現場一筋で幅広いジャンルを地道に取材し、「B級記者」を自認する。 派手なスクープや社内の出世には縁がないが、どんな原稿にも、きっちり気持ちを込めるのを身上にしている。関心のあるテーマは、憲法を中心に、基地問題や地方自治、冤罪など。 「犬になること」にあこがれ、ペンネームは仲良しだった犬の名にちなむ。「しごと」募集中。

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