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 初めてパリを訪れたのは1989年6月半ばのことでした。「花の都」(古い表現で恐縮です)では、同月4日に起こった中国の天安門事件(同広場で行われていた学生デモへの人民解放軍による弾圧)に対する抗議の声やプラカードで溢れていました。そして、いたるところでフランス国旗のトリコロール(青・白・赤)を目にし、しばしばフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」を耳にしました。フランス革命200周年を迎えた年、国民は中国の民主化運動に連帯の意を表明していたのです。

 当時、私が住んでいた東ドイツ(そして多くの東欧諸国)では政府が中国政府の措置を支持(自国での民主化要求デモを恐れていたからでしょう)していたせいか、高揚するパリの街並みに私はめまいを覚えるほどでした。
 ベルリンの壁が崩壊したのはそれから5カ月足らずのこと。東欧諸国で次々と起こった体制転換と、その後のソ連邦解体は、私には資本主義による社会主義に対する勝利というよりも、フランス革命の理念(自由・平等・博愛)がもつ普遍性の強さのように思えました。

 それから16年後。先月、パリでのテロ事件を受けて、フランスのオランド大統領はベルサイユ宮殿の両院合同会議場に上下両院を招集して演説を行い、非常事態宣言の延長などを議会に呼び掛けたのち、全員が「ラ・マルセイエーズ」を斉唱しました。

 「祖国の子どもたちよ、栄光の日がやってきた……武器をとれ、市民たちよ 自らの軍を組織せよ……」という勇ましい歌詞ではありますが、それは王政を倒せという声であり、当然ながらイスラム国(IS)への宣戦布告には相応しくありません。

 IS支配エリアといわれる地域への爆撃の報に接しながら、1989年に「ラ・マルセイエーズ」を聞いた時の胸の高鳴りを思い出す私などは、ずいぶんナイーブな人間なのでしょうが、この十数年間、ベルリンの壁崩壊後に吹き荒れたバルカン半島の民族主義、2001年9月11日の米国同時多発テロ、2008年秋に起こったリーマン・ショックなど、内と外からの変化を受けて国民国家の土台がぐらつき続ける過程と、フランス国歌への違和感がどこか通底しているのではないかとも思えるのです。

 その先に何が見えるのか。いや、その先に何を見ようとするのか。時代が私たちに求めていることではないでしょうか。

(芳地隆之)

 

  

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