原発震災後の半難民生活

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 那覇の新都心の食堂で交わしたNさんとの会話で、もうひとつだけ、鮮明な記憶として刻まれていることを書き留めておかなければなりません。例によって細かい前後関係は忘れてしまったのですが、ほんのちょっとしたきっかけで、「ヌチドゥタカラ(命こそ宝)」という沖縄の言葉が話題にのぼったときのことでした。

 それまで旧交を温める雰囲気に徹していたNさんの眼に、急に灯火がともったようになりました。テーブル上のお皿に目を落としながら、Nさんは口を開きました。

 ――内地の人間は、この言葉を気軽に口にしすぎだと思いますね。

 私が発言の真意を測りかねていると、Nさんはあるエピソードを紹介してくれました。

 彼の話では、ついこの間、三月の原発爆発を受けて関東から西日本に避難した活動家Vが、その避難先からわざわざ那覇での平和祈念イベントに参加しにきたということでした。沖縄の市民運動の現場では、Nさんの名前はよく知られているので、たぶんNさん自身もイベントに参加していたのでしょう。

 イベントもたけなわになった頃、普天間基地の返還に際して、日米両政府が再三に渡ってウヤムヤにしてきたさまざまな事柄が、議論の俎上にのぼりました。すると、活動家Vがひとつの思いつきを語り始めたというのです。普天間基地が返還されたら、本州から避難してきた子どもたちのために、記念公園をつくってはどうだろうか。その公園に集まる子どもたちは、原発が平和とは相いれないものであること、むしろ私たちの命を脅かすものであることを、いつまでも心に留めてくれるようになるのではないか。

 ――子どもたちの命は、私たちの宝物なんです! 沖縄の言葉で言えば、まさにヌチドゥタカラですよね! 

 活動家Vは、こんなふうに発言をしめくくったのだといいます。

 当の場面を語るNさんの眼差しは、しだいに厳しさを増していました。

 ――俺も、この八年の間にいつのまにか、沖縄の立場から物事を見るようになったんでしょうね。Vの発言にはハラワタが煮えくりかえりました。

 当惑気味の私の顔を一瞥したうえで、Nさんはつづけました。

 米軍基地が占領している土地は、日本人のものではない。それはもともと沖縄人のものである。NさんはVに向かって、そう明言したのだといいます。「沖縄人」という言葉にアクセントを置く彼の語り口には、まるで目の前にいる私自身にも説き聞かせる意図がこめられているかのようでした。

 米軍から返還された土地をどのように活用するのかは、あなたのように今頃になってノコノコと内地からやって来た人間が、あれこれと口出しすべき問題ではない。それは、沖縄人が決めることである。そもそもあなたは、沖縄人にとってヌチドゥタカラという言葉がどれほど重い意味を持つのかを、本当に分かって使っているのですか?

 Nさんが再現する状況を聴きながら、私は半ば気圧された形になっていました。一方、Nさんはあえて私の反応には無頓着を貫くといった様子で、さらに語りつづけるのです。

 自分としても、活動家Vと同じく、「反原発」の考え方にはまったく賛成である。これだけの汚染被害をもたらしたばかりでなく、いまだに事故の終息すら見えてこない惨憺たる状況を踏まえるなら、この期に及んで原発をつづけるなど、もってのほかだと思う。

 もっと言えば、それぞれの人が、それぞれにできる範囲で被曝を軽減することもまた、当たり前の権利として認められるべきだろう。実際、内地から沖縄に避難してきた人たちはたくさんいるし、その選択自体が間違っているとは自分には思えない。

 しかし、である……

 活動家Vが発言したことは、そういうこととは、まったく別次元の問題だ。沖縄がこれまで、どれほど「内地」から煮え湯を飲まされてきたかを無視し、こともあろうに、あの沖縄戦の記憶を留めるヌチドゥタカラという言葉を、平気な顔をして持ち出す神経は、どうしても見過ごすことができなかった。

 沖縄のどんな場所でもいい。自分の足を使って歩きまわり、かつて沖縄人が味わった戦争体験に少しでも耳を澄ましてみてはどうだろうか。米軍基地による占領状態が続く現在にいたるまで、「内地」の人間がどれほど自分たちを裏切りつづけてきたかという点に関しては、この島で暮らしてきた住民の誰もが一致して賛成するはずである。ヌチドゥタカラは、そんな沖縄人の気持ちを最も代弁する言葉だ。

 Nさんは最後の最後に、ダメ押しの言葉を畳みかけてきました。

 ――これはね、活動家Vに限った話ではないんですよ。かくいう俺自身、八年前まではむしろVの側にいたんだと思うんです。「内地」の人間に総じて言えるのは、沖縄の歴史に対する無知ゆえの、大きな思い上がりがあるということです。沖縄のことは、沖縄人が語る。彼らの痛みに思いを馳せることなく、その痛みをもたらしてきた元凶が自分たちであるということも自覚せず、自分たちの問題を語るための口実として「沖縄」を持ちだすべきではない。それをやるのなら、せめて日本が沖縄に対してしてきたことの歴史を最初から学びなおさなくてはならないんじゃないですか?

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4章:ゴールデン・ウィーク――沖縄にて その3「ヌチドゥタカラは誰の言葉か?」」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    原発震災の後、母親が暮らす沖縄に妻と子を逃がし、宇都宮でひとり暮らしをはじめた著者の「右往左往」を描くコラム、久しぶりの更新となりました。
    家族に会うために久しぶりに沖縄を訪れた著者が目を向けることになった、この地の過去と現在。沖縄人ではなく、かといって観光客ともいえない…その立ち位置が、著者の思いをさらに複雑なものにしているのかもしれません。

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