原発震災後の半難民生活

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 2015年という年に、私がフサギの虫に取り憑かれたもうひとつの原因は、妻の流産でした。

 妻が3番目の子どもを妊娠したのは、2015年秋のことでした。妊娠が判明してからしばらくの間は、私たち一家が多幸感に包まれていた日々でした。何よりも大きかったのは、娘のKと息子のEが、お腹のなかの赤ん坊に対して、とくにその赤ん坊を宿した母親に対して、彼らなりの思いやりを示すようになったことでした。

 ある日、夕食をつくっている妻のところに、KとEが神妙な顔をしてやって来たといいます。

 ――あのね、おかあさん! ふたりでいろいろと話しあってみたんだけど、こんど、KとEのうちにやってくるあかちゃんの名前は「ゴン」がいいな!

 ――ゴン!?…… それって、絵本の『ごんぎつね』のゴン?

 ――ちがうちがう。そうじゃなくて、ただの「ゴン」だよ!

 KとEが何をどのように話しあって、この名前にたどり着いたのかは不明でしたが、2人の表情はとにかく真剣そのものだったといいます。妻はふきだしそうになるのをこらえながら、答えました。「わかった。ずっとずっと『ゴン』にするかどうかは約束できないけど、せっかくふたりで考えてくれたんだから、しばらく『ゴンちゃん』て呼んでみようか?」――この話を聞いた私には、納得顔でキッチンを離れるKとEの姿が見てとれるようでした。

 子どもというのは、ちょっとしたきっかけで成長するものなのでしょう。以前は何かといえば「あれやって、これやって」と母親への要求ばかりが先行していたKとEでしたが、「ゴンちゃん」の名前が決まってからというもの、自分から率先して家の手伝いをするようになったのです。布団を敷いたりたたんだり、部屋のあとかたづけをしたり、食後のお皿をキッチンに持っていったり、洗濯物をとりこんだり、玄関の靴をならべたり…… 少しでも身重のオカアサンの役に立ちたいという気持ちが、KとEをそのようにさせたのかもしれません。

 妻はすかさず2人に伝えました。

 ――いっつもKとEがお手伝いしてくれるから、助かっちゃうな! こうなったら「お手伝い表」つくろうか? キッチンにお皿もってきたら1点。ゲンカンのクツをそろえたら1点。おフトンしいたら1点。ガッコーのシュクダイしたら3点。クツをセッケンあらいしたら5点。たくさん点数がたまったら「おこづかいに変身!」というのはどう?

 「おこづかいに変身!」――この一言で、KとEのテンションは一気に高まったようでした。こうして2人が私とスカイプするときには決まって、「おとうさん! Eはいま20点だよ!」「Kは35点ですよーだ!」と画面いっぱいに自分の「お手伝い表」を示しながら、オコヅカイに変身したら「デージ」(近くの駄菓子屋さん)にラムネとチョコパイ買いにいくんだ! と鼻息まじりに報告してくれるのでした。

 原発事故が起きた日以来、なにかにつけて激しい言葉の応酬に明け暮れてきた私たち家族のなかに、人並みの会話の灯火がともりかけていました。さあ、これから三度目の出産にむけて、家族一丸となって進んでいこう!

 赤ん坊の死が判明したのは、そんな矢先のことでした。

 ――ゴンちゃん、もう息してなかった。前回の検査のときは順調だったんだけど。手術は一週間後です。

 これは、高速道路で40分ほどかかる病院に行った妻が、妊婦検診の後で携帯電話に送ってきたメールです。すぐに電話をかけてみたのですが、妻は出てきませんでした。なんとなく、私の胸はざわつきはじめました。メールの文面は淡々としているけれども、ガックリ来てるんじゃないだろうか? 急に崖から突き落とされたような精神状態で、高速道路を走ったりして大丈夫だろうか? 万が一、事故にでもあったりしたら?…… こんなふうに妄想が滑りだすうちに、私は否応もなく焦燥感に駆られていました。

 かけなおしても、かけなおしても、つながることのない電話の向こうの無機質な呼び出し音が、私のなかの苛立ちをいっそうさかなでるのでした。いま思えば、このときは私自身がショックを受けていて、そのショックを妻に投影していたという面もあったのかもしれません。

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5章:再び宇都宮にもどってからのこと その1「憂鬱と後悔と」」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    実に1年半ぶりの更新となりました。その間、「フサギの虫」に取り付かれていたという筆者。なぜそんな状況になってしまっていたのか…その理由をかみしめるように書いてくださっています。さて、2012年3月から続いてきたこの連載も、いよいよ終盤を迎えます。引きつづき、お楽しみに。

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