原発震災後の半難民生活

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 妻を窮地に陥れてきた張本人は、私自身だったのではないか?…… この疑いはやがて、家族を沖縄に避難させた私の選択が根本的にまちがっていたのではないか、という自問へと変わっていきました。

 ほかに方法はなかったのか? 仮に家族を汚染から逃がすにしても、これほどの遠方まで避難させるのではなく、もっと別の場所や、別のやりかたがあったのではないだろうか? これらの自問は確かな答えに行き着くこともなく、一つひとつがダマのように心身の端々で凝固していくのでした。

 こうした堂々巡りをくりかえすなかで、決まって思いだされることがあります。それは、九州に住む研究上の先輩Jさんとスカイプをしていたときのことです。たしか私が2011年のゴールデンウィークの沖縄滞在を終えて、宇都宮に戻った直後のころだったと思います。

 Jさんと私は、仕事の打ち合わせをしていたのですが、途中、私の家族の避難のことが話題にのぼりました。私が簡単に近況を説明すると、不意にJさんが口を開きました。

 ――そんなの、単なる育児放棄じゃないか。

 彼の意図を測りかねていると、Jさんは、わざわざ唇の先っぽをとがらせて、ぷふぅうとタバコの煙を吐きだしました。そして念を押すようにもう一度、言い放ったのです。

 ――だって君は子育ての労をぜんぶ、奥さんに丸投げしてるわけだろ? 要するに、育児放棄だよね?

 高みから宣告するようなJさんの声は、長いあいだ私の耳にまとわりつくことになりました。Jさんは、原発事故後に拡がった放射能汚染という現実をあっさりと無視していました。何より、彼自身は九州という安全地帯でタバコをふかしながら、私がぎりぎりの状況で出した答えに気のきいた寸評でも加えたような顔をしていました。ハラワタが煮えくりかえる思いでスカイプ会議を終えた後、私は即座に彼の連絡先を画面から消去しました。

 けれども、あれから5年近くの時間が経過した現在、私もJさんの言葉を別の仕方で受け止めるようになりました。彼の態度や物言いがどんなに高飛車であろうと、その言葉には一抹の真理が混じっている、と感じるようになったのです。ソンナノ、タンナル、イクジホーキジャナイカ…… この一言に宿されていたのは、私なりに咀嚼すれば、以下のようなメッセージでした。君は、放射能のことを専門的に勉強したわけでもないのに、ひとりで「汚染だ、汚染だ」と騒ぎたてている。そのとばっちりを食らっているのは、君の家族ではないのか? 特に、ひとりで子育てを担っている君の奥さんではないのか?……

 その後の妻がたどったプロセスを見るかぎり、これは正鵠を射た指摘でした。少なくとも、私はもっと後先のことを考えて、妻の言い分にも耳を傾けたうえで、避難するかいなかを決めるべきだったのです。こうしてふりかえればふりかえるほど、私は期せずして自分が妻に背負わせてきたものの重さを前に、暗澹たる気分に落ちこんでいきました。

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5章:再び宇都宮にもどってからのこと その1「憂鬱と後悔と」」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    実に1年半ぶりの更新となりました。その間、「フサギの虫」に取り付かれていたという筆者。なぜそんな状況になってしまっていたのか…その理由をかみしめるように書いてくださっています。さて、2012年3月から続いてきたこの連載も、いよいよ終盤を迎えます。引きつづき、お楽しみに。

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