ひとみの紐育(ニューヨーク)日記

1987年からニューヨークで活動しているジャーナリスト・鈴木ひとみさん。日本国憲法制定にかかわったベアテ・シロタ・ゴードンさんを師と仰ぎ、数多くの著名人との交流をもつ鈴木さんが、注目のアメリカ大統領選挙をめぐる動きについて、短期連載でレポートしてくれます。

*タイトルの写真は、紐育(ニューヨーク)に於ける東洋と西洋の出会いの名所、ブルックリン植物園内の日本庭園。昨年から今年6月まで100周年記念祭を開催(2016年3月30日撮影)。戦前、戦後、二度の放火を経て、紐育っ子達と収容所を出た日系人達が共に再建に尽力した、北米最古の公共施設。

第14回

王様は裸、とはっきり言える勇気

 「ヒラリー・クリントン氏は不完全な大統領候補である」
 英フィナンシャル・タイムズ紙のチーフ・エコノミクス・コメンテーター、マイケル・ウルフ氏は、同紙ネット版9月27日付で書いた。
 「トランプ氏はそれとは全く別の何かだ。トランプ氏が大統領になったら、米国を再び偉大にするどころか、世界をバラバラにしてしまうかもしれない」
 “How the west might soon be lost“(「欧米は、いかにして、まもなく負けるかも知れないのか」)と題されたコラムの日本語訳は、「さらば世界秩序 トランプ大統領で信頼崩壊」と題され、日本経済新聞のネット版10月3日付に掲載。一読をお勧めする(文中引用部分は、同翻訳記事より)。
 彼が大統領になったら、米国を「民主主義のとりでと見なす人たちは絶望するだろう」と、ウルフ氏は説く。この言葉には重みがある。
 氏は1946年、英国で生まれた。両親はユダヤ系だ。劇作家だった父は、第二次世界大戦の勃発直前、オーストリアのウィーンから英国に逃れた。オランダ生まれの母は、やはりナチス・ドイツの侵攻から英国に逃れ、そこでウルフ氏の父親に出会った。母の親戚30人余りは、ホロコーストで殺された、と言う。
 ウルフ氏は、紐育(ニューヨーク)市にあるコロンビア大学と同大国際公共政策大学院(SIPA)のグローバル・フェローを、2014年から16年度まで兼任中だ。両親の話に触れたのは、昨年秋のSIPAでの特別講義だった。
 「(トランプ候補は)泡沫候補ではないか、との見方があるが」との質問に対し、ウルフ氏は自分の生い立ち、両親の話を引き合いに出した。つまり、迫り来るファシズムの手から生国を逃げ出した難民、移民を親に持ったからこそ、同候補の台頭ぶりには、「パニックや、ヒステリックになることなく、慎重に、冷静に、心から注意を払わなければならない」と言うのだ。
 英米の事情に通じ、世界という全体像を見渡す事ができるウルフ氏ならではの見解だ。
 それから1年。ますます混沌とする世界。様々なテロや事件、ニュースのおかげで、パニックやヒステリック化が進む時代を感じる。
 そして、クリントン氏の示すユートピア。トランプ氏のディストピア。両候補の描く世界は、ますます両極化している。
 前回お伝えした9月26日の米大統領選第1回ディベートでは、両候補共に具体的な政策案が語られないままに終わった印象が強い。
 その後、全米唯一の全国紙で、米最大の発行部数を誇るUSAトゥデイは、9月30日付で全面を使い、共和党候補のトランプ氏には「投票しないよう」呼びかける、異例の社説を出した。
 「氏は大統領に不適格」「繰り返しうそをついている」と。1982年に創刊以来、大統領選での候補支持表明を避けてきた同紙にとって、初めてのことだ。
 一方、同紙はクリントン氏が国務長官時代の私用メール問題に触れ、「国家機密情報の取り扱い方が甘い」ゆえに、今回、推薦には至らない、とした。
 見て見ぬふりは出来ない。ならぬものはならぬ。王様は裸、とはっきり言える勇気は、米国のみならず、私達地球人の良心につながるのではないだろうか。
 暴言、失言。侮辱、侮蔑。憎悪、敵意。そんな世界が山ほどあれど、みーんなスルーしてしまう世の中。これも日米同時進行ではないか。
 米大統領選は、ますます泥沼化している。10月1日付の米ニューヨーク・タイムズ紙は、トランプ氏の納税申告書、1995年提出分の一部分を入手し、彼が約9億1600万ドル(約929億円)の損失を計上し、所得税の支払いを最大18年間免除された可能性がある、と報じた。
 マスコミは上を下への大騒ぎ。だが、紐育にいる周囲の税理士、税法関係の弁護士達の中には「報道ぶりがあまりにもヒステリック。冷静に捉える必要がある」と、疑問視する声が強い。
 「この申告書はごくごく一部のもので、全体像が見えない。これだけの多額の損失を抱えていた、ということは、彼が不動産屋の御曹司、二代目のお坊ちゃまで、ビジネスマンどころか、大統領としての資格が全くない、という話なのに」「マスコミの扇情主義、ヒステリアの拡散はまっぴらごめんだ」というのが、その意見だ。
 トランプ氏側は、「税のシステムを隅から隅まで知り抜いたプロだからこそ」「企業の経営者として合法的に税法を使った」「違法ではない」と胸を張る。
 折しも、同氏が紐育州で運営する非利益の慈善団体「トランプ財団」は、届け出の問題で同州の州法に違反している、との理由で、募金活動を即時停止するよう、州司法長官が3日に命じたばかりだ。
 政治にカネは付き物。しかし、女性をはじめ、マイノリティを蔑視する彼の態度、発言に関する問題と同じく、同氏の大統領候補としての品格、資格に対する疑問は、ますます大きくなるばかりだ。
 10月4日夜(米時間、日本時間5日午前)には、民主党のティム・ケイン上院議員と、共和党のマイク・ペンス・インディアナ州知事による副大統領候補のテレビ討論会がある。そして、大統領候補の2回めの討論会は10月9日。 
 「今まで前例がないほど、混沌とし、全ての常識をくつがえす大統領選」と、ベテラン記者達がそろって嘆く今回の闘いは、11月8日の投票日まであと一ヶ月余り。これから何が飛び出してくるか、皆目分からないが、混乱は目に見えている。人生と同じで、何とか楽しむのみ、と、どうやら居直るしかないようだ。

「トランプを捨てよう」と書いた20ドルのTシャツを売るミッドタウンの土産物屋(2016年10月3日 撮影:鈴木ひとみ)

 

  

※コメントは承認制です。
第14回 王様は裸、とはっきり言える勇気」 に3件のコメント

  1. magazine9 より:

    世界の混沌とした状況に、ニュースを見てもちょっとやそっとでは驚かず、つい「またか…」と自分の感覚が麻痺してきていることに気づいて、慌てて我に返ります。かつてなら辞職に追いやられていたような政治家の問題発言も、時間とともにうやむやになりがち…。こうした社会の無関心こそが、問題発言をさらに招いているような気がして、不安が募ります。

  2. いけだ みとり より:

    日本人は、大人しいというか廻りを気にして言いたいことも言わずになんとなく流されて生きているような人種だと感じます。同調圧力というか、事なかれ主義というか、政治なんて自分と関係ないという風情。そして、気が付けば戦争が始まっていたりするのだろうか・・・。ハッキリ言う私は、嫌われているのかもしれない。

  3. 鳴井 勝敏 より:

     私は、「どう見られたいのではなく、どう生きたいかが大事」だと考えています。周りの評価を気にしていては疲れます。倒れます。評価する側の人も様々です。そして、怖いのは、自分の役割を見失うことです。            >暴言、失言。侮辱、侮蔑。憎悪、敵意。そんな世界が山ほどあれど、みーんなスルーしてしまう世の中。これも日米同時進行ではないか。
     人間は理性の動物である、と教わった。とすれば、人間は進化しているのではなく、劣化し始めているということだろうか。日米同時進行、うなずける。           >「パニックや、ヒステリックになることなく、慎重に、冷静に、心から注意を払わなければならない。        教訓にしたいです。

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鈴木ひとみ

鈴木ひとみ
(すずき・ひとみ)
: 1957年札幌生まれ。学習院女子中高等科、学習院大学を経て、80年NYに留学。帰国後、東京の英字紙記者に。87年よりNYで活動。93年から共同通信より文化記事を配信、現在に至る。米発行の外国人登録証と日本のパスポートでNYと東京を往還している。著書『紐育 ニューヨーク!』(集英社新書)。
(Photo: Howard Brenner)

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