小石勝朗「法浪記」

 福島第1原子力発電所で事故が起きた後しばらくは、この村のこともたくさん報道されていたけれど、最近ではめっきり減ってしまった。都会では、村民が受けた被害や生活の現状に対する関心がすっかり薄れている。

 福島県飯舘村(いいたてむら)である。

 私たちが改めて注視すべきは、飯舘村の大部分は原発から30キロ以上離れていることだ。にもかかわらず、原発事故で放出された放射性物質によって村は甚大な被害を受けた。現在でも全村避難が続いており、帰還の見通しは立っていない。村民の生活は破壊されたままで、回復の道筋さえ見えていないのだ。

 もちろん、いま最優先されるべきは村民の被害回復と生活再建であることは言うまでもない。ただ同時に、飯舘村のケースが多くの教訓を私たちに与えていることを忘れてはなるまい。

 たとえば、原発事故後に避難計画の策定を義務づけられたのは原発から30キロ圏内の自治体だが、それを超える場所でも風向きや地形や気象状況によっては大きな影響が及ぶことを実証している。財政面をはじめ原発立地による恩恵を受けていなくたって、事故の被害だけは降りかかってくるという点でも、いろいろと考えさせられる。全国民が向き合うべきテーマで、そのためにも村の内実はもっとしっかり伝えられるべきだと思う。

 そんな村で、半数近い村民が結束して自ら新たな行動に踏み出した。東京電力に対し慰謝料の支払いや増額などを求めて、原子力損害賠償紛争解決センターに和解の仲介(正確に言うと、裁判外紛争解決手続き〈ADR〉)を申し立てたのだ。11月14日のことだった。地元以外ではあまりきちんとマスコミ報道されていないようなので、その中身を紹介したい。

 原子力損害賠償紛争解決センターとは、原発事故による被害の賠償を迅速に進めるために国が設置した紛争解決機関だ。東電の賠償額に納得できない場合に申し立てをすれば、弁護士ら仲介委員が和解案を提示してくれる。裁判よりも手続きが簡単で解決のメドは4~5カ月と時間がかからず、被害者の費用負担は実費のみといった利点がある。センターのHPによると、2011年9月の受付開始から今月14日までに1万3769件の申し立てがあり、3分の2にあたる9087件で和解が成立したという。ここで合意できなければ裁判を起こすこともできる。

 今回ADRを申し立てたのは、737世帯2837人。原発事故時点の村の人口(約6300人)の45%に当たる。全村避難を強いられている状況にあって、村民の自主的な取り組みとしては驚異的な数字と言える。しかも、今回とは別に地区単位などですでにADRを申し立てている村民を合わせると、人口の3分の2近くに及ぶそうだ。それだけ東電の姿勢に不満や疑問を持つ村民が多いということだろう。

 今回のADRで村民たちが東電に求めているのは、①現在は1人あたり月10万円の避難慰謝料を月35万円へ増額、②長期間の無用な被曝による健康不安への慰謝料として1人あたり300万円の支払い、③生活破壊への慰謝料として同じく2000万円の支払い、④原発事故を起こし、放出した放射性物質により村を強度に汚染し、村民に甚大な被害を与えたことについての法的責任を認め、村民に謝罪すること――など6項目。

 弁護士95人が弁護団を結成。申し立てた全世帯の代表者から少なくとも1時間以上、弁護士が個別に面談して被害の実情を聴取したそうだ。これまでの集団ADRで、東電が和解案を拒否する理由に「個別の事情を考慮していない」ことを挙げていたため、個別の事情はすべて聞いたうえで「共通する損害」への賠償を請求していると立論した。

 今回の賠償を求める根拠の1つは、言うまでもなく原発事故で村民が受けた被害そのものへの補償である。

 申立書によると、飯舘村では原発事故の直後から「決して人が普通に生活を営むような場所ではない」とされるほどの高い放射線量が測定されていた。しかし、多くの村民にはそうした情報が何も伝えられない状態が続き、しかも福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの学者は講演で「注意事項を守れば健康に害なく村で生活していける」と説明した。いったん村外に避難しながら、これを聞いて村に戻った家族もいたそうだ。

 国が飯舘村全域を計画的避難区域に指定する方針を公表したのは、原発事故の1カ月後の4月11日だった。村民の被曝量は、福島第1原発に近い4町の住民よりも際立って多いことから、申し立てでは「早期に避難する機会を奪われ大量被曝を受けることになった」と主張している。村民には何の落ち度もないのに甚大な被害だけを背負わされたわけで、十分に補償するよう訴えるのは当然の成り行きだろう。

 申立書には被曝や避難で健康を損ねた実例や、将来への不安がつづられている。

 原発事故後、3カ月あまり村内にとどまり、甲状腺に腫瘍が見つかった少女。村外に避難したものの村に帰りたがった末に自殺したり、避難後に急激に健康が悪化し半年後に死亡したりした高齢者。4世代9人で同居していた家族の離散。荒廃していく自宅と、それを目の当たりにすることによる喪失感や絶望感――。ADRで求めているのは、村民の誰しもが強いられている、こうした被害への賠償である。

 そして、もう1つが今後の生活再建の資金という側面だ。

 飯舘村は「までいライフ」を基本理念に、独自の村づくりを進めてきた。「までい」とは「手間暇を惜しまず」「心を込めて」という意味の方言。ブランド牛を中心にした畜産業や農業とともに、村民参加の手法が村外からも高い評価を受けてきた。しかし、原発事故で多くの村民が牛を手放すなどの深刻な被害を受け、全村避難でコミュニティーも崩壊した。

 村内では除染作業が行われているが、対象は宅地と農地だけ。村の75%を占める山林は対象外なので、雨が降れば放射性物質が流れてくるおそれが強い。子どものことを考えて、「除染しても人の住めるような環境ではない。村には帰らない」と決意する村民は、若い世代を中心に増えているという。

 半面、村への帰還を望む高齢者にしても「子や孫に安心して作物を食べさせることができないから農業は再開できない」「自然豊かな中で周囲の人々と助け合い、自然の恵みを分け合った豊かな生活はもう戻ることはない」というあきらめが先に立っているそうだ。村に戻れるとしても、待っているのは「いばらの道」である。

 避難生活が解除された段階で、村を離れるにしても、村に帰還するにしても、「その覚悟と選択の痛みに対して賠償を」と申立書は訴える。新たな生活に向けて「自立」していくための資本として、将来を展望した時の財政基盤として、村民たちは賠償金を求めているのだ。

 全村避難がほぼ済んだ2011年6月に村が立てた復興計画では、避難のメドを2年間と予測していた。しかし、除染が進まず先送りされており、現在は2016年3月を目標にしている。村への帰還にこだわる村長らは、村外への移住の原資となる可能性がある高額の賠償に否定的で、村民たちとの間に亀裂が入っているという。かつて一緒に村をつくってきた者どうしが分断させられている。これもまた、原発事故が招いた悲しい事態に違いない。

 さて、ADR申し立て後の記者会見で「飯舘村民救済申立団」団長の長谷川健一さんは「国が助けてくれるだろうと期待して我慢していたが、原発事故から3年8カ月経っても何も進展しなかった。このままでは村が潰される。『私たちは怒っている』と意思表示しないとダメだと分かった。避難解除になって毎月の慰謝料の支給が打ち切られても、自立して人間らしい生活ができるように頑張っていきたい。そのための第一歩だ」と力を込めた。

 副団長の菅野哲さんは「私たちはこれまで、難民に等しい状態で苦しんできた。先が見えず、国の政策が届かず、このままでは棄民にさせられる可能性がある」と窮状をアピール。他の村民たちも「故郷を返してほしい。無理なら生活再建の資金を補償してほしい。オレたちは何も悪いことをしていない。故郷を追い立てた罪を償ってほしい」「私たちは金儲けの捨て駒だったのか。人間として当たり前の暮らしに戻してほしい」と声を上げた。

 当事者の率直な心情の吐露だけに、ものすごく説得力があった。

 脱原発弁護士として知られる河合弘之・弁護団共同代表は「単に金をくれと言っているのではない。悔しさや怒りを背に『もう限界だ』と立ち上がった村民たちが『村の誇り』を取り戻す闘いであり、未来を切り拓く宣言だ」と強調した。そして、「胸を張ってやっていこう」と村民たちに呼びかけていた。

 東電や国が、持てる力を振り絞った村民たちの訴えに真摯に耳を傾け、新たな生活を築くのに十分な補償をするべきなのは言うまでもない。同時に、「国策」たる原発によって甚大な犠牲を被った村民たちに対して、消極的であれそれを許容していた私たちも、決して知らぬふりをしてはいけないのだと思う。飯舘村民が問うているのは、「原発」の是非にとどまらない、この国のありようである。

 

  

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第38回
原発30キロ圏外の飯舘村民が踏み出した「誇り」を取り戻す闘い
」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    昨年に飯舘村を車で通過したとき、人の気配を失った景色に胸が締めつけられるようでした。政府は避難区域の再編を進め、帰還に向けての動きを進める一方で、なかなか除染は進まず、避難地域の意向調査では若い世代ほど「戻らない」という回答が増えているそうです。故郷もコミュニティも元には戻らないけれど、せめて生活を立て直す補償をしてほしい、そして謝罪してほしい、避難や帰還を自分で選びたい――それは当然の権利ではないでしょうか。

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小石勝朗

こいし かつろう:記者として全国紙2社(地方紙に出向経験も)で東京、福岡、沖縄、静岡、宮崎、厚木などに勤務するも、威張れる特ダネはなし(…)。2011年フリーに。冤罪や基地、原発問題などに関心を持つ。最も心がけているのは、難しいテーマを噛み砕いてわかりやすく伝えること。大型2種免許所持。 共著に「地域エネルギー発電所 事業化の最前線」(現代人文社)。

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