小石勝朗「法浪記」

 安倍晋三首相が参院選を前にした6月19日の党首討論で「次の国会から憲法審査会を動かしていきたい」と明言した。悲願の憲法改正へ、事実上の行動開始宣言に違いない。はっきり言って今度の参院選で与党が議席を大きく減らす可能性は低いから、秋の臨時国会から改正発議に向けた動きが本格化すると見るべきだ。

 護憲派の運動を批判するつもりはないが、もはや「憲法改正反対」とばかり唱える段階は過ぎているように思う。自民党が今後、繰り出してくるであろう改憲項目を予測し、それに対抗する具体的な理論を構築していかなければ後手に回るだけだ。なぜその条項の改正に反対するのか、を分かりやすく説明できなければ、一般国民の支持は得られまい。

 ここへきて、改憲の有力候補に浮上しているテーマがある。緊急事態条項だ。

 なんだ、そんなことか、と思わないでほしい。護憲派の皆さんが「人権蹂躙だ」「立憲主義の否定につながる」と反発する部分ではない。「国会議員の任期延長」である。大きな災害などの際に国会議員がいなければ、法律を作ったり予算を組んだりできず迅速に対応できない、という理屈だ。

 たとえば、熊本地震を受けて、自民党の谷垣禎一幹事長は4月19日の記者会見でこんな発言をしている。

 「衆議院議員や参議院議員の場合は、任期は憲法に規定してありますので、実際に選挙を行う態勢が取れないからといって法律で延ばそうというわけにはいきません。やはりこれは憲法で対応しておかないと、被災地の国会議員は4年ないし6年の時間の経過とともにいなくなるということになります。それはいささか不都合ではないかというのが、緊急事態条項という形で概括して議論されておりますが、一番まず考えるべきところはそこではないかというのが私の考え方です」(自民党ホームページ)

 安倍首相に近い下村博文・自民党総裁特別補佐は、5月3日の憲法記念日にこう語った。

 「東日本大震災の後、被災地の地方議員の任期や統一地方選の選挙期間を法律で特例を設けて延長したが、国会議員の任期や選挙期間は憲法に直接規定されているので、法律で例外を規定することはできない。ですから、もし緊急事態が起きたら特例として国会議員の任期を延ばす。これはイデオロギーとは関係ないし、どんな想定外であっても対応できるという意味では、誰も反対する理由がないのではないか」(朝日新聞デジタル)

 実際、与党・公明党の北側一雄副代表も5月3日のNHK番組で、「緊急事態の際に衆院が解散されていた場合の議員任期延長の特例については議論すべきだ」と述べている(毎日新聞)。

 実は、この問題については、民進党にも議論を拒みにくい事情がある。質問主意書に対する旧民主党・野田佳彦首相の答弁書(2011年11月)。

 「憲法の規定にかかわらず、東日本大震災に伴う地方公共団体の議会の議員及び長の選挙期日等の臨時特例に関する法律(平成二十三年法律第二号)のような法律を制定することにより『国政選挙の選挙期日を延期するとともに、国会議員の任期を延長すること』は、できないものと考える」

 憲法45条は衆院議員の任期を4年とし、46条は参院議員の任期を6年としている。さらに54条1項は、衆院が解散された時は解散の日から40日以内に総選挙を実施する旨を定めている。大災害などが起きた場合に、国会議員の任期満了の直前だったら任期を延長できるのか、あるいは衆院が解散していて総選挙までの間だったら選挙を延期できるのか、という問いに対して、「憲法を改正しなければできない」との判断を示しているのだ。

 改憲派が「とにかく一度、憲法を変えること」を至上命題にするならば、とても都合の良いテーマなのである。同じ緊急事態条項でも面倒な批判を受けることもなく、「あくまでも手続きの不備を補う規定ですから」と説明すれば、多くの国民は納得して賛成してしまうかもしれない。

 ちなみに、自民党の改憲草案は、こんな条文を置いている。

 99条4項 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。

 たとえば「緊急事態」などという大仰な言葉は使わずに、大規模な自然災害に限定して、この項目だけを切り取って改正発議することは十分に考えられる。

 たしかに護憲派にとっても反対しにくいテーマだが、要は、改憲派の思惑をどう捉えるかだ。やはり、「憲法改正って言っても、そんなに大変なことではないでしょ」とアピールするのが改憲派の真の狙いなのだろうから、すんなり認めてはいけないのだと思う。今の護憲派の力量を考えると、一度でも憲法が改正されてしまえば、そのあとに予想される「本丸」条項の改正が発議された際に巻き返すのは難しくなるに違いないから、なおさらだ。

 では、このテーマに対して、どんな改正不要論を展開すれば良いのだろうか。

 ポイントは、参院の緊急集会(憲法54条2、3項)にある。衆院が解散された時に、国に緊急の必要があれば、内閣は「参議院の緊急集会を求めることができる」と定められている。あとで衆院の同意を得ることを条件に、臨時措置として参院だけで法律を作ったり予算を組んだりできる。

 この規定を、衆院が解散されている場合とともに、衆院議員の任期満了後にも適用できないか。解散であっても任期満了であっても、衆院議員の改選期間であることに違いはないのだから、大災害などの際には参院の緊急集会という同じ対応を取ることを認めるのが合理的だと考えられる。であれば、改憲して新たな規定を設ける必要はないわけだ。憲法学者の見解には両論あるそうだが、ぜひ議論を深め、その中身を広く社会に知らせてほしい。

 解散から40日以内という衆院議員の選挙期日の規定についても、ある憲法学者は「合理的かつ必要最小限度の範囲で延期したところで実害はないし、おそらく裁判所も『1票の格差』判決のような法理を用いて、それを違憲と判断することはない」と見立てていた。憲法論としては精緻ではないかもしれないけれど、こうした視点からの考察を積み重ねていくことも大切だと思う。

 緊急事態条項の中でも、国会議員の任期延長問題に、私たちが十分な意識を向けているとは言いがたい。でも、このテーマ、ここまで書いてきたように、一度動き出すとかなり速いスピードで憲法改正に進んでいく可能性がある。政治の動向を注視しながら、今のうちからしっかりと理論構成していくべきであることは間違いない。

 

  

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第69回
憲法改正の第1弾になりそうな緊急事態時の「国会議員の任期延長」
」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    災害などの「緊急事態」に、内閣総理大臣に権限を集中させる「緊急事態条項」改憲の危険性は、少しずつながらも知られつつあります。しかし、国会議員の任期延長については、まだまだ周知されていない上、一見「たいしたことない」ようにも見えるだけに、あっさりと通ってしまうことも十分考えられます。
    「憲法改正へのハードルが低くなる」こともそうですし、「任期延長すべき」と誰がどのように決めるのか、いつまで任期延長を認めるのかなど、濫用の危険につながる疑問点も。今後、このテーマに関する記事を他にも掲載していく予定ですので、ぜひお読みください。

  2. 7.1 より:

    この手があったか!!かつてコバセツらが編み出したエセ環境権などの毒饅頭改憲戦術よりも遥かに上手い。
    自民とそのブレーンで表に立っているのはトンデモばかりだけど、ちゃんと裏には賢い人たちが付いているんだねえ。
    マガ9におかれましては、(名のある)研究者の皆さんを糾合してこの手のエグい変化球を打ち返す反論を掲載して欲しい。
     

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小石勝朗

こいし かつろう:記者として全国紙2社(地方紙に出向経験も)で東京、福岡、沖縄、静岡、宮崎、厚木などに勤務するも、威張れる特ダネはなし(…)。2011年フリーに。冤罪や基地、原発問題などに関心を持つ。最も心がけているのは、難しいテーマを噛み砕いてわかりやすく伝えること。大型2種免許所持。 共著に「地域エネルギー発電所 事業化の最前線」(現代人文社)。

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