風塵だより

 資料探しに本棚を漁っていたら、懐かしい本が出て来た。ついそれを読み始めてしまい、肝心の資料探しを忘れていた…。

 『誰も知らないPKO』という古い本。「WEEKLYプレイボーイ別冊・集英社ムック」とある。ぼくがこの編集部にいたころ作ったムック(MAGAZINEとBOOKの中間のような形態の本を指す)で、1992年10月発行と奥付にあるから、もう22年以上も前の本だ。
 ちょっと感傷に浸ってページをめくり始めたら、もう止まらない。一緒に編集に携わった仲間の顔や、取材させてもらった方たちの思い出まで浮かんできて、気づいたら長い時間が過ぎていた。

 なんでこんな本を作ったのだったか。
 日本が戦後初めて自衛隊を海外へ送り出すための「PKO協力法」が、国民の間に大きな批判と疑問を巻き起こす中、当時の自民党・海部俊樹首相~宮澤喜一首相のもとで1992年6月に成立した。その法律を我々なりに検証しようという本だったのだ。

 PKOとは、Peace Keeping Operationの略。「平和維持活動」と訳される(Operationは軍事用語としては「作戦」と訳すべきだろうが、ここではなぜか「活動」と訳されている)。
 国連の安全保障理事会の要請により、紛争地での平和維持にあたる、というものだが、実は国連憲章には、このPKOについての明確な定めがなく、法律的にも非常に微妙なものだった。
 戦後初の部隊としての自衛隊海外派遣ということで、国会でも大きな議論になり、当時の菅直人議員は、長い反対演説を行うことで少しでも法案の成立を遅らせようと、衛視の制止を振り切って議場の演台にしがみつき抵抗した。それほど、問題のある法律だと、当時は意識されていたのである。
 いまから見れば、なんでそんなに問題視されなければならなかったのか、といぶかしく思う人も多い(いや、そう思う人が圧倒的だろう)かもしれないが、戦後日本が維持してきた「海外へ兵士を送らない」という「平和の理念」が崩されるのではないか、という不安が多くの国民の間に強かったからにほかならない。
 この法律の問題点はどこにあるのか。成立後に、いったい何が起こり、何が変わるのか、ということを検証しようとしたのが、この『誰も知らないPKO』だったのである。

 あれから20年以上が過ぎた。
 あのとき、ぼくたち編集部が共有した危惧は、本の中で指摘した通りの結果になりつつある。つまり、これを許せば、次第にその制約(しばり)は緩くなり、いつの間にか武装自衛隊の「海外派兵」というところまで行きついてしまうのではないか…という危惧だった。
 残念ながら、その危惧は現実になりつつある。というより、もはやその危惧を越えた。安倍内閣になってからの流れは、いつ実際に銃弾を発射するか、というところまで来ているように思われる。
 安倍首相は、今回のいわゆる「イスラム国」による邦人人質殺害事件すら利用するような形で「邦人保護」を錦の御旗に掲げ、より具体的な自衛隊の海外任務(正当防衛的な場合以外の武器使用も含む)を行えるような恒久法案を押し出そうとしている。
 また、邦人保護以外にも、米艦援護のためという自衛隊活動に加え、今度は米軍以外にも、その活動範囲を広げようともしている。オーストラリア軍などがその対象だという。こうなれば、自衛隊の活動範囲はやがて、ほぼ無制限に広がることになるかもしれない。

 邦人保護という。
 『誰も知らないPKO』の巻頭に、井上ひさしさんと広瀬隆さんの対談が掲載されている。「『平和のために』と叫ばれた時が危ない」というタイトルだが、いまの状況を見越していたかのような発言が多い。作家の感性の鋭さが、22年後の今を見通していたのか。
 とても示唆的なので、少し長いけれど、引用しよう。

井上 すぐ戦争前を思い出すんですが、日本人の日蓮宗のお坊さんが太鼓を叩いて上海を練り歩いているうちに殺された。殺したのは中国人だということになって、日本人が緊張して、結局、陸戦隊を権益保護とか邦人保護とかの名目で出した。
 ところが、上海の日本領事館の武官室のシナリオですね。武官室が中国人を雇って日本人を殺させ緊張させて、在留邦人からの要請を出させる。そういう要請があったからというので軍隊が入り込んでいく。これが上海事変です。
広瀬 日本人を見殺しにするな、という論調が湧き上がって来るでしょうね。
井上 事態の推移が早いときは、ものを考えられないでしょう。第二次大戦のときもそうでした。米英と戦端を開いた、ハワイ・マレー沖海戦で大戦果、シンガポール占領とたたみかけられると、考える暇はないですよ。ですから、事を起こすまではほんとうによく考えないと。(略)
PKOを推し進めた人たちの中には、日本人から戦死者が出てもらいたいと思っている人がいやしないか。
「真珠湾の九軍神」みたいに、テレビショーや新聞や週刊誌が祭り上げます。おそらく国葬級の大騒ぎになるでしょう。世界平和のために命を捧げた人ということになります。
もし自衛隊員になり手がいなくなって、なおかつPKOでいろんなところへ行かなければならないとすると、人集めの問題が出てくる。そうなると、徴兵制まではいかないが、日本男子は20歳になったら1年間自衛隊で研修ということも始まるでしょう。そのとき、「国際平和に命を捧げた人」と、その人を悼む大さわぎが効果をあげるかもしれません。
広瀬 その現実的な資料があるんです。自衛隊ではいま(注・1991年度)陸士の定員が9万人単位のはずだったものが5万人を割り始めたわけです。特に湾岸戦争(注・1991年)で激減しているんですね。(略)
 実際にPKOやなんかに行かされるのは昔の上等兵や二等兵たちですが、その人はとくに戦うつもりで自衛隊に入ったのではないわけですから、海外に派遣された自衛隊員が死ぬというようなことが起これば、自衛隊員数はさらに激減する可能性がありますね。(略)
井上 そのときにはやっぱり、国を守ってなぜ悪いとか、愛国心とか、また美しいかけ声が出てくると思うんですね。美しいかけ声がかかるたびにおかしくなっていく。
広瀬 今のうちに、なんとかそれを止めないと大変なことになってしまう。(以下略)

 20年以上前のこのときには、さすがに自衛隊が“敵国”と具体的に交戦するとまでは言及していない。平和維持活動で巻き込まれた場合、という場面を想定しての話なのだ。だがいま、安倍首相が主張しているのは“巻き込まれる”のではなく“積極的に参加する”という想定だ。彼の大好きな「積極的平和主義」である。
 22年間かけて、事態はここまで来てしまったのだ。

 国民にはまったく知らせないうちに、いつの間にか、対IS(いわゆる「イスラム国」)の「有志国連合」というアメリカ主導の連合に、日本も加わっていた。この「有志国連合」というのは、ものすごく曖昧だ。国連決議に基づく多国籍軍(これもそうとうあやふやな概念だが)ですらない、きわめて手前勝手な組織(?)なのだ。
 ここに加われば、「人道支援」であったものが、いつ「戦闘支援」に変質してもおかしくないような危険性をはらむ。その上、岸田文雄外相が「ODAの支援対象国の“軍”への非軍事的な支援」などと発言したものだから、いっそう混乱に拍車をかけた。だいたい、「軍への非軍事的支援」などというものが成立すると考えるのがどうかしている。
 「人道的目的」で援助したはずのトラック等が、いつの間にか軍事転用されていた、などという例を外務省が知らないわけがない。苦しまぎれの言い逃れでしかないことは明らかだろう。
 安倍首相は「あくまで人道支援、難民支援です」と繰り返すが、これらが、テロリスト集団に「日本人は標的」という口実を与える原因になったのは間違いない。

 こうした一連の流れの中で、安倍首相は「戦後以来の大改革」という不思議な言葉を編み出し、自衛隊の海外活動を恒久法で規定し、さらには憲法改定にまで踏み込むつもりだ。
 この人の言葉遣いのおかしさは、今に始まったことではないが、「戦後以来」って言葉はひどすぎる。戦後は今も続いているのだから「戦後以来」とは「今以来」ということになる。こんなおかしな日本語にはお目にかかったことがない。スピーチライターがいるということだし、官僚たちも控えている。ほとんど彼らの書いた原稿を棒読みするだけの安倍だから、こんなおかしな言葉にも疑問を感じなかったのか。
 そんな安倍首相の「戦後以来の大改革」が目指すところはどこなのか?

 前述の本が予言した22年後が今だとするなら、22年先のこの国はどうなっているのだろう?

 

  

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)など。マガジン9では「風塵だより」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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