風塵だより

 すさまじいことになってきた。もう政府(というより安倍首相)は、何でもやりたい放題。沖縄がどんなに抵抗しても、まったく意に介さず、決めたことは“粛々と”進めていく。(それにしても、この“粛々と…”って言葉の使い方、イヤだなあ。結局は、批判なんか無視してどんどん進める…というだけの意味じゃないか!)
 もはや民意もへったくれもありゃしない。

 林芳正農水相は3月30日、辺野古の米軍新基地建設をめぐって翁長雄志沖縄県知事が沖縄防衛局に出した「辺野古の海での作業一時停止」という指示について、「その効力を一時停止する」と発表した。
 分かりにくいけれど、要するに、翁長知事が出した「知事命令」を、林農水相が一方的に「停止」させたのだ。林氏は「採決があるまでの間、本件指示の効力を停止する」と述べた。
 県の指示を、国が一方的に破棄する。つまり「地方はグズグズ言わずに国の命令に従え」という、ほとんど徳川幕府並みの封建体制。
 安倍政権の目玉政策のひとつ「地方創生」といううたい文句が、まったくの絵空事であったということのあまりにあからさまな証拠だ。

 ちょっと面倒臭いけれど、この法的な争いの根拠を確認しておこう。
 海の埋め立て等については「公有水面埋立法」という法律がある。ここでは埋め立てに関しては「当該官庁都道府県知事の承認」が必要だと規定されている。
 さらに「水産資源保護法」という法律が絡んでくる。この法律は、農水省の管轄である。これに基づいて沖縄県では「沖縄県漁業調整規則」というものが定められており、そこには「漁業権のある海域での岩礁破砕は知事の許可が必要」と記されている。さらにその規則には「知事は、許可するにあたり、制限又は条件を付けることがある」とも明記されている。したがって、翁長知事には、その条件が守られない場合には「条件に違反した場合は、許可を取り消すことがある」というわけだ。
 これらの条文にしたがう限り、翁長知事が「制限区域外の海中に投下されたコンクリートブロック(それも20~40トンもある巨大なもの)が、サンゴを破壊している可能性が高く、その調査が終わるまで、いったんボーリング調査を停止せよ」と沖縄防衛局に指示したのは、法的には、まったく問題がないやり方だ。
 ところが、農水省は「水産資源保護法」が、県の規則よりも上位法だとして、沖縄県の指示を取り消せるというのだ。
 林芳正農水相は3月30日、「防衛局と県の両者の主張を勘案し、執行停止の判断をした。審査庁としての判断なので、沖縄県の指示の効力は停止された」と述べた。
 その経緯を見てみる。

 まず、沖縄県が沖縄防衛局に、辺野古での作業停止を指示したのが3月23日。防衛局側が農水相に「指示取り消し」を求める審査請求と「指示の効力の停止」を「行政不服審査法」に基づき、水産資源保護法を所管する農水省に申し立てたのが、3月24日。
 同27日に、今度は沖縄県が農水相に、「防衛局の停止申し立ては不適法」との意見書を提出。
 すると、同30日午前には林農水相が、前述したように「沖縄県の指示の効力停止」を発表。事実上、辺野古の工事は続行されることとなった。

 だいたい、この凄まじいスピードが怪しい。27日に沖縄県が意見書を出したのだが、28日、29日は土日で休日。30日の午前中に、農水相が沖縄県側の敗北ともいえる決定を下したが、その間、土日を挟めば、沖縄県からの提出の翌日の決定ということになる。
 双方の言い分をきちんと精査する時間があったとは、とても考えられない。すでに結論は決まっていた、としか思えないではないか。

 さらに問題なのは、防衛局側が用いた「行政不服審査法」という手段。
 この法律は、実は「国民の権利・利益の救済のため」に作られたもので、国という行政権力機関がこれを使うのは立法主旨に反する、という意見が学者の間では強い。つまり、行政機関や国のやり方によって、一般国民がその権利や利益を侵害された場合に、国民の側が行政を訴えることができる、そういう主旨で作られた法律なのだ。
 今回は、それを防衛局という国家の側が使って審査請求を行った。これは、まさに「法の悪用」以外の何物でもない。
 しかも、国(防衛局)の審査請求を、国(農水省)が審査して決定を下す。そこに、地方(沖縄)の入る余地はない。同じ内閣の防衛大臣と農水大臣が当事者なのだから、結論は目に見えている。普通はこういうのを「出来レース」という。まさに、出来レースの典型である。

 これら一連の流れの中で、いつも矢面に立つのは菅義偉官房長官。ま、気の毒と言えば言える役回りだが、少々頭に来ているのかもしれない。このところ、言葉の使い方がヤケに乱暴なのだ。
 たとえば、こんな具合だ。

菅義偉官房長官は25日午前の記者会見で、安倍晋三首相が20日の国会質疑で自衛隊を「我が軍」と答弁したことをめぐり、「自衛隊は我が国の防衛を主たる任務としている。このような組織を軍隊と呼ぶのであれば、自衛隊も軍隊の一つということだ」(朝日新聞3月25日夕刊)

 これは、安倍首相発言から実に5日後の会見での発言。普通は、首相発言などに批判があれば、遅くとも翌日にはそれについての事情説明をするのが、官房長官の役割だが、さすがにそうはいかなかった。つまり、すぐには説明のしようがない安倍の「妄言暴言」だったわけだ。
 そこで、必死に先例をスタッフ側近に探させたらしい。そこで出てきたのが、佐藤栄作首相や小泉純一郎首相、さらには民主党時代の一川保夫防衛相らの発言。これらを見つけて、首相も官房長官も心底ほっとしたことだろう(ただし、佐藤元首相は「自衛隊を軍隊と呼称することはしない」と1967年の国会答弁で述べている)。
 だが、誰が使おうと、危ないものはアブナイ。ことに、集団的自衛権行使容認へひた走り、米軍や他国軍との「共同作戦」にまで言及している安倍首相が使うとなれば、いっそうキナ臭い。
 さすがに安倍首も30日、「もう我が軍という言葉は使わない」と述べた。少しは懲りたか? いや、そんなことはない。番頭役の菅氏の物言いを聞いていると、安倍がまったく懲りてなどいないことがすぐに分かる。
 菅官房長官のこんな発言(東京新聞3月28日)。

菅義偉官房長官は二十七日の記者会見で、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に関し、反対する翁長雄志知事が初当選した昨年の知事選の争点を問われ「地方選ではさまざまな政策が取り扱われ、辺野古移設が主となって行われていることはないと思っている」と述べた。

 これほどひどく事実を捻じ曲げた発言もない。
 先週のこのコラムでも書いたように、昨年の4度の沖縄での選挙では、すべて基地建設反対派が勝利している。ことに知事選は、近来稀に見るほどの「ワン・イシュー選挙」といわれた。つまり、「新基地建設、是か非か」に焦点が絞られた選挙だったのだ。その選挙で、翁長氏は仲井真前知事に10万票もの大差で圧勝した。これを「移設は主な争点ではなかった」というのは、それこそ稀に見るウソつきだということになる。

 他にも菅官房長官の苦しい答弁、危ない発言は数多くある。
 同じ辺野古の問題について、「辺野古での作業は、環境保全に十分に留意して、粛々と進める」と繰り返す。これもどうしようもない発言だ。
 「環境保全に重大な疑義がある。巨大なコンクリートブロックによって、貴重なサンゴなどが破壊されている恐れがあるので、その調査を終えるまで作業を停止せよ」というのが沖縄県側の要求。
 官房長官が「環境保全」を言うのなら、少なくとも県の調査期間中は作業を一旦停止するのが当然ではないか。言葉の使い方が、完全に間違っているぞ、スガさんよ。
 それでも菅官房長官の高飛車な物言いはまだ続く。
 「農水相は、公正中立な立場で、しっかりとした判断をした」と、記者会見で述べた。正直、呆れて言葉もない。「公正中立」なんて言葉が、いったいどこから出てくるのか。前にも書いたように、国の請求を国が審査し決定する。これのどこが「公正中立」なのか。

 また菅官房長官、例の「報道ステーション」での古賀茂明さんの発言について、ほとんど恫喝ともとれる批判をしている(朝日新聞3月31日付)。

菅義偉官房長官は30日午前の記者会見で、テレビ朝日の「報道ステーション」のコメンテーターが、生放送中に菅氏の名を挙げて「バッシングを受けた」と語ったことについて、「事実に反するコメントだ。公共の電波を使った行為であり、極めて不適切だ」と批判した。(中略)
菅氏は会見で古賀氏の発言について「まったくの事実無根だ」としたうえで、「放送法という法律があるので、まずテレビ局がどう対応されるかを見守りたい」と述べた。(以下略)

 これを恫喝といわずして、何を恫喝というか。
 テレビ放送とは、政府による許認可事業だ。要するに、政府はいつでもテレビ放送の認可を取り消すぞ、とテレビ局を脅すことが可能だ。それを規定しているのが放送法である。
 菅氏は、「これ以上政府に盾つくと、放送法によってテレビ事業の認可を取り消すぞ」と恫喝したに等しい。テレビという、もっとも国民に影響を与えるマスメディアを屈服させることができれば、それこそ安倍政権は安泰。

 安倍商店の“戦争グッズ”が大安売り状態だ。そんな商売は危ないですよ、と暴走するバカ店主をいさめる立場であるはずの大番頭さんが、もう手に負えなくなったと諦めたのか、それとも安倍店主と同じような考え方の持ち主だったのか、ひどく言葉が荒れ始めた。壊れ始めた、といってもいい。
 これでは安倍内閣、憲法改定まで一瀉千里。

 沖縄のアメリカ新軍事基地建設問題は、とくに辺野古が焦点になってしまったいま、日本国憲法第95条の規定にしたがって「沖縄米軍新基地特別法」というようなものを制定するのが筋だろうと、ぼくは先週のこのコラムで書いた。3月30日の「報道ステーション」で、憲法学者の木村草太さんが、ほぼ同じような趣旨の話をしておられた。
 日本国憲法って、使い方によっては国民が「暴政権力」と闘う拠りどころになるんだよ。

 日本国憲法には力がある。
 だからぼくは、現行憲法を性急に変えてしまうことには大反対なのだ。

 

  

※コメントは承認制です。
24 安倍商店の大番頭が壊れ始めた」 に2件のコメント

  1. L より:

    >憲法第95条の規定にしたがって「沖縄米軍新基地特別法」というようなものを制定するのが筋(で、住民投票)
     その通りなのですが、安保条約は”全土基地方式”。全国どこでも米政府が指定した場所を日本政府が暴力装置たる警察と海保ほかで住民を蹴散らしてでも米軍に差し出すことになっています。従って、条約に反するそんな法律は作れないと政府与党は言うでしょう。また、裁判所はこの法律は条約遵守義務に反するから違憲無効と判決を出すでしょう。ひっくり返すには、まず裁判所に安保条約を違憲と判断させねばなりませんが、統治行為論で憲法審査しないと決めてるから、極めて厳しい。選挙で勝って最高裁判事を入れ替えるには15年はかかります。
     琉球の反米軍政のコザ暴動に象徴される激しい運動によって、米政府が沖縄の施政権を手放したように、結局はは沖縄を中心とする抵抗運動によって結果が動くでしょう。抑えていた沖縄の反米軍感情が高まり、米軍がこれじゃあオキナワを喪ってしまうと思えば工事を止めます。

  2. ピースメーカー より:

    >日本国憲法って、使い方によっては国民が「暴政権力」と闘う拠りどころになるんだよ。

    こういう論法は本来好きではないですが、安倍政権を鈴木耕さんやマガジン9の「敵」だとし、そしてその「敵」を倒すために、日本国憲法は極めて強力な「武器」であると例えます。
    さて、鈴木さん達はその「武器」の特性を熟知し、どうすれば効果的に扱え、「敵」を倒せるのかを熟慮しているのでしょうか?
    私は「敵」の方が、遥かに日本国憲法という「武器」の特性を熟知し、それを無力化することに長けているように思えてなりません。
    なぜなら、実際に安倍政権は敵対者が日本国憲法で武装しているにも拘らず、それを意に介さないが如く、着実に事を成しているからです。
    要するに、いくら最新鋭のミサイルで武装しても、武装者が幼稚園児ならば、風船爆弾すらにも敗北するのです。

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)など。マガジン9では「風塵だより」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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