風塵だより

 橋下徹大阪市長が、大阪都構想が住民投票で否決されたことを受け「政治家引退」を表明した。大阪市長職の任期が終わったら、いさぎよく政治の世界から身を退くという。
 ぼくは、正直、少しだけホッとしている。
 とりあえず、安倍首相の目論見が、ほんのわずかではあるけれど頓挫したと思うからだ。

 橋下氏は自らが言うように、かなり「独裁的手法」を駆使する政治家だった。そこは安倍首相と相通じるものがある。他人の言うことを聞かない。自分の耳に心地よいことを言う人を重用する。いわゆる「側近政治」だ。似ているからこそ、引き合うものがあったのだろう。
 いずれ、改憲の発議をするときに、やや慎重姿勢をとる公明党(どこまでその姿勢を貫けるかはあやしいけれど)を右サイドから牽制する意味で、安倍首相にとって、維新の党は重要な「改憲パートナー」となるはずだった。だが、維新は橋下氏の「個人党」的な色合いが濃い。橋下氏がコケれば、党そのものもコケかねない。
 橋下氏の引退表明を受けて、さっそく江田憲司維新の党代表も辞意を表明。早くも維新は大揺れの気配だ。

 安倍官邸が今回の大阪市住民投票で描いていた最善のシナリオは、大阪都構想賛成派が、ギリギリで勝利することだった。自民党大阪府連が反対に回っている以上、大差で賛成派が勝てば、大阪府連から自民党中央への不満が噴出しかねない。
 だから、府連の顔が立つ程度の僅差で賛成派勝利、というのが安倍官邸の望みだったのだ。
 そうすれば、橋下氏の政治的影響力はもっと強まる。大阪市長の任期を終えたら市長職を辞め、中央政界へ打って出る。もちろん、維新の会という手勢を率いての進撃開始。
 それは、安倍首相にとっての心強い「改憲同志」の登場ということを意味し、改憲に慎重な公明党への牽制にもなる。「連立相手は別にあんたのところだけじゃない、他にもいるんですよ…」というわけだ。
 しかし、そうは問屋が卸さなかった。

 自民党大阪府連は勝ち、橋下維新は敗れた。いま、自民党本部にはそれこそビミョーな雰囲気が渦巻いているだろう。
 自民党の谷垣禎一幹事長は、大阪府連にかなりシンパシーを感じていたらしく「大阪の同志が必死の闘いをしているのに、本部が知らん顔でいいのか」などと発言、大阪府連を支持した。ところが菅義偉官房長官は逆に、大阪府連の動きに「共産党と共闘するとは、まったく理解できない」と強い不快感を表明していた。
 つまり、党本部と首相官邸がバラバラの発言をするという、最近ではあまり見られなかった状況が生まれていたのだ。安倍首相の求心力が低下しつつあるのではないか、という声も聞こえ始めている。
 5月7日、自民党内の若手議員たちが「過去を学び、『分厚い保守政治』を目指す若手議員の会」という勉強会を始めた。その設立趣意書に「修正主義的な過剰なナショナリズムを排し、広範な保守政治を構築する」とあり、27人が集まったという(東京新聞5月8日)。
 「修正主義的な過剰なナショナリズム」とは、まさしく安倍路線そのものではないか。さすがにあまりの安倍右旋回に、黙っていられない議員たちも党内に出て来たということだろう。

 橋下氏の引退は、改憲に関する「安倍戦略」に、ある程度の狂いを生じさせたと言ってもいい。安倍首相が「友軍」(安倍の好きな軍事用語)として当てにしていた橋下氏がコケたからだ。
 けれど、橋下氏の言葉を、そのまま受け取っては危ないと指摘する人もいる。ぼくの信頼するジャーナリストの内田誠さんだ。内田さんが毎日発行する会員制のメールマガジン「uttiiの電子版ウォッチ」(5月18日)で、こんなふうに書いている。

 思い出して欲しいのは、橋下氏が知事選に出馬するのではないかと最初に話題になった2007年12月、「2万%ない」と言い切っていた氏は翌年の選挙に出馬して圧勝。少なくとも、政界の出処進退に関わる彼の発言を信じない方がよいし、そうした彼の「ウソ」を許容する多くの有権者が存在することも勘定に入れた方がよい。それに橋下氏はまだ45歳。再登場までに数年間を費やしたとしても、まだ若手政治家で通る年齢だ。若干の冷却期間を置いて再び登場する可能性の方が、むしろ高いとさえ思われる。それに、もっと大きな理由が、遮二無二改憲を成し遂げようとする安倍政権の存在だ。今後、維新の党の分裂などが予想され、国会が改憲を発議する力は大きく削がれることになるだろう。そのことは間違いない。だが、橋下氏が古巣のテレビ界に戻り、人気番組をハシゴして、例えば「敗戦の弁」を語り続け、「負けを認める潔い、カワイイ奴」というような印象を全国レベルで振りまけば、どんな選挙運動も敵わない大宣伝が簡単にできる。そして来夏の参院選に自民党候補で出馬し、改憲派のスポークスマン的な行動を全国規模で繰り広げる可能性があるのではないか。「(改憲のためなら)できることは何でもやる」と語ったことがある橋下氏なら、そんなことは平気の平左だろう。(略)

 さすがに鋭い観察眼をお持ちのジャーナリスト。橋下氏の政界引退表明にホッと胸を撫で下ろすぼくなどとは、目のつけどころが違う。確かに、橋下氏が「安倍改憲戦略」の広報マンとして、あのキャラクターでテレビに出まくれば、それは強力な改憲マシーンだ。
 考えてみれば、テレビがバラエティー番組の目玉タレントとして、橋下氏を放っておくとも思えない。安倍が喜び視聴者も喝采するなら、テレビ界にとってこんなに美味しいタレントはいない。故やしきたかじん氏の後継者になるという可能性だってあるかもしれない。
 うわぁ、かえって改憲の危険性が増すような気がしてきた。ヤバイ…。

 ちなみに、この「uttiiの電子版ウォッチ」は、内田さんが毎朝、朝日・毎日・読売・東京の各新聞を克明に読み比べて重要な記事をピックアップ、その記事の背景などを独特の批評眼で鋭く分析する、というもの。ぼくはこれを、毎日の楽しみにしている。
 記事の裏にある各新聞の主張や意志、さらに事件や事象の背景を、ひとりのジャーナリストが克明に腑分けするさまに、ぼくの目からウロコが頻繁に落ちるのだ。会員制だが、ぜひご購読をお薦めする。

 ところで、今回の住民投票は、「改憲国民投票」の予行演習になったのではないか、とも言われている。
 確かに、改憲を自身の最大の政治目標と思い定めている安倍首相にとっては、目の離せないものだったはず。ここからどんな教訓を得られるか、これから安倍は広告代理店などを使って、国民投票への戦略を練るだろう。
 最初は「9条」ではなく、環境権や災害等における緊急事態条項、それに財政規律条項の3項目という、あまり抵抗のないところから行う「お試し改憲」で、国民を「改憲」に馴れさせ、徐々に外堀を埋めてから最終目標の本丸「9条」を陥落させる…。それがとりあえずの安倍戦略である。
 だが、得意の「事態」を冠した大災害への対応については、今回の東日本大震災に直面した気仙沼の菅原茂市長は「(改憲してまでの)制限は必要ないのではないか」と、この問題での改憲には違和感を表明したという(東京新聞5月19日)。
 実際の現場で指揮を執った責任者が不必要だと言っているのに、安倍政権は強引に必要性をでっち上げて改憲へ持っていこうとする。安倍首相、一事が万事そうなのだ。
 それはともかく、今回の住民投票は、安倍にとっては、改憲国民投票への格好の参考事例になっただろう。しかも、国民の間から盛り上がっての住民投票ではなく、逆に権力者が自分の意志を通したいために、上から押しつけたものという意味でも、「安倍改憲」ととてもよく似ている。
 どんな世論調査でも、「いま改憲する必要はない」や「もっと議論を重ねてから」「9条は変えなくてもいい」などが多いのが現状だ。つまり、国民の間で「改憲論議」が盛り上がっているわけでは決してない。それを強引に上から目線で改憲に持っていこうとしているのが安倍だ。
 だから、今回の「橋下敗北」は、安倍首相にとってもかなりの衝撃だったに違いない。
 そこから安倍が学び取ったもの、それは「個人人気だけでは押し通せない」ということだったのではないか。

 「国民投票法」(日本国憲法の改正手続きに関する法律 2007年5月14日成立)という法律がある。安倍首相が「来年の参院選後」と、期日まで口走った改憲国民投票。どういうものかを、我々はきちんと把握しておかなければならない。

 今回の大阪住民投票では、その運動形態がさまざまな問題点を表面化させた。投票日1週間ほど前の世論調査では、反対が賛成を10%前後上回っていた。しかし、ふたを開けてみれば、その差はわずか0.8%。なぜ、こんな大接戦になったのか。
 その原因としてマスメディアなどが挙げているのは、次のような点である。
 賛否への宣伝戦に、ほとんど制約がなかったこと。つまり、宣伝戦への巨大資金の投入が可能だったことで、特に維新の側は4億円超という資金を短期間に投入、橋下氏が登場するテレビCMが、これでもかというほどの頻度で流され続けた。さらに、橋下氏本人の賛成への呼びかけが電話で、テープ音声だが膨大な回数で流された。
 また、さまざまなビラやポスターも無制限で作られ、あらゆる場所に貼りめぐらされたし、Tシャツやのぼりなどの物量作戦も凄かった。その上、投票日当日の運動も可能であり、投票所の前では賛否両派の運動員たちが、ビラを片手に声をからしていた。これは、期日前投票や投票日当日の出口調査の結果なども分かった上での運動なのだから、熾烈にならざるを得ないし、ある意味ではとても危ない運動となる。
 こうなると、当然のことながら資金量豊富の側が有利になることは間違いない。10%の賛否が0.8%まで接近したのも理解できる。
 もうひとつ大事な要点は、ある種の「人気投票」になったこと。橋下氏の人気は、やはり大阪では他を引き離す。その橋下氏が前面に出て「ボクはこれに命をかけているんです!」と叫べば、中身はともかく「橋下さんをオトコにしたろか」的な雰囲気が盛り上がることもよく分かる。
 むろん、じっくりと考えた結果、最終的な投票行動を決めた人が多いだろうが、「大阪都構想」賛成派が、直前に猛追できた原因としては、以上のようなことも考えられるだろう。

 では、安倍首相は、ここから何を学んだか?
 まずは、財界と組んでのカネの威力か。
 それとも自身の人気度(支持率?)アップ戦術か。
 抑え込んだマスメディア(特にテレビ)の徹底的な利用か。
 お抱え文化人・学者・スポーツ選手・作家・芸能人などのフル活用か。

 我々はまず、じっくりと「安倍改憲」の手法を見つめ、それをひとつずつ確かめ、批判していかなければならない。

 

  

※コメントは承認制です。
30 「橋下氏敗退」から、安倍首相が学ぶもの」 に1件のコメント

  1. 橋下市長に対して、安倍総理の強みは「自分がアホで何も出来ない」人間であることを知ってることでしょう。だから「好きなようにやれ。責任は全部俺がとる」で全部有能な人材に任せられるし、「俺が死ぬ気で守らないとこの政権は駄目なのだ〜」という菅官房長官のような体張れる部下も出て来る。橋下さんはあまりに何でも一人でできすぎるから、そういう人材が回りから出て来ない。むしろ距離を置かれてしまう。そう考えていくとアホの安倍総理の方がはるかに恐い存在。

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)など。マガジン9では「風塵だより」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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