風塵だより

 毎年8月になると、急にマスメディアに「戦争」「原爆」「戦後〇〇年」などの文字が躍り、特集が組まれる。夏の甲子園とともに、いわゆる「季節ネタ」みたいなものなのだろう。
 だが、今年はその季節ネタが例年よりも格段に多いように見える。むろん、安倍晋三首相の“おかげ”である。

 このところ、ぼくもそれなりに忙しい。小さな講演会に呼ばれたり、シンポジウムに参加したり、その合間をぬって国会前デモにもたくさん参加した。この猛暑は身体にこたえるし、年寄りにはつらい季節。体調を少々崩してしまって、気分的にもちょっと落ち込んだ。
 そんな時は、何も考えないようにすることがいちばん。
 というわけで、小さな旅に出た。

 長野へ行った。
 急に思いついて、上田市の郊外にある戦没画学生慰霊美術館「無言館」というちょっと変わった美術館を訪れた。3度目になる。

 ここは「戦没画学生」の遺した絵画を収集展示しているという、特別な美術館である。美術学校などへ通い、絵画の道を目指したが、道半ばで戦地へ送られ、再び帰還することのなかった「画学生」たちの遺した絵を展示している美術館だ。
 静かな木立を抜けた小高い丘の上に、ひっそりと佇む。打ちっぱなしのコンクリートが、少しだけ涼しさを感じさせてくれる。
 夏休みとはいえウィークデー。あまり参観者はいないだろうと思っていたけれど、ぼくのような高齢者のみならず、家族連れや若者たちだけのグループなど、思いがけないほど多くの人が訪れていた。
 戦没画学生のご遺族らしいご高齢の夫妻も、杖をつきながらゆっくりと館内を回っておられた。誰の声も聞こえない。静かな館内に、小さな足音だけが響く。時折、鼻をすするような声…。
 辺りには、もう蜩(ひぐらし)が鳴いていた。

 すべてが、あの戦争で亡くなった画学生たちの遺した絵画である。絵の脇には、出身地、生年月日、出身学校(東京美術学校など)、そして没年(ほとんどが20代である)が記されている。絵を見ながら、ひとつひとつの説明文を読んでいく。
 「……彼がいちばん可愛がっていた妹の〇子さんが、大好きだった兄の形見として守り続けてきたのがこの作品である」とか「ああ、もう一日、せめてもう一時間でいいから、この絵を描き続けていたい…というのが、彼の最後の言葉であった」などという作品解説が附記されている。
 若い妻の裸像を、どういう気持ちで描いていたのか、思うだけでぼくの胸も痛くきしむ。

 解説文を読み進むうちに、ある事実に気づく。それは没年のところに「1944年、ルソン島で戦病死」などという記述がとても多いことだ。「戦死」ではなく「戦病死」…。これはどういうことなのだろう。
 特に南方戦線では、直接の戦闘による戦死ではなく、飢えや風土病、栄養失調による衰弱死などのほうが圧倒的に多かった、と何かの本で読んだことがある。それは、どれほどの苦痛だったか。
 武器弾薬はもちろん、食糧もほとんど届かなくなった孤島での“戦争”。それはもはや戦争というよりは、飢餓との戦い。
 そういえば、小田実さんの小説に『ガ島』というのがあった。これはガダルカナル島が舞台なのだが、飢餓(キガ)の島、という意味での「ガ島」なのだと書かれていたと記憶する。

 このことをもって「兵站線の重要さを知らない」とか「後方支援という欺瞞」などと、例の安倍戦争法案批判をしても仕方ない。
 ただ、戦場ではどんな悲惨が待ち受けているか、安倍首相やその取り巻き連中には、ぜひ一度、この「無言館」を訪れてほしい、と思う。そして「戦病死」という文字の底を読み取ってほしい、と思う。

 「無言館」という。
 死んでいった画学生たちは、無言である。語らない。しかし、遺された絵は言葉ではないものを、見る者に伝える。
 ああ、もう一日、せめてもう一時間、描き続けさせてください。せめてせめて、この絵が完成するまでの、あと少しの時間をください…と、祈りつつ絵筆を置かざるを得なかった若者たち。
 若い妻の裸像は、もっと切ない。この妻の裸像を、自らの脳裏に焼き付けるために、カンヴァスを自分の記憶の拠りどころとするために、焦燥に駆られながら描き続けたに違いない。そして、その記憶のカンヴァスを抱きしめたまま、彼は戦場に赴いたのだ。

 ぼくが集英社新書編集部に在籍していたとき、この「無言館」館主の窪島誠一郎さんの新書『無言館ノオト』を出版した。同僚が編集を担当した。だから、原稿段階でぼくはこの本を読んでいる。
 実は、その時点では、まだ「無言館」を訪れたことはなかった。原稿を読んでから少し経って、初めてここを訪れた。文章の衝撃、どうしても「無言館」を訪れずにはいられなかったのだ。
 そのとき、まだ矍鑠(かくしゃく)としていた義母も一緒だった。
 美術館などとは縁遠いはずの義母が、この話を聞いたときに「あたしも行きたいわ」と思いがけずに言った。何か、義父につながるものを感じたのかもしれない。カミさんと3人で出かけた。
 義母は、何も言わずに館内を回っていた。義母は戦時中の栄養不良で片目の視力を失っている。その見えぬ目から涙がこぼれていた。帰りの車の中で、義母は、ひとことだけ「かわいそうだったねえ…」。
 学がなく、難しい言葉など知らない義母のそのひとことが、妙にぼくの記憶に残っている。

 そういえば、この新書『無言館ノオト——戦没画学生へのレクイエム』の担当編集者だったMさんは、著者の窪島さんと仲良しだった。でも、会社を辞めて間もなく、ガンで亡くなった。彼女から最後にもらった退職の際のハガキが、いまもぼくの住所録にはさみ込まれている。達筆の文字が、かなしい。

 義父は海軍の兵士だった。どこか中国での市街戦に参加したとは聞いたような気がするが、戦争の話はまったくしなかった。義母が話を向けると、不機嫌に押し黙ってしまった…という。
 ただ、残っている写真には、妙にはにかんだ顔の若い義父の兵隊姿が写っていた。話したくても話せないことがあったんだろうな…。
 その義父が亡くなったのは、もう35年も前のこと。義母も94歳。祥月命日(13日)には必ず、八王子にある義父の墓参りに行っていた義母も、数カ月前から墓参をやめてしまった。いまは、ぼくとカミさんが代参している。

 「無言館」での戦没画学生の遺作品収集は、いまも続けられているという。「無言館」のすぐそばに「傷ついた画布のドーム」という別館が建っている。「無言館」に収めきれなかった作品群が、ここに展示されている。確かにこれらの作品は「傷ついた画布」なのだ。
 窪島さんの思いは、語らぬ絵をひたすら集め遺すこと。それが、何よりも戦争の実相を伝えることになる、そう思っておられるのだろう。
 蝉しぐれの中、ぼくは丘を降りた…。

 そして、この暑い夏に…

 原発再稼働は、“粛々”と行われようとしている。ぼくはできる限り官邸前~国会前での「再稼働反対」デモに参加しているけれど、アベノミミに念仏、聞く気がなければ届かない。
 安倍戦争法案に反対する学生たちの声は高まるし、ついには高校生までが立ち上がった。渋谷の街、若者とベテランたちの混合デモが行き交う。これまでに見られなかった光景だ。
 全国各地で毎日のように、デモや集会が行われている。この「マガ9」の「日本全国デモ情報」を覗けば、その数の凄さに圧倒される。

 礒崎陽輔首相補佐官の暴言妄言には、ただただ呆れるしかないが、それでも安倍は更迭する様子もない。
 「可愛い子分のてめえたちとは、別れ別れに…」なりたくないということか。それとも、次第に離れていく自民党内の人心を敏感に感じ取っていて、側近だけは大事にしたい、と思い込んでいるゆえか。
 相変わらず、NHKはこんな重大な参院特別委員会の礒崎参考人招致を中継しない。NHK包囲デモが湧き起こるのも当然だろう。
 TBS系のニュースバードが中継した。ぼくも観たけれど、ひどいものだった。
 「なぜ自ら辞任しようとしないのか」と問われても、延々と自分の発言内容の説明を繰り返すだけ。その上、普段の横柄な態度とはまるで裏腹、背を丸めヨロヨロとまるで老人のような足取りで時間稼ぎ、その臭い芝居じみた動作は、老人の私にとって、ほんとうに不快だった。
 ひたすら「発言を撤回し、陳謝します」で切り抜けようとする。親分と同じで、責任という文字は、彼の辞書にも記載されていないらしい。

 そこへ追い打ちをかける発言が、またひとつ。今度は武藤貴也という自民党チンピラ議員(と書かれても仕方ない)が、自らのツイッターでフンパンものの大暴言。国会前などで声を上げ始めた学生たちSEALDsに対し、次のように述べたのだ(7月31日)。
 「(略)彼ら彼女らの主張は『だって戦争に行きたくないじゃん』という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ」。
 もう、呆れはてて言葉も出ない。「戦争に行きたくない」が利己的個人主義なら、「戦争に行きたい」が安倍の大好きな積極的平和主義だとでも言いたいのか。若者は積極的に「戦争に行こう」と言わなければならないのか!
 このツイートは、その日のうちに大炎上。慌てた武藤、必死になってフェイスブックで言い訳を繰り返したが火に油、収拾がつかなくなった。ネット上の大炎上にやっと気づいたらしいマスメディアは、8月4日になって新聞もTVも大きく報道し始めた。これは、参院で始まった「安保法制審議」に、またしても影響を及ぼすだろう。
 この武藤議員、やはりあの安倍親衛隊のおバカ勉強会「文化芸術懇話会」のメンバーだった。
 「チーム安倍」についてはこのコラム(39回)で触れたが、それに寄り添う親衛隊連中、もう正気の沙汰ではない。次々に安倍首相の脚を引っ張る発言で内閣支持率低下に大協力。むしろ「反安倍の別働隊」ではないかと思わせるほどだ。
 安倍内閣、放っておいても身内から崩壊していくような気配…。

 と、ここまで書いたとき、「沖縄・辺野古での工事を、8月10日から1カ月間中断し、その間に沖縄側と今後について話し合いたい」と、菅官房長官が記者会見で発表したというニュース。
 デタラメ親衛隊の暴言妄言連発に打つ手がなくなった官邸の、内閣支持率激減になんとか歯止めをかけたいという窮余の一策であることは間違いない。それでも、沖縄県民と連帯する人々による闘いが、一定の成果を上げたのだとは言えるだろう。これに対しアメリカ側がどういう態度に出てくるか、そこが今後を大きく左右するだろう。
 「8月10日から」という日付も意味深だ。この日は川内原発再稼働の予定日。そこから目を逸らさせようという姑息な考えも、官邸は持っているのではないか。多分、これは邪推ではない。そんなことしか考えつけないほど、いまの官邸の政治戦略は劣化しているのだ。

 辺野古の浜も暑いだろうなあ。9月には、ぼくも訪れるつもりだ。わずかな時間だけれど、ぼくも一緒に座り込もうと思っている。
 さまざまな場所で、安倍を追いつめるための催しが行われている。

 安倍政権は弱り始めている。水に落ちた犬は打て、という。
 ここで「アベ政治」を止めなきゃならない。
 そんな夏です……。

 

  

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40 「無言館」にて…」 に1件のコメント

  1. ハマナス岬 より:

    放っておいても身内から崩壊していくような気配……が現実のものとならないことが問題なのです

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)など。マガジン9では「風塵だより」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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