風塵だより

 島崎藤村に『嵐』という小説があって、主人公が最後に「ああ、家の内も外も嵐だ…」と呟く場面があったと記憶する(うろ憶えなので、正確ではない)。ふと、今週は嵐だなあ…と。
 別に、我が家の内が嵐なのではない。国の形を変えるような重要な出来事が次々に起きる日本に、いま嵐が吹いているんだ。
 それを、指をくわえて見ているわけにはいかない。ひとりひとりが意思表示をしなければならない。
 だから、ぼくはできる限り国会前へ行く。

 阿蘇山噴火というニュース。桜島に続いて、やはり九州だ。
 川内原発1号機が再稼働してまだ間もない。続いて2号機も準備に入った。何度も指摘してきたように、重大事故時の避難経路も策定されていないし、緊急時のベント装置も免震重要棟もまだ未設置のまま。しかも、火山(噴火)対策など、まるで考えてもいない。
 同じ九州で、これだけの噴火が連続して起きているのだ。川内原発周辺が絶対に安全であるなどと、誰が言えるのか?
 安倍首相は国会審議で、安保法制について「安全保障に関しては『想定外』ということがあってはなりません」と強調していた(14日)。ならば、川内原発周辺の火山活動についても「想定外」があってはならないはずだ。ところが、こちらはまったく無視する。言葉がデタラメである。

 沖縄県の翁長雄志知事が、ついに伝家の宝刀を抜いた。沖縄タイムスは号外で、こう伝えた(14日)。

 翁長雄志知事は14日午前、沖縄県庁で記者会見を開き、沖縄県名護市辺野古の新基地建設で、仲井真弘多前知事が2013年12月に出した埋め立て承認を取り消す方針を表明した。公有水面埋立法上の瑕疵(かし)を認めた。県は同日、沖縄防衛局に対し、意見聴取に向けた通知を提出し、手続きに入った。10月中に取り消しが確定する見通し。翁長知事は「(承認を)取り消し得る瑕疵があるものと認めた。今後あらゆる手を尽くして(建設を)阻止する」と語った。
 取り消しとなれば、防衛局は新基地建設に伴う埋め立て工事の法的根拠を失う。辺野古沿岸でのほとんどの作業が適法ではなくなる。防衛局は意見聴取の中で反論するとみられる。(略)

 これは、沖縄県民が昨年の4度にわたるさまざまな選挙で明確に示してきた民意に沿った結論だ。どれほど沖縄が反対しようと拒否しようと、聞く耳持たずに作業を強行してきた安倍政権への、激烈な怒りの一太刀。
 むろん、安倍首相がここで退くとは思えない。「戦後レジームからの脱却」を叫び「自立した日本」を唱え続けながら、その言葉とは裏腹に、アメリカだけには屈辱的な「ポチぶり」を発揮してきたのだから、辺野古米軍新基地をアメリカに差し上げることを諦めるはずもない。
 しかし「自立した日本」を金科玉条のように唱える安倍首相が、なぜこんなにまでしてアメリカさまを奉るのか、それがぼくにはどうしても分からない。「自立した日本」からはほど遠い姿だ。

 翁長知事の決断に、さっそくネット上で批判が飛び交っている。もっとも典型的なのが、以下のようなご意見。

 選挙で選ばれた仲井真前知事が承認したものを、翁長知事が勝手に取り消すなどということが出来るなら、政治はメチャクチャになってしまう。継続性を無視すれば、政治は成り立たない。一度決めたものを勝手に取り消すことはできない。

 一見もっともらしいけれど、決定的な間違いがある。それは、仲井真前知事の「承認」自体が誤りだったという事実だ。
 仲井真氏は、当選した2010年の県知事選では「日米合意見直し」と「普天間基地の県外移設」を公約として訴えていたのだ。つまり、辺野古新基地建設承認は、まったくの公約違反ということになる。
 それに対し、2014年の県知事選では、翁長氏「辺野古新基地建設反対」と、仲井真氏「辺野古容認」という正反対の公約となった。そして結果はご存知のように、10万票もの大差で翁長氏が勝利した。さらに、その後の衆議院選挙でも「辺野古反対派」が沖縄4選挙区全区で当選。自民党は全敗を喫した。
 この結果を見て、仲井真氏の公約違反の「承認」に正当性があると言えるだろうか? 翁長氏がこの承認を取り消すのは、当然の成り行きである。

 それにもうひとつ、翁長氏への批判者の言うように「政治の継続性が大事」だというのなら、その人は「憲法解釈も継続性が大事」と言わなければならないはずだ。だが、こういう人に限って、今回の安倍による「解釈改憲」には異を唱えない。
 ぼくの意見にその人は「憲法解釈でも継続性が大事だというなら、沖縄の埋め立て承認も継続性が大事ではないか」という反論してくるだろう。まあ、レトリックではある。
 しかし、沖縄の場合は前述のように、4回に及ぶ選挙で「辺野古反対」が勝利している。では、「解釈改憲」で民意を問うたことがあるか? 前回の衆院選で、アベノミクスとやらを大々的な公約にして安倍自民党は戦ったけれど、「解釈改憲をやる」などとは言っていなかったではないか。
 ここが圧倒的に違う点だ。

 14日夕刻、ぼくは国会前にいた。多くの人たちが押し掛けていた。
 8月30日、警備陣が抑えきれなくなるほどの人の渦で、ついに議事堂前の大通りを解放せざるを得なくなった。人々は、幅100メートルはあろうかという大通りを埋め尽くし、反対の声を挙げた。
 その光景は海外メディアによって全世界に配信され、国際的にも大きな話題となった(比較してNHKのひどさが際立つ)。それを気にした安倍官邸が、当局にかなり強い調子で警備方針の見直しを指示したという情報がある。

 9月14日、大きな事前告知もなかったにもかかわらず、危機感を抱いた人たちは凄まじい流れを国会前に作りだした。両側の歩道は人で溢れ、その流れを制限しようと警備側が設置した鉄柵と、車道の両側と国会正門前を封鎖した機動隊の装甲車に人波がぶつかり、かなり危険な状態になった。「車道を解放しろ!」という叫びが挙がったが、警備は強硬。
 鉄柵を押し戻す警官隊の圧力で、女性の悲鳴まで聞こえる。だがついに、抑えきれなくなった警官隊の間から、人々は大通りへ溢れでた。あの30日の再現だった。
 参加者数は、主催者の予測を遥かに上回って4万5000人を超えたという。午後7時半ごろから帰る人と来る人が交錯していた。帰る人がいても、来る人の数がそれを上回るから、ちっとも数が減らない。だから、延べ人数はもっと多かったと思う。
 月曜日の午後6時半。普段ならば、家路を急いでいるか、帰りにちょっと一杯…という時間だろうが、これだけの人数がまったくの個人意志で集まって来る。谷垣自民党幹事長さん、「燎原の火」ってこういうことだよ。よく見て、心に刻むがいい。
 手書きのプラカードや旗が振られ「安倍辞めろ」のコールが、怒涛のように国会議事堂に反響する。ぼくはその状況をツイッターで配信した。すると、こんな批判がきた。

 道路使用許可でてるの? そうでなきゃ、車道を歩行者天国にできないよね? 正義をかざして、そんな基本も忘れてデモやってるの? 「目くそ鼻くそを笑う」っていう状況。政府とデモどっちがどっちとは…

 妙な文章だけれど、言いたいことは分かるよ。でも、この批判は当らない。実は、現場へ行ってみればすぐに分かるのだが、国会議事堂に沿った歩道は、警備陣によって一切の通行を禁止されている。したがって、そこはガラガラ。もしそこを解放していれば、こんなに揉めることはない。普通の歩道、普段は何の制約もなく歩ける場所だ。
 ぼくは立っている警官に訊いてみた。
「なんで、この道は通してくれないの?」
「みなさんの危険防止のためです」
「だって誰も歩いていないし、ガラガラだから、危険ってことないよね」
「ええ、だから、みなさんの安全のためです」
「どういう根拠に基づいて通行禁止なんですか?」
「それは…、とにかく安全のためですから」
 要するに、根拠などないのだ。その上で、なるべくストレートに国会正門前に近づけないように道を封鎖、ぐるーっと遠回りさせる誘導も行う。国会周辺などに詳しくない参加者は、知らないうちにとんでもない方向を歩かされる。
 これはどんな根拠か?
 批判ツイート氏が道路使用許可などというならば、通行止めの根拠も示さなければおかしいと思う。違いますか?

 安倍首相は、リクツ崩壊、そして感情決壊の状態にある。
 あれだけ固執していた「ホルムズ海峡の機雷掃海」を、とうとう撤回してしまった。東京新聞(15日付)。

 安倍晋三首相は(略)中東・ホルムズ海峡での戦時の機雷掃海について「現在の国際情勢に照らせば、現実の問題として発生することを具体的に想定しているものではない」と述べた。国会で繰り返し取り上げて来た集団的自衛権行使の代表例を、自ら否定したことになる。
 公明党の山口那津男代表が、ホルムズ海峡のシーレーン(海上交通路)はイランとの対話で確保すべきだと質問したのに答弁。(略)

 何なのだろう、これはいったい。
 安倍はこれまで、集団的自衛権の行使の具体的代表例としてこの「ホルムズ海峡の機雷掃海」に固執してきた。というより、これと「邦人母子の米艦同乗」しか具体例を示せなかったのだ。その「ホルムズ海峡」を、かくもあっさりと捨て去ったし「邦人母子の米艦同乗」に至っては、中谷防衛相に否定されてしまって大恥をかいた。それでも安倍は何も言わなかった、いや、言えなかった。

 安倍は、すでに説明する意欲も論理も失っているらしい。「国民のみなさまへの丁寧な説明」なんて、どっかへ消えちまった。
「さっさと強行採決してラクになりたい」
 これが安倍の、現在の偽らざる心境だろう。もう国会に縛り付けられて、できの悪い答案を見せられるのはたくさんだ、勘弁してよ…と。

 さらに言えば、この「ホルムズ海峡の機雷掃海の否定」は、公明党の顔を立ててやるための出来レースだったことも間違いない。山口代表に質問させて安倍首相がこれまでの答弁を変更する、というできの悪い猿芝居。
 公明党は追い詰められている。唯一の支持母体である創価学会の会員たちからかなりの批判が寄せられ、公明党本部にまで署名簿を持って押し掛けられる始末。そこへ安倍の助け舟、それが山口・安倍の猿芝居の一幕。
 山口代表が「きちんと安倍首相から答弁変更まで勝ち取るという立派な質疑をしたじゃないか」と支持者に言い訳したいのだ。そうまでして取り繕わなければならないほど、公明党はガタガタだ。

 さらに、答弁すれば確実にボロが出るという特異なキャラクターの中谷防衛相、14日の集中審議で、なんとも凄い答弁。日刊スポーツ(15日配信)にこうある。

(略)大詰めの集中審議が行われた14日の参院特別委員会では、「法案が成立したら(問題の)内容を把握して検討する」と「成立ありき」を公言した中谷元防衛相の本末転倒の答弁に、野党が「何のための国会審議だ!」と反発。中谷氏の答弁を中心に20回近く審議が止まり、終始混乱した。

 「法案が成立してから内容を把握し検討」って支離滅裂。内容を検討し終ってから法案の成立を図る、というのがフツーだが「今はよく分からないから、成立後に落ち着いてゆっくり考えます。それまで触れないでください」ということらしい。このリクツが通るなら、国会審議なんか必要ない。
 さすがに野党の追及を受けて、答弁撤回。この人、もう何度「答弁撤回」をしたことだろう。呆れるのを通り越して、気の毒になる。もうカワイソウだから、辞めさせてやんなよ…。
 首相も閣僚も、答えるたびにボロが出る。安保法制、もはや断末魔じゃないか。そういう法案なんだ。

 もうひとつ、最後に書いておく。
 ぼくのツイッターにも、前述のようにさまざまな批判が寄せられるけれど、中に多いのが「おまえの発言は、法案に反対するばかりで内容がない。反対するなら対案を出せ」というものだ。
 ぼくは、このデタラメ法案は「廃案」しかないと主張してきた。「廃案」にすべき法案に、なぜ「対案」が必要なのか? 廃案とはなくすことだ。きれいさっぱり捨て去ることだ。ゼロだ。
 そんなものに「対案」などいらない。

 安保法案は、いますぐ「廃案」にせよ!である。
 そのためには、安倍内閣打倒しかない。
 ぼくはそれを訴えに、また国会前へ行く。

人びとを狭い歩道に押し込めようとする警備陣

ついに大通りに溢れでたデモ参加者たち

 

  

※コメントは承認制です。
45 ぼくなりの反論」 に2件のコメント

  1. 鳴井 勝敏 より:

    憲法違反の法案に対し、反対ばかりしていないで対案を出せ、と主張する人達がいる。憲法違反法案提出者に対し、説明責任を求める過程が対案なのだ。究極的には法案に対し、「廃案」が最もすばらしい対案なのだ。これ以上の対案はない。廃案に対する対案はないものか。丁寧な説明を聞いたことがない。

  2. 小池 隆夫 より:

    対案を出すのはたとえて言えば,よくて同点狙い。勝ち(価値)はないのだ。日本代表がみんなで決めたのは,どんなに苦しくともトライだった。もうだめかと思った時、彼らの執念と,運命の女神がほほ笑んだのだ。運命だって切り開ける。国会ではトライ寸前でひどい反則技で,敗れたが,私たちのトライをめざす猛攻は,右へ左へと自由自在にパスを繰り出し、これからも続くのだ。あくまで廃案が何よりの原動力なのだと思う。
    鈴木さんスクラムを組みなおして、トライをねらいましょう。

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)など。マガジン9では「風塵だより」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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