風塵だより

 「もしあの時、こうしていたらなあ…」と、後になってから考えることが誰にでもあるだろう。こんなことになったのは、あの時のあの失敗のせいだ。もう一度あの頃に戻れたら、二度とあんな失敗はしない…なんて悔やむ過去の記憶を、誰だってひとつやふたつは持っているはず。同じことは、歴史にも言えるのではないか。
 歴史に「もし…」はない。けれど、「もしもあの時、○○だったら、現在はどうなっているだろう?」と考えてみる。
 それは永遠の「もし…」である。だから、小説や映画は、何度でも繰り返して、歴史上の「もし…」を題材に取り上げるのだ。ことに「タイムスリップ」もしくは「タイムトラベル」と呼ばれるジャンルは「もうひとつのあり得たかもしれない歴史」を描くことで、現在の社会のあり方への批判につなげようとする。
 面白いのは「タイムトラベル・パラドックス」というシチュエーション。たとえば、過去へスリップした主人公が、まだ若い時代の自分の父親に出会う。その彼が、実際の母親とは違う女性と恋におちている。もしもその恋が成就してしまったら、自分という人間は存在しないことになる。主人公は必死になって、実際の両親を結婚させようと奮闘する…。そんな映画もあった。
 まあ、これなどは楽しい話だが、自分の親が生命の危機に瀕しているのを救おうとする、などという厳しいものもある。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『ターミネーター』などが有名だ。
 つまり、このタイムスリップものの主題は「歴史は、果たしてたったひとつなのか。実はもうひとつの(多重の)歴史が存在したのではないか」ということだ。

 なぜ、こんなことを思ったのか。最近読んだ本に、影響されたのかもしれない。『日本はなぜ脱原発できないのか 「原子力村」という利権』(小森敦司、平凡社新書、800円+税)にこんな一節があった。

 今でも、東電福島第一原発事故が、民主党政権下ではなく、自民党が政権にあったときに起きていたら、どうなっていただろうと思うことがある。その後の経緯はだいぶ、違ったものになっていたのではないか。
 とにもかくにも、東電の原発事故を受け、当時の菅直人元首相は、それまで経済産業相が担ってきたエネルギー政策の決定権を奪おうとする。「原子力村」の主要な村人である経産省は、様々な手を使ってこれを阻もうと動いた。(略)
 首相の菅直人は4月(注・2011年)、原発事故への危機対応が一段落したころ、側近らにエネルギー政策の立案を支持した。
 5月になると、エネルギー・環境政策を見直す方針を盛り込んだ「政策推進指針」を17日に閣議決定する。19日には自らが議長を務める「新成長戦略実現会議」を再開。自然エネルギーを強く推進する方向で、見直し議論を進める方針を打ち出した。
 エネルギー政策の企画・立案は従来、経済産業省が担ってきた。菅はいま、エネルギー政策の見直しを、電力業界を所管する経産省ではなく、官邸主導で進めようとしている。実現会議の事務局は、内閣官房の国家戦略室。
 そんな首相に経産省は危機感を募らせた。エネルギー行政は、経産省の「一丁目一番地」。勝手なことをさせるわけにはいかない。焦る経産省は、国家戦略室にいる出向者との連携を強め、巻き返しを狙う。(略)

 もし、あの原発爆発の後もしばらく菅首相が続投していたら……現在の原発再稼働はなかったかもしれない。
 それを阻止しようと、経産官僚たちがどんな策略を用いたかは、この本に詳しいのでぜひお読みいただきたい。彼らが既得権益を守るために、国家の最高権力者(実は、真の権力者は違うところにいたわけだが)をすら、引きずりおろそうとする様子がリアルに描かれている。
 真の権力者とは、ようやく政権の座に就いた民主党ではなく、それまで高級官僚と手に手を取り合って国を動かしてきた者たちだった。「原子力ムラ」の住人たちは、その典型なのだった。
 
 菅元首相は、明らかに「脱原発」へ舵を切ろうとしていた。それは日本のエネルギー政策のありようを、根本から変えることだった。むろん、凄まじい反対に晒された。それは「反対」などという生易しいものではなく、袋叩き、バッシングだった。
 自民党や官僚たちからはもちろん、身内であるはずの民主党内からもそれは噴き出た。たしかに、菅元首相自身の性格に由来する批判もあったけれど、それは表面的なもので、内実は当時の首相官邸が向かおうとした「原子力政策」への徹底的な抵抗だったのだ。
 当時の鉢呂吉雄環境大臣が、事故原発周辺の地区を「まるで死の街」と表現したことが、マスメディアで徹底的に叩かれ辞任に追い込まれた例など、どう考えても不可思議だった。「死の街」という表現のどこがおかしいのか? ウラで蠢く「原子力ムラ」の存在を感じさせる例ではなかったか。

 だが最初に書いたように、もしもあの時、自民党が政権を担っていたら、原発事故対応はどうなっていただろう? 巨大地震や大津波が起きることを防げたはずはないが、原発対応がもっとうまくできていただろうか? ぼくにはとてもそうは思えない。
 自民党は、単に運がよかっただけだ。あの大災害の時に、政権の座についていなかったという幸運。自民党は、徹底的にこの未曾有の大災害を、民主党政権叩きに利用したのだ。
 安倍首相が常套句のように用いる言葉に「では、対案を示せ」というのがある。ではあの時、自民党にどんな対案が出せたか。「責任は総理大臣たる私にある」という常套句も安倍語法のひとつだが、ならば「原発事故の責任は、推進してきた自民党そのものにある」ということになるはずだ。しかしそんなことは、口が裂けても言わない。
 原発は、その出発から現在に至るまで、自民党政権下の国策として造られ動かされてきたものだ。責任の所在は極めて明確だ。国策として原発を造り動かしてきた政府に最大の責任はあるのだ。その政府とは、自民党政権だ。つまり原発事故の責任は、電力会社や官僚たちよりも、自民党に取ってもらわなければならないものだった。だが当時の自民党は、自らの責任には口をつぐんで、菅直人首相への罵詈雑言ともいえる批判に終始した。
 結局、菅直人元首相は「原発問題」で引きずりおろされた。

 もし、あの大震災と原発過酷事故が自民党政権下で起きていたとするなら、事態はどう変わっていただろうか。
 それを考えてみるのも大事なことだ。歴史の「もし」だ。

 ぼくは何度か「小選挙区制度」への疑問と批判を書いてきた。もし、選挙制度が現在のようなものでなかったら、安倍首相の強硬改憲路線など、日の目を見なかっただろう。ここにも「もし」を考える余地がある。
 膨大な「死に票」を生み出す現行の選挙制度について、面白い記事を見つけた。朝日新聞(28日)の、長谷部恭男・早稲田大教授と杉田敦・法政大教授の「考論・争点って何? 選挙の前に問い直す」と題した対論。

長谷部 頭の体操をもうひとつ。九つの小選挙区があり、有権者数は各9人だとします。全人口は81人です。ある政策について国民投票をやると、41人がまとまらないと過半数がとれない。ところが小選挙区制では、各選挙区で5人を獲得すれば勝てる。全体では五つの選挙区で勝てば議会の過半数を獲得できるので、5×5=25、81人中25人をまとめればいいわけです。

杉田 しかもそれは投票率100%の場合です。

長谷部 投票率が6割を切り、各選挙区で5人しか投票しないとしましょう。すると、各選挙区で3人をまとめれば勝てる。3×5=15、81人中15人をまとめれば議会の過半数を確保できてしまう。これで、ひとつの争点に対して明確な民意が示されたと言えるかは、考えどころです。

杉田 参院選も、一票の格差是正の副作用として1人区が増え、小選挙区制に近い制度になってしまっています。衆参ともに、制度として多様な民意が反映されにくくなっていることには留意が必要です。

 この記事の例は、議論を簡単にするために小さな単位で話を進めているけれど、数を増やしても結論は同じになる。これを読めば、現行の選挙制度がいかに歪んでいるかがよく分かると思う。膨大な「死に票」が、民意の反映を阻害しているのだ。
 例えば、2014年衆院総選挙の結果を見てみる。
 自民党の得票率は、選挙区では48.1%、比例区で33.1%に過ぎなかった。ところが議席の占有率は、選挙区で76.6%、比例区で37.8%と、小選挙区での得票率と議席数にとんでもない差が生じた。もし、2014年の総選挙が現行選挙制度ではなく、それ以前の中選挙区制で行われたとしたら、現在のような「一強多弱」の議会構成にはなっていない。
 それどころか、もし、1票の格差の生じない「完全比例代表制」でこの選挙が行われていたと仮定すれば、自民党の獲得議席数はわずか135議席にとどまる計算になる。完全比例代表制には問題も多いので、そのままの形でいいとはぼくも思わないが、考えるための例にはなる。
 歪んだ選挙制度の上に成り立っているのが、歪んだ安倍政権なのだ。安倍首相は「これが民意だ。選挙結果がすべてだ」などとよく言うけれど、得票率を考えたなら、本来なら言えるはずがないのだ。
 むろん、これは2014年選挙だけで起きた現象ではない。民主党が大勝して政権を奪取した2009年の総選挙でも同様で、このとき民主党は308議席を獲得した。この小選挙区制度は、政権交代には結びつきやすいという利点はあるものの、膨大な「死に票」を生み出すという点では、かなり危険な制度でもある。

 繰り返すが、ぼくは「改憲論議」の前に、まず「選挙制度改革」を行うべきだと思う。
 2014年総選挙の小選挙区では、実に48%もの「死に票」が出ているのだ。「死に票」とは、実際の議席に反映されない、つまり落選候補者に投じられた票のことだ。それがなんと48%にものぼった。ところがそこでは自民党が圧勝。自民党の小選挙区での得票率も48.1%だったのに、である。
 自民党の勝利は「死に票」のおかげだった、とも言えるわけだ。そんな形で圧勝した安倍首相が、改憲を目指して突っ走る。そして「選挙結果がすべてだ」と言い放つ。
 ぼくには納得がいかないのだ。
 もし、選挙制度が違っていたら「安倍の暴走」はあり得なかった。

 歴史に「もし」はない、といわれる。しかし、歴史に「もし」を考えてみることも必要ではないだろうか。その上で、その「もし」に理があるのなら、それを自らの手で実現させていく。
 「歴史を考える」とは、そういうことではないだろうか。

 

  

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)など。マガジン9では「風塵だより」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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