風塵だより

 20世紀は「戦争の世紀」であった。第一次、第二次世界大戦だけではおさまらず、以後も朝鮮戦争、ベトナム戦争、パレスチナ戦争……と、戦火は絶えなかった。何千万人が斃れていったことか。
 21世紀こそ「平和の世紀」でありたい。戦火を生き延びた人たちは誰しもそう願ったに違いない。
 多くの出版人にとっても、それは深い反省に基づいた決意であった。

 たとえば、角川書店(現KADOKAWA)の創立者であった角川源義(かどかわげんよし)氏は、角川文庫の「創刊の辞」として、次のような文章を残している。

角川文庫発刊に際して

 第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たちの若い文化力の敗退であった。私たちの文化が戦争に対して如何に無力であり、単なるあだ花に過ぎなかったかを、私たちは身を以て体験し痛感した。西洋文化の摂取にとって、明治以後八十年の歳月は決して短かすぎたとは言えない。にもかかわらず、近代文化の伝統を確立し、自由な批判と柔軟な良識に富む文化層として自らを形成することに私たちは失敗して来た。そしてこれは、各層の文化への普及滲透を任務とする出版人の責任でもあった。(以下略)

 ここに、出版人としての痛苦な反省と、再出発への決意が読み取れる。文化(出版)を戦争(軍事力)に対置し、どちらを選ぶか、どちらを優先しなければならないかを、自らに問うたのだ。
 この文章には、1949年5月3日との日付が記されている。この日付が、いったい何を意味するか。むろん、それは「憲法記念日」を念頭に置いたものに違いない。出版人たちは新しい憲法を基礎において、出版界の再出発を誓ったのだ。
 同じような決意は、岩波新書にも見てとれる。「岩波新書創刊五十年、新版の発足に際して」と題された文章である。

 岩波新書は、一九三八年一一月に創刊された。その前年、日本軍部は日中戦争の全面化を強行し、国際社会の指弾を招いた。しかし、アジアに覇を求めた日本は、言論思想の統制をきびしくし、世界大戦への道を歩み始めていた。出版を通して学術と社会に貢献・尽力することを終始希いつづけた岩波書店創業者は、この時流に抗して、岩波新書を創刊した。(略)
 戦争は惨憺たる内外の犠牲を伴って終わり、戦時下に一時休刊の止むなきにいたった岩波新書も、一九四九年、装を赤版から青版に転じて、刊行を開始した。新しい社会を形成する気運の中で、自立的精神の糧を提供することを願っての再出発であった。(略)
 時代の様相は戦争直後とは全く一変し、国際的にも国内的にも大きな発展を遂げながらも、同時に混迷の度を深めて転換の時代を迎えたことを伝え、科学技術の発展と価値観の多元化は文明の意味が根本的に問い直される状況にあることを示していた。
 その根源的な問は、今日に及んでいっそう深刻である。圧倒的な人々の希いと真摯な努力にもかかわらず、地球社会は核時代の恐怖から解放されず、各地に戦火は止まず、飢えと貧窮は放置され、差別は克服されず人権侵害はつづけられている。科学技術の発展は新しい大きな可能性を生み、一方では、人間の良心の動揺につながろうとする側面を持っている。溢れる情報によって、かえって人々の現実認識は混乱に陥り、ユートピアを喪いはじめている。わが国にあっては、いまなおアジア民衆の信を得ないばかりか、近年に至っては再び独善偏狭に傾く惧れのあることを否定できない。(以下略)

 引用した文章は1988年1月の日付である。しかし、引用後半部分は、なんと現在の状況と相似形にあることか。まるで、昨日今日のこととして読んでも、何の違和感もない。
 時代は繰り返す。

 外相サミットが広島で行われたばかりだが、そこで「核軍縮」についてのどんな合意がなされたか。「核の恐怖」から、我々人類はいつになったら解放されるのか。原発さえ止められない国の被爆地ヒロシマを、パフォーマンスに利用しただけではないかと疑われても仕方ない。
 戦火は止まず、テロの恐怖は世界を覆い尽くしている。
 貧富の差はかつてなかったほどに拡がり、ほんの数%の大富豪や大企業が、世界の富の90%以上を独占する。悲痛な叫びに耳を貸す政治家はいまや希少価値だ。働かなくては家計を維持できない人たちの「保育園落ちたの私だ」のツイッターをせせら笑う政治屋どもには、もはや何の期待も抱けない。
 溢れる情報。この文章が書かれた1988年には想像もできなかったような膨大な情報が、ネットを通して奔っている。しかし、それが逆に、ヘイトスピーチなどに悪用され、人権侵害の悲しみに泣く人たちは絶えない。
 ヘイトスピーチに反対する人たちを、警察はむしろ弾圧しているようにも見える。先日の、公安警官(?)らしき人物がヘイトデモに反対する女性の首を絞めている画像については、さすがに河野太郎国家公安委員長が謝罪せざるを得なかった。
 沖縄でも、辺野古基地新設に反対する人たちへの警察の行動は、もう弾圧という言葉しかない。
 虐げられた人たちを守る、というのが警察権力であるというのは、それこそユートピア思想でしかないのかもしれない。状況はいまや、ディストピアに流れつつある。

 あの戦争を生き延びた人々が求めたのはユートピアであった。科学技術の発展に伴って暮らしは豊かになり、人間に優しい社会が、多少なりとも実現するのではないかとの希望が芽生えたのだった。
 だがいま、その対極ともいうべき悪しき管理社会(ディストピア)が、我々の眼前に広がっている。

 墨塗りで真っ黒な文書が「情報公開」の名で提出される。それを擁護するような書き込みがネット上に溢れる。
 だが、これは今回だけの例ではない。ぼく自身も雑誌編集者時代に当時の通産省が作成したとされる「東海原発事故想定シミュレーション」なる文書を入手したことがある。これは、親しくしていた大学教授が某所から極秘入手したもののコピーで、東海原発が重大事故を起こした場合、首都圏にまでそうとうな被害が及ぶことを示唆したものだった。その大事な部分は墨塗りだったが、それでも、あのTPP文書のように完全に真っ黒ではなく、あまり重要でないような部分は読めた。つまり、情報隠蔽は、現在のほうがより悪質になっているともいえるのだ。

 「パナマ文書」という、それこそ貧富の差の象徴のような文書が暴露された。日本の企業や個人名もかなり載っているといわれるが、安倍政府は「調べるつもりはない」とそっぽを向く。あれだけ「税収が足りない」と喚き散らす政府が「脱税の温床」を調べる気がないのだという。

 報道を管理しようという安倍政権の姿勢が目立つ。テレビ局に対する露骨な圧力は、高市早苗総務相という安倍ベッタリの担当者を据えることで、より明確になった。これまでさすがに踏み込まなかった「放送法第4条」を「ひとつの番組に関しても適用できる」と拡大解釈、放送電波を止めるぞ、とまで言い始めたのだ。恐喝である。
 テレビ局の姿勢が問われるが、4月番組改変で、批判の対象にされたニュースキャスターは軒並み降板となった。これこそが「管理社会=ディストピア」への道なのだ。

 最近、2冊の文庫を読んだ。
 『たそがれゆく未来 巨匠たちの想像力〔文明崩壊〕』『暴走する正義 巨匠たちの想像力〔管理社会〕』(両書とも、ちくま文庫 1000円+税)だ。
 前書は、高木彬光、光瀬龍、樹下太郎、小松左京、松本零士、眉村卓、今日泊亜蘭、矢野徹、筒井康隆、水木しげる、河野典正、安倍公房、倉橋由美子、楳図かずお。帯に「科学、進歩、すべて幻想だった」…。
 後書は、筒井康隆、星新一、小松左京、水木しげる、安部公房、式貴士、半村良、山野浩一、光瀬龍の各氏。こちらの帯には「これがディストピア!」とある。
 例外はあるがほとんどが、1950年代~70年代にかけて書かれた作品。しかし、異様なほど現代社会を透視していて不気味だ。ユートピアを目指したはずの人類が、どこで道を外れたのかディストピアへと歪んでいく。それがやけに生々しいのだ。
 ストロンチウム90を含む死の雨が降る地球を描く『火の雨ぞ降る』(高木彬光)、究極の格差社会の中で、特権階級へ這い上がろうとする少年の『下の社会』(筒井康隆)、楳図かずお『Rojin』は人間の進歩のおぞましい到達点(たそがれゆく未来:所収)。
 あの某公共放送局を徹底的に戯画化した『公共伏魔殿』(筒井康隆)、政治というものが、本来ユートピアであるはずの子どもの国をどう変質させていくかを描く『こどもの国』(水木しげる)、民主主義を疑う『闖入者―手記とエピローグ―』(安部公房)、国家の刑罰がここまで残酷になれるのか、ひたすらグロテスクな描写の『カンタン刑』(式貴士)、あの悲惨な戦争は何だったのか、を問う『戦争はなかった』(小松左京)、超能力さえも政治が利用する『錯覚屋繁盛記』(半村良)…(暴走する正義:所収)。

 人間という種が、どこへ行こうとしているのか。さすがに「巨匠」たちの目と思考は鋭い。この2冊に取り上げられた作品はすべて、暗い未来を描く。それらは、現在のこの国そのものでもある。
 だが、彼らの描いた世界を、これ以上、実現させてはならない。

 戦後の焼け跡から立ち上がった出版界の先輩たちが夢見たユートピアを、ぼくは笑われてもいいから、もう一度、夢見ようと思う。
 そのためには、安倍内閣の戦争への道を、どうあっても阻止しなければならない。戦争こそが、究極のディストピアなのだから。

 

  

※コメントは承認制です。
71 「巨匠たちの想像力」が描いた世界は…」 に3件のコメント

  1. あつもり より:

    『戦争はなかった』は星新一ではありません。小松左京です。情報は正確に、です。

  2. magazine9 より:

    ご指摘ありがとうございます。確認して修正いたしました。校正、気をつけます!これからもよろしくお願いいたします。

  3. GT より:

    止めましょう。バカにされても。
    日本人はすぐバカにするけど、それは弱さの表れ。
    強い者はjust do it。

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)など。マガジン9では「風塵だより」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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