「希望のエリア」のあきらめない人々

2011年3月11日に起きた東日本大震災の影響で、福島第一原子力発電所事故が発生。事故後、国会前や首相官邸前には、多くの人たちが集まり、抗議の声をあげました。一人ひとりが自分の意思で集まり、それぞれ独自のスタイルで行う抗議行動が生まれていったのです。事故から数年が経ったいまも、毎週金曜日には脱原発を求める人々が全国各地で集まっています。国会前「希望のエリア」も、そうした「金曜行動」のひとつ。「希望のエリア」のスタッフが、そこに集まる人々の思いを連載で伝えます。

第5回

黙々と、支えてくれている人たち

頼もしい「荷下ろし隊」

 毎週金曜日、国会前の北庭に夕方5時半頃に、一台の白い軽ワンボックスカーが停まる。
 すると待ちかねていたかのように数人の人たちが荷台の扉を開け、中に満載されている機材の数々を下ろし始める。
 「こんばんは、今日は順調でしたね」「今日は道が混んでいたんですね?」。挨拶もそこそこに、あれよあれよと言う間に満載されていた荷物は「希望のエリア」内へと運び込まれ、その後はただ黙々と、舞台、エリアのバナー(横断幕)、マイクスタンド、照明機材、音響機材、ベンチに到るまでが組み上げられて準備完了。
 希望のエリアの機材車「希望号」が配備されてからというもの、この光景が夏と言わず冬と言わず、毎週繰り広げられているわけです。
 この荷下ろしをしてくれる人たちは全て、希望のエリアの参加者の皆さんで、誰が呼びかけることもなく、時間になると様々な場所から集まって来て下さるのです。
 バナーのポールに横棒を渡して幕をくくりつけるのは、この自在看板の製作者で、回りから「板橋の変なおじさん」と呼ばれて親しまれている気のいいおじさん。細工が得意で、自前のポスターや希望のエリアの備品で必要と思われる物を、独創的なアイデアを駆使して作ってしまう方なのです。
 「皆さん、いつも本当にスミマセン! ありがとうございます!」と、私たちスタッフが声を掛けると、それぞれ何事もなかったかのように所定の位置(どうやらそれぞれにご自身で決めた場所があるようで…)にスタンバイし、開始時間を待っていて下さる。

サッと現れる「片付け隊」

 「今夜も希望のエリアの抗議行動、8時となりました!」
 進行役の明日香さんの最後のコールが終わるや否や、サッと暗がりから登場するのは「片付け隊」の皆さんです。
 バナーを外し、ポールと横棒を外してくくり、ポールとバナーを特製のカバーに入れてくれる人たち。
 音響機材を外してマイク、マイクスタンド、ミキサー、ケーブルを丹念に巻いてくれる人たち。
 舞台と脚を外してたたみ、車がバックして来たらすぐに乗せられるように重ねておいてくれる人たち。
 エリアが最後まで明るく照らされているように、照明設備を最後まで残してから「照明消しまーす!」と声を掛けてから電源から外してくれる人たち。
 そして、車に機材を積み込んだあと、エリアを懐中電灯で照らしてゴミや忘れ物などがないか見渡して下さる。
 この「片付け隊」には、普段はタクシー運転手をしている稲毛さんと府中の柏原さんが中心的な役割をしてくださっています。そして、抗議行動終了後の8時半には、何事もなかったように元の綺麗な小さな広場になるわけです。そしてお二人は、「また来週ね」と、「希望号」のお見送りまでして下さるのです。
 こんな風に希望のエリアは、準備から抗議行動中、そして後片付けまで、全て参加者の皆さんの協力により、毎回滞りなく運営されています。お陰で何があってもあきらめずに続けることができるのです。

(国会前「希望のエリア」スタッフ/土肥二朗)

 

  

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第5回 黙々と、支えてくれている人たち」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    「希望のエリア」では、スタッフも参加者も区別なく、それぞれが出来ることを率先してやっているという印象を受けます。誰かの主導するのではなく、みんなで作るみんなの場所だという気持ちが、こうした準備・撤収にも表れているんですね。

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マガジン9

希望のエリア:原発に反対する官邸前抗議行動として、2012年3月から毎週金曜夜にスタート。当初は、子ども連れでも参加しやすいよう「ファミリーエリア」として国会前の歩道横に設けられたスペースだったが、その後「希望のエリア」と名称を変え、幅広い世代が参加する独自の抗議エリアとして、毎週金曜の夜に活動を続けている。

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