「希望のエリア」のあきらめない人々

2011年3月11日に起きた東日本大震災の影響で、福島第一原子力発電所事故が発生。事故後、国会前や首相官邸前には、多くの人たちが集まり、抗議の声をあげました。一人ひとりが自分の意思で集まり、それぞれ独自のスタイルで行う抗議行動が生まれていったのです。事故から数年が経ったいまも、毎週金曜日には脱原発を求める人々が全国各地で集まっています。国会前「希望のエリア」も、そうした「金曜行動」のひとつ。「希望のエリア」のスタッフが、そこに集まる人々の思いを連載で伝えます。

第8回

もうひとつの「希望のエリア」

「希望のエリア東村山」での活動

未来への希望を

 あの2011年3 月11日から5年が経ちます。
 しかし、東京電力福島第一原子力発電所の原子力緊急事態宣言は、いまだに解除されていません。放射能汚染水の漏出はとどまるところを知らず、すでに166名(※)とも167名ともいわれる子どもの甲状腺がんまたはその疑いなど、原発事故の影響と考えられる健康被害は増え続けています。
 それにも関わらず、政府は目先の復興を優先して、放射能汚染地域への帰還政策を強引に進めようとしています。そして、地震大国の日本で、老朽化した原発を次々と再稼働させています。次の惨事が、いつどこで起きても不思議ではありません。
 原子力発電は、不完全な技術であるうえに、世界的にはもう時代遅れです。ドイツ、スウェーデン、デンマークなどの環境先進国では、課題は残るものの、風力、太陽光、バイオマス、水力、地熱など再生可能なエネルギーへの移行と省エネが積極的に進められています。
 私たちは、「原発のない未来」に向けて、地域からつながる仲間たちと声を上げ続けます。

☆原発いらない!
☆再稼働反対!
☆エネルギー政策の転換を!

2016年3月11日
希望のエリア東村山

(※)甲状腺がん悪性・悪性疑い166人~福島県調査Our Planet-TV(2016年2月12日)

 これは、2016年3月11日(金)に「希望のエリア東村山」で配布したメッセージです。この日は、持ち寄ったキャンドルに祈りと願いを込めて、いつもの場所、いつもの時間に、いつものアピールをしました。

キャンドルに祈りと願いをこめて

 「希望のエリア東村山」は、西武新宿線・久米川駅南口(東京都東村山市)で行われている「原発いらない!」アピール行動です。「金曜夕方久米川駅前行動(略称キンクメ)」とも呼んでいます。地域での出会いや交流の場ともなっており、その意味でも大切にしていきたい活動です。
 例えば、2015年7月に結成された「NO! 安保法制 東村山市民の会」、2015年8月に開催された沖縄の現状を伝える三上智恵監督の映画『標的の村』東村山上映会、2015年9月にキックオフを迎えたエネルギー地域自給の試みを目指す「東村山エナジー準備会」など、さまざまな動きが継続的に生まれています。

 金曜夕方には駅前に集まり、「原発いらない!」の旗や「PACE(パーチェ/イタリア語で平和の意味)」の虹の旗を掲げ、思い思いのパネルを手に、本田美奈子.の「アメイジング・グレイス」やKiroroの「Best Friend」などをBGMにリレートーク。年末には音楽をジョン・レノンの「Happy Xmas(War Is Over)」にするなど工夫しながら、また楽しみながら取り組んでいます。
 プラカードやCDやトラメガの電池、文房具などは、今のところはカンパに頼っています。寒い冬には、通りすがりの方が「頑張ってね、応援してるよ」と携帯カイロを差し入れて下さることもあります。雨の日も、雪の日も、風の日も、国会前の「希望のエリア」同様、お休みはほとんどありません。

シトロン稲葉さんといっしょに

 メンバー自作の歌とギター、詩の朗読、珍しい楽器などが加わることもあります。弓型をしたブラジルの民族楽器「ビリンバウ」の音色には感激しました。写真に写っているベレー帽の奏者は、首都圏反原発連合と一緒に国会前で活躍されている「サンバ・ナ・フア~路上のサンバ」のシトロン稲葉さんです。電車がハプニングで止まってしまった時などは、ご自宅に近い久米川に来てくださるようになりました。
 時々、福島や九州など遠方からもゲストがいらっしゃいます。韓国の生協の役員さんたちが一緒にアピールしてくれたこともあります。地元の市議会議員や映画『遺言~原発さえなければ』共同監督の豊田直巳さん、雑誌『ママレボ』編集者の和田秀子さん、写真集『アイヌときどき日本人―宇井眞紀子・写真集』(社会評論社)を出版された宇井眞紀子さんなど、数え上げればきりがありません。

3・11後に生まれた子どもたちも参加

福島訪問から始まった金曜行動

 アピール行動を始めたきっかけは、2013年夏の福島訪問でした。春に地元で開催した京都大学の小出裕章先生の講演会で、「原発事故避難者からもお話を」と来て頂いたのが、浪江町で代々味噌屋を営んでいらした鈴木大久さんでした。「実際に足を運んで福島の現実を見て下さい」との声に、車で出発しました。
 1日目は、事故を起こした原発を望む高台に立ち、津波の傷痕が残る請戸浜を歩き、誰もいない町の中心部で信号が点滅するのを見ました。2日目には、保育所や学校を訪問し、線量の高い地域で日常生活を送る子どもたちの姿に言葉を失いました。
 福島訪問の報告会を終えた私たちは、「何か自分たちで継続してできることを」と考えて、全国の金曜行動に、地域から連帯していくことにしました。それから2年半。「希望のエリア東村山」での行動は、すでに125回を迎えました。その間、国会前の「希望のエリア」とは姉妹関係のような楽しい交流が続いています。これがご縁で、2015年12月13日(日)の「第9回さよなら原発東村山ウォーク」には、国会前の「希望のエリア」から明日香さん、二朗さんが東村山に来て下さり、太鼓を鳴らし、一緒にコールしながら歩きました。
 脱原発「ゆるキャラ」として活躍中の緑の「ゼロノミクマ君」もクリスマス帽で参加してくれたこの日のウォークは、いつにも増して盛り上がりました。終了後に、いつもの金曜日には決して会えないお二人と「まるで七夕の織姫と彦星みたいね!」と笑い合ったのは、本当にうれしいことでした。

2つの希望のエリア

 「希望のエリア東村山」も、国会前の「希望のエリア」と同じく、楽しく明るく、誰でも無理なく参加できる雰囲気を大切にしています。国会前だけでなく身近な地域からも「原発ゼロ社会」の実現をめざして声を上げ続けることが、国をも動かす力につながっていければいいな。そして、いつか、近い将来のうちに、「昔、日本に原発があった頃、久米川の駅前でもこんな活動があったんだってさ」と、いい意味で昔話になればいいな、と笑顔で語り合っています。

 最後に、「希望のエリア東村山」の2年半の軌跡を、3分間ほどのビデオメッセージにまとめました。どうぞご覧ください。

 明日香さん、二朗さん、国会前の「希望のエリア」の皆さん、そして全国津々浦々の「金曜行動」の仲間たち! これからも、連帯よろしくお願いいたします。

(希望のエリア東村山 ペーター・ポール&ロージー)

 

  

※コメントは承認制です。
第8回 もうひとつの「希望のエリア」」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    今回は、国会前と同じく、毎週金曜日にアピール行動を続けている「希望のエリア東村山」の方から原稿を寄せていただきました。さまざまな人たちと交流をしながら、自分の地域で声を上げていくこともとても大事な活動。一日でも早く、「昔話」にできる日を迎えたいものです。

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希望のエリア:原発に反対する官邸前抗議行動として、2012年3月から毎週金曜夜にスタート。当初は、子ども連れでも参加しやすいよう「ファミリーエリア」として国会前の歩道横に設けられたスペースだったが、その後「希望のエリア」と名称を変え、幅広い世代が参加する独自の抗議エリアとして、毎週金曜の夜に活動を続けている。

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