木内みどりの「発熱中!」

映画、テレビ、舞台と幅広く活躍してきた女優の木内みどりさん。
3・11以降は、脱原発についても積極的に活動しています。
脱原発への思いや憲法のこと、政治や社会参加についてなど、
日々の暮らしや活動のなかで感じていること、気になっていることを
「本音」で綴っていただきます。月2回の連載でお届けします。

第4回

「本木昭子」という女性がいたことを知ってほしい。

 亡くなって18年も経つというのにどうしても彼女の存在を忘れたくない、知らなかった人たちにも伝えたい…たくさんの人のそういう想いが集まってこの本が生まれました。
『だいじょうぶ だいじょうぶ 本木昭子』(朝日クリエ/¥1.500+税)


 1976年、小さなモデル事務所のマネージャーだった本木さんが無名の少女・山口小夜子と独立。欧米女性のマネではない日本女性ならではの魅力をふたりで創り上げていって、「世界のSAYOKO」を誕生させました。
 「日本女性の美しさ」を資生堂ポスターやTVCFで発信し続け、小夜子さんの姿は世界中の雑誌の表紙を飾り、小夜子さんを型どったSAYOKOマネキンは世界中のデパートやブティックに溢れました。

 小夜子さんが世界のトップモデルの仲間入りしたあたりから本木さんは、本来やりたかった仕事へと移行していきます。
 「今、なにが魅力か」「これから、なにが大切か」。本木さんにはこれを見極める「天性の勘」があったと彼女を知る誰もが言います。「わたしには動物的な勘があるの」という言葉を本木さん本人から聞いたこともあります。
 私自身も本木さんの勧めで、女優の仕事だけでなく家具をデザインしたり司会や朗読、ちょっとしたパフォーマンスをしたりするようになり、「宮沢賢治の詩と音楽」シリーズは各地で15年続けてきました。

 肩パッド入りのカチッとしたスーツを着用、両袖を肘まで捲り上げて、真珠のネックレス、黒のハイヒール、冬はミンクのコートにケリーバッグ。お金なんかなくたって、いつもいつもいつも、この格好、本木スタイル。
 亡くなるまで20年、たくさんのイベントをプロデュースしました。資生堂、PARCO、SANYO、ワコール、KENZO、ISSEY MIYAKE、KANSAI YAMAMOTO。大きなイベントも小さな無名アーチストの展覧会も同じ情熱で向きあっていました。

 1996年、その本木さんに突然、病いが襲いかかりました。
 何か尋常じゃない…と勘づいたわたしは、躊躇う本木さんを説得して一緒に病院に行きました。診断の間、家族・親族じゃないただの友だちだからという理由で廊下のベンチで待っていました。
 ドアが開いて出てきた本木さんの姿にホッとして、駆け寄りました。が、彼女は目を合わさず「お腹がすいた。なにか、食べよう」と素っ気なく言いました。はぐらかしている…そう感じました。
 水道橋駅近くの食堂で温かいおうどんを食べながらポツポツと説明してくれたのは、「昔、肋膜をやったからそれらしいのよ。ま、大したことじゃないからヨカッタ。でもさぁ、やっぱり来てヨカッタわよ。ワカッタからね」。「はぐらかしている」と感じてはいても、詳しく突っこんでいくだけの勇気はありませんでした。

 それ以降、病名とか治療法とかお薬とか、どう進行してるのか、していないのかなど、最後までほんとのことは言ってくれませんでした。わたしも、また、知ろうとしませんでした。
 でも、この日以来生活を変えた本木さんとは最後まで付き合いました。気功を始め、いいと聞く治療に通い、名人だと聞いた気功師を訪ねて中国・北京まで飛んだりもしました。
 が、ずっと休みなく続けていた仕事で会っていた方々は、それぞれが本木さんの「異変」に気がついていたそうです。ジャケットを裏返しで着ていた、描いた眉毛の位置が微妙にヘンだった、頭が痛いからといきなり寝そべった、地下鉄車内にバッグを置き忘れた…。

 その年の8月、出先で倒れて緊急入院。
 ヒロくん・ダイちゃん、ふたりの息子さんと義理のお母さんが駆けつけた時は、「ま、ゆっくり療養するわよ」と言っていたらしいのですが、数日後、容体が急変。「死」を意識したのか、「小夜子とみどりを呼んで…」と言ったそうです。

 急遽駆けつけた病室で、会いました。ちょっと恥ずかしそうで、でも、いつもの笑顔でした。
 そして、酸素吸入の装置のせいで声にはならなかったけれど、手を握りしめて本木さんが言った言葉は、「みどり、 あ、り、が、と、う」。
 こちらこそ、あ、り、が、と、う、だった。
 翌日、亡くなりました。

 本木さんが死んでしまったことを現実のことと受けとめなければ…。
 お通夜・葬儀の準備をふたりの息子さんとする中で、初めて本木さんの部屋に入りました。アパートの前までは何回も送って行ったことがあるので知っていましたが、部屋に入るのは初めてでした。
 小さい部屋にシングルベッド、そして小さな箪笥がひとつ、その上に真珠のネックレスとブレスレット、SEIKOの腕時計が置かれてありました。どれも彼女が毎日身につけていたものです。部屋の外に置かれたハンガーラックに見慣れたスーツが5、6着、掛かっていました。
 それだけ。それ以外は、なし。

 モノを所有することになんの興味もなかった。
 自分だけ儲けたり自分だけ褒められたりすることを恥ずかしいと感じる感性だった。

 長い間、本木さんの片腕だった長井八美さんが教えてくれた。
 部屋にあった聖書には傍線が引いてあって、そばに書きつけられた日付を追っていくと彼女のこころが見えてくる…と。
 わたしと病院に行ったあたりから聖書を読みはじめたこと、洗礼を受け、教会に通いだしたことも知った。そんなこと、わたしにはひとことも言わなかったし教えてくれなかった。

 本木さんと関わった多くの方々それぞれのこころに本木さんがいて、それがみんな違う本木さんなんだとわかるようになったのは、1996年に亡くなってから毎年「本木昭子さんを偲ぶ会」を続けて2年目くらいかしら。
 小夜子さんもそう言っていた。小夜子さんの中の本木さんは小夜子さんだけの本木さん、だって。
 その小夜子さんも、2008年8月14日に亡くなりました。

 人はいつか必ず死ぬ、死んでしまう。

 本木さんのことをたくさんの人に知ってもらいたい、記録として残したいと何人かが頑張りましたがなかなか実現しませんでした。が、18年経過しても諦めなかった本木さんの片腕長井八美さんが頑張り続けてくださって、冒頭に紹介したこの本の出版となりました。
 長友啓典さんが「だいじょうぶ だいじょうぶ 本木昭子」という飛び切り素敵なタイトルをつけ、綺麗なピンク色を選び装丁してくださいました。本木昭子らしい本になりました。

 ほんとに口癖のように言いました。
 「だいじょうぶ だいじょうぶ」
 みんなを褒めて励ましました。
 「あなたならできるわよ」
 そして、すべての責任を黙って負っている本木昭子さんでした。

 この「マガジン9」でコラムを書かせていただくことになった時につけたタイトル「発熱中」。まさに、本木昭子さんが教えてくれたことでした。
 こころにほんとうの「炎」を持つこと、消えないようにたいせつにたいせつに自分が発熱していること。
 この本を読んであなたも「だいじょうぶ だいじょうぶ」を受けとって「発熱」してくださったら、こんなにうれしいことはありません。

 最後にこの言葉をお伝えします。本木さんの部屋に貼ってあった手書きのメモです。

主よ 変えられないものを受け入れる心の静けさと
変えられるものを変えてゆく勇気と 
その両者を見分ける英知を与え給え

ラインホールド・ニーバのこの祈りを今日の私の祈りとして生きたい
私たちには現実を見つめる醒めた目と
その現実に接する温かい心が必要なのだ

 

  

※コメントは承認制です。
第4回 「本木昭子」という女性がいたことを知ってほしい。」 に7件のコメント

  1. magazine9 より:

    コラムで紹介されている『だいじょうぶ だいじょうぶ 本木昭子』の制作委員会には、アートディレクターの長友啓典さん、テレビマンユニオン会長の重延浩さん、照明家の藤本晴美さんなどが関わり、本には木内みどりさんを含めた72人によるエピソードが綴られているそうです。亡くなって18年たっても、こんなにたくさんの方の心に残っている本木昭子さんの魅力に触れてみたくなりました。

  2. 網野 恵美子 より:

    私も、だいじょうぶ、大丈夫と言いながらやってきました。どうにもならないことなんか、一生のうちにそう何度もあるものじゃない、だから今度も大丈夫、と言いながら。心の静けさと勇気ですね。良い言葉をいただきました。感謝。

  3. 木内みどり より:

    網野 恵美子さま

    コメント、ありがとうございます。
    本木さんの「大丈夫、大丈夫♩」が届いてよかったです。
    どうせ、死ぬんですものね。
    死ななかった人は古今東西、ひとりもいない。
    致死率100%。

    あはは、たのしくやりましょう。

    応援しています。

  4. 別府美人 より:

    初めまして♪ 過去記事へのコメントをお許し下さいませ。
    昨日、映画『氷の花火 ~ 山口小夜子』を観て
    facebookに感想など書いているうちに
    《本木昭子さん》のことが思い出され、
    懐かしくてググッてみたところコチラの記事を発見★ (゜o゜)
    こんな素敵な本が出ていたんですネ!!
    なんとか入手出来そうデス♪ (^_-)-☆

  5. 真木 より:

    山口小夜子の氷の花火から小夜子の魅力学~本木昭子さんの本に行き着きました。小夜子に昭子有り‼

  6. 木内みどり より:

    別府美人さま
    書きこんでくださっていたのですね。
    本木昭子さんと会ってらっしゃいますか?
    本、手に入りました?

  7. 木内みどり より:

    真木さま

    小夜子さんも本木さんもいなくなってしまいました。
    たくさん、教わりました。
    たくさん、褒めてもらいました。

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木内みどり

木内みどり(きうち みどり): 女優。’65年劇団四季に入団。初主演ドラマ「日本の幸福」(’67/NTV)、「安ベエの海」(’69/TBS)、「いちばん星」(’77/NHK)、「看護婦日記」(’83/TBS)など多数出演。映画は、三島由紀夫原作『潮騒』(’71/森谷司郎)、『死の棘』(’90/小栗康平)、『大病人』(’93/伊丹十三)、『陽だまりの彼女』(’14/三木孝浩)、『0.5ミリ』(’14/安藤桃子)など話題作に出演。コミカルなキャラクターから重厚感あふれる役柄まで幅広く演じている。3・11以降、脱原発集会の司会などを引き受け積極的に活動。twitterでも発信中→水野木内みどり@kiuchi_midori

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