この人に聞きたい

「改憲が必要な理由」の一つとして、安倍首相は「自主憲法の制定」という言葉を繰り返します。現在の日本国憲法は、果たして本当に「GHQの押し付け」だったのか。『昭和史』の中にも登場する、その成立過程の事実をお聞きしました。

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半藤一利(はんどう・かずとし)
作家・昭和史研究家。1930年東京向島生まれ。東京大学文学部卒業後、文藝春秋入社。「週刊文春」「文藝春秋」編集長、取締役を経て作家。著書に『漱石先生ぞな、もし』『日本のいちばん長い日』、『ノモンハンの夏』(以上文藝春秋)、『昭和史1926-1945』『昭和史 戦後篇1945-1989』(以上平凡社)、『日本国憲法の二〇〇日』(プレジデント社)など多数。
日本国憲法成立のこぼれ話

編集部
 前回のお話では、半藤さんご自身の経験からも、いわゆる政府案だった松本蒸治案よりも、GHQの憲法案の方を当時の日本国民は歓迎しただろうということを興味深くお聞きしました。ところで、先日、NHK教育で放送した『焼け跡から生まれた憲法草案』をご覧になりましたか?

半藤
 ええ、観ました。

編集部
 敗戦直後から、鈴木安蔵や馬場恒吾、森戸辰男ら在野の学者やジャーナリストたち7人が市民案としての憲法草案を作り上げた、という内容でした。

半藤
 その話は、私の本(『昭和史 戦後篇』平凡社刊)でも書いたんです。とてもいい案ではあったんですが、あのまま通るとは思えませんね。ただ、あれが、GHQ民政局(実際の日本国憲法草案作りに携わった部局)あたりの人たちに大きな影響を与えたことは確かでしょうね。なにしろ、民政局には憲法学者は一人もいなかったんだから、影響されないわけがない。

編集部
 それから、近衛文麿国務大臣の委嘱を受けて、京都大学の佐々木惣一元教授が作ったと言われる草案というのもありましたね。

半藤
 これもとてもかなり先進的な草案だったと言われているんです。で、私もこれを一生懸命探したんですけど、残念ながら見つからない。しかし、これが近衛大臣に渡ったことは間違いない。しかも、これを近衛さんは天皇に渡したことも確かですから、天皇もこれを読んでいるはずです。そして天皇が、こういうものができているから参考にしたらどうか、と幣原喜重郎首相に渡し、それを幣原さんは松本烝治国務大臣(憲法問題調査委員会委員長)に渡します。ところが松本さんは、なにしろ帝国憲法でいいじゃないかという人だから、なんだこんなもん、って捨てちゃったんですね。あれが日の目を見ていれば、また別の展開もあったかもしれないけど。この佐々木案は、多分、宮内庁にあるはずなんだけど、宮内庁が出してくるわけもない。だから、佐々木案は「幻の憲法草案」なんです。

編集部
 幣原首相は何度もマッカーサーに会っていますね。その場で「戦争放棄」という言葉がポロッと幣原さんの口から出た、というような…。

半藤
 そこは難しい。どっちが言い出したのか。幣原説とマッカーサー説の両方ある。でも、幣原さんの口から出たというのも確かです。幣原穏健外交と言われるくらいの国際協調派ですし、昭和2年のパリ不戦条約(ケロッグ・ブリアン協定)のときの全権大使だったわけだから、不戦の意味で言ったと思いますね、僕は。9条の第1項は不戦条約とほぼ同文ですからね。

編集部
 それを、憲法に入れようか、と。

半藤
 まあ、幣原さんは松本案を提示したくらいだから、明治憲法の全面改訂などは意図してなかった。でも、ポツダム宣言を読めば、明らかに憲法改正をせざるを得ないことは分かるはずなんだけど、当時の日本のリーダーたちはそうは読まずに誤魔化そうとした。でも誤魔化しきれなかった、ということでしょうね。

憲法は、日本とアメリカの
「合作」で生まれた

編集部
 このほかにも、いろいろな憲法草案はあったようですね。

半藤
 そうです。新聞で発表された共産党案やほかにも二つ三つぐらいありました。そういうのを、GHQは全部入手して読んでいるんですね。

編集部
 それでは、日本の民間人たちが作った憲法草案が、GHQの草案にある程度影響を与えていると考えていいんでしょうか。

半藤
 いいんじゃないでしょうかね。

編集部
 改憲論者のほとんどの人たちが、現憲法はアメリカの押し付け憲法だ、と言いますね。でも、今のお話を伺っていると、ある意味で日本国憲法は日本とアメリカの合作であるとも考えられますね。

半藤
 そうです。マッカーサーが「憲法は天皇陛下と私の合作だ」「天皇陛下がいなければこの憲法はありえなかった」というぐらいに合作なんですよ。

編集部
 『憲法九条を世界遺産に』(集英社新書)の中で、太田光さんと中沢新一さんがしきりに「戦争はもう絶対にしたくないという日本人の感情と、理想主義に燃えたGHQの若いアメリカ人との奇跡の合作だった」と言っています。

半藤
 そのとおり。まったくそれでいいんです。そしてその上に、戦争の悲惨さや残酷さをよーく分かっているマッカーサーと天皇の合作なんです。天皇は本当に戦争嫌いな人です。天皇には、ひどいことをしてしまった、という想いがあったと思うんです。マッカーサーも軍人ですから戦争になると燃えちゃうんですが、平時にはすごいインテリなんですね。だから、この二人の合作という言い方もできるんです。

編集部
 ではやはり、押し付け憲法論はおかしいと。

半藤
 そういう言い方をするなら、戦後日本のあらゆるものがアメリカの押し付けですよ。先ほどお話した「5大改革」すべてが押し付けです。じゃあ、それらを全部やめなきゃいけないでしょ、押し付けがダメと言うなら。安倍首相が「戦後レジームの抜本的見直し」なんて言ってるけど、女性の選挙権も労働組合も財閥解体も農地解放も教育改革もみんな元に戻したいんですかね、特高警察の復活なんかも含めて。教育だって、私は今度の教育基本法改正なんか、憲法改正に近い酷さだと思っていますから。

戦後、日本の機軸は平和憲法だった

編集部
 半藤さんは、きっちりと憲法9条の改定には反対であるとおっしゃっていますが、いつごろからそう思い始めたのでしょうか?

半藤
 私はずうっと憲法を大事なものと思ってきましたから、何も変わってないんです。他が変わっちゃったから、アカの先端にいるように言われ始めたようだけど、そんなことはない。「ほんとにお前、文春にいたのか」なんて言われることもありますよ。いたもなにも、私は一応、文春の専務までやってたんですけどねえ(笑)。
 私の歴史観を簡単に説明しましょう。
 明治の日本というのは、富国強兵とかなんとか言ってそれを中心にして国民が意思統一して動くんですが、軸になるのは天皇制です。これは立憲君主制です。そして国家目標が富国強兵だったわけです。それでうまくいってたんですが、日露戦争が終わった後、うぬぼれて調子に乗って、機軸である立憲君主制では面白くない、もっと世界に冠たる天皇制にしよう、というんで国家神道になっちゃった。それで、国家目標は富国強兵なんてもんじゃなく、もっとでかい太平洋・大東亜・八紘一宇—なんてバカなことになって、結局国を滅ぼすような戦争に突入していくんですね。

編集部
 そして戦後、日本の機軸が変わったんですね。

半藤
 そうです。それが平和憲法なんですよ。それでみんながまとまってやっとここまで来たんです。国家目標は自由と平和。新しい国柄を作ったものとして、ずっと戦後は変わっていないはずだった。今まで60年間、日本が持ち続けてきた国柄は現実としてあるんですよ。だから、日本人はこれをもっと大事にしなけりゃいけない。国際紛争が起きたとき、日本ほど調停に適した国はないんですよ。戦争をずっとやってませんから。歴史的にみても、これほど人畜無害な国もない。人畜無害じゃつまらないって言う連中もいますが、これでいいじゃねえかって、僕なんかは思いますね。

編集部
 紛争調停国として世界に信頼される日本。いいですよねえ。

半藤
 今の戦争ってのは、きわめて危険極まりない理由で起こっている。テロなんて呼んでるけど、戦争というべきなんですよ。要するにアメリカという大国が勝手な理屈を立てて、アイツは悪いヤツだから叩いてもいいんだ、あの野郎が俺を睨んでるから先に殴っちゃえって。これじゃ世界は滅びますよ。そのときに、この平和憲法を持った日本が、これこそ人類を生かすための最大の理想です、これを目指して頑張ろう、というのはなんら差し支えないと思うんですけどね。でもこれを言うと、そんな夢みたいな理想主義を日本がやったことがあるのか、って批判されます。しかし、やったことがないからこそ、今がチャンスなんです。理想主義をどんどんやっていけばいいんです。

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