この人に聞きたい

安倍首相は来年夏の参院選で、憲法改正を公約に掲げると明言しました。現政権はかねてから、反対の多い9条ではなく「合意を得やすい」ところから改憲論議を進めていくという方針を明らかにしており、環境権や「緊急事態条項の創設」などが具体的なテーマになるのではないかといわれています。
緊急事態条項とは、自然災害や戦争などの緊急事態に、憲法秩序を一時停止して非常措置を行う権限、すなわち「国家緊急権」を政府に与えるというもの。「素早い対応が可能になる」などの声がある一方、その強大な権限が濫用される危険性も指摘されています。「本丸」の9条改憲を実現させるための「お試し改憲」とも揶揄されますが、そんなに軽く片付けてしまっていいものなのでしょうか?
緊急事態条項が憲法に定められるとは、どういうことなのか。実現すれば、何がどう変わるのか。東日本大震災で被災地支援に携わった経験を持つ小口幸人弁護士にお話を伺いました。

小口幸人(おぐち・ゆきひと) 1978年生まれ、東京都町田市出身。中央大学卒業後、電機メーカーのトップセールスマンとなるも、弁護士を志し退社。2008年に弁護士登録、1年4カ月の東京勤務を経て、司法過疎地である岩手県宮古市の「宮古ひまわり基金法律事務所」三代目所長として就任。3年7カ月の間に1000件以上の相談に対応。同地で東日本大震災に遭い、全国初の弁護士による避難所相談を実施。被災者支援・立法提言活動に奔走するとともに、困難な刑事弁護事件も多数扱う。
東日本大震災の被災地で 
法律支援を経験して

編集部
 自民党の憲法改正草案では、第9章に「緊急事態」の定めがあり、深刻な災害や外部からの武力攻撃などが起こった際には、閣議決定によって総理が「緊急事態」を宣言することで、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定できるなど強大な権限を与えられ、同時に何人も「国その他公の機関の指示に従わなければならない」とされています。いわゆる「緊急事態条項」といわれるもので、今後自民党などが明文改憲を目指すときに、最初に取り組むテーマの一つになるのではないかと言われています。
 小口さんは東日本大震災で被災地支援をされたご自身の経験などから、この「緊急事態条項」創設に強く反対されていると伺いました。

小口
 今年6月、自民党が推薦した憲法学者が安保法案を「違憲」だと指摘した憲法審査会が注目を集めましたね。あまり知られていませんが、この一つ前の回の憲法審査会では、災害対策を理由とした緊急事態条項について議論がなされていました。絵空事ではなく、緊急事態条項を創設する憲法改正はすぐそこに迫っているのです。
 この件について危機感を覚えているのは私一人ではありません。私も所属していた岩手弁護士会を始め、大震災を経験した兵庫、新潟、岩手、宮城、福島などの弁護士会は、既に災害を理由とした緊急事態条項の創設に反対を表明し、今年5月には共同記者会見を開きました。その後も反対声明は増え続けています。
 阪神淡路大震災、新潟中越地震、そして東日本大震災など、大きな自然災害の被災地での支援活動を経験した弁護士同士で集まって議論をする機会は多いのですが、政府が「災害対応のために緊急事態条項が必要だ」というのなら、災害後の支援を経験した私たちこそが「必要ない」と発信していかなければならないという話をしています。
 災害が起こったときに必要なのは、積み上げられてきた経験と叡智、それに基づく準備であって、総理大臣が「緊急権を発動する」といって拳を振り上げても、何の役にも立たないし混乱を起こすだけだというのが、災害の現場を経験した弁護士たちの実感です。

編集部
 経験に基づくご意見なんですね。小口さんご自身は、東日本大震災のときにどんな支援をされていたのですか? 岩手県の宮古市にいらしたそうですが…。

小口
 もともと岩手に縁があったわけではないんですが、東京で勤めていた弁護士事務所が司法過疎の問題に取り組んでいた関係で、2010年3月に赴任しました。そこから1年経って、やっと町の様子がわかってきたかな、というところで震災が起こったんです。
 当初は、電気が止まってテレビも見られず、通信も途絶えていたので、自分たちのいるところが「被災地」だということさえ認識できない状況でしたが、ともかく何かできることがあればと、市役所に顔を出してみました。そうしたら、顔見知りになっていた危機管理課の職員に「あ、小口先生、いいところに」と引っ張って行かれて…。私自身もそれまで災害に関する法律の知識はほとんどなかったんですが、災害救助法などの条文を読みながら、「こういうことはやっても大丈夫」「こういうこともできます」とアドバイスするなど、市の相談に乗っていました。

編集部
 その後、住民向けの法律相談も開始されたんですね。

小口
 行政のほうがなんとか動き始めた後、弁護士は市民の立場に立たなきゃいけないという思いもあって、3月18日に避難所での相談をスタートさせました。
 実は、県の弁護士会では当初「家族を亡くしたばかりの人もたくさんいるときに、『法律相談です』なんて不謹慎じゃないか、弁護士の出番はもっと後だろう」という意見が大半だったんです。でも、私は直接避難所にも何度も足を運んで、少なくとも自分の周囲、宮古市の避難所にはニーズがあると確信していました。地震と津波から数日経って、そろそろ避難所を出たい、でも出てしまったら法的支援に関する情報なども入ってこなくなるんじゃないか、と躊躇している人をたくさん見ていましたから。
 例えば盛岡にいる弁護士と、宮古にいた私とでは、見ているものが違うんだから判断が違ってくるのも当然なんです。それで「処分を受けても構わないのでやります」と押し切って。結果として、被災者の皆さんには非常に喜んでいただきましたし、そこから他の避難所にも法律相談の輪が一気に広がっていきました。

災害支援の基本は
「現場に権限を下ろすこと」

小口
 このときの経験を通じて感じたのは、災害対応で一番重要なのは「現場に権限を下ろすこと」だということです。避難所相談は、現場を見ていた私が独断で動いたからこそ実現したわけですが、市町村と県、国の関係も同じ。宮古市長の見ているものと、盛岡にいる県知事の見ているもの、国の見ているものはまったく違いますから、判断がどうしてもずれてきます。こういうときは、現場の人間を信頼してそこに判断の権限を与えるのが鉄則だと思うんです。上の判断を災害は待ってくれません。
 震災後、宮古市のとなりの山田町役場にも行ったのですが、決して広くない部屋に自衛隊員や国の役人が何人も詰めていて、そこに町長が次々指示を出している様子を目の当たりにして。まさに陣頭指揮という感じで、圧巻でした。こういうことが必要なんだとまざまざと感じたし、災害を経験した市町村の首長はみんなそう感じたと思いますね。

編集部
 今ある災害関係の法律は、そうして「現場に権限を下ろす」形になっているのですか。

小口
 都道府県知事や市町村長に、非常に大きな権限を認めています。
 例えば、災害救助法第七条では、〈都道府県知事は、救助を行うため、特に必要があると認めるとき〉には、医療、土木建築工事又は輸送関係者を〈救助に関する業務に従事させることができる〉と定めています。ほかにも、病院やホテルなどの施設を救助活動などのために使用できたり(9条)、住民を救助活動に協力させることができたり(8条)と、さまざまな権限を認めています。従わなかった場合に罰則があるものもあります。
 同様に災害対策基本法でも、設備物件の除去や保安などの措置を指示できたり(59条1項)、避難のための立ち退きを勧告できたり(60条1項)、現場にいる人を応急措置の業務に従事させることができたり(65条1項)といったふうに、市町村長の強制権が定められています。
 つまり、平時ならどんな手続きをしてもできないことが災害の緊急性を理由に許されたり、裁判所の令状が必要なことがそれなしにできることになっていたりする。私は初めて読んだとき、「なんでこれ憲法違反じゃないんだろう」と思ったくらいです(笑)。

編集部
 かなり大きく人権を制限することになりますものね。でも、もちろん国会では「違憲ではない」という判断のうえで成立したわけでしょう。

小口
 そういうことです。災害対策基本法は昭和30年代、伊勢湾台風の後、安保闘争も行われていた時代にできた法律で、国会で憲法学者の意見聴取も行われています。この法律では、生活必需品の配給・譲渡の制限、物価の統制、金銭債務の支払い延期や外国からの援助の受け入れなど、大きな権限を内閣に与えるのですが、これが憲法違反ではないかと問題になったのです。
 しかし、最終的には「憲法違反ではない」と判断されて、法律は成立しました。国会閉会中や衆議院の解散中で、様々な措置をする時間がないときは、内閣は法律で許された項目だけ国会にかけずに決めることができる、緊急時に国民の生命財産を守るのにどうしても必要なことだけはできるようにしておく。そういうことが、平時のうちにしっかり審議され法律化されたわけです。
 これって、いわば法律レベルの国家緊急権なんですよね。本来ならその都度立法府で法律をつくらなければならないことや、裁判所によるチェック手続が必要なことでも、緊急時に限り、限定されたことだけは行政の一存でできるようにする法律をつくっておく。平時は三権分立だけれど、その三権の一部を一時的限定的に行政に渡すということですね。日本は、憲法上の国家緊急権はないけれども、こうした災害に関する「法律上の国家緊急権」は山ほどあるんです。よく「外国の憲法には国家緊急権がある。日本にないのはおかしい」といいますが、外国が憲法で定めているものよりよっぽど精密なものを、日本では法律のレベルで定めて、しっかり機能するように整備されているんです。

災害に対応するための法令はすでに十分ある

編集部
 小口さんたちが改憲による緊急事態条項の創設に反対されているのも、そうした理由からでしょうか?

小口
 それが一番の理由です。災害に対処するための法令はすでに十分にあって、不足しているのはそれをちゃんと活用するための事前準備、訓練、そして現場による柔軟な運用のほうなんですね。僕が活動していた宮古市でも、せっかく災害対策基本法や災害救助法などの法律があるのに、市の職員はそれについてほとんど知りませんでした。
 これは、でも責められることではなくて……今、どこの市町村も人口減少していて職員の数も減っているし、首長や職員が自分たちで法律を読み込んで理解して、というのは実際には無理でしょう。仮に「緊急時にはこんな権限が認められている」というのを知っていたとしても、通信が遮断されて県や国におうかがいを立てることもできないような状態では、「本当にこんなことをやって大丈夫なのか」と躊躇して当然です。本来は、各自治体内に普段使っていない法律をちゃんと解釈できる人、つまり弁護士を置くことが、防災対策として必要なんだと思います。

編集部
 緊急事態条項がなくても、迅速な対応や支援を行うための法律はすでに整っている。欠けているのは、それを活用するための準備のほうなんですね。

小口
 そうなんです。そもそも、東日本大震災のことを考えても、あのとき起こった数々の悲劇は、「緊急事態条項があったら救えた」のでしょうか? 
 例えば、福島県の大熊町にある双葉病院では原発事故の後、避難途中の混乱で多くの患者さんが亡くなられましたね。この犠牲は、国家緊急権が発動できれば減ったでしょうか? 何か法律が国会で承認されなかったから起きたのでしょうか? 違いますよね。単純に原発事故の際の情報開示や避難計画に関する準備が足りなかったということです。
 岩手県の釜石市では、多くの住民が地域の防災センターに避難し、津波にのまれて亡くなるという悲劇もありました。そのセンターは正式な避難所ではないのに、利便性がいいために「防災訓練のときだけの避難場所」として使われていたことが原因でした。これも、防災訓練のやり方や災害への準備が間違っていたということですよね。
 被害が大きくなったのは、法律がないからではないし、ましてや国家緊急権が発動できなかったからでもない。足りなかったのは国家緊急権ではないんです。

(その2に続きます)

 

  

※コメントは承認制です。
小口幸人さんに聞いた(その1)
災害の現場で必要なのは
「国家緊急権」ではない
」 に4件のコメント

  1. magazine9 より:

    「緊急事態条項がないから、迅速な災害対応ができない」といわれると、「そうなのか」とあっさり思ってしまいそうですが、果たして本当にそうなのでしょうか。小口さんが指摘しているように、「では、緊急事態条項があれば、どんな事態が防げたのか」を、具体的に考えてみる必要があります。
    緊急時に必要と思われる措置は、法律上にすでに十分に整えられている。それを、あえて法律ではなく「憲法」で定めようとする意味やねらいはどこにあるのか。次回、さらにお話をお聞きします。
    ☆「緊急事態条項」の問題点について小口弁護士のレクチャーが聞ける「マガ9学校」が11月21日に開催されます。詳しくはこちら

  2. お園 より:

    アベ政治の姑息な手段を喝破して下さい!!。

  3. 佐藤一乗 より:

    緊急事態条項の必要性は全くない。災害と言う事を全く理解していない。政府が進めてきた自主防災組織を確りとしたものする事が必要!社会の脆弱性を強靭化する事と国家権力の強靭化は別ものと思います。

  4. […] 宮古で東日本大震災を経験した小口幸人弁護士のインタビューが、 マガ9に掲載されています。 […]

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