鈴木邦男の愛国問答

 何とも刺激的で挑発的なタイトルだ。〈丸腰国家に学ぶ 平和のつくりかた〉。「軍隊をすてた国・コスタリカ」の話だ。これはぜひ聞きに行かなくちゃ、と思った。「軍隊をすてた国」の話は昔から聞いていた。しかし、その実態がよく分からない。本当にそんなことが出来るのか。日本のように憲法では「軍隊をすてた」が、実際には自衛隊があるし、今の政府は改憲して強力な軍隊にしようとしている。だから、この「軍隊をすてた国」も何か「裏」か「仕掛け」があるのではないか、とも思っていた。そんな疑問を持つ我々に向けたように、案内状にはこう書かれている。

〈軍隊のない国なんて本当にあるの!? 日本はどうやって国を守るの!? 外国に攻められないの!? 日本はどうすればいいの!? こうした疑問に答える二日間です〉

 二日間にわたって「丸腰国家に学ぶ」講演会が行われたのだ。1月16日(土)は「パート1 in 市川」で「軍隊をすてた国・コスタリカはこうして平和をつくってきた」。翌、17日(日)は「パート2 in 浦安」。「安保法制へのオルタナティブ~こうすれば平和はつくれる!」。
 二日間、参加した人が多かったようだが、16日(土)は用事があったので、17日(日)の浦安にだけ参加した。場所は浦安市民プラザWave101中ホール。1カ月前の12月13日(日)、この同じ会場で、映画『天皇と軍隊』の上映会とトークイベントが行われ、僕がトークに出た。その時、この日の講演会のチラシをもらったのだ。

 コスタリカについて語る人は足立力也さん。「丸腰国家」コスタリカに興味を持ち、現地の大学院に留学して、体験的に学び、調べた。今は数少ない「コスタリカ研究家」だ。1973年福岡市生まれだから、今年43才だ。立命館大学院・国際関係学修士を修了し、コスタリカ国立ナシオナル大学に留学し、大学院・博士課程で学ぶ。現在は福岡住まい。北九州市立大学・非常勤講師(平和学・紛争解決学)。コスタリカ研究の第一人者として著書も多い。 
 主な著書には、「『平和ってなんだろう——「軍隊をすてた国」コスタリカから考える』」(岩波ジュニア新書)、『丸腰国家 軍隊を放棄したコスタリカ・60年の平和戦略』(扶桑社新書)、『緑の思想 経済成長なしで豊かな社会を手に入れる方法』(幻冬舎ルネッサンス)などがある。そして今は〈コスタリカ・ピースツアーの企画・実施のかたわら、平和、教育、人権、憲法などに関する執筆、講演、ワークショップなどで全国を飛び回っている〉。

 日本は敗戦後、軍隊をすてた。そのまま行ったら、コスタリカになっただろう。いや、「不安」があるからダメか。だって、左右を問わず「軍隊がないと不安だ」という思いがある。それは「国防=戸締まり」論に基因する。これは実に分かりやすいたとえ話で、昔から言われている。ドロボーがいるかどうか分からないが、皆「戸締まり」をする。これで個々人の家は大丈夫だ。又、戸締まりをすることによって「ドロボーに入ろうか」と思う人の気持ちを削ぐ。つまり、犯罪を思いとどまらせる。高校時代から、そう教えられた。学校や学校外の場で学ぶ考えだ。戸締まりと同じように軍隊は絶対に必要だと思った。国家の戸締まりだ。それがないと侵略される。でも、この「軍隊がないと国が守れない」という考えは、固定観念のように、ずっと頭の中に残っている。うん、そうだよな。この街にはドロボーなんかいないよな。と思いながらも、夜は戸締まりをしている。
 
 僕は東北の田舎の小学校、中学校を出た。住んでる町では、皆よく知っているし、昼は勿論、夜でもカギをかけない家が多かった。「軍備」をすてた家々だ。大学に入り、東京に住んで驚いたことがある。親類の家に遊びに行ったら、昼なのにカギがかかっている。留守だと思って帰ろうとしたら、中からカチャッとカギをあける音がして、玄関の戸が開いた。驚いた。「エッ? 東京の人は昼でもカギをかけるのか?」と思った。
 
 今でも、この「戸締まり論」は繰り返し言われる。それが確固とした事実であるように。昔は、政治討論番組で「非武装中立」を言う人もいた。理想や愛や希望を言う自由があった。今は、そんなことを言う「自由」はない。もし言ったら「馬鹿!」「それでも日本人か!」と怒号の嵐になるだろう。
 でも、現にコスタリカのように、軍隊のない国があるのだ。武力ではなく、外交力で平和を保っているという。1948年にコスタリカは軍隊廃止宣言をし、平和主義国家として有名だ。単に軍隊を持たないというだけでなく、非武装を利用し内政と外交のコンビネーションで積極的に平和をつくりだしている。と足立氏は言う。
 コスタリカと日本の違いは何か。コスタリカは過去の世界の戦争から大いに学んでいる。軍隊を持つよりも外交で平和を守っている。コスタリカは単独で守っているわけではない。米国を含む多くの国々との連帯がある。NATOやワルシャワ条約機構と違い、イデオロギーでまとまった連帯・同盟ではないという。
 
 武力、軍隊がないと平和は守れないと思う「先入観」「固定観念」がネックになっている。足立氏は我々の「先入観」を取ってくれる。前に「朝日新聞」で亀井静香さんが言っていた。「安全保障というのなら、近隣の諸国と仲よくすることだ」と。
 「危機を乗り越えるには、武装強化するしかないのか。いや、違う」と足立氏は言い、アッと驚くような提案をする。それは、東アジアの国々の連帯、協議機構だという。そして、「無理に仲よくすることはない。ただ、戦争になる前に平和的に解決する仕組みを作るべきだろう」。とても考えさせられた講演会だった。

 

  

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第191回「戸締まり」は本当に必要だろうか?」 に3件のコメント

  1. magazine9 より:

    戸締まりをいくらしたところで、本当の安心にはつながらず、結局は鍵の数が増えていくばかりのような気がします。理想や希望がなければ、どうやって進むべき方向を決めるのでしょうか、と思います。「左右を問わず『軍隊がないと不安だ』という思いがある」。私たちは、ここから今一度考えなければならないのかもしれないと思いました。

  2. なると より:

    私は家に鍵をかけずに出かけることがあります。でもそれが許されるのは、私の家にあるのが私のものだけだからです。これは自己責任の話です。
     
    私が思うに、国防は戸締まりの問題よりも、銀行が預かった金をどこにしまうかの問題に似ています。国家に「ドロボー」が入るときに犠牲になるのは国家そのものでなく国民の生命や財産であり (銀行が預金を守らねばならないように) 国家は預けられた生命や財産を守らねばなりません。
     
    つまり「戸締まりをしない」という選択は初めから許されないのではないかということです。

    もちろんドロボーがいないなら戸締まりは不要です。でもそれは、腹が減らなければ農業はいらないといってるのと同じ。理想を掲げるのは大いに結構ですが、先に農家を潰そうというのは問題外です。

  3. 多賀恭一 より:

    コスタリカには、確かに軍隊は無い。
    しかし警察はある。
    つまり、戸締りは必要だ。
    ちなみに、軍隊と警察の違いを書いておく。
    警察は、生かして捕まえ、裁判を受けさせる。
    軍隊は、裁判にかけることなく殺す。
    軍隊は必ずしも必要とはならないが、警察は必要だ。

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鈴木邦男

すずき くにお:1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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