鈴木邦男の愛国問答

 4月14日(金)から16日(日)まで、熊野に行ってきた。イルカ・ジャーナリストの坂野正人さんに誘われたのだ。熊野本宮大社の宮司さんと知り合いで、15日(土)の大祭にも参列するという。熊野古道も歩けるし、那智の滝もある。イルカ漁に反対する映画『ザ・コープ』で有名になった太地町もある。そのあたりを車でまわるという。これは凄い。「ぜひ連れて行ってください」と即答した。

 熊野は日本の原郷だ。行ってみたいと思っていたが、機会がなかった。内田樹さんと釈 徹宗さんの対談本『聖地巡礼』の第2巻は熊野学で、これを読んでぜひ行きたいと思い、自分のブログに書いた。坂野さんはこれを読んで「じゃあ」と誘ってくれたのだ。熊野の3日間は、まるで夢のようだった。予定された所はすべて見た。さらに、登るのが日本一厳しい神倉神社にも行った。「鈴木姓」のルーツといわれる藤白神社にも行った。作家の中上健次さんのお墓参りもした。よくこれだけまわれたものだ。6人ほどの旅だったが、皆、感動していた。
 
 そして東京に帰ってきて、4月18日(火)の朝刊を見て驚いた。「渡部昇一氏 死去」と出ていた。エッ、この前会ったばかりなのに、と思った。渡部さんは昔から好きだったし、本はかなり読んでいる。でも、渡部さんについて書いたり、喋ったりすることはあまりない。だって、最近は左翼的な人ばかりと付き合っているから、「渡部昇一? 右翼だろう?」「もう学者じゃないよ。右翼のアジテーターだよ」「自民党の犬だよ」なんて言う。左翼やリベラルの人には圧倒的に評判が悪い。でも、僕は好きだし、尊敬している。政治思想以前の「生き方」「勉強の仕方」が好きなのだ。随分と影響を受けている。特に、昭和51年(1976年)に出した『知的生活の方法』だ。もう何回読んだか分からない。僕も、読書論の本を5冊くらい出しているが、皆、この本に影響を受けて書いてきたのだ。

 『知的生活の方法』は、読書を中心とした知的生活のための具体的方法論を書いて、100万部を超えるベストセラーになった。渡部さんの講演会に行ったし、いろいろな集会でも会った。ある時、勇気をふるって、挨拶をした。僕のことなど知らないだろうと思いながら、名刺を出すと「あ、知ってますよ。‟本を読む右翼“の人ですよね」と言う。「本を読む右翼」か。それ以来、何回かお会いしたが、いつも「あ、本を読む右翼の人ですね」と言う。いつも読書の話をした。一度時間をとって話を聞いて本にしたいと思っていた。でも相手は「知の巨人」だ。「読書の神様」みたいな人だ。とても話にならないだろうと臆していた。
 
 ものを書いている人は、ほとんどの人が渡部さんの本を読み、影響を受けていると思う。これは断言できる。でも、そのことをあまり言わない。「右翼・反動と思われたくない」「俺はあんな反動じゃない」と思っているからか。僕の知っている限りでは、田母神俊雄さんくらいかな、「渡部昇一に影響を受けた」と公言している人は。田母神さんは福島県郡山市の出身だ。神童と言われるほどの秀才で、防衛大学校に入った。当時は、東大より「むずかしい」と言われた位だ。全寮制だが、全て無料だ。入学金も授業料もタダ。さらに〈月給〉までもらえる。それで家に仕送りしていた人もいた。

 田母神さんが防衛大学校に入ったのは、昭和45年(1970年)。その年の11月に三島事件が起きる。「じゃ、三島事件に影響を受けて、右寄りになったんですか」と田母神さんに聞いたら、「いえ、全く影響を受けていません」と言う。それには驚いた。でも、自衛隊にしろ、防衛大学校にしろ、「平和憲法下の自衛隊」であって、「旧憲法下の軍隊」ではないと、徹底的に教育されていた。又、外部からの影響、働きかけを警戒していた。だから三島事件の影響はなかったのだろう。「じゃ、いつから今のような考えになったんですか?」と聞いたら、防衛大学校の4年生のときに、渡部昇一さんの講演を聞いてからだと言う。それ以来、渡部さんの本を読みまくり、日本の歴史を勉強し、この日本を守る自衛隊ということを考え直すようになったと言う。

 産経新聞(4月18日付)によると、渡部さんは昭和60年(1985年)、第一回正論大賞を受賞している。〈東京裁判の影響を色濃く受けた近現代史観の見直しを重視するなど、保守論壇の重鎮だった〉という。この正論大賞を受賞した理由として、産経はこう書いている。

 〈(昭和)57年の高校日本史教科書の検定で、当時の文部省が「侵略」を「進出」に書き換えさせたとする新聞・テレビ各社の報道を誤報だといちはやく指摘し、ロッキード事件裁判では田中角栄元首相を擁護するなど論壇で華々しく活躍。一連の言論活動で「正確な事実関係を発掘してわが国マスコミの持つ付和雷同性に挑戦し、報道機関を含む言論活動に一大変化をもたらす契機となった」として60年、第1回正論大賞を受賞。〉

 政治的な考えでは、まだまだついて行けない点はあったが、そのことを含め、じっくりと話を聞いてみたかったのに、残念だ。86歳だった。本を読み、勉強している人は、僕は右でも左でも好きだし、尊敬している。本を読まず、勉強しないで、「そんなことは無駄だ! それよりも行動だ!」と叫んでいる活動家を多く見てきたから、そう思うのかもしれないが。

 

  

※コメントは承認制です。
第221回熊野の旅と、渡部昇一さんのこと」 に3件のコメント

  1. magazine9 より:

    「右でも左でも、勉強をしている人は尊敬している」。鈴木さんの広い交流は、こうした相手への尊敬によって広がってきたのでしょう。自分の行動をきちんと支える勉強の大切さを、私もしっかり心に留めたいと思います。

  2. basi より:

    渡部昇一さんは「人生の出発点は低いほどいい」(2007/7/24)で次のように書いていています。天皇制国家の本質を見ず、侵略戦争を肯定し、それに反対して監獄に入れられた人間は幸せだった、と言わんばかりです。

    ●治安維持法も特高も当時としては必要だった。運用法が真違っていた。
    ●網走にいた政治犯には、あまり同情できない。あの人たちは国家を転覆しようとしたのに死刑にもならず、終戦で出てきたときは太っていた。スターリンなら反体制者を必ず殺した。一方では、お国のためにとニューギニア初め各地で白骨を晒しているのに、です。だから、ある意味、政治犯は一番安全な場所にいたことになる。だから私は、「戦時中に政治犯として投獄されたからといって威張るほどのことではない」と明言してはばからない

  3. 石川尚志 より:

    『知的生活の方法』にはだいぶ影響を受けました。
    渡部さんの政治思想には共感できなかったが、勉強の方法、
    暮らし方には学びました。2007年に出た『95歳へ』も買って老後の生活のヒントにしています。彼が95歳まで生きられなかったのは残念だが、あの本が間違っていると思わない、今後も実践するぞ。

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鈴木邦男

すずき くにお:1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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