三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記

沖縄・普天間基地へのオスプレイ配備をめぐる抵抗運動の様子や、新たな米軍基地建設計画が進む沖縄本島北部・東村高江の住民たちの闘いを描いたドキュメンタリー映画『標的の村』を撮影した三上智恵さん。辺野古や高江の 現状を引き続き記録するべく、今も現場でカメラを回し続けています。
その三上さんが、本土メディアが伝えない「今、何が沖縄で起こっているのか」をレポー トしてくれる連載コラムがスタートです。毎週連載でお届けします。

第2回

「命に代えても」
反戦おばあ・島袋文子さんたちの思い

 「あたしはね、命からがら、壕から這い出したんだよ」
 そう言って文子さんはシャツの左袖を大きくめくって見せた。
 火炎放射器に焼かれた左肩。放射状に引き攣ったその肌からは、69年前の地獄絵が立ち上って来るようだった。

 普天間基地を返すという話が、辺野古への基地建設にすり替わって17年。当初ほとんどの区民が反対した。中でも戦争を体験したお年寄りの反発は強かった。
 「この豊かな海を埋めるなら水に入ってでも止める」
 「怖くないですよ。その覚悟です」
 おばあたちは口々にそういった。
 お年寄りを人柱にする前にできることをしようと、県内各地から、本土から、たくさんの人々が駆けつけ、辺野古の反対運動を作っていった。
 しかしあくまで反対運動の最初の核は辺野古と周辺の住民であり、中でも揺るがなかったのはお年寄りだった。

 いま、当初の経緯を知らない人が、反対運動はよそ者がやってるだけ、という。地元の人はテントにいない。区としては賛成ではないか、という。
 そんなに簡単なことではない。17年見て来てわかることは、辺野古は地域の結束をとても大事にする、団結した魅力溢れる土地であること。基地と折り合って生きてきた、重い歴史を背負っていること。何よりも基地の話で分断されるのを一番嫌がっていること。
 集落が揺れに揺れて、区民が沈黙していくなかで、おばあたちも、反対ではあっても、人前で表明することはやめて欲しいと家族に泣きつかれれば逡巡する。特に、選挙の度に親戚縁者が引き裂かれるのが堪える、という。

 その苦しみを越えて初心を貫き、反対できる人は稀である。
 反骨精神旺盛だった当初のお年寄りたちは、ほとんど鬼籍に入られたか様々な事情で離脱して、いま、顔や名前を晒して反対できる方はわずかである。
 かと言って、顔を出して座り込まないから賛成ということでは絶対にないのだ。

 前回、映像で紹介した、キャンプシュワブの前でミキサー車の前に立ちはだかる島袋文子さんは、その稀の中の稀な人である。
 激戦地、糸満で戦火をくぐり抜けたその体験から、筋金入りで反対を貫いてきた反戦おばあの代表格だ。

 2010年、県外移設を掲げて県民に希望を与えた鳩山総理大臣が一転して辺野古に回帰した時、名護に来た総理の車列に突っ込んで行こうと文子さんは車椅子を立った。
 私は後ろから追うが、機動隊の列を潜り抜けようとして阻まれた。よろよろと戻った文子さんは車椅子の上で泣いた。
 「この命はね、もう一度は死んだ命だったんだよ。私が鳩山の車に轢かれて基地が止まるなら、それでいい。そう思ったの」

 命に代えても。
 そういうおばあは文子さんだけではない。

 辺野古の北側、瀬嵩の東恩納文子さん(故人)は沖縄サミットの時、「爆弾を腰に巻いてクリントン大統領に抱きついたら、基地は止まるかね?」と私に真顔できいた。

 「基地に反対して苦労してる息子たちが哀れでしょうがない。それで終わるなら命は惜しくない」

 嘉陽集落に住む、カチャーシーが得意な比嘉小夜子さん。
 17年反対して来たのに今年、いよいよ埋め立てに入ると心を痛めている。 「海に入って生き埋めになります。本気だということですよ」と唇を震わせた。

 こういう、戦争を体験した方々の切実な思いが私の中に降り積もっている。だからこそ声なき声まで伝えたい。

 なぜ、いつまでたっても沖縄のお年寄りは、安心して後生(ぐそう・あの世)に行くことも出来ないのか。どうやったらこの苦しみは終わるのか。

 賛成、反対ではない。
 もう断ち切りたいのだ。おばあたちの命をもってではなく、私たちの手で。

名護市辺野古で基地建設反対を貫いている島袋文子さん(84)。
毎日キャンプシュワブのゲート前で座り込み、時にはトラックの前に立つ

三上智恵監督新作製作のための
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沖縄の基地問題を描く、三上智恵監督新作の製作を来年の2015 年完成を目標に開始します。製作費確保のため、皆様のお力を貸してください。

◎製作協力金10,000円以上、ご協力いただいた方(もしくは団体)は、映画HPにお名前を掲載させていただきます。
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名義:三上智恵監督・沖縄記録映画を応援する会

 

  

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第2回 「命に代えても」
反戦おばあ・島袋文子さんたちの思い
」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    賛成、反対をめぐって、古くからその地に暮らしてきた人たちのコミュニティが二分されてしまう。そして、その中でも苦しみを抱えながら反対の声をあげ続ける人たちがいる。その構図は、ちょうど原発立地の多くで人々を引き裂いてきたものとも二重写しになります。
    「(基地がなくなるなら)命なんて惜しくない」――沖縄戦の苦しみを体験してきた世代に、そんな言葉をこれ以上、言わせておいていいのか。三上さんが言うように、この苦しみを断ち切れるのは「私たち」でしかないはずです。

  2. 河合龍美 より:

    全くmagagine9さんのおっしゃるとおりだと思います!!!

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三上智恵

三上智恵(みかみ・ちえ): ジャーナリスト、映画監督/東京生まれ。大学卒業後の1987年、毎日放送にアナウンサーとして入社。95年、琉球朝日放送(QAB)の開局と共に沖縄に移り住む。夕方のローカルワイドニュース「ステーションQ」のメインキャスターを務めながら、「海にすわる〜沖縄・辺野古 反基地600日の闘い」「1945〜島は戦場だった オキナワ365日」「英霊か犬死か〜沖縄から問う靖国裁判」など多数の番組を制作。2010年には、女性放送者懇談会 放送ウーマン賞を受賞。初監督映画『標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』は、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、キネマ旬報文化映画部門1位、山形国際ドキュメンタリー映画祭監督協会賞・市民賞ダブル受賞など17の賞を獲得。現在も全国での自主上映会が続く。15年には辺野古新基地建設に反対する人々の闘いを追った映画『戦場ぬ止み』を公開。ジャーナリスト、映画監督として活動するほか、沖縄国際大学で非常勤講師として沖縄民俗学を講じる。『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』(大月書店)を上梓。
(プロフィール写真/吉崎貴幸)

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