三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記

沖縄・普天間基地へのオスプレイ配備をめぐる抵抗運動の様子や、新たな米軍基地建設計画が進む沖縄本島北部・東村高江の住民たちの闘いを描いたドキュメンタリー映画『標的の村』を撮影した三上智恵さん。辺野古や高江の 現状を引き続き記録するべく、今も現場でカメラを回し続けています。その三上さんが、本土メディアが伝えない「今、何が沖縄で起こっているのか」をレポートしてくれる連載コラムです。毎週連載でお届けします。

第11回

10・9県庁包囲集会~増幅する悪意の言葉と沖縄~

 8月はキャンプシュワブゲート前での抗議行動、9月は辺野古の砂浜で開かれた新基地建設に反対する県民集会。3回目はなんと那覇のど真ん中、県庁を昼休みに県民の怒りで包囲しようというチャレンジになった。しかし、オフィス街で平日の昼間に県庁前に来られる人はどのくらい居るのか。また、県庁を包囲するという行動には海の埋立てを承認した現知事への批判という色合いもあるため、他者をあからさまに否定する行為を好まない県民性から考えるとやや難しいのではないか。そんな心配をしながら久茂地交差点に向かった。

 12時から1時のランチタイムを使った1時間だけの集会である。私達は10時半には現場に到着、俯瞰で撮影できる場所を探していた時、あまり聞き慣れないトーンのスピーチが始まった。拡声器を使って3人の男女が交互に叫ぶそれは、基地に反対する沖縄の高齢者を揶揄する内容で、聞いていてとてもつらいものだった。去年から普天間基地のゲート前では「基地反対」に「反対」するグループが登場していたが、ついに県庁前でも公然と誹謗中傷を大音量で聞かされる世の中になったのか。これを、これから県民広場に集まってくる、沖縄で頑張ってきた大先輩達に聞かせたくないと、暗い気持ちで正午を迎えた。

 映像にあるように、「県民は屈しない」「辺野古新基地建設NO!」などと書かれたカードを手に集まった人の数は3800人(主催者発表)。報道カメラも20近くあり、三たび示されたこの県民の不屈のエネルギーと熱気は本土にも伝わるのだろうと頼もしく思った。
 三回の包囲。辺野古現地からのアピール。そして今回はついに高江からの発言もプログラムに入った。第8回のこのコラムでも伝えたように「高江ヘリパッド建設問題」がオール沖縄の中で難しい位置に押し込まれてしまわないか、危惧していた多くの人々にとって「辺野古と高江」がこの場で共有されたこと、それは感動的な瞬間でもあった。
 ところが結果的には、県外でこの県民集会を報道した主要メディアはほとんどなかった。そして映像にあるように、高江の住民が一日千秋の思いで迎えたアピールのチャンスに、その声をかき消す勢いで響いていた大音量のヘイトスピーチ。これについてもメディアは伝えなかった。

 私はアメリカ軍基地が必要だとする立場も、武装によって国を守る考えもあって当然だと考えるし、理解できないわけでもない。街角で議論するのも大いに結構だと思う。ただウジ虫とか生きた化石とか品性のない言葉で人の尊厳を傷つける必要はないはずだし、お互いの思想や信条を理解し合うための討論が台無しになるのはもったいないと思う。

 しかし、ここで私はヘイトスピーチの是非を論じたいのではない。なぜメディアはこの場面を伝えることを避けたがるのかを考えてしまうのだ。

 去年1月、翁長武志那覇市長を中心に沖縄41市町村の代表が「オスプイレイ配備撤回」を求める建白書を携えて上京したときのこと。建白書を政府に渡すと共に、銀座で短いデモ行進をする沿道で、耳を疑うような言葉が投げつけられた。「売国奴」「死ね」「非国民は出て行け」…。あまりの言葉に、沖縄のリーダー達も明らかに血相を変えていた。私はたまたま靖国裁判(※)の取材で、同じような言葉を台湾や韓国の原告団が浴びせられる様子を何度か見ていた。しかし、そのときは沖縄の原告団がマイクを握ると、沿道の罵声は止まった。つまり、ほんの数年前までは「死ね」とか「出て行け」という言葉を沖縄に対して発するのは躊躇されていたものが、明らかにこの時、状況は一線を越えたと感じた。
 建白書のデモ行進の映像は各社がニュースで流したが、他局が沿道の罵声をカットする中、私も一員であったQAB(琉球朝日放送)報道部は話し合ってその音声も入れた。すると、めったに放送局に電話などかけない沖縄県民からたくさん電話があり、ネットに掲載したページにはアクセスが集中した。「この言葉は、本当に沖縄県民に向けられたものですか?」「信じられない」といった反応だった。

※靖国裁判…戦争で亡くなった肉親が靖国神社に無断で祀られたことを精神的苦痛だとして、遺族らが神社と国を相手に合祀の取り消しを求めた訴訟のこと。

 極端な右翼・左翼や突出した宗教・思想団体などの活動やアピールは、特定の団体の宣伝になるような形では取り上げない。メディアはそれぞれのケースで、それを見極めようとしていると思う。ところがそれを気にしすぎて「デモ」や「座りこみ」をニュースから外すようになり、大衆運動でも政党や教職員組合の旗が映らないように撮影する。映れば使わないと言うような自己規制が時間をかけて進んでいった。そうなってくると、沖縄の基地抵抗運動が本土メディアから姿を消すのも当然だ。県内では当たり前のニュース映像が中央から敬遠されるという現象が、実際に沖縄問題の全国的な理解を妨げて来たと私は思っている。
 そして、一部の人間が公然と人を中傷するような行為については、それを「ニュースにしない」ことも一見良識的であり、悪質な行為を助長しないためという理由も付けられるだろう。しかし、東京や大阪で年々深刻化している人種差別やヘイトスピーチが、日本人の人権意識を根こそぎ変えるほどに影響力を発揮し、国民を蝕んでいくとしたら、それは大ニュースではないか。その動きが基地の押しつけや沖縄差別の歴史を飲み込みながら海を渡って沖縄に上陸したとすれば、とてもではないが伏せていていい問題ではない。

 「人権」という普遍的で崇高な概念、それは人類が不幸な歴史を積み重ねた上に獲得してきたものだ。それは、国際水準に押し上げ共有していくことで世界各地の人権侵害を解消させる特効薬にもなる、そんな幹の太い理念であるべきだ。そんな人類の希望の幹を根本から腐らせてしまうような動きについて、なぜ報道を控えるのか。パンデミックは水際で止めようと必死になって報道する一方で、悪意が人間の集団を変質させていく状況に鈍感なのはなぜなのか。その「伝えない消極性」が怖いのだ。

 とはいえ、私はヘイトスピーチは沖縄に関しては定着しにくいだろうと言う楽観論も持っている。冒頭にも書いたとおり、沖縄では誰かをあからさまに否定することは極力しない。人を追い込んだら逃げ場がない島で、非難される人よりも人を責める人の方が社会から嫌われる、そういう力学がある。加えて、まだまだ「言霊」に対する信仰が広く残っている。  
 失礼して少々民俗学者のふりをさせてもらえば、沖縄で「言葉」は「クチ」とか「フツ」とよばれ、悪意を持った「ヤナフツ」は邪悪な力を持って相手に取り憑くと信じられている。軽口で「死ねばいいのに」と言ったつもりでも、強い言葉は相手の生命力まで奪い、その呪力は強く、一周して自分に返ってくるとも言われている。だから沖縄のおばあたちは「言葉には気をつけなさい」とよく諫めるし、言葉が強い人を敬遠する。本当の意味で悪い言葉が命取りになることを知っているのだと思う。

 県庁前では、あそこまで聞き苦しい言葉が2時間も続いたことに対して、集まった人達が何も言わなかったのが印象的だった。投げつけられた罵詈雑言を耳に入れることも、ましてやもっと強い言葉で応じていくことなどもってのほかというくらいにそれは怖い、あり得ないことだっただろうし、身をすくめて防御するのが知恵だったのかも知れない。
 沖縄だけではない。日本にも言霊信仰はあった。人前で悪口を言う人は嫌われる、という当たり前の道徳もあったはずだ。古人(いにしえびと)の知恵や道徳が集団の悪意を抑えるものとして機能しなくなったのが今の日本社会だとしたら、集団心理の暴走をどうやって止めるのか。少なくとも現状と危機を堂々と、広く伝えて、それを許さない社会を取り戻していく以外にないのではないだろうか。

三上智恵監督新作製作のための
製作協力金カンパのお願い

沖縄の基地問題を描く、三上智恵監督新作の製作を来年の2015 年完成を目標に開始します。製作費確保のため、皆様のお力を貸してください。

◎製作協力金10,000円以上、ご協力いただいた方(もしくは団体)は、映画HPにお名前を掲載させていただきます。
◎製作協力金30,000円以上、ご協力いただいた方(もしくは団体)は、映画エンドロール及び、映画HPにお名前を掲載させていただきます。
※掲載を希望されない方はお申し込みの際にお知らせ下さい。

■振込先
郵便振替口座 00190-8-513577
名義:三上智恵監督・沖縄記録映画を応援する会

 

  

※コメントは承認制です。
第11回 10・9県庁包囲集会~増幅する悪意の言葉と沖縄~」 に3件のコメント

  1. magazine9 より:

    ただ「穏やかな生活を守りたい」と「基地建設反対」の声をあげる人たちに投げつけられる暴言。各地で頻発するヘイトデモ、ヘイトスピーチにしても、それを実際に耳にすれば「許せない」と感じる人が大多数ではないかと思います。しかし、それが十分に伝えられ、共有されているとは言えないのが現状。今回の動画を見て、皆さんは何を感じましたか?

  2. 島 憲治 より:

    憎しみ、憎悪に満ち満ちた行動が広がりを見せている。ヘイトスピーチは公然性を備え始めたのか、背景に権力者の陰がちらつくから心配だ。そして、見えてくるのは愛に飢えた人間像だ。彼らに強さ、優しさ、及び複眼的視点を求めるのは難しい。そして、それは「偏見」を生む土壌でもあるのだ。                         今、老若問わず「愛」に飢えている人達が激増している気がするのだ。日々寂しさと孤独の不安に脅かされている人達だ。いじめ、無差別殺人、高齢者の万引き等はその典型例だ。そして、「偏見」は大きなことの始まりである。これは歴史の教訓である。                                                  彼らには民主主義の破壊に加担しているなどという意識は毛頭ない。じわじわと全体主義の前兆を感じる。   そこで、 多様性認める精神を醸成、「学力」より「思考力」を高める教育を急がねばならない。座視して待つでは何も変わらない。今生きる者として、後世の人たちの為に一人一人が声を挙げることから始めようではないか。

  3. 臼井盾 より:

    ヘイトスピーチの定義に合っているのか分かりませんが私も銀座デモでの罵声を聞きました。当時、毎日新聞の投書欄にその事を書いた投書が掲載されていたと記憶しています。
    また最近、毎月恒例の沖縄の米軍基地建設に反対する防衛省前の抗議申し入れ行動にもこの動画と同じような事をする人たちが来ていますが、基地反対側は同じく何も言わずに耐えているようです。
    十分に伝えられ共有されれば「許せない」と感じる人もいるでしょうが私はちょっと不安です。
    この動画にあるように聞こえても素通りする人は多いと思います。むしろあのスピーチに賛同する人、政治家もいると思いますしスピーチだけでは済まくなってきている場合もあります。黙っているとエスカートする、かといって言い返すのも気が引ける、という厳しい状況は続くかもしれません。
    しかし解決するにはやはり現状と危機を伝え、心ある人たちと力を合わせていくしかないでしょうね。

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三上智恵

三上智恵(みかみ・ちえ): ジャーナリスト、映画監督/東京生まれ。大学卒業後の1987年、毎日放送にアナウンサーとして入社。95年、琉球朝日放送(QAB)の開局と共に沖縄に移り住む。夕方のローカルワイドニュース「ステーションQ」のメインキャスターを務めながら、「海にすわる〜沖縄・辺野古 反基地600日の闘い」「1945〜島は戦場だった オキナワ365日」「英霊か犬死か〜沖縄から問う靖国裁判」など多数の番組を制作。2010年には、女性放送者懇談会 放送ウーマン賞を受賞。初監督映画『標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』は、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、キネマ旬報文化映画部門1位、山形国際ドキュメンタリー映画祭監督協会賞・市民賞ダブル受賞など17の賞を獲得。現在も全国での自主上映会が続く。15年には辺野古新基地建設に反対する人々の闘いを追った映画『戦場ぬ止み』を公開。ジャーナリスト、映画監督として活動するほか、沖縄国際大学で非常勤講師として沖縄民俗学を講じる。『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』(大月書店)を上梓。
(プロフィール写真/吉崎貴幸)

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