三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記

沖縄・普天間基地へのオスプレイ配備をめぐる抵抗運動の様子や、新たな米軍基地建設計画が進む沖縄本島北部・東村高江の住民たちの闘いを描いたドキュメンタリー映画『標的の村』を撮影した三上智恵さん。辺野古や高江の 現状を引き続き記録するべく、今も現場でカメラを回し続けています。その三上さんが、本土メディアが伝えない「今、何が沖縄で起こっているのか」をレポートしてくれる連載コラムです。毎週連載でお届けします。

第23回

「辺野古・高江反対」が国会を包囲した日~映画『戦場ぬ止み』公開翌日の首都の光景~

 基地はー いらない!
 高江に  いらない!
 辺野古に いらない!

 「高江」「辺野古」というワードが国会周辺にこだまする。それも、青いシャツ、青いカードを持った1万5千人が集団で、沖縄の基地問題について抗議しながら政府の本丸を包囲していく。目の前で展開されていることが現実なのか、この20年、伝わらない基地問題を沖縄でどう発信するかに集中して報道の仕事をしてきた身には、にわかには信じられない光景だった。
 特に、2006年に初めて高江のヘリパッドをニュースにした時点では、那覇の人でも高江区なんて聞き慣れない地名でしかなかったのに、ここにいる大多数の本土の人々が、高江で何が起きているかを知っている。隔世の感がある。感無量だ。

 国会包囲の前日、先週5月23日(土)は、辺野古のドキュメンタリー映画『戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)』先行上映の初日だった。本来案内していた7月公開を2カ月も前倒ししての公開だけに、プロデューサー、配給宣伝の東風さんも社員総出で、映画館「ポレポレ東中野」で対応。どれだけ埋まるかドキドキだった。
 しかし、ふたを開けてみれば、立ち見を目いっぱい入れてもオーバーしてしまい、急きょ21時からのレイトショーを行うほどの大盛況だった。会場を埋めた人たちの熱気はすごかった。笑い、鼻をすすり、時には一緒に手をたたき、最後は長い拍手に迎えられた。 
※無事にここまでこぎつけられたことを劇場、配給、製作スタッフそして現場の皆さんに心から感謝します。今回の動画の冒頭には、満員だった初日の模様を少し入れました。

 そのあとの動画での国会包囲の様子は、1月25日の国会包囲のときにも歌われた「辺野古の抵抗の歌」を中心に編集してみた。辺野古のゲート前では、去年7月からいくつかの歌が定番となって日々歌われているが、それが冬の国会前から響いてきた1月の映像は新鮮だった。辺野古で座り込んだことのある関東在住の人々がかなりの数に膨れ上がっているのだろう。「まるで辺野古のように」歌っているのだが、ところどころ心もとない。そこで、今回はゲート前の歌番長・ヤスさんがこのために上京した。
 ヤスさんはもちろん歌だけではない。先月から闘病のため現場を離れているゲート前のリーダー・山城博治さんの右腕のような存在で武闘派でもある。が、なんせ歌がうまい。本場の歌と、そして毎日繰り返される海保の暴力に対する煮えくり返るような思い、その二つを抱えて、国会前に迎えられた。

 先週の動画にも、トラックを一人で止めているヤスさんの姿がある。カヌー隊、特に仲間の女性や若者が、船を転覆させられた上に暴力を振るわれている動画などを見て、ヤスさんはますます、ゲート前で止められるものは全部止めるとばかりに、早朝から連日身体を張ってきた。
 彼には忘れられない悔しさがある。去年7月の深夜、抜き打ちで資材搬入されたとき、ゲートには3、4人しかいなくて、搬入をまったく止められなかったのだ。そのうちの1人がヤスさんだった。それだけに1万人を超える人々が首都に結集したこの光景に、誰よりも勇気づけられたに違いない。

 そして国会包囲のあと、「高江、辺野古を守ろう」とシュプレヒコールをしながら、国土交通省の建物を目指す。その道すがら、穏やかな抗議団だったのに、警察の過剰な抑制で逆に混乱を招いていた。しかしヤスさんや辺野古で数週間も過ごした人たちが、沖縄風の手慣れたやり方で機動隊と意思疎通を図っていたのは面白かった。70年闘ってきた沖縄の大衆運動のにおいを、まさか国会前で感じる日が来るとは思わなかった。
 いよいよ国民の間に広がってきた沖縄政策への批判の声に安倍政権はどう対応するのだろうか。沖縄の声は封じ込めたって大したことはない、とタカをくくっている政府だが、本土の有権者の声を無視しては票が集まらない。この日は国会前の1万5千人だけではない。愛知、静岡、滋賀、京都、大阪、山口でも同時に抗議行動が行われた。宮崎駿さんも代表に名を連ねる辺野古基金は2億円を突破し、その7割は本土からの寄付である。

 安全保障関連法案の審議に入り成立も迫る中で、この加速度的に軍事国家への道をひた走る現政権を止めるには、まず基地を作らせない沖縄の闘いに連帯するしかないと気付いた国民がどんどん増えているのだ。だからこそ私はこの時期を逃さずに、もっともっと多くの国民に『戦場ぬ止み』を見てほしい。沖縄がなぜこんなに闘うのか。その悔しさの歴史や平和と民主主義への渇望。それももちろんだが、辺野古に作る基地は日本国の運命を大きく変える岐路になるという認識が最も重要だ。
 強襲揚陸艦を擁する軍港と、弾薬庫と、2本の滑走路を持つ巨大な基地は、初めて全部日本の税金で作るもので、自衛隊も使う。いわゆる日米両軍が出撃に使う基地になってしまうのだから、外国に恨まれ、この国土が攻撃対象にされる日を大幅に引き寄せてくるだろう。

 辺野古に基地があったほうが安心、という人がいるが、今審議中の安保法制のもとで何かあった場合は「基地のある沖縄だけ攻撃される」なんて従来の認識は通用しなくなるだろう。沖縄のリーダーたちも、おばあも、日本全体を戦争から守る闘いだと認識して踏ん張っているのだ。『戦場ぬ止み』は沖縄を“いくさ場”から解放するという意味だけではなく、またも頭をもたげてきている日本の戦争という怪物の、息の根を止める、とどめを指すという意味だ。
 2015年はそのターニングポイントになる年だ。公開を早めた意味は、『戦場ぬ止み』を観ていただければ十分わかっていただけるはずである。

 

  

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第23回 「辺野古・高江反対」が国会を包囲した日~映画『戦場ぬ止み』公開翌日の首都の光景~」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    「いますぐ伝えなくては」という強い思いから、東京で緊急先行上映中の最新作『戦場ぬ止み』。初日の土日は入場しきれないほどの観客数だったと聞き、とても心強い気持ちになりました。原発事故や避難者が被災地だけの問題ではないように、辺野古新基地建設も、辺野古だけ、沖縄だけの問題ではありません。すべてつながっているのだと思います。声をあげて変えていかなければ、やがて子どもたち世代にまで影響が及びます。
    『戦場ぬ止み』について、三上智恵監督と鈴木耕さんの対談もアップしています。ぜひこちらの記事もあわせてご覧ください。

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三上智恵

三上智恵(みかみ・ちえ): ジャーナリスト、映画監督/東京生まれ。大学卒業後の1987年、毎日放送にアナウンサーとして入社。95年、琉球朝日放送(QAB)の開局と共に沖縄に移り住む。夕方のローカルワイドニュース「ステーションQ」のメインキャスターを務めながら、「海にすわる〜沖縄・辺野古 反基地600日の闘い」「1945〜島は戦場だった オキナワ365日」「英霊か犬死か〜沖縄から問う靖国裁判」など多数の番組を制作。2010年には、女性放送者懇談会 放送ウーマン賞を受賞。初監督映画『標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』は、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、キネマ旬報文化映画部門1位、山形国際ドキュメンタリー映画祭監督協会賞・市民賞ダブル受賞など17の賞を獲得。現在も全国での自主上映会が続く。15年には辺野古新基地建設に反対する人々の闘いを追った映画『戦場ぬ止み』を公開。ジャーナリスト、映画監督として活動するほか、沖縄国際大学で非常勤講師として沖縄民俗学を講じる。『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』(大月書店)を上梓。
(プロフィール写真/吉崎貴幸)

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