三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記

ヘリパッド建設やオスプレイ強行配備に反対する沖縄本島北部・東村高江の住民たちの闘いを描いた『標的の村』、そして美しい海を埋め立てて巨大な軍港を備えた新基地が造られようとしている辺野古での人々の戦いを描いた『戦場ぬ止み』など、ドキュメンタリー映画を通じて、沖縄の現状を伝えてきた映画監督三上智恵さん。今も現場でカメラを回し続けている三上さんが、本土メディアが伝えない「今、何が沖縄で起こっているのか」をレポートしてくれる連載コラムです。不定期連載でお届けします。

第52回

「風かたか(風よけ)」になれなかった悲しみ
~6・19沖縄県民大会~

 米軍属暴行殺人事件を受けた「6・19沖縄県民大会」のオープニングが、古謝美佐子さんの『童神(わらびがみ)』と聞いて、これはたまらないと思った。心で聴いてしまったら崩れ落ちるから、撮影なのだと心に鍵をかけて仕事に徹した。

 それをやり過ごしたのに、RINA さんの生まれ育った名護市の稲嶺市長が「『風かたか』になれなかった」とスピーチしたとき、やっぱり号泣してしまった。「風かたか」とは風よけのこと。沖縄以外の方にはそれだけではわからないと思うので、古謝さんのお書きになった歌詞とその意味を全掲する。訳はあまりしっくりくるものが探せなかったので、僭越ながら私流でさせていただいた。

『童神』  作詞 古謝美佐子


天からぬ恵み  受きてぃくぬ世界に 生まりたる産子  我身ぬ守い育てぃ
(天からの恵みを受けて この世界に生まれてきたわが子よ この身で あなたを守り育ましょう)

イラヨーヘイ イラヨーホイ イラヨー愛し思産子 泣くなよーや ヘイヨーヘイヨー
(私が生んだ愛しい子よ)

太陽ぬ光 受きてぃ ユーイリヨーヤ ヘイヨーヘイヨー まささあてたぼり
(太陽の光をいっぱい浴びて 秀でた子になりますよう)


夏ぬ節来りば 涼風ゆ送てぃ 冬の節来りば 懐に抱ちょてぃ
(夏がくれば 涼しい風を送りましょう  冬が来れば 懐に抱きましょう)

月の光受けて 大人なてたぼり
(月の光を受けて 立派な人になってください)


雨風ぬ吹ちん 渡るくぬ浮世  風かたかなとてぃ 産子花咲かさ
(渡るこの浮世 強い雨風が吹きつけるだろうが  私が風よけになって この子の花を咲かせてやりたい)

天の光受けて 高人なてたぼり
(天の御加護を頂いて 人徳のある人になってください ) 

 親の愚かさだろうか。夏は団扇で手がしびれるほど風を送り続け、寒い日は体温で温めて幼子を守り抜いたその習いで、二十歳を超えた私の放蕩息子に対してでさえ、大きな波が来るならせめて防波堤にでもなりたいと思う。それが母の性だ。太陽と月と、天の神やご先祖さま、得られる恵みはすべて受けて、立派な人間になってほしい、花を咲かせてほしいと願うのは、万国共通の親の思いだろう。そして、できることなら世間の荒波を渡っていく段になっても、わが子の「風よけ」になりたい。この歌詞にたどり着いたとき、沖縄女性の多くが顔を覆っただろう。守ってやれなかった。胸が張り裂けるような痛恨の思いが会場で共有された。
 
 人生、楽よりも苦が多いだろう。そして晴れの日より雨風の日が人を強くするかもしれない。しかしその雨風でさえ和らげてあげたいと思う親心を歌ったこの歌の切なさに身を震わせた次の瞬間、こみ上げてくる憤りは、繰り返される米軍の事件・事故・暴力が、人生につきものの「雨風」なのかという強い疑問だ。米軍に占領された27年は言うに及ばず、復帰後の44年の間でさえ、凶悪事件だけで570件余りなのだ。沖縄の大人たちはどれだけ頑張れば弱い者たちの「風よけ」になれるのか? 

 「国民の安全のために米軍と暮らしなさい、我慢しなさい」と言われ、戦車が空から落ちてきたり、流れ弾が飛んできたり、学校にジェット機が落ちてきたり、幼女が切り裂かれたりした。そのたびに幼子を守りたいと右往左往し、守れなかったと泣き崩れる親たちがいた。その悲劇が絶えることなく70年続いた上で、またも「風かたか」になれなかったと涙ぐむ稲嶺市長の心が、本土の親たちにわかってもらえるだろうか。
 
 今回の大会で印象に残ったのは若者の発言だった。

 玉城愛さんの「第二の加害者はだれですか?」というストレートな表現。元山仁士郎くんの「普通に行ってきます、行ってらっしゃいと送り出し、ただいま、お帰り、と迎える。そんなごく普通の暮らしを守りたいだけなんです」という素朴な視点は、よくあるリーダーたちの挨拶より共感を呼んだと思う。焼けつくような日差しの中、熱中症で運ばれていく人も続出する過酷な環境の中でも、彼女が受けた苦しみに比べれば、とみんな心を一つにして大会を支えていた。しかし、1時間が過ぎたころから私は胸が重苦しくなってきた。熱中症か? いや、なにか胸騒ぎというか、もどかしさにも似た気持ちが空回りしていた。

 1995年の少女暴行事件で8万5千人が集まった県民大会に始まり、教科書改ざん問題、普天間基地県内移設反対、オスプレイ配備撤回と、何度も大規模な集会を持つことで沖縄県民は民意を示そうとしてきた。しかし厳しく振り返れば、どの要求も通っていないし、沖縄県民が抑圧されている構造を何も変えられていないのだ。集まってみんなでこぶしを上げたって、決議文を採択したって、それをもって政府に行くまでがピークであり、その先は何も変わらない。

 だから、県民大会はやるだけやったという県民のガス抜きでしかない、という批判も出る。結局は政治的な事情に怒りがからめとられて終わるのがやるせないと、県民大会離れする人もいる。それでも今回だけは、あれだけの残虐な事件の怒りと悲しみを引き受けた今回こそは、二度とくり返さないために本気で状況を変えるしかない。集まって留飲を下げただけとは言われたくない。お題目を連呼してあとは天任せという無責任なことはしたくないという気持ちは、大勢の参加者の中にあったはずだ。そういう大会にするためにはどうしたらよいのか? 6万人あまりのエネルギーをどこに向ければよいのか、開けるべき扉がどこにあるのか、半歩先が示されるような展開を県民大会の中に私は望んでいたのだ。

 最後に「海兵隊の撤退」のプラカードを全員で掲げた絵は壮観だった。だがこの時に私は自分の中の重苦しさの正体に気付いた。勢いのある映像の背景には、全面撤退に追い込むために今すぐ動くべきいくつもの提案があるべきだった。それに呼応する会場の熱気が希望になるはずだったが、私は見過したのだろうか。次の行動を示唆するスピーチがあってほしかったし、海兵隊をなくすことが本物の追悼だというなら、それをどう形にするのか、「オール沖縄」としての覚悟や具体案がどんどん飛び出すような場になってほしいという期待が満たされず、目の前の光景とはちぐはぐな印象が自分の中で焦りとなって蓄積していた。

 「これで本当に最後の県民大会にしたい」

 文子おばあをはじめ、多くの人が同じことを言った。でも数を集めて見せるだけではだめだった。大会を開くだけで政府にアピールするという期待は持たないほうがいい。本土へのアピール? これも、この県民大会の反応をインターネットで少し探すだけで「オール沖縄は全沖縄ではない」「本土の活動家だらけ」「5000人しかいない」「過激派の旗だらけ」「政治利用」とこれでもかというバッシングにあふれている。現場に来ることもない誹謗中傷に反論する気もないが、『童神』に涙し『月桃』が歌える群衆が沖縄県民でなければ何なのか。もう、政府や本土へのアピールという目的なら県民大会は虚しいのかもしれない。気持ちを示したら考えてくれるだろう、なんて考えは捨てたほうがいい。

 では、なんのために集まるのか。本当に「最後の県民大会」にするための覚悟を確かめ合い、知恵を出し合い、共有し、作戦を練る場。集まった人たちから勇気をもらい、自分がやるべきことを確認できる集会。まさに県民同士が未来につなげるための県民大会に目的を整理したほうがいいかもしれない。例えば、会場にいた6万5千人のうち100人に一人でも辺野古のゲートにやってきたら、どんな工事もできないだろう。もし10人に一人が一斉に近くの基地に押し寄せたら、米軍も真剣に撤退を考えるだろう。6万人というのはそういう数だし、自覚しているよりもっと大きな可能性を秘めている。自分たちの力を何度も結集させるためのメソッドとして集会を位置づけるのもいいかもしれない。

 この島に生まれたRINAさんの命を6万5千人で慈しみ、抱きしめた瞬間。それはかけがえのない時間だった。さらに彼女が受けた最期の苦しみを引き受けて、彼女が生きた証を沖縄の苦難の歴史の大転換点にできるかどうか。あの集会に集まった私たちはその課題を抱えて走りだしたのだ。県民大会は帰結ではなくて、現状を打ち破るためのスタート地点だった。

 文子おばあが言う。「人の命をもって何も変えられないなら、あと何があるの?」。87歳の老女が次の世代の「風かたか」になろうと毎日ゲートに立っている。わたしも、ちゃんと役割を果たしたいと思う。

三上智恵監督新作製作のための
製作協力金カンパのお願い

『戦場ぬ止み』のその後――沖縄の基地問題を伝え続ける三上智恵監督が、年内の公開を目標に新作製作取り組んでいます。製作費確保のため、皆様のお力を貸してください。

■振込先
郵便振替口座:00190-4-673027
加入者名:沖縄記録映画製作を応援する会

◎銀行からの振込の場合は、
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店番 :019
預金種目:当座
店名:〇一九 店(ゼロイチキユウ店)
口座番号:0673027
加入者名:沖縄記録映画製作を応援する会

 

  

※コメントは承認制です。
第52回「風かたか(風よけ)」になれなかった悲しみ ~6・19沖縄県民大会~」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    「第二の加害者は誰ですか」という必死の問いに、返す言葉が見つかりません。国のせい、政府のせいだと言っているだけでは、何も変わらないのです。国や政府を動かすのは私たち以外にいないのですから・・・。

  2. 小浦むつみ より:

    私は、皆さんのスピーチを、地元石川県の自民党議員に届けていきます。中には、「こんなのやらせだ」などという若い議員さんがやはり少数いますが、丁寧に、説明し続けます。やらせで集められるほど予算があるはずがないことなど。とにかく直接届けます。東京のマスメディアにも直接、届けていきます。

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三上智恵

三上智恵(みかみ・ちえ): ジャーナリスト、映画監督/東京生まれ。大学卒業後の1987年、毎日放送にアナウンサーとして入社。95年、琉球朝日放送(QAB)の開局と共に沖縄に移り住む。夕方のローカルワイドニュース「ステーションQ」のメインキャスターを務めながら、「海にすわる〜沖縄・辺野古 反基地600日の闘い」「1945〜島は戦場だった オキナワ365日」「英霊か犬死か〜沖縄から問う靖国裁判」など多数の番組を制作。2010年には、女性放送者懇談会 放送ウーマン賞を受賞。初監督映画『標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』は、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、キネマ旬報文化映画部門1位、山形国際ドキュメンタリー映画祭監督協会賞・市民賞ダブル受賞など17の賞を獲得。現在も全国での自主上映会が続く。15年には辺野古新基地建設に反対する人々の闘いを追った映画『戦場ぬ止み』を公開。ジャーナリスト、映画監督として活動するほか、沖縄国際大学で非常勤講師として沖縄民俗学を講じる。『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』(大月書店)を上梓。
(プロフィール写真/吉崎貴幸)

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