時々お散歩日記

 これを書いているのは2014年3月11日。
 3年前のあの日、あなたはどこで何をしていましたか?

 僕はあの日、自宅の2階の小さな仕事部屋で原稿を書いていた。午後2時46分ごろ(これは後で知った時間だったが)、大きな揺れが来た。しばらく机の端を両手でつかんで耐えていたが、揺れがおさまらない。恐怖から、机の下に潜り込もうとした。でも、「あ、これは少しみっともないな…」と思って、潜り込むのは我慢した。
 揺れがおさまってからよく考えてみたら、部屋の中には僕ひとり。誰も見ていない。いったい、誰に対して「みっともない」なんて思ったんだろう。よく分からない心の動きだった。つまり、それほど気が動転していたのだ。
 家の中を見て回ったが、被害はない。あんなに揺れたのに、本棚の本が数冊崩れ落ちていただけだった。
 カミさんは小さな会合とかで外出していた。ま、同じ市内だし、自転車で出かけたのだから何とかなるだろう。
 心配なのは、我が家から徒歩6分のマンションでひとり暮らしをしている90歳(当時)の義母。電話をしたが応答がない。僕は自転車で義母宅へ。管理人さんもマンションの前で呆然としていた。
 カミさんへ電話。何とか携帯が通じた。義母はその日、デイサービスとかで近所の老人施設へ出かけていたらしい。そこにいることが確認されたと、カミさん。とりあえず、ホッとした。施設の職員さんがもうすぐ送り届けてくれるという。義母はカミさんに任せ、僕は自宅へ。

 僕の故郷は東北・秋田。実家へ何度電話しても通じない。「ただいま電話が大変つながりにくくなっております。不要不急の電話はご遠慮ください」という機械音声が、冷たく繰り返すだけ。
 故郷はどうなっているのか。自宅でテレビにかじりついたが、状況はほとんどつかめない。尋常ならざる事態が起きていることだけは分かるが、詳細は不明。実家は、姉とその娘、そして孫の3人暮らし。女ばかりだから、不安におののいているだろう。
 弟は仙台に住んでいる。宮城県ではすさまじい被害が出ているようだ。こちらもまったく連絡が取れない。電話がつながらない。
 我が家には何の被害もなかったが、肉親の安否が気にかかる。

 実は、そのほんの少し前、僕は秋田にいた。ちょうど1週間前の3月4日、我が老母が亡くなったのだった。
 その数日前に「危篤」の知らせを受けて、僕ら4人の兄弟が秋田に集まった。雪の多い3月だった。
 機器の呼吸を示す線が、すぅーっと静かに消えていくのを、僕ら4人の兄弟は黙って見つめていた。母にいちばん可愛がられていた弟が、最後まで手を握って離さなかった…。
 2日後に、親戚ばかりの簡素な葬儀を済ませて、兄弟は別れた。兄は埼玉、弟は宮城、姉は実家、僕は東京。

 兄弟が駅で別れてから3日後の大震災だった。
 老母の死がもう1週間遅ければ、僕らは死に目に会えなかっただろう。とても、秋田へ行けるような状況ではなかった。そして、もしその死が、あと数日遅ければ、僕らは全員、秋田に足止め、自宅に戻るには10日以上も後になったかもしれない。
 だから兄弟は「あれは、おふくろの最期の子どもたちへの思いやりだったんだね」などと、後で言い合ったものだ。
 これが、あの大地震にまつわる僕の思い出だ。多分、僕は死ぬまで忘れない。というよりも、僕の頭の中に、これほどくっきりした生々しい記憶はほかには存在しない。

 そしてその日から、僕の「原発」に対する恐怖が高まっていく。

 僕はIT音痴だ。パソコンは、原稿書きとメールのやり取り、ほかにはさまざまな情報を集めるのに使うくらいだ。その僕に「マガジン9」のスタッフが、「日記代わりに使うと便利ですよ」と、ツイッターなるものの使い方を伝授してくれた。震災の少し前のことだった。
 日記など書いたことがない僕は、それ以来、「メモ」としてツイッターを利用してきた。そして、この震災と原発事故について、懸命につぶやき始めた。いつの間にか、それはかなり膨大な分量になっていた。
 それらをまとめて、「マガジン9ブックレットNo.1」として出版したのが『反原発日記―原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日~5月11日』(エムキューデザイン出版部)である。
 その本から、少し抜粋しておこう。恐怖と怒りに震えた僕の、稚拙だけれど、あのときの生々しい文章だ。
 忘れてはならない。絶対に、記憶を風化させてはならない。繰り返し繰り返し反芻して、あの恐怖を刻み続け、原発廃絶への想いを新たにしていく必要があると思う。

2011年3月11日

六ヶ所村で、何かが起こっているらしい。六ヶ所村の情報が知りたい。六ヶ所村の再処理施設では「避難命令が出た」と言って、電話が切れたという。

やはり、心配していた事態に。福島第一原発に重大な危険が。政府は緊急被害対策に乗り出さざるを得なくなった。これは、ほんとうに危ない。原子炉の緊急冷却ができない状況に。付近住民には避難命令の可能性も出てきた。

何度も繰り返し、原発と地震について警告してきたはず。一度、災害が起きたら取り返しのつかないのが、原発事故の他とは違うところなのだ。いまごろ分かっても遅い。でも、何とか最悪の事態は避けねば…。

福島第一原発に、原子力緊急事態宣言。事態は、ほんとうのところどうなのか? まだ避難命令は出ていないようだが、遅れてはならない。

ついに、原発周辺2キロの住民に避難命令が出た! 不安が増す。政府はもっと詳しい情報を開示すべきだ。

3月12日

凄まじい惨状。テレビ画面が正視できない。僕の実家の秋田とは、昨日の夕方、やっと連絡が取れた。みんな無事。直撃を受けた仙台市の弟宅は、家は多少破壊されたが、家族3人は何とか無事とのこと。これは、本日夕方確認。せめてもの安堵。でも、多くの被災者のことを考えると…。

福島原発は、やはり炉心溶融の危機。僕の知る限りでは、アメリカのスリーマイル島原発事故に酷似している。何とか無事に収まることを祈るばかり。

人間が扱ってはならぬ火、プロメテウスの火。それが原発だった。「万が一の場合は、緊急冷却装置(ECCS)が作動するから心配などいらない」とこれまで述べてきた政府、電力会社の言い分は、あっさりと崩れた。

もうかなりの放射性物質が放出されているはず。影響は、いずれゆっくりと、しかし確実に出てくる。

「避難勧告」ではない。「避難指示」だ。これは、勧告よりも一段強い表現。事態はそれだけ深刻だということ。

いまだに福島第一原発周辺住民の避難は60~80%程度。容器内の圧力は上昇中。放射線量が強すぎて、人力での圧力弁解放は難航。とにかく、一刻も早い住民の避難を。僕の悲鳴だ。

原発関係者たちが自慢げに述べていた日本の原発の、“あらゆる事態を想定”した防護システム「多重防護思想」なるものが、あっさりと「想定外」に乗り越えられた。福島ではまさに“想定以上”の事態に直面している。なのに、多くの住民の避難はいまだ完了せず。こちらの“想定は不備”だったということ。原発思想の根本的見直しが必要だ。

福島原発周辺から、ついにセシウム検出。
米軍でも自衛隊でも、何でも使え。そして、周辺住民の避難を!

いま、広瀬隆さんと電話で話した。震えがきた。やはり危惧したように「スリーマイル島事故に酷似している。いや、それを超えるだろう。もしかすると、チェルノブイリ級になるかも」と。「福島原発は事故が起きると1基にとどまらない。他へ連鎖する可能性が高い」とも。あれだけ指摘してきたのに…、と悔しそうな広瀬さんの口調が切ない。

政府が、放射能被害対策医療本部を立ち上げ。つまり、放射性物質漏れの危険性を認めざるを得なくなったことの表れ。事態はますます深刻化。

「原発の怖さを煽るな」などと、この期に及んで言う人がいる。それは間違いだ。とにかく最悪の事態に備えるのがまず必要なこと。避難できる人はすぐに避難すべきだ。一刻も早く、そして少しでも遠くへ。それがやりすぎだったというなら、後で笑えばいいじゃないか。

「にわか勉強ですが、メルトダウンで有名なスリーマイル島原子力発電所事故でも、周辺住民に対する健康被害はなかった」と、Wikipediaを資料に挙げて「何も知らないなあ」と僕に噛み付いてきた“編集者”という人がいた。言葉を失う。

「ただちに健康に影響はない」と東電。「ただちに」とは「どのくらいの期間」を言うのか。そして「ただち」でなくなったらどうなるのか?

原発に、海水注入開始。もうこの原発は使えない。廃炉にするしかない。

浜岡原発の即時停止を。浜岡はM8程度の地震を想定して「それ以上の揺れにも耐えられるよう設計」されているという。しかし、今回の地震はM9、つまり、浜岡原発の設計想定を遥かに超えている。それでも、どうしても運転を続けたいと言うのなら、根本的に設計をやり直す必要があるはずだ。

ニュースを見ていると、心が痛い。哀しい顔しか見えない。僕も哀しい顔になる。原発。カミさんが泣きそうな顔でテレビを見ている。

3号機、海水注入も現在のところ効果なし。水位が上がらない。3号機はプルサーマル発電。いわゆるMOX燃料を使う。つまり、猛毒のプルトニウムとウランの混合燃料だ。

女川原発付近で放射性物質を検出。福島原発から漏れた可能性あり、と東京電力が発表。女川と福島原発の距離はほぼ100キロ。この距離まで放射性物質が飛散したとなると、やはりことは重大。

放射能汚染は、衣服を脱ぎ体を洗えば大丈夫だと、テレビは言う。体内汚染については何も言わない。吸い込んでしまった放射性物質は、簡単には洗い流せない。それをきちんと伝えるべきではないか。

3月14日

2号炉の燃料棒がすべて露出。メルトダウンが始まった。もっとも危機的な状況だ。背筋が粟立つ。ポンプの燃料切れ? 

信じられない、この東京電力という会社。空焚きの原子炉、放射性物質が大量に放出される。ああ、また悪夢にうなされる夜。眠りたくない。だが、起きていたくない。ニュースを見たくない。だが、見ないではいられない。

切ないのは、現場で必死に海水注入に頑張っている作業員たち。東京電力の“お偉いさん”たちの犠牲。

米空母ロナルド・レーガンが、震災地沖から離脱。放射能汚染を避けたという。それほど、汚染は広がっている。少なくともアメリカ側はそう判断している、ということ。

あまたの火力、水力発電所を停止させて原発を造り、それに頼ったツケがこれだ。今停止している火力発電所を全部稼働させれば。そのデータがほしい。

「不安を煽るな」が「正確な情報でも危ないものは伏せろ」ということと同じではいけない。いま、そうなっていないか?

石原慎太郎は「使用済み核廃棄物」である。

3月15日

原発を一カ所に複数建設したために、連鎖的に事故は起きる。それが過疎地へ原発を押し付けたツケ。そして、それこそが原発事故の怖さ。

後藤政志さん(元原発設計者)の説明が、あまりに怖すぎて、見続けることができない。僕の胃が悲鳴をあげる。「みえない雲」が、日本中に拡散し始めている。

原発さえなければ、政府もボランティアももっとストレートに救援活動に入れたはず。放射能汚染のために、救援組織が原発周辺の被災地になかなか入れない。それだけ救援が遅れる。原発のために、失われなくていい人命がどれほど失われたか。

無神論者の僕が、祈る…。

浜岡原発の即時停止を。昨夜の静岡の地震が、それを求めて警告している。求めに応じて停止すべき。警告を無視して、福島原発の二の舞を演じていいのか。

東京新聞で、田中三彦さんが「浜岡原発の場合、想定震源域の真上に建設されている。もし、東海地震が起きたらどうなるのか」。同じく後藤政志さん「浜岡原発の場合『想定外』では済まされない。私たちはそんなエネルギー政策につきあってはいけない」。一刻も早く、浜岡原発の停止を!

枝野官房長官の記者会見で「浜岡原発は震源域の真上にある。福島原発の二の舞にならぬよう、即刻停止させる考えはないのか?」と訊く記者がいないのは、なぜだろう!?

 『反原発日記』の最初の部分を、少し書き写してみた。
 下手くそで荒っぽい呟きの文章だけれど、必死さと揺れ動く気分、恐れと怒りがにじみ出ていると思う。
 あのころ、僕はほんとうに怖かったのだ。いや、いまだって怖い。原発事故の収束なんて、僕の生きているうちに目にすることはできない。それどころか、次の原発事故の恐怖を、僕らがもう一度味わう可能性だってある。
 世界最高水準の安全基準? 安倍がことあるごとに口にするデタラメ極まる常套句だ。巨大地震がまた襲ったら、そんなものはいともたやすく吹っ飛んでしまうだろう。

 安倍は、あの大地震のとき、いったい何をしていたんだろう? まさか、てんぷらを食いながら「けっこう揺れたねえ…」などとヘラヘラ笑っていたとは思わないが、恐ろしさは感じなかったのだろうか。そして、それに続く原発の凄まじい惨状に、震え上がったりはしなかったのだろうか。
 あのとき、放射能汚染に恐怖を感じ、東京からの住民避難を真剣に考えなかったとしたら、政治家としての感度の鈍さは特筆ものだ。かつて感じたにもかかわらず、いまはその恐ろしさを忘れてしまったというのなら、やはり政治家失格だろう。
 あれだけ批判にさらされた(あの非難の大合唱は何だったのか?)菅直人首相でさえ、東日本の壊滅と、東京からの全住民の大脱出を、絵空事ではなく思い浮かべていたという。
 だが安倍は、そんな恐怖も想像力も持ち合わせてはいなかったらしい。原発再稼働と原発輸出をアベノミクスとやらの重要な柱にしているのだから、ほんとうに呆れ返る。
 僕でさえ、3日後にはすでに、メルトダウンを予測していたのだ。メルトダウンという言葉さえ、安倍は知らなかったのか。
 それが現実に起きてしまったこと、それによっていまだに15万人もの人々が、故郷を離れざるを得なくなっているという事実を、いったいどう感じているのか。その上でなお、原発推進を掲げる神経。

 「人間の中でもっとも扱いにくいのは、恐怖を感じない人間だ」と誰かが言っていたが、もしかしたら、安倍には「恐怖感」が欠落しているのかもしれない。そんな人間に、これからのこの国を任せてはならないと、僕は真剣に思うのだ。

 

  

※コメントは承認制です。
172 恐れと怒りを持続させよ」 に1件のコメント

  1. ピースメーカー より:

    人間は恐れと怒りを持続すべきではなく、「恐れと怒りを抱いた」過去を記憶すべきだと思います。
    例えば北朝鮮が拉致事件を起こした、また核実験をしたからといって、ある一時、「恐れと怒りを抱いた」のならばともかく、北朝鮮に対して「恐れと怒りを持続させよ」と主張する人間は果たして人として真っ当かという事です。
    「恐れ」も「怒り」も感情であり、不特定多数の価値観をもつ人間はありとあらゆる方向にその感情が向かいます。
    「感情論は『原発』や『安倍政権』に向かってのみ向けられるべきであり、『北朝鮮』や『中国』には向けられるべきではない!」などと主張したって、そんなムシのいい話が通用することは皆無です。
    「恐れ」や「怒り」といった感情論を利用するような主張は、国家レベルの感情論がロクな結果にならなかった世界史的な事実から鑑み、厳に慎むべきであり、むしろ一時の感情を「記憶」としてコントロールするように万人に働きかけることこそが真っ当な知識人としての道義的義務だと思います。
    これは脱・反原発に賛成、反対とかの意見の相違以前の問題でありますが、真っ当なやり方を貫いていくことこそが、結果的には漸次的かもしれませんが着実に脱原発を達成できると私は思います。

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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