時々お散歩日記

安倍の暴走が止まらない。今度は、イギリスで開催のサミット参加のついでに東ヨーロッパ諸国を訪れ、またも「原発売り込み=死の商人」ぶりを発揮した。

 こんな具合だ(東京新聞6月17日付)。

 ポーランド訪問中の安倍晋三首相は十六日午後(日本時間同日夜)、ワルシャワの旧王宮で、ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリーの東欧4カ国首脳との会合を行った。双方は経済・科学技術、安全保障など五分野の共同声明を発表、日本の原子力技術について「原子力安全への貢献が自らの責務」と協力方針を明記した。(略)

 首相は就任以降、首脳外交を通じ、アジアと中東で原発を売り込む「海外トップセールス」を展開してきたが、原発の安全性に対する国内世論の不安をよそに、輸出の対象範囲を欧州にも広げることになる。(略)

 安倍首相は「東京電力福島第一原発事故の経験を教訓に、世界と協力していくことが私たちの責任だ」と応じた。

 会談場の首相府前では、反原発デモをする市民グループの姿も見られ、日本語で「安倍首相は原発ではなく再生エネの提供を」と書かれた垂れ幕もあった。(略)

 いまさら呆れることでもないが、安倍の「原発事故の経験を教訓に」という言葉の白々しさはどうだ。百歩譲って、福島事故が完全収束し、廃炉作業が順調に進みだした時点での言葉なら、それなりのリクツとして認められもしよう。だが、現実はどうなっているか。

 6月16日には、3月から福島原発で試運転を始めた放射性物質除去装置「ALPS」のタンクから、処理前の高濃度汚染水が洩れた可能性があると東電が発表、運転停止せざるを得なくなった。

 ネズミ1匹で電源喪失という、考えられない事故が起きたのは記憶に新しいし、汚染水プールのビニールカバーが破れ、ついにはすべてのプール内の汚染水を他のタンクへ移動しなければならなくなって大騒ぎしていたのもついこの間のこと。東電と地元漁協とは汚染水の海への放出をめぐって対立したまま…。

 これらのどこをどう解釈すれば、「原子力安全への貢献が自らの責務」だの「経験を教訓に」したなどと言えるのか。図に乗るのもいい加減にしてほしい。

 肝心の除染作業さえ、ほとんど絶望的になっている。いくら作業をしてもいっこうに放射線量が下がらないことに業を煮やした政府は、当該自治体に「再除染は認めない」との方針を伝えたという(朝日16日)。

 「除染を加速させ、避難住民の早期帰宅を図る」としていた政府の政策は、現実の前にもろくも崩れ去った。16万人にも及ぶ「原発難民」が自宅へ帰れる日が簡単には来そうもないことを、政府自らが認めざるを得なくなったのである。

 それが現実だ。この現実の前で、いったいどこをどう押せば「原発事故の経験を教訓に…」などという言葉が出てくるのか。

 安倍が原発売り込みをかけている各国の国民だって、そこは見抜いている。だから「原発よりも再生エネを」と訴えているのだ。だが、そんな声は安倍には届かない。ひたすら、ボロの出た“ポンコツ・アベノミクス”を取り繕うための原発輸出に躍起となっている。

 もし輸出先の原発が大きな事故を起こしたら、売り込んだ安倍は、いったいどう責任を取るつもりなのだろう?

 現に、アメリカのサンオノフレ原発はどうしようもない不具合を起こして廃炉にせざるを得なくなり、蒸気発生器を作った日本の三菱重工は、膨大な損害賠償訴訟を起こされようとしている。こんな場合、安倍は「ボクは知らないよ。民間会社同士だから、政府は関与しないも~ん」とでも言うつもりか?
 首相夫人の安倍昭恵さんは、6月6日に国会内で行われた集会で「私は原発には反対です。だから、原発を海外に売り込むことには心が痛みます」などと述べたという。「お、いいことを言う」と、そのニュースを聞いたときには、つい思ってしまったけれど、あれはタチの悪い冗談でしかなかったようだ。

 ポーランドの空港へ、飛行機から降り立つ姿を見て「あの言葉はいったい何のつもりだったの?」と、首をかしげた。安倍としっかり手を握りあってニコニコと笑顔を浮かべている。これから「心が痛む」ことを夫がやろうとしているのに、あんな“天真爛漫”な笑顔を浮かべられる人の内心なんて、僕にはとても想像もつかない。

 これがいわゆる“政治家の女房”ってヤツらしい。結局、パフォーマンスに過ぎなかったんだね。

 アベノミクスもガタガタで、株価はそれを見越しての大荒れ模様。右肩上がり相場なんて、ほんの2ヵ月ほどでどこかへ消し飛んだ。「サミットで各国首脳の理解を得た」と胸を張る安倍だが、各国ともよその国の事情になんてかまけている余裕はないだけの話。

 次第に化けの皮が剥がれだした安倍人気。ジワジワと支持率も下がり気味。そこで、あれほどアベノミクスを持ち上げていた週刊誌も、さっそくの手のひら返し。「株価1万円割れで、安倍内閣崩壊!」などという見出しが躍り始めた。

 そこへ追い討ちをかけているのが、安倍のあまりの極右ぶりに反発を強める自民党長老たち。

 あの自民党元幹事長の古賀誠氏でさえ、共産党の機関紙・赤旗日曜版(6月2日)に登場、「憲法9条は世界遺産」と発言(ま、出典は『憲法九条を世界遺産に』(太田光、中沢新一・著、集英社新書)だと思いますけど…)、安倍の改憲論を批判した。

 日本国憲法第9条は、保守派の重鎮たちにとっても、大切な守り神だったのだ。

 9条を盾に使って、あの第2次大戦以降、日本の“軍隊”や“兵隊”は、他国へはいっさい銃弾を発射せず、ひとりの他国民をも殺さなかった。日本とはそういう国なのだ。そのことで、他国から尊敬されこそすれ、維新の会が言うように「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め」た、などということは聞いたこともない。

 その憲法を変えようと、安倍は躍起になっていた。だが、“改憲パートナー”とみなしていた維新の会は、橋下徹共同代表のどうしようもない暴言・失言・妄言の繰り返しで、もはや沈没寸前。維新の立候補予定者が続々と候補辞退を申し出るという惨状だ。

 しかも、どんな“世論調査”でも改憲賛成派は多いけれど、中身をよく見ると、安倍の意図とは正反対だ。

 憲法96条(改憲の発議要件の緩和→両院議員の3分の2の賛成を、2分の1に引き下げようというもの)改定や、9条改定にはいずれも50%を超える反対がある。それを危惧した自民党内部からさえ「首相は、改憲問題を封印すべき」といった声が挙がり、安倍は渋々ながら主張をトーンダウンさせざるを得なくなった。自分の蒔いたタネ…。

 改憲派の人たちは「日本国憲法は古くなった。時代に合わせて改正すべき」と主張する。

 僕は逆に「日本国憲法は、ふたたび新しい輝きを放ち始めている」と思っている。世界の様々な地で戦火が交えられ、爆弾が人命を奪っている。それを防ぐ手立ては、国連でさえ見出せていない。だが、日本は戦火を否定する憲法を持ち続けている。

 しかし、これは日本が初めて手にした思想ではなく、実は古く「パリ不戦条約」(1928年)がその源である。

 第1次世界大戦で多くの犠牲者を出したことを反省し、2度と過ちを繰り返すまいとして、米英仏独伊日などの当時の列強国にソ連等も加えた63カ国が署名した「不戦の誓い」こそ、パリ不戦条約だったのである。

 「条約の締結国相互間では国際間の紛争を解決する手段としては、“戦争を放棄”する」としたパリ不戦条約の理想は、そのまま日本国憲法に色濃く反映されたのだ。

 理想を実現することは難しい。残念ながらこの不戦条約は反故にされ、もっと激しい第2次大戦が勃発してしまった。

 だが、その焼け跡の日本で、奇跡のように花開いたのが「日本国憲法」なのである。世界のあらゆる国家の「戦争への悔悟と反省」の総意の上に成立したのが日本国憲法なのだ、と言ってもいい。

 国際紛争が頻発している。日本はその調停に乗り出す資格を有する、ほとんど唯一の国だと、僕は思う。

 世界中のどの国の憲法よりも理想に近い憲法を持つのが日本だからだ。

 日本国憲法前文には、こうある。

…われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。…

 そして、そのために9条が書かれた。

 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 この条文をもって、日本は紛争調停の役目を「自らの責務」とすればいい。それができる世界で唯一の国であることを、国連の場で宣言すればいい。アメリカのくびきから離れ、独自の平和調停国として活動を行えば、いったい誰が日本を「孤立と軽蔑の対象」とするだろう。

 一度は、パリで成立したことのある「不戦条約」である。これを再度、国連の場で提案すればいい。日本国憲法とパリ不戦条約の思想の類似性を、強く訴えかければいい。何度でも何度でも、繰り返し繰り返し、この「不戦条約」の締結を提案し続ければいい。
 こう書けば、世間知らずの理想主義とかネット右翼用語らしい“脳内お花畑”などという批判(というより揶揄)がなされるだろう。だが、行きづまった世界の中で、このような明確な不戦の訴えは、必ず一定の評価を受けるはずだ。

 その「一定」を「多数」へ持っていくためにこそ、外交があるのではないか。安倍が世界に印象づけた“極右政権”という汚名を晴らすためにも必要なことだ。

 日本国憲法を、真正面に掲げて使う。それが日本国憲法の新しい輝きだと、僕は最近、痛切に思っているのだが…。

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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