時々お散歩日記

 先週のこのコラム「参院選前に、安倍政権について考えておきたいこと」で、安倍政権の危険性について触れた。そこで、とりあえず3つの問題を取り上げておいた。

 1.アベノミクスで景気はよくなり、国民の所得は上がり、生活は楽になる、
というのは事実か?
 2.原発再稼働にのめりこんでいるのは、安倍自民党だけ。
 3.安倍流「憲法改定」の底の浅さがバレ始めた。

 以上に付け加えて、沖縄米軍基地とTPPの問題なども大きな争点だということを忘れてはいない。今回はそれを書こうと思っていた。これも安倍の危うさだからだ。
 しかし、安倍の危険性は、もっと具体的・直接的に「思想・表現の自由」を脅かす領域にまで踏み込んでいた。無視できない危険が、すでに進行中なのだ。
選挙戦の中で、かなり恐ろしい事態が進行中だ。例えば、こんな記事がある(東京新聞7月14日・こちら特報部)。

首相の考えを聞けないの?
参院選演説で聴衆のボード没収
4人で囲み女性に詰問「逮捕されるかと思った」

 「原発廃炉に賛成?反対?」。安倍晋三首相の街頭演説で、女性(40)がこんな質問ボードを掲げようとして、没収された。掲げる前に、自民党スタッフや警察官を名乗る男性4人に取り上げられた。(略)
 「事件」が起きたのは、参院選公示日の四日。女性は、JR福島駅前で行われた安倍首相の第一声を聞きに行った。持っていたボードはA3判サイズ。「総理、質問です。原発廃炉に賛成?反対?」と印字した紙を段ボールに貼り付けた。(略)
 演説開始の前に、男性四人が取り囲んだ。一人は「警察の者ですが」と名乗った。別の一人は「ここは演説会で、国会とか質問して応答する場じゃないですから」ととがめた。自民党スタッフの名刺を差し出した男性はボードを「一時預かる」と持ち去った。
 男性たちは「どういうアレですか、どちらから来られたんですか」と質問を続け、「連絡先を教えて」と執拗に迫った。女性の住所や名前を聞き出してメモした。女性は、「もう帰りますから」と泣きながらその場を立ち去った。女性が演説を撮影しようとしたスマートフォンの動画に、一連の様子の一部が記録された。
 「連絡先をしつこく聞かれ、本当に怖かった。逮捕されるのではと思うくらいだった」と女性は振り返る。ボードは一週間後の十一日、教えていないはずの女性の勤務先宛に、郵送で返却された。(略)

 恐ろしい話だ。こんなことが許されるのか? 40歳の女性が、たったひとりで段ボールのボードを持って立っている。それを、屈強な男4人が取り囲む。そして泣いてしまうほどに女性を脅しつける。
 小さな質問の声(表現)さえ許さない。いったいどんな権限で、このボードを没収したのか? さらに、女性の勤務先が調べ上げられていたという。むろん、それは公安警察の仕業に違いない。
 「アンタのことはみんな分かっているゾ。ヘンなことをしたら、勤務先に通報する。仕事がなくなってもいいんだな?」という脅し。一般市民にとっては、とてつもない恐怖、脅迫である。

 同じようなことは、ほかでも起きていた。やはり安倍の街頭演説の場での出来事だ。→ウィンザー通信/2013年07月10日
 これは同じ福島県の郡山市でのこと。ここでもひとりの女性が、「私の大切な宝物達は、安倍さん、あなた方の、お金、権力ほしさのために、生まれ、命をけずられ、人体実験にされ、生きていかされてるんじゃない」と手書きしたボードを掲げて街角に立った。
 あっという間に、彼女は6~7名の男たちに取り囲まれた。だが、女性は蒼白になりながらもそのボードを掲げ続けた。まるでそのボードを他の人に見せまいとするかのように、男たちは彼女を囲み続ける。男たちの中には、制服警官の姿も見える。
 選挙演説という、まったくの(これ以上ない)公的な場で、自分の意見(質問)を、首相に見てもらいたい、知ってもらいたい、という行為がいったいどういう法律に違反するというのか!?
 この様子を見れば、我々はすでに、監視と脅迫の世界に生きていることが分かる。これは正常なことか?
 屈強な男どもにつきまとわれ、小さな意見さえ封じられる。そして、自宅や勤務先の住所まで“公安警察”に調べ上げられる。これが、民主主義国家か!? 

 こんな事態が、安倍の演説会で起きているということに注目したい。安倍はこの“弾圧”を承認しているのだろう。でなければ、連続してこんな「言論弾圧」「表現の自由侵害」が起きるわけがない。
 安倍がもし、「私からは見えなかったから、知らなかった」と言うのであれば、これからでも遅くはない。「あれは警備陣の勇み足。私にそんな意図はなかった。この女性に深くお詫びする」という謝罪を発表すべきではないか。少なくとも、すでにこの件は東京新聞で報道されたのだ。「知らなかった」とは、もはや言えないはずだ。
 だが、残念なことに(安倍の姿勢から見れば当然なことに)、そんな謝罪がなされたという報道はない。安倍体制というのは、「言論抑圧体制」だということがはっきりしたのだ。

 しかも問題なのは、安倍の姿勢だけではない。マスメディアの劣化がここでも起きている、という事実だ。
 郡山市の件の写真では、女性が男どもに取り囲まれている現場のすぐ脇に、報道陣の姿もはっきり写っている。つまり、マスメディアはこの現場を撮影できる場所にいたのだ。だが、どんなマスメディアもこの件については1秒も1行も報じなかった。
 後に、ツイッターなどで話題になって、ようやく前記の東京新聞がきちんと取り上げてくれたから、それだけでもよかったけれど…。

 安倍自民党体制は「思想表現の自由」や「結社の自由」などを、どうにかしてぶっ壊したいと考えている。こう書くと「考えすぎだ」と批判する人が必ず出てくる。だが、そういう人たちには「自民党憲法改正草案」を一読なさることを心からお奨めする。ネットで検索すれば、すぐに全文が見られるのだから、ぜひお読みいただきたい。
 読みもしないで「考えすぎだ」と言うのなら、申し訳ないが僕は、その人とはとりあえず議論を留保する。お読みになってから議論しましょう。 
 自民党改憲草案の「表現の自由」には、こうある。

(表現の自由)
 第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
 2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。

 これはいったい何だ?
 ちなみに、現行憲法にはこの(2)という条項はない。だから、自民党の狙いは(2)にあるといっていい。現行憲法の条文の第一項を残しながら、わざわざ第二項でその精神を否定する。あざといやり方だ。ならば最初から第一項を削除すればいいものを、それは残して「表現の自由は認めますよ」という姿勢だけは作る。デタラメ芝居の脚本家。
 「公益及び公の秩序」とは何か? 簡略すれば、自民党は「オレの意志に逆らうな」と言っているに等しい。
 公益や公の秩序…。特に、この「秩序」というのが曲者だ。福島市や郡山市での出来事は、まさに、自民党のいう「公益及び公の秩序を害する」行為とみなされたのだ。
 公道を使用するデモ、公園等で行われる反政府的(?)な集会、公会堂等での反原発討論会…。これらはやがて、自民党の言う「公の秩序を害する」行為に該当するとして禁止されるのだろう。
 そして、そういう催しをしようとする団体・組織もまた「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社すること」とレッテル貼りされ、集まることさえ憲法違反とされる。そう考えれば、この「マガジン9」だって、どんなレッテルを貼られて監視対象にされるかも…。

 こんなバカなことが許されるのか。
 「戦前じゃあるまいし、そんなことが民主主義国家で許されるはずがない」と反論する人もいる。しかし、安倍の叫ぶスローガンを思い出してほしい。
 「日本を取り戻す!」
 これが安倍自民党のポスターにデカデカと書かれているコピー。そして、その安倍が以前から叫び続けているのが“戦後レジームからの脱却”というキナ臭い言葉だ。つまり、戦後体制を否定して、“戦前へ回帰”することの中身こそ、安倍にとっては、彼の祖父・岸信介元首相がなし得なかった“改憲”という悲願なのだ。
 では“戦前体制”の最も大きな特徴とはなんだったか? それは絶対天皇制に反する思想・信条・表現を徹底的に弾圧した「治安維持法体制」にほかならない。「治安維持」という言葉は、そのまま自民党草案の「公の秩序」に重なる。
 戦前にあっては、“国体”(一般的に「天皇を中心とした秩序」と解される)に反するものは、たとえどんな小さな芽であっても、容赦なくもぎ取られた。
 敗戦によって日本は“象徴天皇制”となり、“国体”という言葉は公的な文脈からは消えた。だが、その復活を目論むのが安倍を筆頭とする自民党内の“戦前回帰派”という構図だ。
 これが、今回のふたつ(もっと各地で起きているかもしれないが)の事件の背景だ。決して偶然に起きたわけではない。安倍の目指す「思想表現弾圧国家」の小さな芽が、たまたま吹き出てしまったのだ。

 そんな安倍自民党を、この選挙で勝たせてしまっていいものか! 
 「ごまめの歯軋り」とは分かっていながら、それでも僕は声を大にして言いたい。
 安倍自民党を勝たしてはいけない。
 安倍の“戦前回帰”という亡霊を甦らせてはならない!

 もし「自民党憲法改正草案」が、この後の改憲の下地となるのなら、今回の事件はそのきっかけとして歴史に残るかもしれない。小さいけれど、それほど大きな意味を持つ事件だったのだ。
 そしてそれは、マスメディアの劣化を示す例としても記憶されるだろう。そばで事件を目撃していながら、その意味も理解できず、したがって報道もしなかった鈍感さ。
 戦前の翼賛体制の中で、“戦争煽動報道”を行ったとして、特に新聞は戦後、批判された。その批判を受けて新聞各社は痛苦な自己批判を行ったはずだった。
 しかし戦後68年を経て、もはやそんな批判の記憶はマスメディアの現場からは消え去ってしまった。

 ならば、その役割を我々が果たさなければならない。このコラムはネット上の小さな言論に過ぎない。しかし、ネットという言論空間は、いまやマスメディアの怠慢を白日に晒す役目を持ち始めた。
 前述のふたつの「言論抑圧事件」だって、ネットが報じてくれたからこそ、大きな反響を呼んだのだ。そしてそれが東京新聞というマスメディアのひとつを動かしたのだ。

 だから僕も、懲りずに書き続けよう。
 たとえ、この選挙結果がどうであろうと…。
 そして、こんな小さなコラムさえも「公益及び公の秩序を害する…」として抑圧されてもなお…。

 

  

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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