- 特別企画 -

憲法学者らによる反対の声が相次ぐなど、現在国会で議論されている「安保法制」の違憲性が、日に日に明らかになっています。一方、それとは少し違う観点から批判の声をあげているのが、東京外国語大学教授の伊勢崎賢治さん。アフガニスタンや東ティモールの紛争後処理に関わり、国連PKOを率いた経験もある伊勢崎さんは、今回の法案を「自衛隊員のリスクを格段に高めるもの」として強く批判する一方、「政府の違憲行為は、今に始まった問題ではない」とも指摘しています。「このまま矛盾を解消しようとせず、今回の法案を止めて『よかったよかった』で終わるのなら、きちんと改憲したほうがずっとまし」だという伊勢崎さん。その理由について、そして今回の法案の問題点について寄稿いただきました。2回に分けてご紹介します。

いせざき・けんじ 1957年東京生まれ。大学卒業後、インド留学中にスラム住民の居住権獲得運動に携わる。国際NGOスタッフとしてアフリカ各地で活動後、東ティモール、シエラレオネ、 アフガニスタンで紛争処理を指揮。現在、東京外国語大学教授。紛争予防・平和構築講座を担当。著書に『東チモール県知事日記』(藤原書店)、『武装解除 紛争屋が見た世界』(講談社現代新書)、『伊勢崎賢治の平和構築ゼミ』(大月書店)、『国際貢献のウソ』(ちくまプリマー新書) 『紛争屋の外交論―ニッポンの出口戦略』 (NHK出版新書)『本当の戦争の話をしよう: 世界の「対立」を仕切る』(朝日出版社)など。

(その2)
改憲か、違う道を行くのか、
待ったなしの選択を。
「敵を減らすこと」こそ究極の国防

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中国は日本にとって
「軍事的な脅威」ではない

 日本と中国との間には尖閣問題がありますし、小笠原沖の「乱獲」、そして、ちょっと日本から離れて南シナ海全域への中国の海洋進出は、フィリピンなど近隣諸国に対する挑発を超えて実効支配するまでになっています。私たちはこれらを、国際ルールを全く無視する中国の蛮行と捉えるわけです。
 国際ルール。ちょっと、立ち止まって考えてみましょう。国際社会は、そもそも、「無法地帯」なのかもしれません。つまり、日本社会を律する国内法のようなもの──罪を犯せばそれを裁く最高権威であり、同時にそのための圧倒的な強制力を持つ世界政府のようなものを、まだ人類は持ち合わせていません。国と国との問題を仲裁する国際司法裁判所はありますが、付託に対して係争両者の同意が必要ですし、領有権の根拠は、歴史的にどれだけそこを長く実効支配したかといったことが強いようです。つまり、領土を巡る「ルール」は今でもまだ、「早いもん勝ち」みたいな状況なのです。だから、フツウの国は、軍備を持ち、槍を外に向けて、他の国に近づかせないように抑止力としているのでしょう。
 でも、その軍備を実際に使うことについては、少し話が違います。「武力の行使」の要件については、現代の国際社会の国際法の守護神「国連憲章」で明確に規定されています。国連は、強制力のある世界政府のような存在ではありません。でも、忘れてはいけないことがあります。国連とは、枢軸国(安倍首相が知らなかったと揶揄されたポツダム宣言にある、「世界征服の暴挙」に出た侵略国家たち??)を負かした中国(その時の「中国」は今の中国ではありませんが)を含む五大戦勝国が、二度とそうした「侵略国家」が出現しないようにつくり上げた世界統治の体制です。「仲良しクラブ」でない彼らが、それでも「拒否権」でお互いを牽制し合い、それに加えて「核」で牽制し合いながらも(キューバ危機で一度ボタンが押されそうになりましたが)、世界の頂点に居続けているのです。
 逆に言えば、この体制を維持する限り、彼らは世界の王様でいられるわけです。繰り返しますが、その体制とは「侵略者」を出さない、許さないことを目的にしたものです。だから、彼らは「侵略」しないのです。こう言うといっぱい異論が出そうですね。言い直しましょう。彼らは、国連憲章で「自衛」として説明がつく「侵略」しかしないのです。

海沿いの原発施設のほうが、
よほど「脅威」では?

 国連憲章で認められた武力行使は「自衛」。自衛権を行使するには、まず自分が、もしくは「お仲間」が武力攻撃を受けなければなりません。前者が個別的自衛権、後者が集団的自衛権ですね。ここでは個別的自衛権の話をしましょう。
 個別的自衛権を使うには、相手がまず武力行使をするように仕向けるのが一番。だから、中国は「漁民」を使うのです。プラス、日本の海上保安庁にあたる警察力。「軍事力」ではありません。この挑発に、日本が警察力ではなく、国際的には軍事力とみなされる自衛隊を使って対処してくるのを待っているのです。そうすれば、日本が一方的に武力行使した、つまり「侵略」した、と説明できる。
 逆に言えば、中国の非軍事的な挑発に対して絶対に自衛隊で対処しないということを鉄則にすれば、中国は日本を「侵略」できないということです。だから、はなから中国を「軍事的脅威」と見なすのは、僕は間違っていると思います。あくまで、日本の領海内における「外国人犯罪」と見なし、今よりも厳しく対処すればいい。自衛隊が撃たない限り中国が自ら「軍事的脅威」になることはない、とドンと構えて、ビシビシ対処(海上保安庁の武器使用も含めて)すればいいのです。一番、日本人が理解しなければならないのは、中国は国際法の頂点に君臨する「手練れ」だということです。
 だいたい、「中国の脅威が」というのなら、日本海側にずらりと並んだ原発施設のほうがよほど脅威でしょう。あれは、北朝鮮「でさえ」国際法を守る(原発施設への攻撃は国際人道法違反です)という「前提」でつくられてきたもの。こう考えなければ、この国防上の愚行は説明がつきません。
 つまり、国際法を守るという国連加盟国の「善意」に依拠しなければ、我々の国では「国防」という概念さえ成り立たないのです。この状況は、すべての原発の再稼働を止めて廃炉にしても、放射性物質を地球外に廃棄する技術が生まれるまで、未来永劫、続きます。

何が自衛隊員を自殺に追い込んでいるのか

 さて、繰り返しになりますが、強調したいのは、今回の一連の安保関連法案が不成立になったとして、それで「よかったよかった」で終わらせてはいけないということ。集団的自衛権の行使容認を現政権が閣議決定したことで、急に「自衛隊の海外での武力行使は違憲だ」というのが注目されるようになりましたが、実は日本はそうした違憲行為を、とっくに何度も繰り返してきているのです。
 小泉政権下での自衛隊のインド洋給油作戦は、NATOの集団的自衛権の行使の作戦の一部ですし、その2年後のイラク派遣は、世界最強の軍事同盟であるNATOでさえアメリカの開戦の正義に異を唱えたのに、わざわざNATO加盟国でもない日本が「参戦」したという、国際法的には弁明のしようがない集団的自衛権の行使です。これを、日本はすべて特措法でやってきました。
 民主党政権下でも同じ。自民党からの政権交代期に特措法が駆け込み可決されたソマリア沖海賊対策は、そもそもは国連承認の集団安全保障である国際海洋作戦への派遣です。でも特措法の目的として、国民を納得させるために使われたレトリックは「邦人保護」でした。民主党政権はこれを廃案にせず、自衛隊の派遣は今でも続いています。前述の国連PKOについても、「住民の保護のために紛争の当事者になる」ことに変貌した国連PKO、南スーダンへの自衛隊派遣を決めたのは民主党政権のときです。
 今、自衛隊員の自殺率が非常に高いのは、こうした矛盾をすべて自衛隊に押し付けてきたことの結果であって、安倍政権になって急に始まった話ではありません。つまり、「戦争法案反対=特措法で違憲行為ができていた以前の状況に戻す」ではダメなのです。
 現代の戦争は、正規の軍隊同士のものではない「非対称戦」です。これは、国連PKOの世界でも、「非国連総括型」と今回の法案で呼ばれる、グローバルテロリズムを想定した有志連合型の軍事作戦でも同じです。民衆の中に敵がいる。笑顔を見せていた住民が、次の瞬間に撃ってくるかもしれない。これが自衛隊が送られる現場なのです。なのに、彼らの置かれた立場に対して国民の理解も、政府の支えもまったくない。そういう状況が、多くの隊員を自殺に追い込んでいるんです。日本がこのまま、今のような形で武装した自衛隊員を海外に送り続けるのなら、まず憲法を改正してからです。閣議決定や法律を弄ぶだけで済む話ではないのです。

もはや「火力の増強」を必要としない国際社会。
日本が担うべき役割は?

 ただ、実際には今の国際社会が必要としているのは、「火力の増強」ではありません。通常戦力を増強するだけではグローバルテロリズムに勝てないというのは、アメリカがすでにアフガニスタンで建国史上最長の戦争を戦い、証明しています。
 そのアメリカは2006年、軍事ドクトリンを20年ぶりに書き換えて、戦争に勝つには強大な軍事力だけではなく、民心の掌握が必要だとする「COIN(Counterinsurgency Field Manual)」という戦略を打ち出しました。この「民心の掌握」という非軍事の分野で、マッチョなアメリカが分かっていてもできない役割を、日本は「主体的に」できるはずです。国連PKOでも、一番日本に向いているのは、中立・非武装の国連軍事監視団だと思います。いまや、武装した自衛隊を海外に送るニーズはないのです。
 そのように、日本の強みを生かして、アメリカやその同盟国がやれないことを、補完的に担っていく。それは我々にとっての何よりの国防にもなると思うのです。究極の国防とは、やたらに勇ましいことを口にすることでもなんでもない、「敵を減らすこと」なのですから。

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※コメントは承認制です。
「安保法制は阻止すべき。けれど、そこで終わらせてはいけない」伊勢崎賢治(その2)」 に8件のコメント

  1. magazine9 より:

    今回の安保法案が「違憲」であることは、すでに多くの研究者が指摘していますし、その指摘はもちろん非常に重要なもの。しかし一方で、伊勢崎さんの「違憲行為は、とっくに何度も行われてきている」という指摘も、重く受け止められるべきではないでしょうか。
    これ以上、矛盾を現場の自衛隊員に押し付け続けるわけにはいかない。そこで日本が取るべき道は「改憲」なのか、それとも国際社会の中で、「火力の増強」とは違う役割を担う国になることなのか。選ぶのは、私たち自身です。

  2. Shunichi Ueno より:

    中国脅威論を煽り立て、自衛隊を前面に押し出そうとする試みの危うさが良く分かりました。
    日本が取るべき道は、国連を舞台とした平和構築のためのコーディネイターだと思います。
    さらに今世紀中には、各国の軍隊が廃止され、国際法に基づいた捜査権・逮捕権を持つ一つの警察力に代替されることを願います。カタストロフィが起きてからでないと動けない軍隊では、平和を回復するまでの兵士・市民の人的犠牲、復興のためのコストが大きすぎます。

  3. とろ より:

    彼らは、国連憲章で「自衛」として説明がつく「侵略」しかしないのです・・・

    そうか~,チベット侵攻は自衛としての侵略だったのか。
    あれが自衛になっちゃうと,元々我々の土地である沖縄を奪還し,現地の同胞を守るためとか何とか言って,
    解放軍送りこんできそうですね。
    現状だって,日本のタンカーの通路に軍事拠点着々と作っているんですよ,
    脅威ではないなんて,どうして言われるんでしょうか。

  4. はな より:

    チベットやウイグルに対する中国政府の弾圧は、国際社会から見ると「中国国内の人権問題」なので、現時点での「中国による他国侵略」とはみなされないということかと思いますが(ここで問題になっているのは、事実としてどうかという話ではなくて、国際社会においてどう受け止められるか、という話ですよね)。むしろ図式としては、UKにおける北アイルランドとかスペインにおけるバスクとか、日本なら沖縄とか、のほうが近いんじゃないでしょうか。

    もちろん、だから人権侵害が許されるという話ではありませんので、念のため。

  5. 立山たつあき より:

    いつも不思議に思うのだが、自民党は9条に限らず、殆どあらゆる点で現行憲法の価値観や理念に一度たりとも真剣にコミットしたことがなく、憲法の規制をいかに潜脱しようかという事のみに知恵を働かせてきた人たちだ。憲法を守る気のない人が、新しい憲法を作りたいというのがよくわからない。ルールを守る気がなく、ルールを守る態度すら見せたことのない人がルールを改めたいというのは余りに愚劣だ。今回の憲法違反の安保法案を成立させたのならば、もう憲法9条を改正する必要はないのだから、今回の法案が合憲だという人々は、今回仮に法案が成立したならば永久に9条改正を口にすべきではないし、今まで憲法9条改正を主張してきたこととの整合性をきちんと説明してほしい。

  6. 髙橋 徹 より:

    「敵を減らす事」こそ究極の国防、に大賛成です。そのために、自衛隊の(一部でも)サンダーバードにしてはどうでしょう。自衛隊は戦闘経験がありませんが、災害救助は年中やっているプロです。1世紀前に難破船を救助した話が教科書に載っているトルコが親日国というならそういう国を増やせばよい。逆の事をするから何年経っても恨みを買い、次の火種に連鎖してゆくのです。売るなら原発ではなく、「恩」です。

  7. 糸山 正武 より:

    はなさんの言うとおり。色眼鏡で見る世界観はすぐ矛盾を露呈する。

  8. 糸山 正武 より:

    「今自衛隊員の自殺率が増えたのは・・・押し付けた結果なのです。」伊勢崎さん、それは自衛隊員に対する大変な買い被りですよ。ほぼすべての自殺の原因は、個人的なものです。国際社会の中における自衛隊員の役割とか自衛隊の位置付けなどでは絶対にありません。(自衛隊OBより。}

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