- 特別企画 -

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5月29日、大阪・ジュンク堂書店難波店にて、蓮池透さん、伊勢崎賢治さん、マエキタミヤコさんによるトークセッション「平和と和解 その困難と希望」が開催されました。
 蓮池さんの著書『拉致2』(かもがわ出版)、伊勢崎さんの『伊勢崎賢治の平和構築ゼミ』(大月書店)『アフガン戦争を憲法9条と非武装自衛隊で終わらせる』(かもがわ出版)の合同出版記念イベント。韓国哨戒艦の沈没事件によって朝鮮半島の緊張が高まる中、解決の糸口が見えない拉致問題について、そして「平和」と「和解」について、3人はそれぞれ何を語ったのか? 充実のトークの内容を、3回に分けてお送りします。

(その2)
伊勢崎賢治さん
「和解」がもたらすもの

いせざきけんじ●1957年東京生まれ。大学卒業後、インド留学中にスラム住民の居住権獲得運動に携わる。国際NGOスタッフとしてアフリカ各地で活動後、東ティモール、シェラレオネ、 アフガニスタンで紛争処理を指揮。現在、東京外国語大学教授。紛争予防・平和構築講座を担当。著書に『東チモール県知事日記』(藤原書店)『武装解除 紛争屋が見た世界』(講談社現代新書)、近著に『伊勢崎賢治の平和構築ゼミ』(大月書店)などがある。

 僕には、以前からずっと蓮池透さんとお話をしてみたいという気持ちがありました。それはなぜか。僕はこれまでずっと国連で、いわゆる「仲介役」として働いてきました。たとえばアフガニスタンでも、日本が比較的「中立」な立場にある国だということで、仲介者として武装解除を担当し、和解を促進してきた。しかし、北朝鮮の拉致の問題においては、僕たちは絶対に仲介者になれません。なぜなら、我々自身が問題の「当事者」だからです。

 その意味で、拉致の問題を考えるというのは、僕にとって自分自身の立ち位置を考えるということ。今まで僕が「仲介者」としてやってきた経験がどれだけ活用できるのか、そのあたりを蓮池さんと話してみたかったんです。

◆国際社会からの注目を集める「広報戦略」を

 北朝鮮による拉致問題というのは、ある意味で非常に特異な人権侵害です。一般的に人権侵害というのは、強権的な国家が自国民を抑圧する形で起こることが多いんですが、これは強権的な国家による、他国の個人に対する暴力。その点で他のケースともまったく質の違う、非常に重大な人権侵害だと思います。

 しかしそうであっても、国際社会の中では「数百人の犠牲の問題」としてしか見られません。世界の紛争においては、1万、10万という単位で人が殺されるケースがいくつもあるわけですから、それに比べれば、ということになる。もちろん、だから重要性が低いとは僕は絶対に言いたくない。しかし国際社会がそう見てしまうというのもまた事実なんです。

 その中で、拉致問題を「国際的な人権問題」として、国際社会が常に注意を払うような状況に持っていくためには、戦略が必要です。数多くの問題を抱えている国際社会の中では「たかが数百人の問題」と見られがちだということをちゃんと認識した上で、しっかりとした広報戦略を立てなくてはならないんです。

 そう考えたときに一番まずいのは、一部の右傾化した勢力が自分たちの政治的アジェンダを達成するために拉致問題を利用する、という構図になってしまうこと。つまりは、国家主義的な、ナショナリスト的な勢力です。僕も一応自分のことは愛国者だと思っていますが、それとは違う意味での「ナショナリスト」ですね。

 そういう形になってしまうと、絶対に日本は足元をすくわれてしまう。なぜなら我々は、日本は第二次世界大戦のときに国家としてもっとひどいことをやってきたわけですから。その意味で、これまでの日本における拉致問題の扱われ方、特に自民党政権で行われてきたこと--民主党の一部にも同じ考え方の人たちがいますが--は、拉致問題が「国際的な人権問題」として存在感を示すことを阻止し続けてきたんじゃないか、と思うんです。

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◆「和解」が、国際的なモラルを破壊する?

 ここで、この拉致の問題を、僕がかかわってきたアフガニスタンの問題と比較して考えてみたいと思います。

 いわゆる「9・11」の後、国際社会では「テロリスト」という存在が顕在化しました。アメリカに本土攻撃をしたイスラム原理主義者が「テロリスト」とされ、アフガン攻撃が始まった。これが今に続く「対テロ戦」の始まりです。

 しかし今、この戦争を一番やめたいと思っているのはアメリカ国民であり、オバマ政権です。今のアメリカの経済状態で、「ベトナム化」してしまった、こんなお金のかかる戦争は維持できない。そんな余裕はないわけですね。そこでアメリカがやり始めたのが「和解」です。

 和解が常にいいことだとは、僕は絶対に思いません。和解というのは、ある意味で妥協です。戦争犯罪の訴追を譲歩して相手を許すという状況をしばしば生む。それは平和的解決かもしれませんが、同時にモラルの崩壊につながる危険があります。事実、内戦後に和解に至った国はどこも、戦後もその問題に苦しむんです。

 また、和解によって「人権」の概念を逆に傷つけてしまうこともあります。人権侵害をした首謀者を何らかの形で裁かなければ、人権法の実効性はなくなってしまいます。しかし一方で、戦争を止めるためには相手を、人権侵害の首謀者を許さなければならないことがある。僕がアフリカなどでかかわってきた「和解」も、その点において人権団体からのクレームを受けています。

 アフガニスタンにおいても、アメリカが一度「テロリスト」のレッテルを貼った相手、タリバンとの和解工作を始めているわけです。今後、日本政府は5年間にわたって年間800億円をアフガン支援に出すといっていて、すでに500億円が支払われましたが、その大半はタリバン兵士の社会復帰に使われています。つまり、「テロリスト」の更生、「テロリスト」との和解のために日本の血税が使われるわけです。

 また、今年に入って国連安全保障理事会は、タリバンとの「和解」のために、自分たちが定めた制裁リスト、いわば「テロリストのリスト」から一部のタリバン高官の名前を除外すると発表しました。これは果たしていいことなのか悪いことなのか。いったんは「お尋ね者」とした人間のリストから一部を外す、許すということは、国際社会が「正義」に対して妥協したとも取れてしまう。

 本来は、どうしても「和解」のために何人かをリストから外さなくてはならないのなら、かわりに別の人間をまたリストに付け加えるとか、そういうことをやらなくてはならなかったはず。しかし、その部分をやらなかった、単に「許す」だけになってしまったことで、国際的なモラルが崩壊して、いわゆる「テロリスト」がさらに図に乗ってテロ攻撃を再開するかもしれない。その心配は確実にあるんです。

◆「許す」だけでは解決しない

 我々が当事者である北朝鮮の拉致問題も、そういう観点を持って考えなくてはならないと思います。対話は絶対に必要です。しかし同時に、北朝鮮がやったこと、そして過去の日本がやったことも「悪いこと」なんだと、国際的にちゃんと認定しなくてはならない。対話をして許すだけではなくて、正義に対する「落とし前」をつけるということをやらなくてはいけないと思います。

 過去の紛争処理のケースでは、「真実と和解」とよく言われるように、「真実」の究明が和解の条件として捉えられ、正義に対する「落とし前」にされてきました。紛争当事者には、それぞれの強い正義があるのです。もちろん和解は、被害者やその家族にとってたまったものではありませんし、被害者の願いはあくまで彼らの正義の追及です。でも、正義の追及では何も打開しない袋小路に陥ったとき、もはや戦いに決着がつかない状況になったとき、終戦後の処理に「落とし前」を探す。それが、「真実」の究明です。つまり、紛争当事者同士が、加害者、被害者の立場から「真実」を追及するわけです。

 拉致問題の場合は、まだ生存者があちら側にいるわけですから、このような過去のケースを簡単に当てはめるわけにはいきません。でも、経済制裁という「報復」がなにも打開しない袋小路の状況になっている現在、必要なのは、「拉致被害者を取り返すための制裁」ではなく、「真実を究明するための交渉再開」かもしれません。

 蓮池さんが「政府が家族と同じ目線であってはいけない」とおっしゃったように、政府は感情で外交方針を決めるべきではありません。しかし、当事者国政府は、やはりその時々の強い世論の影響を受けますから、感情的になるのはどうしようもない側面もある(過去の歴史でもそうやって戦争が繰り返されてきたのですが…)。

 やはり、仲介者が必要です。たぶん、今国連に期待するべきなのは、更なる制裁措置でなく、仲介的機能なんだと思います。

 

  

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