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グードルン・パウゼヴァング著・高田ゆみ子訳/みすず書房

 ナチス統治下のドイツで普通の国民はどのような生活を送っていたのか。様々な物語を紡ぎながら描いたのが本書である。

 冒頭から胸が苦しくなる。

 1941年秋。小さな町で食料雑貨店を営むユダヤ人のビルンバウムさん一家が制服を着た男たちに連行される。2人の娘、エルスベートとノラも一緒だ。その一部始終を家の窓から見ていた少女は、エルスベートと学校で2年間、席を隣にした仲だった。しかし、ある時、母親から「付き合ってはいけない」と言われ、それから言葉を交わしていない。

 ビルンバウムさんたちがいなくなった家に、町の人々が入っていく。彼らは羽根布団、毛皮のコート、安楽椅子などを持ち出す。少女の母親は子供たちをキッチンに呼んで、まだ温かいスープを飲もうという。

 本書に登場する住民たちはユダヤ人らを石もて追うわけではない。その代り、いずれ強制収容所に連行されるだろうからと、彼らの店のものを「ツケ」で買い始めたりする。そして戦後になると、連合軍に対して「自分はナチス党員でもないし、積極的な協力は行わなかった」ことを証明するため、米国に逃げたかつてのユダヤ人の隣人に「潔白証明書」を書いてくれるよう頼むのである。

 こうした行為は卑劣だと顔をしかめることは簡単だ。しかし、もし自分が「その場に居合わせたら」と想像してみよう。多くの物語が他人事とは思えないのではないか。

 ドイツの敗戦時、著者は17才。総統なきドイツなど想像できなかった。ところが熱烈にヒトラーを崇拝していた大人たちは、これまでとはまったく別人のように振る舞った。そうした姿を前に彼女はこの恥ずべき時代を忘れてはならないと心に誓う。しかし、本書を書き上げるまでに30年以上を要した。自分のなかで歴史を総括するのにそれだけの時間がかかったのだろう。

 ここで語られるほとんどは彼女が実際に見聞きしたものである。

 敗戦後のある村で少女は馬に乗るロシア兵を見かけた。ロシア人は人間のくずであり、彼らはドイツ人女性を捕まえては強姦すると聞かされていた少女は、木の陰に隠れて息をひそめる。するとその兵士は馬から降りると、道端のタンポポを2輪摘み、ひとつは馬の額の革紐の下に、もうひとつは自分の耳のうしろにひっかけて、美しいテノールで悲しいメロディを口ずさみながら、去っていった。

 このエピソードもまた戦争における真実である。

(芳地隆之)

 

  

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