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(佐藤嘉幸・田口卓臣共著/人文書院)

 本書は、現代思想を代表する哲学者ミシェル・フーコーの研究者 佐藤嘉幸と18世紀の思想家ドゥニ・ディドロの研究者 田口卓臣の共著である。
 原発を産み出した近代日本の「国家と資本の結合体」とその「論理」への哲学からの徹底した批判の書であるとともに、ベンヤミン、フーコー、デリダなど華々しい現代思想の哲学者たちの概念と、著者たちが批判的科学者とよぶ高木仁三郎や熊取六人組、石橋克彦、あるいは宇井純やレイチェル・カーソンなど、原発や公害に反対し続けた科学者たちの言説を結合させた意欲作でもある。
 序論で著者たちはいう。「福島第一原発事故後に私たちが置かれた状況、核技術と原発が持つ技術的、かつ社会的諸矛盾、それらが国家と資本の論理と取り結ぶ諸関係、など多様な角度から分析する」にあたって、「哲学と複数の異分野とのクロスオーバーにおいて脱原発の哲学を構築する」と。
 「哲学」と称しているからといって敬遠するには及ばない。むしろ「哲学」の再定義の書物ではないかと受けとれるほど、どの章も具体的事例を取り上げ、提言も明快でわかりやすい。このことは、著者たちが福島県に隣接する茨城県と栃木県で教鞭をとる身であったことが関係しているだろう。危機が机上のものではなく、身に「切迫」したものであったはずだからである。

 第一部では、原子力発電と核兵器の本質的な関係性を考察する。原子力発電が核兵器開発の民生転用にほかならず、したがって核の「平和利用」という言葉は核の危険性を隠蔽する欺瞞であり、それらの違いは核の「戦時利用」か「平時利用」かに過ぎない。原発事故による避難民とは戦争による難民と同じ境遇に陥った人々のことであり、いつ終わるともなく、かつこうした広範囲に人々の生活を根こそぎ奪う原子力=核事故は「戦争」とのみ比較可能であると論じる。

 第二部では、原子力=核のカタストロフィックな危険性を隠蔽する「安全神話」などのイデオロギーを批判する。イデオロギーとは、権力が各主体に呼びかける「再認/否認」のメカニズムのことをいう。国家や経済権力はおのれの論理に合致する言説のみを再認し、それに反する言説は否認しつづけるのである。事故後も、「百ミリシーベルト以下の被ばく線量であれば健康に影響はない」といった言説や、福島県で増え続けている甲状腺ガンを「原発事故のせいではない」と否認している福島県立医科大学の例などがそれにあたる。

 第三部では、構造的差別のシステムがいかなる場面で露呈し、またどのような仕方で隠蔽されるのかが歴史的に遡って考察される。例えば、東京電力の前身でもある戦前の東京電燈株式会社の社史等を丹念に読み込み、原発立地によってもたらされる「中心と周縁」の逆転不可能な「構造的差別」の「起源」を明るみにだすといった具合に。

 第四部では、近代日本初期の産業公害である足尾銅山鉱毒事件をはじめとして、水俣病など公害の歴史を辿り、原発事故が数々の公害の延長線上にあることが論証される。本書によれば、近代化とは軍事立国(富国強兵政策)と工業立国(殖産興業政策)という二つの国策のことにほかならない。これらの国策を遂行してきたのは中央集権的な統治に依拠した「国家と資本の結合体」である。特に注目したいのは、著者たちが「戦前」と「戦後」の不連続性よりも、連続性を重視している点にある。原発事故を引き起こすような体制が既に戦前から準備されていたという。しかし著者たちがいうように、原発事故が日本の近代化の必然的な帰結であるとするならば、本書の冒頭に掲げられたベンヤミンの「例外状態の常態化」とは、原発事故のみならず、まさしくこの国の近代化の歴史そのもののことではないかとすら思えてくる。第三部から第四部は本書のクライマックスでもあり、読み物としても実にスリリングである。

 脱原発の実践においては、国民投票によって原発を止める以外にはないと、著者らは提言している。ここで著者たちは、日本のように原発を可能にする中央集権的統治システム下の民主主義を「管理された民主主義」と呼び、脱原発を実現する民主主義とは区別している。結論部において、そうではない新たな民主主義のあり方が論じられる。著者たちはいう。「脱原発とはまさしく民主主義の問題であり、『管理された民主主義』をより直接民主主義的な根源的民主主義(ラディカル・デモクラシー)へと変容させる手段の一つに他ならない」と。また、事故後の「脱被曝」は喫緊の問題でありつづけており、強制避難者、残留者、自主避難者、帰還者という違いこそあれ、それぞれの当事者の立場や意志に即した「多様なる脱被曝の方法」が擁護されねばならない。哲学は未来への責任のみならず、現にいまここで起きている「脱被曝」の「切迫性」(デリダ)に対する注視を怠ってはならず、むしろこの問題の解決に向けた言説を構築せねばならない。原発事故の事実、それこそが「人間的生」に真っ向から対立するものだからである。

 以上のように、本書は、3・11原発震災の諸問題を多岐にわたって論じると共に、生命絶滅技術としての原子力=核の暴力性を根源にまで遡ってその「病巣」を抉り出し、「病」の全体像を描ききったすぐれた書である。今後広く参照され、読まれつづけていくだろう。原発のなくなる日まで。

*本書の序論が出版元の人文書院のウェブサイトに掲載されているので、ぜひ読んでいただきたい(ページ中ほどにある「内容説明」欄の「序論公開中(PDF)」の★マークをクリックすると読むことができる)。

(北川裕二)

 

  

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