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ザ・フォーク・クルセダーズ/Dreamusic

 ザ・フォーク・クルセダーズ(略して「フォークル」)の結成メンバーの一人、加藤和彦が亡くなって、来月16日で4年が経つ。このアルバムは彼が自ら命を絶つ7年前の2002年、同じく結成メンバーの北山修、そして新たに「アルフィー」の坂崎幸之助が加わって、期間限定で再結成した際に制作された。
 声高な反戦歌やラブ&ピースはない。たとえばフォークルのオリジナル『あの素晴らしい愛をもう一度』はシンプルなラブソングだ。とはいえ、フォークルが精力的に活動した1965~1968年という、学生運動が盛り上がっていく時代の空気を思わずにはいられない。このアルバムには収録されていないが、南北朝鮮の分断を歌った『イムジン河』の日本語版を最初に歌ったのはフォークルである。1968年の発表当時、これは「北朝鮮の歌」ということで放送禁止歌になった(これについては井筒和幸監督の映画『パッチギ!』が、当時この曲がどう扱われていたかを描いている)。
 カバー曲も満載だ。たとえば昨年の紅白歌合戦で美輪明宏が歌った『ヨイトマケの唄』は、美輪が幼少時の友達のお母さんを思い出してつくった作品。当時、男たちに混じって工事現場の日雇い労働を行う女たちは珍しくなく、「土方」とか「ヨイトマケ」と呼ばれていた。そして「土方」という言葉が差別用語に当たるとして、これも放送禁止歌になった。
『花はどこへ行った?』は1950年にアメリカでつくられた曲である。花はどこへ行った?  少女がつんだ 少女はどこへ行った?  男のところへ(嫁に)行った 男はどこへ行った?  兵士として戦場へ行った 兵士はどこへ行った? 死んで墓に行った 墓はどこへ行った? 花で覆われた (そして再び)花はどこへ行った? 少女がつんだ。
 この曲と一続きのように始まる喜納昌吉&チャンプルーズの『花~すべての人の心に花を』は、フォークルのアコースティックな演奏と、抑揚や感情を極力排した歌声が、オリジナルとは一味違ったメロディを生んでいる。
 全体を通す、さりげないサウンドがこのアルバムの最大の魅力だ。最後に加藤や北山より7~8才若い坂崎の言葉を引用しよう。
「エンターテインメント分野でやるべき仕事とは何か。それは、歌も含めて、日常から少し距離を置いた価値観を提供することではないか。(略)かつて聴いてきた音楽は、親も学校も話題にしないような社会があることを教えてくれたし、恋愛や人生にも様々な視点や陰影があることを知らせてくれた。(略)しかし、自戒も込めて、今の音楽はそれを追わなくなったと感じています。若い人が作る言葉も、現実の狭い体験の中から紡ぎ出す身近なアイテムやメモのような、歌にするほどの力がないありふれたメッセージが多い。作り手はそれを『自分の歌』と思い、聴き手も共感する音楽だと言えば聞こえがいいけれど、音楽産業の中でビジネスとして消費しやすい形にさせられただけではないのでしょうか」(2013年4月21日付『朝日新聞』「仕事力」より)。
 いまの10~20代の耳に『戦争と平和』がどのように響くのか、あるいはまったく響かないのか。ちょっと興味がある。

(芳地隆之)

 

  

※コメントは承認制です。
vol.224 戦争と平和」 に2件のコメント

  1. クレヨン伯爵 より:

    「かつて聴いてきた音楽は、親も学校も話題にしないような社会があることを教えてくれたし(略)今の音楽はそれを追わなくなったと感じています。若い人が作る言葉も、現実の狭い体験の中から紡ぎ出す身近な…」
    わっ、わっ、坂崎さんうまいこと言うな(芳地さんの引用も)。どうも最近聴こえてくる若い人の歌に感じるモヤモヤ感の原因を、的確に言葉にまとめていただきました。まさにそこだ。現実どおりの日常の人間関係とか、「君を守るよぅぅ」とかそんなのばっかりな気がして……。歌は世に連れ・世は歌に連れか。若い人の保守化が進むわけですわ。まったく今どきの若い奴は……(笑。最後はうそです。立派な若い奴がおおぜいいて頭が下がりっぱなしです。人は好きな音楽を好きに聴けばいいです。オヤジの繰り言でした。謝ります。ごめんちゃい。←人生幸朗)。

  2. 芳地隆之 より:

    クレヨン伯爵さん、コメントありがとうございます。ぼくも同感です(立派な若者がおおぜいいるということも含めて)。坂崎さん、いいこと言いますよね。ぼくはアルフィーを少し誤解していたようです。

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