立憲政治の道しるべ

憲法によって国家を縛り、その憲法に基づいて政治を行う。
民主主義国家の基盤ともいえるその原則が、近年、大きく揺らぎつつあります。
憲法違反の発言を繰り返す政治家、憲法を無視して暴走する国会…。
「日本の立憲政治は、崩壊の危機にある!」
そう警鐘を鳴らす南部義典さんが、現在進行形のさまざまな具体的事例を、
「憲法」の観点から検証していきます。

安保二法、次は「施行の日」の閣議決定

 安保二法が国会で成立してから、10日が過ぎました。「国民には一日も早く忘れてほしい。熱狂から醒めてほしい」と、与党の国会議員はみな心の底から願っているはずです。経済、景気の問題に国民の関心をシフトさせようと、安倍総理以下、政府高官も腐心しています。

 安倍内閣は25日、安保二法の「公布」という手続きを取りました。「安保二法は、こんな内容です」ということを、きょう(30日)付で国民に広く知らせるためのものです。次の段取りとして、「安保二法が○年○月○日に効力を発します」という「施行の日」を、内閣の権限(政令)で決めることになっています。施行の日は、きょうから数えて「6カ月以内」です。つまり、安保二法は今年度中には、法律として効力を発することになります。しばらく、安保法制の動向から目が離せません。

「ルールの虜」には、絶対になってはいけない

 法律に限りませんが、社会、組織あるいは仲間内で出来上がったルールを、合理性がないことを十分わかっていながら、意識的に変えることなく、自ら「ルールの虜(とりこ)」と化してしまうのは、日本人の悪い習癖です。

 「ルールの見直しを放棄すると、いずれ取り返しのつかない災禍が及ぶことがある」これは、福島第一原発事故で私たちが学んだ教訓でした。24時間365日、がんじがらめに縛っておくべきものを、油断と慢心で放っておいた結果、かけがえのない大きなものを失いました。私たちは、この教訓を深く心に刻み、政治、行政を根本から変えようと決意したはずです。

 私たちが「安保法制の虜」と化したとき、いずれ起こり得るのは、海外における戦災、戦禍に他なりません。冷静に考えてみれば、戦争放棄条項(憲法9条1項)の主語が「日本国民」である以上、これと矛盾するルールの虜と化すことなど、国民が犯す憲法違反であって、絶対にあってはならない話です。

 しかし今となっては、「何でもお任せの国民性がむき出しになって、内閣と国会にフリーハンドを与えていませんか?」「憲法解釈をいくらでも融通して、何でもはてはめて都合よく“合憲化”する癖が付いたのではないですか?」と、いまを生きる私たちは、未来の主権者から非難されかねない立場です。日本人の忘れ癖も最近とくに酷いと思うことがありますが、「憲法を継承していくことに、もう少し危機感を持ちなさい」と、未来の主権者から警告を受けている気がしてなりません。

 私たちは、このまま安保法制の虜と化してしまうのでしょうか? それとも、虜とならない途が、まだ残されているのでしょうか?

内閣独断の憲法解釈はまだ、国民の確信に変わっていない

 結論をまず述べれば、私たちには安保法制の虜となることなく、健全な主権者として歩む途が、まだ残されています。その理由は、憲法改正国民投票制度との比較において明らかにできます。

 国民投票で、憲法改正案に対する賛成票が投票の過半数を占めた場合を想像してみてください。この場合、過半数の承認を得た憲法改正案が、国民の(憲法的)確信に支えられながら、効力を発することに誰しも異論はないでしょう。国民投票の機会で、主権者である国民が承認し、自ら選択する憲法改正です。国民の確信が生まれているかどうかと、疑いを挟む余地はありません。

 しかし今回は、内閣が独断で行った、憲法解釈の変更にすぎません。今のところ、「解釈変更に正当性あり」と確信しているのは、安倍総理本人、その他の閣僚、安保二法案に賛成した国会議員、一部の政府関係者くらいでしょう。安保法制に関して、国民は誰一人として“賛成”とも“反対”とも、国民投票のような権威ある決定に加わっていません。したがって、国民の確信が生まれているかどうか、立ち止まって考えなければなりません。

 戦後の有識者による憲法私案として知られている、憲法研究会「憲法草案要綱」(1945年12月)は、当会草案による“暫定的な憲法”がいったん施行された後、10年以内に改めて国民投票を実施し、国民の手によって新しい憲法を制定すべきことを提案していました。占領という、立憲主義が停止した状態の中で“暫定的な憲法”がいったん施行されるのは避けられないものの、最終的には、国民の確信に基づく“恒久的な憲法”が必要だと考えられていたのです。

 私も、「変更された憲法解釈が、将来にわたって、国民の確信に変わる可能性はない」とまでは断言しません。「そうなる、わずかな可能性がある」ことを認めます。しかし、憲法改正国民投票が行われる場合と同じように、国民の確信が生まれた、あるいは国民の確信に変わったと評価するためには、それなりに長い期間を要するといえるでしょう。

20~30年の後戻り期間がある、と考える

 国民の確信が生まれるまでの期間を、どれくらいの幅として考えるかが問題です。
 某野党の幹部(=法令解釈担当大臣の経験があるといえば、だいたい特定されるでしょう)は今月初め、「憲法解釈が国民の間に定着するまで、少なくとも20~30年はかかる。それまでの間は、(安保法制見直しに関する)野党の出番はまだまだある」と、公の場で発言しました。

 私はその場で発言を聞いていて、直感的になるほどと思いました。しかし、内閣が独断で変更した憲法解釈を元に戻す手続きは、誰も経験したことがなく、国会、裁判所で議論になったこともありません。何を根拠に20~30年という後戻りの期間が示されたのかは、実のところ明確ではありません。

 私の想像ですが、PKO協力法(1992年)が念頭にあるのかもしれません。武力の行使(憲法9条1項)の例外的許容要件である“PKO参加5原則”が、二十数年間、政府解釈として安定維持された結果、国民の確信が得られたことを踏まえて、主張の根拠としているのでしょうか? …ともあれ、世論の後押しがなければ、空回りの発言で終わってしまいかねません。

 国民は、憲法に関する最高権威であり、最高の取扱責任者です。内閣よりも、国民自身が憲法について何を考え、行動するかが重要です。「一億総○○」という言い方が流行り始めていますが、国民自身が後戻りを考えなくなったらおしまいです。少なくともあと20~30年、内閣独断の憲法解釈を元に戻す、この地味な取組みを続けられないものでしょうか。このように考え続けることが、「安保法制の虜」にならないための歯止めになるのです。

 「安保法制の理解を深めていく努力を、これからも続けていかなければならない」と、政府与党の幹部が尚も言い続けています。取りも直さず、国民の確信を得るに至っていないことを自認しているようなものでしょう。内閣独断の憲法解釈はまだ、大地に根を張っていません。あきらめるには早いのです。

憲法解釈を元に戻すマニフェストを

 20~30年の後戻り期間中、主権者、選挙の有権者としてなすべきことが見えてきます。
 まず何より、内閣を入れ替えること、つまり政権交代を実現することです。2014年7月1日の閣議決定を新しい内閣の権限で「撤回」することが初めの一歩です。閣議決定の撤回によって、「集団的自衛権の行使は、必要最小限度の自衛の措置を超えるもので、憲法上許されない」とした1972年の政府見解が、自動的に蘇ります。存立危機事態などという概念は即、「違憲」となります。
 
 良識ある野党には、憲法解釈を元に戻す政治約束(マニフェスト)を一日も早く、提示してほしいと思います。「安保法制に反対」との声は、十分すぎるほど耳に入ってきますが、憲法解釈を元に戻すという立憲主義修復の取組みについて、野党の姿勢がはっきりしません。「安保二法に反対するのはいいけれど、憲法解釈をこの先どうしてくれるの?」「もしかして、このまま?」という国民の率直な疑問に、公党として明確に応えるべきです。安保二法の廃止を唱えるだけでは不十分です。

鵺(ぬえ)に対抗できるよう、良識ある野党に知恵と力を

 そんな中、自民党は11月、結党60年を迎えます。私も含め、保守合同(1955年)を知らない世代が増えてきていますが、この60年間(小泉改革の時代を含めて)、鵺(ぬえ)のように生き永らえてきたのが、自民党です。55年体制下では、社会党もまた、中選挙区制度の下で共存する鵺仲間でした。1993年の細川内閣誕生で、自社二大政党の体制はいったん崩壊しましたが、自民党は再び息を吹き返しました。

 何より、憲法を鵺のように扱ってきたのも、自民党です。これに対抗し、阻止しようとする、良識ある野党の存在が小さく、力が弱かったことも原因です。しかし、「鵺には、鵺で対抗することはできない」というのが、55年体制下で得られた一つの教訓でした。万年与党と万年野党を二分し、固定化してしまったのです。政権交代前後の民主党(野党第一党)に対しては、党内がバラバラであってはならず、相当強靭に一枚岩でなければならないと、民主党にことさら注文が付いたのは、そんな事情が隠れています。

 通常国会が閉会してから、野党再編論議が盛んです。様々な意見が飛び交っていますが、自民党という鵺とは別に、もう一つの鵺を生み出そうとする単純な発想には、私は反対です。コンビニ業界の出店調整のごとく合理性があるものは理解できますが、一つの看板にまとまることが目的化しては、国民の期待が真っ先に離れます。野党の看板が減って選択のメニューが限られること自体、有権者にとって迷惑です。何より個々の野党が鍛えられ、党の個性を伸ばすチャンスを失います。あくまで、個々の看板のままで勝利できるよう、その範囲での協力、連携を模索すべきです。一つの政党に合併する必要はなく、2014年7月1日の閣議決定を撤回するためだけの「暫定連立内閣」を組織し、撤回が済み次第、連立を解消しても構わないわけです。

 この先、20~30年の後戻り期間があるとしても、その間、鵺を増やしてしまっては元の木阿弥です。良識ある野党がそれぞれ、憲法解釈を元に戻すという負託に応えてくれることを願っています。

 

  

※コメントは承認制です。
第78回 あと20~30年は、安倍内閣の独断をはね返す“後戻り”期間となる」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    最近はあまり聞きなじみがないかもしれませんが、「鵺」とは『平家物語』にも登場する伝説の生き物で、頭、体、尾がそれぞれ別の生き物の姿をしており、得体の知れなさで人々を不安に陥れたとされる怪物です。最後には退治されてその姿が明らかにされるのですが、「政界の鵺」も、その正体をしっかりとらえることが、大事なのかもしれません。先週のシルバーウィーク中も全国で反対運動の集まりがありました。若手弁護士を招いて憲法を学ぶ「憲法カフェ」も、引き続き各地で開催されているようです。成立されたからとあきらめては、相手の思うツボなのでしょう。次の選挙までこの声を途切れさせずに上げ続け、憲法を私たちの手に取り戻していきましょう。

  2. L より:

    >社会党もまた、中選挙区制度の下で共存する鵺仲間
    >「鵺には、鵺で対抗することはできない」というのが、55年体制下で得られた一つの教訓でした。万年与党と万年野党を二分し、固定化してしまったのです。

     今ひとつ、ピンと来ない。
     確かに社会党内には政争があったが、自民党のような極右から社民的・平和主義の幅はなかった。一枚岩と形容される共産党とは違うが、鵺とまでは言えない。55年体制下で明文改憲・海外派兵を防いだのは、総評・社会党ブロックの力だと思うが?こうして、首が締まっているのは、中曽根が総評・社会党ブロックを潰したことによる。もっと言えば、世間が火事の野次馬のように囃したておもしろがったこと。
     55年体制下で、化物たる鵺の自民党が暴走できなかったのは、万年与党と万年野党が地球と月のように互いに強い力で影響し合っていたからでしょう。互の軛を脱せずぐるぐる回っていたと。また、環境、福祉、医療(、教育)といった面でなんぼかましにしていったのは社会党の影響が大きかったと思います。
     55年体制”後”で得られた一つの教訓として「鵺には、(民主党のような、田中派、民社、社会、政経塾等からなる)鵺で対抗することはできない」と言えるかもしれません。が、もはや自民党は鵺でさえなく”純粋な極右”政党です。自民党に対抗する側も、英・西・希・豪などのようにはっきりとした主張を打ち出すべきだと思います。立憲フォーラム+共とかでまとまって欲しい。

     とはいえ、私も悩み深いのですが、当面は参院選なので小選挙区制は与件ですから共産党が示す”鵺”も避け得ないでしょうね。人民戦線と呼んであげてください。これはこれで暗い予感の言葉ですが。

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南部義典

なんぶ よしのり:1971年岐阜県岐阜市生まれ、京都大学文学部卒業。衆議院議員政策担当秘書、慶應義塾大学大学院法学研究科講師(非常勤)を歴任。専門は、国民投票法制、国会法制、立法過程。国民投票法に関し、衆議院憲法審査会、衆議院及び参議院の日本国憲法に関する調査特別委員会で、参考人、公述人として発言。著書に『[図解]超早わかり 国民投票法入門』(C&R研究所)、『18歳選挙権と市民教育ハンドブック』(共著・開発教育協会)、『動態的憲法研究』(共著・PHPパブリッシング)、『Q&A解説・憲法改正国民投票法』(現代人文社)がある。(2017年1月現在) →Twitter →Facebook

写真:吉崎貴幸

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