立憲政治の道しるべ

憲法によって国家を縛り、その憲法に基づいて政治を行う。
民主主義国家の基盤ともいえるその原則が、近年、大きく揺らぎつつあります。
憲法違反の発言を繰り返す政治家、憲法を無視して暴走する国会…。
「日本の立憲政治は、崩壊の危機にある!」
そう警鐘を鳴らす南部義典さんが、現在進行形のさまざまな具体的事例を、
「憲法」の観点から検証していきます。

2016.8.8 今上天皇の「お気持ち表明」を伝える、NHKニュース

憲法上の制度としては、厄介で、扱いづらいもの

 天皇は、言わずもがな、主権者である国民の「総意」に基づいて、「象徴」という地位が与えられています(憲法1条)。また、憲法の名宛人(国民による命令の対象者)の一人として、憲法を尊重し、擁護する義務を負っている存在です(99条)。

 もっとも、天皇は「国政に関する権能を有しない」とされながら(4条1項)、その存在は、権力の抑制、監視という観点で考えると、事実の上でも、観念の上でも、意外に厄介で、扱いづらいものです。天皇は、私的な行為を除いては、国の機関として行う類型限定的な「国事行為」(7条)のほか、象徴としての行為を日々行っておられますが(つい先日は、全国戦没者追悼式に出席され、おことばを述べられました)、象徴としての行為という「第三の類型」も、憲法上許されるという政府の解釈に基づくものにすぎません。政府が意識して“歯止め”をかけなければ、天皇自身の活動領域も必定、増していくばかりです。

 また、皇位(天皇の地位)は終身、世襲によるものであって(2条)、常時、民主的にコントロールすることはできません。任期を設けて、選挙を行っているわけではありませんし、勝手なお世話を申し出ることさえ不可能です。天皇という制度、地位をいかに、憲法の枠組みに封じ込めるかということが、きょうまでの70年間、一大テーマであり続けたことは事実ですし、これからもそうあり続けるでしょう。

 今上天皇の「お気持ち表明」(2016年8月8日)は、私のような縁も所縁もない者も含め、否が応でも天皇(制)について考えさせられる機会になりました。私は思わず、陛下の曾々祖父に当たる孝明天皇(1831.7.22~1867.1.30)との比較で、陛下の日常活動と照らし合わせ、国の機関として天皇が果たすべき役割、そして、陛下が現に置かれている状況を考えたところです。

 孝明天皇は、天然痘を患い、若くして崩御されたのですが、生前は、お住いの京都御所からたった2回しか外出したことがなかった、というエピソードがあります。日本は当時、黒船が来航し、幕藩体制の崩壊(明治維新)が緩やかに進行していた時代でしたが、150年ほど前の天皇制は、一般の社会とは完全にかけ離れていました。開国を迫る外国を排斥する「攘夷論」「攘夷運動」が盛んだったものの、孝明天皇は「外国人」というものを生の眼で確かめたことがなく、SF映画に登場する宇宙人のようなイメージを思い描いていたとも伝えられています。日常、孝明天皇に謁見することができる者が限られていたことは言うまでもなく、世間を知る術さえなかったのです。

 この150年間で、天皇と市民の立場は、主権の所在に関して革命的な転回を遂げ、両者の距離は、飛躍的に縮まりました(150年前には、国家、主権、市民という概念さえありませんでした)。明治憲法下では、天皇は元首であり、かつ主権者でしたが、日本国憲法の下では、私たち市民が主権者となりました。いわゆる「宮務」に関しても、明治憲法は皇室自律主義という考え方を採って、皇室任せにしていましたが、日本国憲法は、皇室に関する事項は、国会の議決する「皇室典範」(形式上、法律と同じ効力を有します)によって定めることとし、国会中心主義という立場に則っています。皇室に関するルールづくり、ルール変更はすべて、国会による議決が必要なのです。

 今や、「お気持ち表明」のように、私たち市民が、陛下の考えをリアルタイムに、ダイレクトに知ることが可能な時代です。ニュースでも頻繁に、陛下ないし皇族の方々の話題が取り上げられ、私たちは自由に、SNS等で議論を交わすことができます。忖度のレベルにすぎないかもしれませんが、天皇の生前退位に係る皇位継承のあり方に加え、「高齢化」という問題も炙り出されている現状で、天皇という制度と存在、皇位継承のあり方等について、いよいよ、主権者である私たち自身が考え、納得し、確たる結論を導き出さなければならなくなりました。この宿題は、決まった期限はないものの、いたずらに先送りすることもできず、一定のスケジュール感を持って取り組まなければならないことは、多くの市民が自覚しているところです。いままで誰も考えたことがない、新たなルールづくりに関して、いつ、誰が、どのような手順を踏んで決めるのか、という「決め方」も問われることになります。

有識者会議の後、国民投票を実施すべき

 陛下の「お気持ち表明」を踏まえ、政府は、「お気持ち」を尊重するという姿勢で、9月にも有識者会議を設け、議論を始める方針を固めていると報じられています。有識者会議がどのように立ち上がり、議論を進めていくのか、私には知る由もありませんが、早ければ、来年の今頃には、一定の結論が集約されているかもしれません。生前退位を容認するとしても、これを一般的、恒久的な制度とするか(皇室典範の改正)、今上天皇一代限りの特例措置とするか(特別法の制定)、意見のさや当てがすでに始まっていますが、来年秋の臨時国会以降、国会では具体的な議論が始まっている可能性もあるでしょう。
 
 私は、有識者会議が、生前退位を容認する方向で一定の結論を集約すると当然予想するものですが、会議の「答申」が公表された後に改めて、生前退位の是非を問う国民投票を実施すべきであると考えます。以下、その理由を3点述べます。
 
 第一に、天皇という制度、地位が憲法上、主権者である国民の「総意」に基づくものであることを重視する点です。憲法、皇室典範は、天皇の崩御以外の事由に基づいて、その地位が変動する場合を、基本的に想定していません。そこで、新たなルールを整備する必要が生じるわけですが、変動の在り様についても国民の「総意」に基づく必要があると考えることが、憲法1条の趣旨に照らして妥当であると考えるためです。生前退位の制度化は、憲法改正を要しないといっても、憲法改正に匹敵する重要なテーマであるといえるでしょう。もちろん、いつの時代にあっても、国民の「総意」とはただの擬制でしかありえませんが、国民投票の結果が、天皇という制度、地位をその後も支え続ける有力な根拠、支柱となることは言うまでもありません。
 
 第二に、国民投票の実施には、天皇による立法イニシアティブを、静かに否定する効果が得られるという点です。陛下が「お気持ち表明」を発した後、政府及び国会に、然るべき立法措置を命じた(講じさせた)のだという受け止めが一般に広まってしまっては、事実上の立法イニシアティブを行使したことを認めることに他ならず、「国政に関する権能を有しない」とした憲法4条の規定に反する状態を生み出すことになってしまいます(市民意識の問題として、少なくとも、このような疑い、懸念が生まれます)。そこで、国民投票を実施して、最後は主権者である国民が決めたのだ(国民が決めてくれたのだ)という決定プロセスを経ることにより、陛下による立法イニシアティブを静かに否定し、あらゆる疑い、疑念を解消する必要があると考えます。
 
 第三に、私たち市民が、少数意見ないし反対意見の内容を十分に知る機会になるという点です。現状では、今上天皇があまりにもお気の毒であるという率直な評価が広がっており、生前退位に賛成する世論が9割を超えている調査結果もあります。となると、国民投票を行った場合の結論はすでに見えている部分もあるわけですが、天皇制ないし生前退位そのものに反対する意見もあるということも十分に承知し、学び、考慮しなければなりません。また、生前退位を行った場合、皇太子は誰になるのか(女性を容認するか)、退位後の呼称や憲法尊重擁護義務との関係、元号の取扱いなど、関連する論点は様々あることを理解し、自らの意見を形成していかなければなりません。議論の射程は、生前退位の是非だけに留まりません。少数意見ないし反対意見こそ、議論を悩ませてくれるのです。

 政府が特定の政策に関して市民の声を聴く方法としては、パブリックコメントの制度があります。たとえば、第2次安倍内閣のときでしたが、特定秘密保護法案の概要について、2013年9月3日から15日まで(法案を国会に提出する前でした)パブリックコメントにかけて、9万件に上る意見が届けられたことがありました。

 国民投票なんて、手間もかかり、コストもかかって面倒だから、パブリックコメントで十分だとの考えもあるでしょう。しかし、パブリックコメントは、「一部の意見を、一方通行で聴く」制度としては有効で、効率的ではあっても、市民どうしの意見の交換、交流を促し、世論を築き上げていく効果まで期待できるわけではありません。いま、これを行えば、結局、第3次安倍内閣が行う政策について、意見を述べるだけになってしまいます。やはり、有権者一人ひとりに、「一票」を等しく与えて、公平に決することがベターだと考えます。

 与野党が全会一致で、「天皇の生前退位の是非を問う国民投票を実施する法律」を制定することを願いつつ、議論のたたき台として、別紙(PDF「天皇の生前退位の是非を問う国民投票を実施する法律」の基本的考え方)のとおり、「基本的考え方」を作成してみました。ご笑覧いただければ幸いです。議論は、これからが本番です。内容だけでなく、その「決め方」も問題になることを、最後にもう一度申し上げておきます。

 

  

※コメントは承認制です。
第101回 天皇の生前退位の是非を問う国民投票、を実施すべき」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    普段の生活で「天皇制」を意識する機会は少ないかもしれませんが、今回の「お気持ち表明」は放送される前から話題を集めました。このテーマに限らず、いま私たちの国のあり方について、あらためて向き合い、考える時期が来ているように思います。

  2. 樋口 隆史 より:

    実は天皇陛下は同和問題で苦しんでおられる方々に大変なご理解を示されておられるそうです。立場は違えど、同じ日本国民なのに生活や行動を制限されてしまう点で同じであると。被差別の視点から見る限りでは、天皇陛下は日本で差別を受けている方々のお一人ではないかと思います。おいたわしい限りです。

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南部義典

なんぶ よしのり:1971年岐阜県岐阜市生まれ、京都大学文学部卒業。衆議院議員政策担当秘書、慶應義塾大学大学院法学研究科講師(非常勤)を歴任。専門は、国民投票法制、国会法制、立法過程。国民投票法に関し、衆議院憲法審査会、衆議院及び参議院の日本国憲法に関する調査特別委員会で、参考人、公述人として発言。著書に『[図解]超早わかり 国民投票法入門』(C&R研究所)、『18歳選挙権と市民教育ハンドブック』(共著・開発教育協会)、『動態的憲法研究』(共著・PHPパブリッシング)、『Q&A解説・憲法改正国民投票法』(現代人文社)がある。(2017年1月現在) →Twitter →Facebook

写真:吉崎貴幸

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