立憲政治の道しるべ

憲法によって国家を縛り、その憲法に基づいて政治を行う。
民主主義国家の基盤ともいえるその原則が、近年、大きく揺らぎつつあります。
憲法違反の発言を繰り返す政治家、憲法を無視して暴走する国会…。
「日本の立憲政治は、崩壊の危機にある!」
そう警鐘を鳴らす南部義典さんが、現在進行形のさまざまな具体的事例を、
「憲法」の観点から検証していきます。

教育勅語にすがる政治家の愚

 この国には、「保守」を自認、自称する人が少なからずいます。しかし、その多くは、習俗、宗教など、社会における多元的な価値の共存を許容する、日本ながらの伝統的な保守主義とは違う趣を持っています。特定の時代における特定のトレンドだけを捉えて(明治憲法ないし大日本帝国的なものに対する一方的な妄想と憧憬を抱いて)、国家、社会、個人のあり様を声高に論じる、浅学、摘み食いの「保守主義者」がいかに多いことか、最近のニュースを視るたびに、つくづく感じます。
 稲田防衛相は先週8日の参議院予算委員会で、野党議員から過去の発言を取り上げられ、「教育勅語の精神である親孝行など、核の部分は取り戻すべきだと考えており、道義国家を目指すべきだという考えに変わりはない」と答弁しました。この点、発言の本旨(真意)としては、教育勅語そのものの復活を主張したわけでもなく、発言中の「核の部分」がいったい何を意味するのか、不明な点もあります。しかし、現職の衆議院議員であり、国務大臣である者が、教育基本法や学校教育法ではなく「教育勅語」という旧憲法下の規範を持ち出し、特定の施策の必要性を説くこと自体、日本の民主主義教育にとって大変不幸なことです。
 戦後、教育勅語の扱いに対してはGHQの強い指導と介入がありました。本文末に引用していますが、衆議院では「教育勅語等排除に関する決議」、参議院では「教育勅語等の失効確認に関する決議」が、1948(昭和23)年6月19日に、それぞれ議決されています(また同日、衆議院、参議院の決議を受けて、政府側を代表して、森戸辰男文部大臣が発言しています)。日本は当時、まだ占領下にあり、主権を完全に回復してはいませんでしたが、教育勅語の排除、失効は、国会(衆議院、参議院)の意思であるとともに、政府方針として、69年前に確定しています。今回の発言は、過去に確定した国会、政府の方針に対する、重大な挑戦です。

教育勅語“排除”の再決議を

 稲田防衛相の発言は、過去の国会決議を軽視する風潮をもたらしかねません。過去の国会決議には、“非核三原則”のように、憲法、法律などに成文化はされていないものの、「事実上の憲法規範」としての効力を持っているものがあります。議員、大臣が、決議の内容を以て立法、行政の限界と認識するのでなければ、ひいては、立憲主義の真底の部分をグラグラと揺るがすことになってしまいます。また先日、「長靴業界は、かなり儲かった」と軽口を叩いて、一人の大臣政務官が辞任しましたが、発言の重み、影響からすれば、稲田防衛相のほうが、問われるべき責任は重大です。国会の意思に従って、国務大臣として当該発言を撤回することが最低限、必要です。
 教育勅語に対するアフェクション(愛情)は、稲田防衛相に限りません。3年前、当時の下村文科相は「教育勅語の中身そのものについては今日でも通用する普遍的なものがあるわけでございまして、この点に着目して学校で教材として使う、教育勅語そのものではなくて、その中の中身ですね、それは差し支えないことであるというふうに思います」と、教育勅語を副教材として使用することを肯定する答弁をしたことがあります(第186回国会参議院文教科学委員会会議録第9号〈2014年4月8日〉14頁)。
 同日の委員会では、先般、天下りあっせん問題で引責辞任した前川文科事務次官(当時、初等中等教育局長)も、「教育勅語を我が国の教育の唯一の根本理念であるとするような指導を行うことは不適切であるというふうに考えますが、教育勅語の中には今日でも通用するような内容も含まれておりまして、これらの点に着目して学校で活用するということは考えられる」と、下村文科相に歩調を合わせた答弁をしていました。教育勅語に関して、国会では「もぐら叩き」のごとく、時折、問題視されているのです。
 政治、行政の中で教育勅語に対するアフェクションが続いては、教育基本法、学校教育法等に基づく、民主主義的な教育行政は成り立ちません。第二、第三の稲田発言を生まないためにも、衆議院、参議院は、教育勅語の排除、失効に関する再決議をすべきであると考えます。69年前とまったく同じ文章である必要はありませんが、教育基本法等の理念を尊重し、個人の尊厳の確保を大前提に、主体的な市民を育んでいくことの大切さを、改めて確認すべきです。
 衆議院、参議院で決議が行われた後には、それぞれの本会議場で内閣総理大臣が意見を述べることが慣例です。11年前、当時の安倍内閣官房長官は、野党議員から教育勅語の位置付けについて問われ、「戦後の諸改革の中で、教育勅語を我が国教育の唯一の根本とする考え方を改めるとともに、これを神格化して取り扱うことなどが禁止され、これにかわり、我が国の教育の根本理念を定めるものとして昭和22年3月に教育基本法が成立されたものである、このように理解をいたしております」と、至極真っ当な答弁をしたことがあります(第164回国会衆議院教育基本法に関する特別委員会議録第8号〈2006年6月2日〉2頁)。この内容をもう一度、安倍総理の口から、衆議院、参議院で言明させる必要があると考えます。
 文末に引用していますが、森戸文相(当時)は、教育勅語が「将来濫用される危険」について触れています。70年近くたって、その懸念は現実の政治問題と化しています。国会、議院の矜持を賭けて、政治、行政の現場から「安倍色」を抜いていく取り組みに期待したいところです。

◆1948(昭和23)年6月19日 衆議院本会議「教育勅語等排除に関する決議」

 民主平和國家として世界史的建設途上にあるわが國の現実は、その精神内容において未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。これが徹底に最も緊要なことは教育基本法に則り、教育の革新と振興とをはかることにある。しかるに既に過去の文書となつている教育勅語並びに陸海軍軍人に賜りたる勅諭その他の教育に関する諾詔勅が、今日もなお國民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、從來の行政上の措置が不十分であつたがためである。
 思うに、これらの詔勅の根本理念が主権在君並びに神話的國体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ國際信義に対して疑点を残すもととなる。よつて憲法第九十八條の本旨に從い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの詔勅の謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである。
 右決議する。

◆1948(昭和23)年6月19日 参議院本会議「教育勅語等の失効確認に関する決議」

 われらは、さきに日本國憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが國家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に拂拭し、眞理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。その結果として、教育勅語は、軍人に賜はりたる勅諭、戊申詔書、青少年学徒に賜はりたる勅語その他の諸詔勅とともに、既に廃止せられその効力を失つている。
 しかし教育勅語等が、あるいは従来の如き効力を今日なお保有するかの疑いを懐く者あるをおもんばかりわれらはとくに、それらが既に効力を失つている事実を明確にするとともに、政府をして教育勅語その他の諸詔勅の謄本をもれなく回収せしめる。
 われらはここに、教育の眞の権威の確立と國民道徳の振興のために、全國民が一致して教育基本法の明示する新教育理念の普及徹底に努力を致すべきことを期する。
 右決議する。

◆1948(昭和23)年6月19日 衆議院の決議を受けての、森戸辰男文部大臣の発言

 ただいま本院の御採択になりました教育勅語等排除に関する決議に対し、私は文教の責任者として深甚の敬意と賛意を表するとともに、一言所見を申し述べたいと思います。
 敗戰後の日本は、國民教育の指導理念として民主主義と平和主義とを高く揚げましたが、同時に、これと矛盾せる教育勅語その他の詔勅に対しましては、教育上の指導原理たる性格を否定してきたのであります。このことは、新憲法の制定、それに基く教育基本法並びに学校教育法の制定によつて、法制上明確にされました。本院のこのたびの決議によつて、あらためてこの事実を確認闡明せられましたことは、まことにごもつともな次第であります。この際私は、この問題に関しまして文政当局のとつてきました措置と、本決議に含まれた要請に処する決意とを申を上げたいと存ずるのであります。
 詔勅中最も重要である教育勅語につきましては、終戦の翌年、すなわち昭和21年3月3日、文部省は省令をもつて國民学校令施行規則及び青年学校規程等の一部を停止いたしまして、修身が教育勅語の趣旨に基いて行わるべきことを定めた部分を無効といたしました。次いで同21年10月9日、文部省令において國民学校令施行規則の一部を改正いたしまして、式日の行事中、君ケ代の合唱御眞影奉拝、教育勅語捧読に関する規定を削除いたしました。この行政措置によりまして、教育勅語は教育の指導原理としての特殊の効力を失効いたしたのであります。昭和21年11月3日新憲法が公布され、これに基いで、翌22年3月教育基本法が制定せられることになりましたが、この法律は、その前文において、これが日本國憲法の精神に則り教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するためのものであることを宣言いたし、教育の基本原理がこれに移つたことを明らかにいたしました。学校教育法が制定され、それと同時に、國民学校令以下16の勅令及び法律が廃止されたのであります。これらの立法的措置によりまして、新教育の法的根拠が教育基本法及び学校教育法にあることが積極的に明らかにされておるのであります。
 さらに思想的に見まして、教育勅語は明治憲法を思想的背景といたしておるものでありますから、その基調において新憲法の精神に合致しがたいものであることは明らかであります。教育勅語は明治憲法と運命をともにいたすべきものであります。かような見地から、昭和21年10月8日以後、文部省は次官通牒をもつて、教育勅語を過去の文献として取扱い、かりそめにもそれらを神格化することのないように、注意を喚起いたしたのであります。
 かようにして教育勅語は、教育上の指導原理としては、法制上はもちろん、行政上にも、思想上にも、その効力を喪失いたしておるのでありますが、その謄本は、今日なお学校に保管されることになつておるのであります。ところが、この点につきましては、永年の習慣から誤解を残すおそれもあり、また將來濫用される危険も全然ないとは申されません。そこで、今回の決議に基いて、文部省より配付いたしました教育勅語の謄本は、全部速やかにこれを文部省に回収いたし、他の詔勅等も、決議の趣旨に副うて、しかるべく措置せしめる所存であります。かくいたしまして、眞理と平和とを希求する人間を育成する民主主義教育理念を堅くとることによつて、教育の刷新と振興とをはかり、もつて本決議の精神の実現に万全を期したいと存じておる次第でございます。

 「法学セミナー」2017年4月号(no.747)(2017年3月11日発売)より、「緊急提論 国民投票法制が残す課題」と題する、私の連載が始まりました。ご関心のある方は、ぜひご覧ください。

 

  

※コメントは承認制です。
第114回国会は、教育勅語“排除”の再決議を」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    コラムでも引用されているように、明治天皇が下した教育勅語は「これらの詔勅の根本理念が主権在君並びに神話的國体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ國際信義に対して疑点を残すもととなる」として排除されたもの。そうした歴史的背景を無視して、さらには防衛相という立場にある稲田さんが、教育勅語を公然と評価することの恐ろしさに鈍感になってはいけないと思います。

  2. L より:

     大いに賛同します。
     とはいえ、2006年の教育勅語についての安倍の言葉を引いて「しごくまっとう」と評していますが、安倍がここで我が国の教育の根本理念を定めるものとした教基法そのものを教育勅語側に捻じ曲げる改悪を行ったことをネグるのはダメでしょ!
     安倍としては教基法の内容を教育勅語のそれに変えてしまえば、教育勅語を批判し弊履のごとく打ち捨ててしまっても何ら損はありません。

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南部義典

なんぶ よしのり:1971年岐阜県岐阜市生まれ、京都大学文学部卒業。衆議院議員政策担当秘書、慶應義塾大学大学院法学研究科講師(非常勤)を歴任。専門は、国民投票法制、国会法制、立法過程。国民投票法に関し、衆議院憲法審査会、衆議院及び参議院の日本国憲法に関する調査特別委員会で、参考人、公述人として発言。著書に『[図解]超早わかり 国民投票法入門』(C&R研究所)、『18歳選挙権と市民教育ハンドブック』(共著・開発教育協会)、『動態的憲法研究』(共著・PHPパブリッシング)、『Q&A解説・憲法改正国民投票法』(現代人文社)がある。(2017年1月現在) →Twitter →Facebook

写真:吉崎貴幸

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