集団的自衛権を考える

「今国会の会期中に、集団的自衛権の行使容認を閣議決定する」と表明した安倍政権。立憲主義も民主主義も踏みにじる、こんな「解釈改憲」がまかり通ってしまったら、この国はいったいどこに行ってしまうのか。国会閉幕まであとわずかですが、いろんな角度から考えたいと思います。
先月開催された「第32回マガ9学校」より、元防衛官僚でイラク自衛隊派遣の実務にも携わった柳澤協二さん、アフガニスタンなどで武装解除・平和構築の現場を体験した伊勢崎賢治さんによる対談のレポートをお届けします。

柳澤協二(やなぎさわ・きょうじ) 1946年東京都生まれ。大学卒業後の1970年に当時の防衛庁に入庁。防衛大臣官房官房長、防衛研究所所長などを経て、2004~2009年まで内閣官房副長官補(安全保障担当)。イラクへの自衛隊派遣などを監督する。2009年の退官後はNPO「国際地政学研究所」理事長などを務める。著書に『検証 官邸のイラク戦争——元防衛官僚による批判と自省』(岩波書店)、『「国防軍」 私の懸念』(伊勢崎さん、小池清彦さんとの共著/かもがわ出版)、『亡国の安保政策――安倍政権と「積極的平和主義」の罠』(岩波書店)などがある。

伊勢崎賢治(いせざき・けんじ) 1957年東京都生まれ。大学卒業後、インド留学中にスラム住民の居住権獲得運動に携わる。国際NGOスタッフとしてアフリカ各地で活動後、東チモール、シェラレオネ、アフガニスタンで紛争処理を指揮。現在、東京外国語大学教授。紛争予防・平和構築講座を担 当。著書に『東チモール県知事日記』(藤原書店)、『武装解除 紛争屋が見た世界』(講談社現代新書)、『伊勢﨑賢治の平和構築ゼミ』(大月書店)、『国際貢献のウソ』(ちくまプリマー新書)、『紛争屋の外交論-ニッポンの出口戦略』(NHK出版新書)など。

「軍隊がいるから安全」は一側面に過ぎない

伊勢崎 僕は東京外国語大学で、いわゆる紛争当事者国出身の学生を集めて平和構築学を教えているんですが、先日、学生たちに「今話題になっている集団的自衛権の議論が全然分からないから説明してくれないか」と言われたんですね。それで「日本がアメリカと一緒に戦争をするかどうかについてもめてるんだよ、今まではやってこなかったから」と説明したら、シリア出身の学生がびっくりして「もうやっちゃったでしょ! アレはなんだったの!?」と(笑)。

柳澤 ああ、イラク戦争で。

伊勢崎 そうなんです。中東の彼らにすれば、日本はすでにアメリカの戦争に参加している、と記憶の中に刻まれてるわけですね。それをいまさらなぜ議論しているのか、と。たしかに、イラクだけではなくてアフガニスタン戦争のときのインド洋給油活動だって、NATOの集団的自衛権行使という形で継続するOEF(不朽の自由作戦)の下部作戦であるMIO(海上阻止行動)だったわけですから。
 つまり、日本での議論はそうではなかったけれど、外の目で見ると「やっている」。この辺を議論の出発点にしていかないといけないと思うんです。日本はアメリカと違って、あのときにどうするべきだったかという総括もしていないじゃないですか。
 イラク派遣のとき官邸にいらした柳澤さんは、今の集団的自衛権をめぐる議論を見てどうお考えなんでしょうか。

柳澤 これは東京新聞記者で防衛省を長年取材している半田滋さんの話を聞いて「なるほど」と思ったんですが、イラクに派遣されるとき自衛隊は、緑色の迷彩服を着ていったんですね。でも、イラクは砂漠の国だから、全然「迷彩」にならないんですよ。実際、米軍などはグレーとベージュの、砂漠に溶け込む色の迷彩服を着ていました。
 じゃあ、なぜ自衛隊はグリーンだったのか。しかも、ヘルメットにも胸にも日の丸をでっかくつけて、ものすごく目立っていた。あれはつまり、自分たちは戦争をしにきたんじゃないということをアピールしたかったということなんですね。そのために、「戦争をしにきたのならそんなことはしない」っていうことをあえてやった。あの陸上自衛隊の知恵と勇気は私は褒めたいと思っています。
 『検証 官邸のイラク戦争』という本にも書いたんですが、あのとき私は官邸にいて、自衛隊に犠牲者が出るかもしれない、出たらどうすべきか、ということを考えていた。ところが、上司の政治家にその話をしたら、「自衛隊員が1人怪我したら自衛隊は撤収しないとダメだろう、内閣がつぶれてしまう」というんです。ちょっと待ってくれ、と思いました。自衛隊は任務を達成するために、犠牲覚悟で行っている。それなのに、1人が怪我したら帰って来なきゃいけないような任務で、そもそも自衛隊を使わないでくれと、そう思ったんです。
 でも、よく考えたらあのときの自衛隊の「任務」って、結局はアメリカのお付き合いで「そこにいること」だったんですよね。であれば、そんなことで隊員が怪我したり死んだりしたら損だということで、それ以来私は、交代でイラクに向かう部隊の部隊長が挨拶に来る度に、「君の最大の仕事は何もしなくていいから隊員を全員無事に連れ帰ることだ。なぜなら政治がそれしか望んでないからだ」という話をしていました。そこがもう、ものすごく矛盾に満ちたところなんです。今は、じゃあその矛盾を乗り越えて、自衛隊に犠牲覚悟でやってこいと政治が言うのかどうかが問われているわけですね。
 ところで伊勢崎さんにお聞きしたいのですが、あのとき、アフガニスタンにも自衛隊を派遣するという話になったときに、現地で灌漑事業支援などを続けている医師の中村哲さんが、国会に来て証言をしましたよね。「自衛隊が来たら、自分たちが現地の人たちに敵だと思われて危険になるから絶対にやめてくれ」と。アフガンにいた伊勢崎さんから見て、そのあたりの感じはどうだったのでしょうか。

伊勢崎 難しいですね。僕は中村さんのことはとても尊敬していますし、あの活動はノーベル平和賞にも相当すると思っています。おっしゃっていることも、半分は当たっているんじゃないでしょうか。
 ただ一方で、中村さんたちが活動しているジャララバードというのは、米軍が駐留しているからこそアフガニスタンで一番治安のいい地域の一つになっている、という側面もあるんですよね。米軍にとって「地元社会と上手くやっている」ことの「ショールーム」みたいなところで、復興開発にも力を入れているし、麻薬撲滅も進んだ。それを考えると、一概に「軍隊がいるから危険になる」と言えないところもあって…。

柳澤 それなんです。軍隊を出して安全になるという場面もたしかにあるけれども、なまじいるから敵を増やす側面もあるということですよね。集団的自衛権だってやっぱり両面があるわけで、そこのバランスをどう取るかというのが実はすごく難しいんだと思います。

アフガン戦争やイラク戦争の「検証」を

伊勢崎 そのとおりです。国際法や国連憲章的に言っても、集団的自衛権って別に、それそのものが良いとか悪いとかの話じゃないですからね。
 僕はアフガンで武装解除に携わったとき、NATOと一緒に仕事をして、その活動を近くで見ていましたけど、同盟各国の軍をまとめる統合指揮が目指すものは、補完の関係なんだな、と思いました。同盟国の中にはいろんな事情があって、それぞれ弱みも強みもあるわけですよ。例えば、ノルウェーは平和外交の旗手ですよね。そのノルウェーに対して、アメリカはイギリスやフランス並みに軍事力を行使しろとは決して言わない。なぜかというと、ノルウェーにはノルウェーの強みがあるから。それを活かして、タリバンとの政治交渉とか、そういう面を任せるわけです。
 あと、日本以上に海外派兵に対して国民のアレルギーがあるドイツに対しても、あんまり無理はさせられない。もし、ドイツ軍が人権侵害を引き起こして、ドイツ国内の反戦世論が沸騰し、離脱なんてことになったら、アメリカにとってこれほどの痛手はないわけです。多国籍軍の統合指揮ってそういうことなんですよね。いろんな国の長所を出し合いながら補完し合って、総合力にしていく。実は日本も、アフガニスタンではそういうふうに使われたんです。
 こういう意味合いで集団的自衛権を考えなければと思うんですけど。

柳澤 アメリカって実は、世界最強の軍事力を誇りながら、第二次大戦以降すべての戦争に勝ったためしがないんですよね。特に、軍事力だけに頼って解決しようとしたときは必ず失敗している。
 9・11のNY同時多発テロ事件のとき、当時のブッシュ大統領が最初に言ったのは「これは戦争だ」ということでした。わがアメリカを攻撃するとは絶対に許せん、と。国民も「そうだ、そうだ」と反応して、アフガニスタン戦争がはじまった。だけど、振り返ってみるとあの事件は、通常の国際法的な観念からすると戦争ではなくて国際犯罪なんですよね。

伊勢崎 インターポールの範疇ですね。

柳澤 そうなんです。最近になってアメリカは、必要なのはこっちだろうということで、空港で入国する人の荷物チェックを厳しくしたりしています。9・11テロ事件は「犯罪」だったという理解で、その犯罪を未然に防ごうとしているわけですね。
 それを「戦争だ」という理解でアフガンに、そしてイラクに兵隊を出した結果、多くの米兵も犠牲になった。9・11のときに貿易センタービルで犠牲になった人が2700人くらいなのに対して、アフガンとイラクでの米兵の死者数は約6000人です。もちろん、その数だけで「正義」を決めるわけにはいかないけれど、少なくともそれは間違っていたという教訓として、ちゃんと受け継がれなければならないでしょう。
 日本だってアフガンやイラクに自衛隊を派遣して、隊員には犠牲者を出さずに帰ってはきたけれど、帰国後にPTSD(心的外傷後ストレス障害)で自殺した人が30人ほどいるとも言われている。僕だって、イラクで誰か1人自衛隊員が死んでいたら、今こんな元気よく話せていない、相当トラウマを引きずって生きてると思いますよ。
 そういうことを、日本ももっとちゃんと検証しないといけないと思うんです。以前、ある新聞社の方にそう言ったら、「いや、うちの社は検証はしない。なぜなら、自衛隊員が1人も死んでいないから」と言われたんですが、1人も死んでいないから検証しないなんてことを言ったら、次に起こるかもしれない「なくてよかった死」を防げないじゃないですか。
 それに、自衛隊派遣以外の面でも、日本はアフガニスタンのDDR(武装解除・動員解除・社会復帰)に相当お金を出したりしていますよね。現地の警察官の人件費も出したんでしょう。

伊勢崎 そうです。まあ、「世界で一番腐敗した警察」とも言われているので、それもどうなんだろうとは思いますが(笑)。

柳澤 いずれにせよ、それがどういう効果を上げてるのかということは検証されるべきですよね。日本って何か、嫌なこと、まずいことは振り返らないみたいな文化があるのかもしれません。かつての太平洋戦争、対中戦争も、東京裁判を経てA級戦犯が悪かった、軍部独裁が悪かったで済んじゃってるけど、なぜそういうことになったのかというプロセスが検証されてないですよね。でも、嫌なこと、振り返りたくないことをあえて検証することで、次に起こるかもしれない「嫌なこと」を減らせるかもしれない。そういう文化がもっと必要だと思います。

安倍首相の掲げたパネルの「もう一つの嘘」

伊勢崎 先ほど、柳澤さんは安倍首相の会見でのパネルを「あり得ない想定」といって批判されてましたけど、実はもう1枚のパネルがあったんですよね。あれにも重要なごまかしがあるんです。ちょっとその話をしていいですか。
 これは、日本のNGO職員や国連の日本人職員に対して、武装勢力が攻撃したときに、自衛隊員――ブルーヘルメットをかぶっているので、国連PKO部隊ですね――が駆けつけ警護をできない、それでいいのか、という話でした。でも、これって根本的におかしいんですよ。僕は国連PKO部隊を統括した経験がありますけど、こういう話は、駆けつけ警護ではなくて、正当防衛の話になります。一つの国連のファミリーとして、文民の国連職員、国連と提携するNGOを敵から守るのは正当防衛なんですよね。当たり前です。
 それとあと、日本の自衛隊だからといって日本人を優先的に保護するということは、国連ではあり得ません。

柳澤 それはそうですね。

伊勢崎 そういうことを議論すること自体が国連ではタブーです。国連ですから。同国人か否かで差別しちゃいけないんです。例えばそこにいるのが自衛隊じゃなくて韓国軍でも、絶対に日本の国連要員を助けてくれるし、NGOについても国連に登録されているNGOであれば、どこの国の団体でも救出する義務がある。だから「自衛隊が日本人を助ける」っていうこの図自体が、どう考えても国連PKOの世界では不謹慎なんです。
 ついでに言うと、今国際社会で問題になっているのは、こういう正当防衛のケースではなくて住民の保護です。PKOがいたにもかかわらず100万人の虐殺を防げなかったルワンダに対する反省があって、国際社会には無辜の住民を「保護する責任」がある、という考え方が、国連でも主流になってきている。自衛隊が参加している南スーダンを含め、PKOのマンデード(使命、権限)に住民の保護が含まれるのはもう、普通のことになっているんです。この場合、住民が武装勢力にやられそうになったら、責任として助けなきゃいけないんですね。
 それどころか今は、住民を保護するために武装勢力に対して「先制攻撃すべきだ」という声さえあります。コンゴのPKOでは実際にそれが行われて、しかも人権団体からさえ反対の声はあがりませんでした。しかし、そういうことが行われるようになってくると、当然PKOに参加する国のリスクは非常に高くなります。
 その中で、日本はどうすべきかという話をしたいんですけど――こうした住民保護、住民への「駆けつけ警護」は、ある程度の大きな部隊にしかできません。ところが実は、PKOに大隊を出している国って、先進国にはあまりないんですね。ほとんどが発展途上国なんです。外貨が稼げるから。

柳澤 ああ、PKOに兵隊を送ると、兵士1人あたりいくら、という手当が国連から出るんですよね。

伊勢崎 そうです。だから、言い方は悪いですけど駆けつけ警護ができるような大部隊を出すのは、発展途上国の「お仕事」になっている。そこは彼らの領域なんです。
 じゃあ先進国は何をするのかというと、司令部要員などの政治的な部分を担うわけです。中でも、僕が個人的に自衛隊のイメージに一番フィットするんじゃないかと思っているのは、非武装の軍事監視団、停戦監視団です。これは、PKOの中でも一番重要な働きをします。なぜなら、武装勢力とも対話をしなきゃいけないからです。
 司令官クラスの軍人たちが、非武装でチームをつくって多国籍の軍事監視団を結成し、現地の武装勢力と信頼醸成をやっていく。これは国連の本来の業務、非常に名誉ある仕事なんですよね。武装勢力にも「こいつらが言うならちょっと話を聞いてみるか」と思わせなくちゃいけないわけで、非常に高度な業務ではあるんですが…それを担うのは、クリーンなイメージのある自衛隊が一番いいんじゃないかと思うんですが、どうでしょう。

国連の本来業務である
「非武装の停戦監視」を

柳澤 私も以前、ゴラン高原で国連兵力引き離し監視軍(UNDOF)に参加していた監視要員のサイトを視察したことがありますが、本当に丸腰なんですね。だからかえって抑止力があるのか、と感じました。でも、最近そういうPKO派遣のあり方は全然議論されてないですね。

伊勢崎 そうですね。僕のこういう発言が新聞などに載ると、「最前線に自衛隊を丸腰で送るなんて馬鹿なことができるか」といった批判が来るんですが、これは伝統的な、国連の本来業務だということを忘れてはいけないと思います。そもそも国連というのは外交の場、戦争回避のための組織なのであって、武装した軍隊を派遣するPKOなんていうのは、近代的な発展形に過ぎない。非武装での停戦監視こそが本体業務中の本体業務だということを、いま一度認識してもらいたいですね。

柳澤 ただ、ルワンダもそうですが、ああした虐殺、内戦による惨事はどうしたら防げるんだろうと思いますね。結局は、PKOなども何かが「起きた後」にしか動けないし、当事者が解決するしかない問題なのかと思ってしまうんですが。

伊勢崎 難しいですよね、「予防」というのは。PKOは結局「火消し」に過ぎず、「火の用心」ではない。「火の用心」をやるとしたら多分、内政干渉だと言われないような形で内政干渉(笑)するしかないでしょう。その国で人権侵害が起こってるとか、軍事費が不自然に増えてるとか、そういう話が出てきたら、援助国として、そこはかとなく、でも毅然と注意を促すとか、そういうことです。
 そのためには、やはりこちら側のイメージが重要になるんですよね。例えば、アフリカ諸国では中東と同じで、まだ日本はいいイメージを保っているんですから、ODAなんかを活用して――中国に対抗するとか変な下心を出さないで――、そういうイメージを構築していくということをやってほしいんですが。

柳澤 たしかに、そうして日本の存在感を少しずつそこで浸透させていけばいいんでしょうね。やたらとにかく自衛隊が出て、日本が何でもやれるような強い国になるということが、国際社会から求められているわけではない。それが一番賢い道なわけでもないということなんだと思います。

一度自衛隊を派遣すれば、
そう簡単に撤収はできない

伊勢崎 最後に、これは少し意地悪な質問かもしれませんが、南スーダンに自衛隊が派遣されていますよね。派遣後、現地では政府勢力と反政府勢力との抗争が激化して、状況がどんどん悪くなりつつあります。さらにこれが広がって本格的な戦闘がはじまったら、派遣時の法的根拠であるPKO協力法の「5原則」(※)が崩れてしまうことになるわけですが、もし柳澤さんが今官邸にいたとしたら、「撤収せよ」と言えますか。

柳澤 …言えないですね。PKO法の枠組みでは、停戦合意が崩れたら業務を中断しなくてはならないし、戦闘が恒常化するようなら撤収するということになっています。法律上はそうです。しかし、日本だけが撤収するというのは、周りへの影響も非常に大きいし、やはり難しい。私が官邸にいたら、なんとか理屈をつけて撤収を引き延ばそうとしたでしょうね。

伊勢崎 僕もそれが正しい道だと思います。自衛隊が一番先に撤収したら、世界中の人道団体から非難が来ると思いますよ。

柳澤 ただ、いくら撤収を引き延ばしても根本的な解決にはなりませんし、あとは状況任せというわけにもいきませんから、非常に悩んだでしょうね。
 スーダンへの派遣は私が官邸を離れた後ですが、実は官邸にいたときも、なんとか自衛隊を出せないか、という話はあったんです。それに対する一番の「抵抗勢力」は防衛省でした。あんな物騒なところに部隊は出せないし、何の国益があるんだ、というんです。防衛省が、一番そこのところを現実的に考えていました。それくらい、一度出しちゃったら引けないということなんです

伊勢崎 だから、そもそも大部隊を送ることの根本的な是非を考えたほうがいい。出しちゃったらもうしょうがない、少々の犠牲が出たからといってそんな簡単に引けるものではないんです。安倍首相の言う「積極的平和主義」についても、その観点を持った上で議論をしていくべきだと思います。

※PKO5原則…PKO協力法に明記された、自衛隊がPKOに参加できるための条件のこと。(1)紛争当事者間で停戦合意が成立していること、(2)当該地域の属する国を含む紛争当事者がPKOおよび日本の参加に同意していること、(3)中立的立場を厳守すること、(4)上記の基本方針のいずれかが満たされない場合には部隊を撤収できること、(5)武器の使用は要員の生命等の防護のために必要な最小限のものに限られること、の5項目である。

(構成・仲藤里美 写真・塚田壽子)

 

  

※コメントは承認制です。
集団的自衛権と自衛隊(その2) 柳澤協二さん×伊勢崎賢治さん
対談レポート
」 に5件のコメント

  1. くろとり より:

    珍しく納得できるところも多々ありました。だからこそ、なぜ集団的自衛権に反対なのかがよくわかりません。
    話の中で出てきたノルウェーやドイツは集団的自衛権の行使を否定していないですよね。なぜノルウェーやドイツに出来て日本に出来ないのですか? アメリカがノルウェーやドイツ同様に日本の立場にも配慮していると言っているではないですか。なら集団的自衛権の行使に何の問題も無い事になりますが?
    また、駆けつけ警護についても言っていることがおかしいです。
    自衛隊のイラク派遣の際、当時自衛官であった佐藤正久議員が駆けつけ警護について発言し、問題になりました。柳澤氏や伊勢崎氏のいう事が正しければ問題にはならなかったはずなのですが?
    どうも柳澤氏、伊勢崎氏ともに日本政府を嫌っており、「日本政府は出てくるな」いう個人的感情から発言している様にしか思えないのです。

  2. yukoikeda より:

    9.11:国際法的な観念からすると戦争ではなくて国際犯罪。インターポールの範疇。
    こうした認識が当時の国際社会で共有できていればよかった。頭が熱くなっている時は、国際社会もテロ追討の口実で一般人に犠牲が出るような空爆を許してしまう。集団的自衛権で大義なき戦いに巻き込まれる危険と、日米安保以上のメリットがあるかどうかを冷静に比較検討する時と思います。

  3. 多賀恭一 より:

    「核兵器もないのに集団的自衛権に参加できない」
    とアメリカに要求すれば良い。
    日本が核兵器を持つぐらいなら、日本の集団的自衛権はいらないと、
    アメリカから回答が有るだろう。

  4. kamo より:

    この国の平和戦略の根幹は、敵を作らないという戦略です。集団的自衛権は、我が国の敵ではない同盟国の敵を敵として引き受けることです。だから歴代政権は、集団的自衛権は行使しないと宣言してきたのです。その原理を放棄してしまえば、世界中に敵を作ることの荷担することに他ならないのです。

  5. たんぽぽ より:

    中村哲さんは地元の人たちを雇い、地元の人たちが、食糧を作って食べていけるように活動されています。多大な信頼を得ています。地元の人たちが応援しています。守ってくれています。
    一方、中村さんの作業地に対して何年か前に米軍による誤爆があったという報告を覚えています。
    中村さんの2014年6月の報告によると、2013年は無人機攻撃は収まる気配がなく、誤爆,内紛工作によるアフガン人の死傷者はむしろ増加している、とありました。また、食糧自給率が半分以下に落ちてしまい、外国軍が撤退してしまうと、外貨が入らなくなり食糧を買えなくなってしまって飢えで苦しむことや貧富の差が拡大してしまったことを心配されています。
    忘れていけないのはそもそもアフガニスタンはタリバン政権がビンラディンをかくまっているかもしれないという理由でアメリカによる攻撃が始まったことです。そのことにより無実の市民が犠牲になり、反乱し、抵抗し、治安が悪くなりました。無実の市民が反乱し、抵抗すると、武装勢力とか、テロ集団とか呼ばれ悪者になります。アメリカにより無人機攻撃で無垢のアフガニスタン人が殺されてもアメリカ軍は世界から悪者あつかいされないにもかかわらず・・・。
    伊勢崎さんは中村さんのことを尊敬しているとおっしゃっていますが、中村さんの著書や報告書を読まれたことはあるのでしょうか。中村さんの著書や報告書を読み、感じることと、伊勢崎さんがおっしゃっていることにずれを感じます。

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