映画作家・想田和弘の観察する日々

『選挙』『精神』などの「観察映画シリーズ」で知られる映画作家、
想田和弘さんによるコラム連載です。
ニューヨーク在住の想田さんが日々「観察」する、
社会のこと、日本のこと、そして映画や芸術のこと…。
月1回の連載でお届けします。

第18回

夏休みのススメ

 約1か月間の夏休みを過ごすため、瀬戸内海に面した小さな街・牛窓に滞在している。

 といいつつ、このような原稿を書いたり、メールに返信したり、ときどき各地へ出張しイベントに参加したりするので、完全なお休みとはいかないのが残念だが、とにかくいちおうは夏休みである。

 ひと月もの間、毎日何をするのかといえば、瀬戸内の静かな海で泳いだり、浜辺で寝転んで小説を読んだり、牛窓の細い路地をゆっくりと散歩したり、そこら中にいる野良猫たちと戯れたり、巣立ちを控える燕の巣を観察したり、訪れる友人や家族と積もる話をしたりしている。要は、普段やっていないことばかりをしているわけである。牛窓は夜が早く、7時頃には街全体がひっそりとするので、自然と寝るのも早くなる。すると朝起きるのも早くなる。早寝早起きも、普段はやらないことだ。お陰でストレスのレベルが下がるのか、四六時中カミさんと顔を突き合わせていても、ケンカになることが少ない。これも夏休みならでは、である。

 「これからの人生、毎年必ずまとまった夏休みを取ろう」と決めたのは、一昨年の夏である。猛暑のなかクーラーをかけてあくせく仕事をしながら、ふと、「この暑いのになんで俺は働いているんだろう」と思った。同時に、社会人として働き始めてからこのかた、夏休みなんて一度もとったことがないし、夏休みをとるという発想すらなかったことに気がついた。それで去年から実際に夏休みをとりはじめたのだ。

 思えば、暑ければ勉強や仕事の能率は格段に下がる。だからこそ、人類は「夏休み」という自然に逆らわない生活習慣を作り出したのだろう。ところが冷房が発明されて以来、大人も子供も休む理由を失って、40度近い酷暑だろうがなんだろうが、無理矢理勉強や仕事をするようになってしまった。「暑いから休む」なんて言い出したら、むしろ贅沢か甘えのように思われてしまうのではないだろうか。

 いきおい、夏はクーラーが必要不可欠なものとなり、「だから原発も必要だ」なんていう議論が持ち上がる。なんだか妙な具合になったものだと思う。

 休んでみて初めて実感することだが、仕事さえしなければ、猛暑もそれほど気にならないし、冷房もほとんど必要ない。牛窓も毎日30度を超える暑さだが、海水浴をするにはむしろ暑い方が気持ちがいい。「避暑=暑さを避ける」という言葉も冷房のせいで死語になりつつあるが、暑さは人工的な力で制圧するのではなく、人間の方が自然に対して敬意を示し、すっとかわせばいいのである。

 ちなみに、避暑というコンセプトは、ヨーロッパではまだまだ残っているようだ。実際、ヨーロッパでは夏は仕事をしない人が多い。みんな僕よりもずっと徹底していて、仕事のメールの返事も夏になるとパタッと来なくなる。というより、メールの返事が来なくなったら、「あれれ、もうバカンスに入ったか」などと推測したりする。

 パリなど、夏はみんながバカンスに出てしまうので、クーラー自体が少ない。仕事中毒の日本人からすると、どうやって社会が回っているのか不思議になるが、それでも世の中、なんとか回るのである。

 そもそも、天候や気候に関係なく、いつでも同じような生活をしようとすること自体が、人間の傲慢なのではないだろうか。正月のような年中行事の重大性が薄らいできたのも、「人間は自然のサイクルの中で生きている」という感覚が薄らいで、「いつでも同じ生活をできることが進んだ生き方」という発想が根づいてしまったからだと思う。

 古来、日本人は四季の移り変わりに敏感であったし、だからこそ四季折々の快適な過ごし方や、俳句などの洗練された芸術も生まれえたのだと思う。しかし、現代に生きる私たちは、自然に対するセンサーそのものが鈍くなり、季節の変化に関心すらなくなりつつあるように思う。僕が毎年夏休みをとると決めたのは、僕自身も普段はどっぷり浸かっている、そうした文明のあり方に対する、僕なりのささやかな抵抗でもあるのである。

 ところでこの原稿は、午前中の涼しいうちに書いている。『東京物語』の笠智衆ではないが、「今日も暑う」なりそうである。

 暑くならないうちに、筆を置くとしよう。

 

  

※コメントは承認制です。
第18回 夏休みのススメ」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    ということで、「夏休み中」の想田さんからのコラム(って、なんだかちょっと矛盾してますが)でした。〈「いつでも同じ生活をできることが進んだ生き方」という発想〉、原発の問題に象徴されるように、社会のいろんなところに歪みや軋みをもたらしている気がします。もちろん、「まとまった夏休み」なんて無理、という方も多いでしょうが、ちょっと立ち止まってそれぞれの形の「ささやかな抵抗」を考えてみるのもいいのでは?

  2. Rie より:

    ほんとうにどんどん働き過ぎの世の中になっていると思います。24時間営業とか、夜は寝るものなのに、起きて働いている人がいるから店を開けているのか、店が開いているから人も寝ないのか。便利ばかりを追い求めるのもこの辺で見直してみるといいですよね。 

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想田和弘

想田和弘(そうだ かずひろ): 映画作家。ニューヨーク在住。東京大学文学部卒。テレビ用ドキュメンタリー番組を手がけた後、台本やナレーションを使わないドキュメンタリーの手法「観察映画シリーズ」を作り始める。『選挙』(観察映画第1弾、07年)で米ピーボディ賞を受賞。『精神』(同第2弾、08年)では釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を、『Peace』(同番外編、11年)では香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。『演劇1』『演劇2』(同第3弾、第4弾、12年)はナント三大陸映画祭で「若い審査員賞」を受賞した。2013年夏、『選挙2』(同第5弾)を日本全国で劇場公開。最新作『牡蠣工場』(同第6弾)はロカルノ国際映画祭に正式招待された。主な著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs.映画』(岩波書店)、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)、『熱狂なきファシズム』(河出書房)、『カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論』(集英社インターナショナル)などがある。
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