映画作家・想田和弘の観察する日々

『選挙』『精神』などの「観察映画シリーズ」で知られる映画作家、
想田和弘さんによるコラム連載です。
ニューヨーク在住の想田さんが日々「観察」する、
社会のこと、日本のこと、そして映画や芸術のこと…。
月1回の連載でお届けします。

第19回

安倍首相の「広島・長崎連続コピペ事件」が暴いたもの

 69回目の敗戦記念日を迎えた。

 8月になると毎年恒例の「敗戦にちなんだ行事」が行われるが、今年僕に最も強烈な印象を与えたのは、何といっても安倍晋三首相による「広島・長崎連続コピペ事件」である。

 安倍首相が広島での平和記念式典で、去年のスピーチをほぼコピペしただけの文章を読んだというニュースに触れたとき、僕は思わず大笑いしてしまった。「安倍さんなら、いや、日本の首相ならいかにもやりそうだ」と感じたからである。

 同時に、もし安倍氏が首相ではなく、アーティストであったなら、僕はその奇襲的行為を私たち日本人のマンネリズムに対する痛烈な皮肉として受け止め、拍手喝采していたかもしれない。なぜなら僕自身、式典等で述べられるスピーチについて、「どうせ今年も同じようなセリフが並ぶのだろう」と何となくタカをくくり、怠惰に聞き流すのが常だったからである。

 安倍氏によるコピペ攻撃は、そういう僕の「無意識」を暴き、打ちのめした。

 もちろん、よりによって「集団的自衛権を行使するのか否か」という国論を二分する議論をしている時期に、「どうせマンネリでいいでしょ」と言わんばかりにコピペで片手間に済ました安倍氏は不真面目だし、首相失格だと思う。しかし、思えば「8月の行事」に対する僕自身の態度も、「マンネリに流される」という意味では、安倍氏とそう変わらないものだった。安倍氏のスピーチに格段の注意を払うことはなかったし、したがって上川あや世田谷区議が指摘しなかったら、僕は安倍氏のコピペ行為に気づくこともなかった。だから8月6日の広島コピペ事件は、安倍氏の怠慢に呆れるよりも、僕自身の態度を恥じる一件として心に刻まれたのである。

 ところが、である。

 8月9日、安倍氏が広島での批判と嘲笑にもかかわらず、長崎でまたもやコピペ・スピーチを用いたというニュースを読んで、目を疑った。一瞬、自分が読んでいるのは「虚構新聞」ではないかと思った。しかし、それは何度確認しても、「朝日新聞デジタル」の記事だったのである。

 これはもはや、怠惰や不真面目といった生易しい問題ではない。

 安倍氏はもしかしたら、「毎年のスピーチが変わる方がおかしい。むしろコピペであるべきだ。だから自分は悪くない」と本気で思っていたのかもしれない。しかし、それが広島の被爆者や遺族に「侮辱」と受け取られ、日本の主権者にも著しい不評を買った「失策」であったことは、さすがの安倍氏も理解したのではないだろうか。だとしたら長崎では当然、自らの評判やイメージを守るためにも、軌道修正すべきだったのである。

 しかるに、安倍首相が選んだのは、自らの失敗を反省し正すことではなく、もう一度堂々と同じ失敗を繰り返す道だった。

 フロイトに「誤謬の訂正」と呼ばれる概念があると聞いたことがある。言い間違いをしたときに、もう一度同じ言い間違いをすることによって、最初の言い間違いを正当化するという心理だそうだ。

 安倍氏の振る舞いは、僕にそれを思い出させた。つまり「広島・長崎連続コピペ事件」は、安倍氏が何らかの失策を犯した時に、それを正すことによって自らの無謬性を損なうくらいなら、もう一度同じ間違いを繰り返して合理化することを選ぶ人間であることを、図らずも暴いてしまったのである。

 僕はそう考えて、安倍氏は最高権力者として極めて危険な人物であると改めて思った。コピペしたこと自体はたわいもない失策かもしれないが、その失策をどのように挽回しようとしたかという点にこそ、安倍氏の闇の深さが窺えるからだ。特に安倍氏の安全保障を巡る言動や歪んだ歴史認識を考え合わせれば、ゾッとするような未来を想像してしまう。

 つまりこういうことだ。

 周知の通り、安倍氏は日中戦争や太平洋戦争で日本が重大な過ちを犯したとは、認めたがらない人である。侵略戦争ではなく、自衛のための正しい戦争だったと主張したがっている。

 ならば安倍氏が日本の過去の過ちを正当化するために、次に行おうとするのは何か?

 もう一度同じ過ちを犯すこと、以外にないのではないだろうか。

 もし、首相が集団的自衛権の行使にあれほど熱心な理由がそこにあるのだとしたら、これほどおぞましく、恐ろしいことはない。

 

  

※コメントは承認制です。
第19回 安倍首相の「広島・長崎連続コピペ事件」が暴いたもの」 に3件のコメント

  1. magazine9 より:

    安倍政権になってから、何もかも「虚構新聞」なんじゃないかと思うような出来事ばかりが続くなかでの今回のコピペ事件。長崎原爆遺族会の会長が「被爆者みんながびっくりした状態でいます」と首相に述べたという報道もありました。国民との溝を深めるばかりの行為の真意は一体どこにあるのでしょうか…。一方で、私たち自身のマンネリズムについての想田さんの指摘にもギクリとさせられます。

  2. hiroshi より:

    消費税についても同じ事が言えそうですね。
    「谷垣氏 消費税10%は予定どおりに」
    そのうえで谷垣大臣は、来年10月に予定されている消費税率の10%への引き上げについて、「10%に上げられない状況に置かれると、『アベノミクスが成功しなかった』とみられる可能性がないわけではない。なんとしてでも来年、消費税率を引き上げる形を作り、決断をしていくことが大事だ」と述べ、予定どおり10%への引き上げを実施すべきだという考えを強調しました。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140818/k10013890711000.html
    太平洋戦争、原発、辺野古、リニアetc、、、一度動き出したら止まらない病は、いつになったら治るのでしょうか?

  3. 島 憲治 より:

    「フロイト」に『誤謬の訂正』と呼ばれる概念があると聞いたことがある」。これは心理学を学んだことがない私にとってとても参考になった。言い間違いをしたときに、もう一度同じ言い間違いをすることによって、最初の言い間違いを正当化する心理 。 「 日本人の精神的特徴は自己批判を知らない」、と戦時中日本にいた外国の著名人が指摘していた。水流は共通か。 今回のコピペ事件、 フロイトのいう『誤謬の訂正』にあるとすれば、安倍氏の暴走を阻む手立てはあるのか。国民が「主体的」に生きることに尽きる。

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想田和弘

想田和弘(そうだ かずひろ): 映画作家。ニューヨーク在住。東京大学文学部卒。テレビ用ドキュメンタリー番組を手がけた後、台本やナレーションを使わないドキュメンタリーの手法「観察映画シリーズ」を作り始める。『選挙』(観察映画第1弾、07年)で米ピーボディ賞を受賞。『精神』(同第2弾、08年)では釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を、『Peace』(同番外編、11年)では香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。『演劇1』『演劇2』(同第3弾、第4弾、12年)はナント三大陸映画祭で「若い審査員賞」を受賞した。2013年夏、『選挙2』(同第5弾)を日本全国で劇場公開。最新作『牡蠣工場』(同第6弾)はロカルノ国際映画祭に正式招待された。主な著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs.映画』(岩波書店)、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)、『熱狂なきファシズム』(河出書房)、『カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論』(集英社インターナショナル)などがある。
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