映画作家・想田和弘の観察する日々

『選挙』『精神』などの「観察映画シリーズ」で知られる映画作家、
想田和弘さんによるコラム連載です。
ニューヨーク在住の想田さんが日々「観察」する、
社会のこと、日本のこと、そして映画や芸術のこと…。
月1回の連載でお届けします。

第32回

憲法9条の死と再生

 自衛隊を米軍の補完部隊として差し出すための「戦争法案」が、9月17日にも参議院本会議で強行採決されるとの見込みをメディアが伝えている。この記事が出る16日には、すでに委員会で強行採決されているかもしれない。あるいは、反対運動の高まりや野党の抵抗が効果を発揮し、採決は延期されるかもしれない。

 いずれにせよ、安倍晋三政権の特徴のひとつは、民主的な理念や手続き、民意を尊重しないことである。日本テレビが9月4日から6日にかけて行った世論調査では、法案を今国会で成立させることに批判的な人が65.6%に及び、肯定的な24.5%を大きく上回ったが、そんなことはお構いなしに、強行採決する可能性は高いといえるだろう。

 だから少々気が早いかもしれないけれども、僕はここで、抵抗虚しく法案が可決されてしまったときのことを考えてみたい。

* * *

 もし法案が可決されれば、自衛隊は「専守防衛」の原則から逸脱し、海外で米国の戦争に参加できるようになる。したがって日本国憲法第9条はほぼ死文化する。実に残念かつ遺憾だが、それが私たちいわゆる「護憲派」が直視しなければならない現実ではないだろうか。

 実際、共同通信の報道によれば、9月14日の国会前デモに現れた大江健三郎氏はこう言ったそうだ。

 「法案が成立すれば、平和憲法の下の日本はなくなってしまう」

 僕は護憲派の大御所的存在である大江氏のこの見解に同意せざるを得ない。

 憲法第9条が書かれた当初、それは徹底した非戦と非武装を宣言するものだった。したがって自衛隊の存在も許されなかった。これは当時の吉田茂首相などの国会答弁などでも明らかである。

 しかし冷戦が激化し、朝鮮戦争が勃発して、状況が変わった。9条を起草させたマッカーサー元帥自らが日本の再軍備化を指示し、警察予備隊が作られた。そしてそれはやがて保安隊を経て自衛隊に改組され、「自衛隊は合憲」との憲法解釈が定着した。米軍の兵站に他ならない米軍基地の存在や日米安保条約も容認されていった。

 実はこの時点で、憲法第9条は7、8割方死んでいたのである。

 しかし9条にはそれなりの存在意義もあった。少なくとも9条を根拠にして、集団的自衛権の行使は禁じられてきた。そのため、自衛隊が海外でできることは厳しく制限されてきた。無論、100%潔白ではない。日本政府はベトナム戦争やイラク戦争といった米国の侵略戦争を肯定し、米軍に基地や燃料、カネを提供し続けてきたのだから。とはいえ、日本は9条を盾にして、かろうじて米国の戦争への加担を最小限にとどめてきたといえるのではないだろうか。

 その均衡が、今回の「戦争法案」によって破られようとしている。憲法9条のかろうじて生きながらえている部分にトドメを刺され、9条そのものが殺されようとしているのだ。

 こう書いても、護憲派からは異論が出るかもしれない。「いや、戦争法案が通ったとしても、まだ9条は生きているんだ」と。その気持ちはわからないでもない。実際、これから違憲訴訟を行ったり、戦争法廃止のための運動をしたりする際には、現行の憲法第9条をその根拠にすることになるであろう。その意味では、まだ生きているのかもしれない。

 しかし、その「生」は極めて脆弱なものだ。9条は集団的自衛権行使の歯止めになれず、したがって自衛隊をコントロールすることができず、いわば亡骸同然になる。もしそうなった場合、私たちは、その受け入れがたい事実と、正面から向き合わなければならないのではないだろうか。

 でなければ、護憲派はいつまでも9条の屍体を後生大事に「護り」、腐乱していく屍体とともに心中せねばならなくなる。だが、法案が通った暁には、9条に関する限り、もはや「護る」ものなど何もないのである。護るべきものは、すでに死んでいるのだから。

 私たちは、9条の亡骸とともに心中するわけにはいかない。

 私たちは、9条の亡骸を手厚く葬るとともに、心機一転、「新しい9条」を創って、自衛隊の行動に歯止めをかけ、制御する手立てを講じなければならない。「9条護憲派」は「9条創憲派」に生まれ変わらねばならないのだ。

 こう書くと、護憲派からは「想田は隠れ改憲派か」との批判が飛んでくることはわかっている。

 だけど僕は、批判を恐れずに、自分の思うところを書かなければならない。私たちにとって最も大事なのは、日本という国がこれまで曲がりなりにも基本姿勢として保ってきた平和主義を守ることであり、9条の条文を守ることではないのだ、と。また、主権者の総意の下に「新9条」を創らなければ、日本の平和主義は9条とともに朽ちていく運命にあるのではないか、と。そして9条の条文がいくらそのまま保存されていても、自衛隊が米国の戦争に参加することを止められないのなら、何の意味もないのだ、と。

 では、どうしたら「新しい9条」が創れるのか。

 まずは、日本の安全保障を巡るスタンスについて、「私たちはいったいどうしたいのか」の本質的な議論を始めることが必要になるであろう。

 日本国憲法の最初の趣旨の通り絶対非暴力を貫くのか。それとも個別的自衛権のみを行使する自衛隊だけ認めるのか。それとも集団的自衛権も行使する軍隊を認めるのか。日米安保条約は保持するのか。それともいずれは廃止すべきなのか。米軍基地は残すのか。それともお引き取り願うのか。

 かなり意見が割れると思う。

 しかし、これは私たち主権者がもはや避けては通れない議題であろう。どんなに困難であろうとも、なんとか意見をすり合わせ、決めなければならない。そして死文化した9条の代わりに、私たちの総意のもとに「新9条」を創るのだ。

 個人的には、現行の日本国憲法第9条の徹底した非暴力・非武装の理念は素晴らしいと思う。それを究極の理想として目指すことは間違っていない。とはいえ、今ある自衛隊をいきなり廃絶することが現実的とはどうしても思えない。少なくとも当面の間、個別的自衛権は容認せざるを得ないだろう。しかし、海外にまで派兵して集団的自衛権を行使するのは、日本のためにも世界のためにも愚の骨頂だと思う。米軍基地も日米が合意の上で、100年くらいかけて少しずつ縮小・廃止していくべきであろう。

 僕は、そうした方針を恣意的な解釈が不可能なくらい明確に書き込んだ「新9条」を制定すべきだと考えている。実際、僕の上記のような基本的スタンスは、異論はたくさんあるにせよ、日本の主権者の多数派の考えではないだろうか。様々な世論調査を見る限り、日本の主権者の多くは、個別的自衛権と自衛隊は容認するものの、集団的自衛権には否定的だからだ。

 もちろん、そのような「新9条」を制定するには、極めて困難なハードルがある。まずは新9条に賛同する議員を多数当選させ、国会の3分の2を占めなければならない。そして国民投票を発議させ、私たち主権者の過半数によって承認されなければならない。このプロセスには、順調にいったとしても非常に膨大な時間と政治的エネルギーが必要であろう。しかし、私たちは自分たちの力で、主体的かつ民主的に「新9条」を制定する努力をすべきだと思うのだ。それこそが、日本の立憲主義と平和主義を守るための、唯一の道だと思うのだ。でなければ、自衛隊を自由に海外派兵したがっている勢力が、その趣旨に沿った改憲を仕掛けてくるのを、私たちは防ぐことができないと思う。

 いかがであろうか。

 ピンチはチャンスである。安倍晋三政権の誕生という絶体絶命のピンチのおかげで、私たちはいま、本当の意味で「憲法」や「民主主義」や「平和主義」と向き合おうとしている。反対運動の盛り上がりは、そのことを明確に示している。

 チャンス到来、なのである。

 

  

※コメントは承認制です。
第32回 憲法9条の死と再生」 に19件のコメント

  1. magazine9 より:

    まだ可決がされたわけでもない段階で「その先」を考えることには、賛否両論あるかもしれません。でも、「本気で止めに行く」ことと、「それでも止まらなかったときにどうするかを考える」ことは、決して矛盾しないものだと思います。
    そして「護憲」ではなく「創憲」を、との想田さんの提言、重いけれどもきちんと受け止めて考えたい。9条の条文をではなく平和主義そのものを守りつないでいくために、どうするべきなのか。想田さん案に賛成の方も反対の方も、ぜひご意見を。私たちにはもっともっと、議論が必要です。

  2. Oji NOMA より:

    新9条の創制案、大賛成です。賛成・反対や違憲・合憲のような対極意見をどちらか選択するのではなく、様々な意見をすり合わせて、みんなが納得できる法制や自衛隊のあり方を創り出しましょう。

  3. からさき より:

    死に体であるのは確かですが、まだ死んではいないと思っています。来年の参院選で息を吹き返せるかもしれません。衆院選で完全に生き返らせることができるかもしれません。

    その程度の蘇生力が無いのであれば、創憲など到底できないでしょう。

    では、蘇生力とは・・・

    それは罵倒することではないでしょう。
    まずは家族に、そしてできるだけ多くの友人に語りかける勇気です。語りかけ、話し合う努力です。

    九条を殺そうとしている政治家を落選させるための力を、一票でも多く培いましょう。

  4. たくちゃん より:

    今、その先/次の段階について意見を述べることはしたくない。安保法制反対!戦争法案反対!憲法守れ!に集中して行きたい。想田さんの提言に対する、僕の意見と想いはその後に述べてみたい。この議論は、私の70年の人生の総括になるでしょう。Anarchy in the JAPAN!

  5. 新たにつくるんであれば、ついでに天皇制を廃止して、原発も廃止して、それから武器輸出と政治献金も廃止しましょう。あとまだまだあるな…。

  6. 議論続ける答え より:

    大事なのは負けないことではなく、くじけないこと。
    理想を持って、何度でも始めること。
    なんて言ったって未完のプロジェクトなのですから。
    あやうい人間(私たちが)が法的にも倫理的にも、いかに線を越えないかという。
    深みを求める人間の理性と知性の生み出してきたもの。どうしたって捨て去ることはできない。

  7. ひぐま より:

    この法案が可決されてしまえば、憲法9条というものを掲げていても、笑われるだけ。「口だけじゃないか」。日本人はもう9条のことを口にできなくなる。そのときには、自分が誇れるものが一つなくなったと感じるのではないか。これを機に9条を再生させれば、もう押し付けられた憲法での9条ではなく、私たちがつくって、自分たちに課した9条となる。その9条は、いまの9条よりももっと誇れる、世界に向けて発信できる9条になると思う。相田さんの意見に賛成です。

  8. Doraemon より:

    お久しぶりです。相田さんの意見にほぼ賛成です。というより、もともとその観点から民主党を作った時点で、創憲の理念を打ち出したわけですが、古い頭の人たちには、なかなか理解してもらえませんでした。新憲法9条の条文も考えてあります。特に、わが国の安全保障議論の中で、与野党すべてが合意している核兵器を作らず、持たずという日本人の主体的意思で決められることは、憲法に明文化しておくべきです。それによって、核兵器の生成につながる原発も稼働できなくなりますがね。そこも重要な点です。

  9. NY金魚 より:

    反論します。ベアテさんの映画の際の講演で、想田監督もおなじ思いを述べられていたと思うのですが、現行日本国憲法は、三百万人の同胞、いや第二次大戦の世界何千万の犠牲者の慰霊の上に奇跡的に成り立った理想の条文です。人類最大の世界戦争を決して繰り返さないという当時の残された全人類の悲願を成文したものが奇跡的に残ったのです。当時の悲痛な「精神」を、戦争法制が通るようなふにゃふにゃに多層化した現代に書きかえることなど絶対に出来ません。大江健三郎氏の「法案が成立すれば、平和憲法の下の日本はなくなってしまう」という言葉は闘争のための比喩であり、かれが平和憲法が死んだなどと思うわけはない。なにより、この度のインチキ法案にだまされて9条が死んでしまうなどありえない。9条の亡骸を手厚く葬るとともに、心機一転「新しい9条」を創って…という下りに怒りすら感じます。もしアベの法案が通ったら、逆に世界に9条の精神を拡散するチャンス、という意味で、チャンスと感じます。こんな茶番で日本人が9条を放棄してどうしますか。僕のまわりにも、いままでの改憲派の中から「9条だけは死守しないと」と言う声が猛烈な勢いで増えています。だまし討ちなどで9条が死んでたまるか。後ほど冷静な反論を書きます。

  10. とり より:

    >私たちは、9条の亡骸とともに心中するわけにはいかない。
    >私たちは、9条の亡骸を手厚く葬るとともに、心機一転、「新しい9条」を創って、自衛隊の行動に歯止めをかけ、制御する手立てを講じなければならない。「9条護憲派」は「9条創憲派」に生まれ変わらねばならないのだ。

    >このプロセスには、順調にいったとしても非常に膨大な時間と政治的エネルギーが必要であろう。

    そこまでする覚悟があって何故“新国家創設”にまで踏み込まないんですか?

    今までマトモに為される事の無かった、先の大戦の総括を日本住民自身の手で行い、大日本帝国に決着をつけるまたとないチャンスでもあるでしょうに。

  11. 議論続ける答え より:

    神奈川新聞9月11日の伊勢崎賢治さん、「日本は軍法がない。国際人道法に即した法体系を持たないので、日本の刑法を適用させるしかない。隊員が誤って民間人を殺しても、個人が犯した殺人事件として裁かれることになる。国家の命令で任務に就いているのに、だ」「外に出すなら法整備を、出さないのだったら絶対出さない。どっちかに決めて、それを日本の国是にしなきゃいけない。」「個別的自衛権を認めるということは、部分的な交戦権を認めるということ。個別的自衛権の行使に限定した軍事組織として自衛隊を法的に確立すべきです。」「安保法制を本当に止めたいなら、左派も右派も、これまでの論理の土台から間違っていたんだと総懺悔しなきゃいけない。自衛隊の法的な地位を根本的に考え直す以外にはあり得ないと思ってます。」ということが最重要で必要な議論その上でいかに線を越えない限定した個別的自衛権をつくれるかという。僕も伊勢崎さんの軍事監視団で(非武装の)を支持。

  12. 森口竜太郎 より:

    私の個人的な信条(といわなければならないこと残念であり、且つ納得がいかないが)としては、現行憲法9条の最も素直な理解は、「あたらしい憲法の話」に端的に示されているような考え方だと思う。即ち、現行憲法9条の下では、自衛隊も合憲とは言えないと思う。非武装中立が、敗戦直後は最も現実的と思われていたのであり、憲法9条の一番自然な解釈は個別的自衛権も認めないというものであり、個別的自衛権を認めるにも、現行の憲法9条を改正しなければならないと思う。どんなに非現実的に思われるものであっても、いったんルールとして成立した以上、そのルールは尊重されるべきであり、そのルールがおかしいという人(個別的自衛権は認められるべきだと主張する人)は、その人がルールの改正を提案し、そのことに取り組むべきであって、ルールが改正されない間は、そのルールは尊重されるべきだと思う。非武装中立はそんなに非現実的な事だろうか。北朝鮮の現行体制を多くの国が好ましいものとは思っていないが、北朝鮮の現行体制は維持され続けてきた。それは、北朝鮮の軍事力を、北朝鮮の現行体制を好ましいと思わない人たちが、恐れている結果ではなく、武力によって北朝鮮の体制を転覆させることが、国際社会の支持を得られないだろうと考えているから、北朝鮮の現行体制に暴力的な方法をとることをしないのだ。従って、日本が仮に今すぐに憲法9条の命ずるところに従ったとしても、日本の平和が損なわれることはないと思う。私は以上のような考えかとはきわめてオーソドックスな憲法9条理解だと考えている。こうした考え方を述べるのにいちいち言い訳がましいことを言わなければならない社会というのは、言葉の持つ厳しい力を軽視する社会であり、そのような社会では、どんなに精緻な立法をしても、そのルールが尊重されることはないと思う。

  13. 在尾張 より:

    想田さんの考えは甘いと思う。旧日本軍の流れを脈々と受け継いでいるのが自衛隊の真の姿で、例えば情報保全隊という治外法権で動く組織が自衛隊内に存在し、様々な非合法な工作活動をしていると言われている。原発稼働差し止め命令が裁判所から出ても、平気で再稼働させようとする国で、軍人が憲法を守ると思いますか?自衛隊は廃止か存続かの二択しかありません。特に日本は軍を持つべきではありません!なので、考えるべきは基地や軍需に依り生計を立てる人々の、その後だと思います。

  14. L より:

    「憲法をいかように解釈するかは、権力の頂点にいるオレが決める」という現実の中では、創憲論に有効性なんかないですよ。どんな文章に決めても縛られない・従わないと宣言しているんですから。
     かつて、9条以前に人権規定が危ういと警鐘を鳴らしていて我が意を得たりと思いました。今でも人権規定だって拷問禁止をはじめ実態として守られていません。それは、世間の感覚によります。非常に優れたワイマール憲法が崩れたのは、ナチス以前に、世間に守らせる・実行させる気が非常に乏しかったからだといいます。人権規定も「中世」な世間一般の感覚に合わせて創憲しますか?

  15. 佐藤ポン太 より:

    マガジン9に本稿を寄せた想田監督の勇気と、これを掲載したマガジン9の幅の広さに感服し敬意を評します。
    ですが、今回の提案には絶対に反対です。
    自衛隊が国民の評価を得、存在意義を発揮しているのは、主に災害救助隊としてであって、軍隊としてではないと思います。自衛隊が軍隊ではないという建前は、まだかろうじて残っていると考えていますが、現実との乖離があるというのであれば、自衛隊を災害救助隊、ないし、万が一の時に国家が自然権として当然持つ個別的自衛権行使に対応できる救済部隊と定義しなおすように法律の方を変えるべきであって、憲法を変える必要性は全くないと思います。
    9条の理念は、非武装、非暴力を徹底することで、この世界から武力行使による国際紛争の解決をなくすことですよね。目標は高く掲げることで、そこへ近づこうとする努力を牽引していくものではないでしょうか。9条の理念は今こそまさに必要であり、目指すべき理想としてなお燦然と輝いているように思います。

  16.  想田さんが書いておられるように、「個別的自衛権と自衛隊は憲法で認めたらいい」という考え方を持つ人は、かなり多いと感じます。私もそうでした。私たちが主体的に考え、憲法を変えていく。そうでなければ日本人は憲法を主体的に護ろうと思わないのではないか。しかし、人の意見を聞くにつれ、今は現状を憲法9条に近づけていくという護憲派の考え方に傾いています。
     どの国でも戦争は国民の支持を得にくいから、防衛の名のもとに始められます。その時、個別的自衛権の範囲は時の政権やマスコミによっていくらでも広げられますよね。つまり、集団的自衛権を憲法で明確に禁じても、個別的自衛権を認めたら、逆に戦争を始めやすくなるのではないですか。
    護憲、護憲と唱えても、現状は見ての通りではないか、との考えはわかります。しかし、小選挙区制が現状を導いたのであって、憲法9条が支持されないからではない。少なくとも今、憲法9条を変えたら思わぬ方向へなし崩し的になっていくと思います。危険だから絶対にやめてほしい、という考えです。
     常に周辺国と良い関係を築く努力をし、「戦争をせずに、紛争は話し合いで解決する」という憲法9条の理想を追求するべきです。憲法9条は究極の理想です。憲法9条に現状を近づけていくにはどうしたらよいか、私も考えています。

  17. BLOG BLUES より:

    想田氏に同意しかねます。しょっぱく、かつ、頭でっかちな意見のように思います。

    自衛隊は、日本固有の存在です。固有な存在は、文化と評し得るものでしょう。自衛隊の内実は、どっからどうみても、軍隊です。然るに「自衛隊」と称する。なぜか、憲法九条があるからです。

    九条と、自然権としての自衛権との、アウフヘーベンこそ「自衛隊」なのだと考えます。なんとチャーミングではありませんか。世界中の軍隊を、自衛隊に変えてゆく。それを、日本国の外交目標とする。その目標が達成された暁には「自衛隊」さえもが、不要となるでしょう。その時、その日まで、日本の自衛隊よ、永遠なれ。

    「現実的であれ、しかし不可能を求めよ」。チェ・ゲバラの言葉です。僕らの戦いは、そういうものでありたい。

  18. ロシナンテ より:

    「平和主義を守ることであり、9条の条文を守ることではないのだ」、逆だと思います。

    「9条の条文を守ることによってのみ、まがりなりにも安全であった。 理想としての平和主義を達成するにも9条の明文は必用になる」

    平和主義は日本国憲法の理想であり路半ばです。これまでの70年、交戦せずに済んだのも9条の条文を盾に為政者がNOと言い続けた結果です。

    安倍が自衛隊法をどういじくろうと、憲法という最高法規にて「憲法違反」である限り、我々国民には集団的制裁行為を拒否する自由があります。(その自由は自衛隊員にも有るのです)

    その歯止めを自ら捨て去ったなら、まず自衛隊員の自由が奪われるでしょう。そして国民の自由も奪われる。

  19. 桜井元 より:

    提案に反対する。

    憲法9条は「非武装・非戦」だが、現実は自衛隊、日米安保、集団的自衛権と進んできた。ここまできて「憲法は死んだ」という議論のようだが、私は、「憲法は死んでいない」と断言する。改憲手続きを経ないかぎり憲法は死なないし、下位法が上位法を覆す法的効果をもてるはずがない。大江さんのは「法的意味」でなく一つのレトリックだろう。

    日本国憲法には刑事手続きに関し手厚い規定がある。「自白司法」をいましめ冤罪を予防するためだ。一方、現実は自白司法が横行し、冤罪が絶えない。しかしだからといって、「憲法の規定は死んだ。新規定を」というべきだろうか。憲法と矛盾する刑事司法の現実の非を強く訴え、そちらを正していくべきだろう。

    憲法9条についても同じことだ。明文改憲までは憲法は生きている。現実を条文に近づけるためには相当の努力を要するが、あきらめてはいけない。安易に憲法に死亡宣告などとんでもない話だ。

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想田和弘

想田和弘(そうだ かずひろ): 映画作家。ニューヨーク在住。東京大学文学部卒。テレビ用ドキュメンタリー番組を手がけた後、台本やナレーションを使わないドキュメンタリーの手法「観察映画シリーズ」を作り始める。『選挙』(観察映画第1弾、07年)で米ピーボディ賞を受賞。『精神』(同第2弾、08年)では釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を、『Peace』(同番外編、11年)では香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。『演劇1』『演劇2』(同第3弾、第4弾、12年)はナント三大陸映画祭で「若い審査員賞」を受賞した。2013年夏、『選挙2』(同第5弾)を日本全国で劇場公開。最新作『牡蠣工場』(同第6弾)はロカルノ国際映画祭に正式招待された。主な著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs.映画』(岩波書店)、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)、『熱狂なきファシズム』(河出書房)、『カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論』(集英社インターナショナル)などがある。
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