映画作家・想田和弘の観察する日々

『選挙』『精神』などの「観察映画シリーズ」で知られる映画作家、
想田和弘さんによるコラム連載です。
ニューヨーク在住の想田さんが日々「観察」する、
社会のこと、日本のこと、そして映画や芸術のこと…。
月1回の連載でお届けします。

第37回

電池切れと締め切りと観察映画のはざまで

 いま僕は、浜松町にあるサンマルクカフェでこの原稿を書いている。

 先ほどまで文化放送の番組「浜美枝のいつかあなたと」の収録に参加し、渋谷のイメージフォーラムなどで公開中の新作『牡蠣工場』(観察映画第6弾)や新著『観察する男 映画を一本撮るときに、監督が考えること』(ミシマ社)の話をさせていただいていた。次は東陽町でBSスカパー! のテレビ番組「Newsザップ」に出るのだが、その間に時間が3時間ほど空いている。

 自宅にいったん帰るべきかどうか……。と30秒ほど迷った末に、サンマルクカフェに飛び込んだ。カフェの窓際に設置された机に、おあつらえ向きの電気のコンセントを見つけたからだ。

 ここなら電池切れの心配をすることなく、原稿が書ける。周りを見れば、同じような事情を抱えたであろうビジネスマンらしき人たちが、一心不乱にパソコンのキーボードを叩いている。彼らをジロジロ眺めていても、僕の視線には気づく気配はない。

 サンマルクカフェも、僕らパソコン族(?)の需要を見越して、わざわざコンセント付きの机を用意しているのだろう。ありがたい気持ちと、需要を見透かされて悔しい気持ちとが交差する。

 この原稿の締め切りは昨日であった。しかし昨日までは時間も余裕もなかった。記事のアップロードは明日の予定だ。だから僕は、この隙間のような3時間に書くしかないのだ。

 とはいえ、この原稿だけにかかりきりになるわけにもいかない。古巣『東京大学新聞』の編集部によるインタビュー原稿の推敲を、今日の15時までに送らなければならなかったのだ。だからこの原稿を書くのは、それを仕上げて送信してからのことだ。

 というより、仕上げたからこそ、いま、この原稿を書いている。時系列が交差して、ややこしい話だ。ネットにはY!mobileの携帯を通じてつなげている。これまた悔しいことだが、いつでもどこでもパソコンをネットにつなげるこの携帯がなかったら、僕はまったく仕事にならない。

 そういえば、昨日、新潟でラジオFM-PORTの「サークルM」に出演した時、「これがなければ生きていけない」というものを挙げてくれと質問されて、とっさに「パソコン」と答えてしまった。そのときも「悔しいけれど」と枕詞のような但し書きを付け加えたように記憶している。

 そう、悔しいのだ。

 本当なら、「水」とか「空気」とか「食べ物」とか「友人」とか、そういう答えをすべきだったと、いまこの原稿を書きながら反省している。実際、太古の昔から、それらなしには、人間は絶対に生きていけない動物だからだ。パソコンなんか、20年前まではほとんど誰も使っていなかったではないか。なのになんで「パソコン」などと答えてしまったのか……。

 パソコンは便利だ。インターネットも便利だ。それなくして、僕の仕事は成り立たない。だけどこれ、ちょいと便利すぎると思うのだ。

 なんで便利なのかといえば、作業の時間を短縮できるからだろう。そう、われわれが何かを「便利だ」と呼ぶ場合、それはたいてい、時間を短縮させてくれるものである。スピーディーである。昨日新潟から東京に戻るのに使った新幹線もそうだ。ニューヨークから日本へ来るのに乗った飛行機もそうだ。

 妻・柏木規与子のノートルダム清心女子大学時代の恩師である渡辺和子先生は、エレベーターに乗り合わせたときに学生がせわしなく「閉」のボタンを押すと、「あなたはそうやって節約した時間を何に使うのですか?」と質問されたそうである。

 節約した時間を何に使うのか?

 僕はその時間を、いったい何に使っているのだろう?

 僕は観察映画と称してドキュメンタリー映画を作っている。『牡蠣工場』はその第6弾だ。観察映画についてインタビューを受けるとき、僕はこう述べることが多い。

 「私たち現代人は忙しすぎて、よく観る、よく聴く、という姿勢が欠けてませんか。観察には時間がかかります。でも、ときには立ち止まって、当たり前だと思って自動的に処理していたことでも、改めて観察してみることが必要だと思います」

 観察という行為は、ある意味、スピードに対するアンチテーゼである。猛スピードで流れていく時間に抵抗し、踏ん張り、立ち止まって、よく観て、よく聴いて、よく考える。

 そうすることが人間にとって必要だと熱心に説きながら、猛スピードで駆け抜けていく自分の矛盾。

 その矛盾を、3時間の隙間のような時間に、原稿にぶつけている自分。

 いったい、なぜこんなことになってしまったのだろう。

 さあ、これで書けた。

 あとはメールで原稿が遅れたお詫びを書きつつ、ワードファイルの原稿を添付して送信ボタンを押せばよい。僕の原稿は時空を超えて、いま日本のどこにいるかもわからない、マガ9編集部のNさんのパソコンか携帯に、瞬時のうちに、魔法のごとく届くことであろう。そして明日には日本全国の皆さんが読めるようになるに違いない。

 そう書いて、ふと、亡くなった祖母のセリフを思い出した。30年以上前だろうか。当時珍しかったファックスを目にした祖母が、こう言ったのである。

 「あの機械はすごいねえ。紙が空中を飛ぶのかね。でも飛んでるのを見たことはないけれど……」

 あの当時は誰もが珍重したファックスという「文明の利器」も、物凄いスピードで陳腐化し、今や過去の遺物である。

文化放送の番組収録後に自撮りをパチリ。
番組は3月6日(日)の午前10時半から放送予定。

 

  

※コメントは承認制です。
第37回 電池切れと締め切りと観察映画のはざまで」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    効率をよくすること、スピードを上げること。それ自体は決して悪いことではないはずだし、便利この上ないパソコンやインターネットがあるからこそ、全国を飛び回る想田さんのコラムは、こうして皆さんのお手元に届くわけなのですが……。時には立ち止まって、どこかに大切なものを置き去りにしてきていないか、考えてみる時間も必要なのかもしれません。
    今週も寺尾紗穂さんとのマガ9対談に登場いただいている想田さんですが、3年ほどの前の中島岳志さんとのマガ9対談では、まさに「スピード感」がもたらす問題について語っていただいています。こちらもあわせて、どうぞ。

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想田和弘

想田和弘(そうだ かずひろ): 映画作家。ニューヨーク在住。東京大学文学部卒。テレビ用ドキュメンタリー番組を手がけた後、台本やナレーションを使わないドキュメンタリーの手法「観察映画シリーズ」を作り始める。『選挙』(観察映画第1弾、07年)で米ピーボディ賞を受賞。『精神』(同第2弾、08年)では釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を、『Peace』(同番外編、11年)では香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。『演劇1』『演劇2』(同第3弾、第4弾、12年)はナント三大陸映画祭で「若い審査員賞」を受賞した。2013年夏、『選挙2』(同第5弾)を日本全国で劇場公開。最新作『牡蠣工場』(同第6弾)はロカルノ国際映画祭に正式招待された。主な著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs.映画』(岩波書店)、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)、『熱狂なきファシズム』(河出書房)、『カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論』(集英社インターナショナル)などがある。
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