映画作家・想田和弘の観察する日々

『選挙』『精神』などの「観察映画シリーズ」で知られる映画作家、
想田和弘さんによるコラム連載です。
ニューヨーク在住の想田さんが日々「観察」する、
社会のこと、日本のこと、そして映画や芸術のこと…。
月1回の連載でお届けします。

第8回

「おめでとう東京」は誰の所有物か

 安倍首相が福島原発事故について「コントロールされている」と明らかな嘘をついて、東京へのオリンピック招致が決まった。

 国際オリンピック委員会(IOC)も、招致決定に歓喜する大多数の日本国民も、その嘘に目をつぶっている。その愚劣さと危険性については、すでにツイッターなどでも書いたし、多くの方が論じているので、ここでは書かない。

 今回注目したいのは、9月10日に配信された〈「おめでとう東京」もアウト 五輪商戦、言葉にご注意〉と題する朝日新聞デジタルの記事である。

 記事によれば、オリンピックという言葉や五輪マークなどは、IOCやJOCが特許庁に商標として登録している「知的財産」であり、JOCは「公式スポンサー以外は、五輪を想起させる言葉などの商業利用は認められない」と主張しているという。したがって、「おめでとう東京」「目指せ金メダル!」「東京2020」といった言葉を個人が非営利で使う分にはよいが、デパートや商店街の特売などで使うことは、JOC的には「アウト」だというのである。

 うーむ、とても興味深い。

 迂闊なことに、僕は東京オリンピックはいちおうは「みんなのもの」だと思っていた。少なくとも、「みんなの士気を盛り上げ、みんなの経済を潤すもの」だと思っていた。だからこそ莫大な額の税金を使い、都知事や首相までブエノスアイレスくんだりにまでプレゼンに出掛けて、ついでに嘘の「国際公約」までして、必死に招致をもぎとってきたのだと思っていた。五輪は「みんなのもの」だからこそ、日本国民はこぞって応援する必要があるとされ、「応援しない奴は非国民だ」などという恥ずべき言説さえ飛び交うのだと思っていた。

 大間違いである。

 東京五輪は「みんなのもの」などではなかった。それはIOCとJOCの所有物だったのである。もっと言うと、カネを出したスポンサー企業の持ち物であった。したがって、そこから得られる利益も、スポンサー企業が独占すべきなのである。少なくとも、IOCやJOCはそういう方針を打ち出している。

 それにしても、本当に法的な根拠があるのかどうか分からないが、「東京2020」までダメだっていうのは凄い。いつからIOCやJOCは「東京」や「2020年」まで所有したのだろうか。2020年の東京では、オリンピック以外の行事は一切行われないのだろうか。

 もっと根源的な話をすると、僕にはそもそも、人間や企業が何かを所有するという根本のメカニズムがよく分からない。僕も何となく「これはオレの服」「それはオレの家」「これはオレの映画」などと普段から様々な所有権を主張しているが、本当に僕にはそれらを「所有する権利」などあるのだろうか。

 「それらを買ったり作ったりしたのなら、当たり前でしょう」と断じる前に、ちょっと考えてみて欲しい。

 例えば、僕がある土地をAさんから買ったとする。すると、土地の所有権はAさんから僕に移り、僕がその土地の「所有者」になる。少なくとも、それが今の世の中のルールだ。

 でも、それではAさんは誰からその土地を買ったり譲り受けたりしたのだろう? その前の所有者であるBさんだ。じゃあ、その前は? とずーっと人類が誕生する前にまで想像を巡らせていくと、よく分からなくなる。なぜなら、人類が現れる前、その土地は誰のものでもなかったはずだからだ。

 逆に言うと、誰のものでもなかった土地(もしくは「みんなのもの」だった土地)を「オレのものだ」と主張した人間がいたからこそ、「所有権」が生まれたのである。でも、その人がそう主張できた根拠って、一体何だったのだろう?

 僕が今書いている文章だってそうだ。この文章は、僕に著作権(知的財産!)があり、したがって僕の所有物ということになっている。でないと、原稿料も発生しない。僕もそのルールを受け入れ、それを前提に仕事をしている。

 しかし、である。自分で書いてて言うのもなんだけど、僕が使っている言葉にはひとつも「オリジナル」なものはない。「僕」も「が」も「使って」も、全部、すでに僕が生まれる前からあった言葉を借りている。それらは日本語の使い手が長い長い年月をかけて育ててきた公共の言葉であり、「みんなのもの」なのだ。

 つまり僕は、「みんなのもの」である言葉を自分が思いついた順序で組み合わせるだけで、その総体に所有権を主張していることになる。それが僕には妙に釈然としない。何となくうしろめたいものがある。

 読者の中には次のように反論する人もいるだろう。

 「でも、あなたの文章はあなた独自の思考や発想なしには生まれないわけで、やはりその点でオリジナルだと言ってもよいのでは?」

 ふーむ。でも、僕の思考や発想が誰かの借り物でないという根拠はあるのだろうか? いろいろな本や映画やテレビ番組や学校教育や知人との会話などから絶えず影響を受けている僕には自信がない。そもそも、僕の身体や脳みそだって、僕が創ったわけではない。敢えていえば親が創ったわけだが、その親だって、自分の身体を自分で創ったわけではないし…。 

 とまあ、「所有権」の問題を考えれば考えるほど、すべての事物は本来は誰の所有物でもないようにしか思えない。僕らが「自分のもの」と思っているものは、歴史や自然がたまたま自分に与えてくれた恩恵だと思うのだ。

 だからというわけでもないが、僕は“自分の”映画の海賊版DVDが出回っていたり、無断で上映されたり、模倣されたりしても、関係者が困らない限りは抗議したりやめてもらったりしていない。以前、キムタク主演の『CHANGE』というテレビドラマの第1回目の成り行きが『選挙』にそっくりであることを発見したときも、ブログにその事実を書いただけで済ませた。

 そういう態度が流行らないご時世だというのは、よく承知している。

 でも、「おめでとう東京」や「東京2020」といった言葉までが誰かの所有物になり、みんなが自由に使えなくなるような世の中は、どう考えてもグロテスクではないか。少なくとも、僕には呼吸がしにくい。

 なぜなら、そんなことを認めていたら、そのうち誰かが僕の吸う「空気」の所有権まで主張し始めかねないからである。

 

  

※コメントは承認制です。
第8回「おめでとう東京」は誰の所有物か」 に10件のコメント

  1. magazine9 より:

     あからさまな「便乗商法」にうんざりさせられることもないではないけれど、「東京2020」がダメ、とまで言われると、さすがに耳を疑ってしまいます。しかもこのタイミングでの意思表明、「脅し」のようにも思えてきたり。
     権利の保護が大事な場面ももちろん多々あるはずですが、あまりに強硬な、それも上からの「管理」や「規制」は息苦しい。みなさん、どう考えますか?

  2. tomoko Nishi より:

    ホント、主張したもの勝ち。強いもの勝ち。ヤクザのショバ代とかわらないですね。IOCもJOCもスポンサーの太鼓持ちなんだなあと・・・

  3. ピースメーカー より:

    私有財産制への疑念を公言する想田さんのご意見って、なんだかマルキシスト感がバリバリですねw
    あるいは、アーミッシュよりもラディカルな宗教思想のような感がしますw
    「すべての事物は本来は誰の所有物でもないようにしか思えない。」という言葉の後に、「すべての事物は本来は神の所有物である。」と続ければ、想田さんの気持ちも釈然とし、うしろめたさからも解放されるのではないでしょうか?
    とはいえ想田さんが共産主義者ならば、神の存在はアヘンに過ぎないということになりますがw
    さて、僭越ながら進言しますが、次の映画のテーマを共産主義か宗教思想にしてみては如何でしょうか?
    故・若松孝二監督は『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』という左翼と革命をテーマにした作品を世に残しました。
    とりわけワールドワイドに活躍されている想田さんならば、世界を股にかけた共産主義や宗教思想についての作品を世に送り出せるかもしれませんw

  4. ピースメーカー より:

    ところで想田さんは、東京へのオリンピック招致を「愚劣さと危険性」と見事なまでにぶった切ってしまわれていますが、なぜ日本で行われるオリンピックのみを目の敵にするのでしょうか?
    原発と放射能の観点からすればチェルノブイリから1100キロしか離れていないソチオリンピックや、同じようにハヌル原子力発電所から50キロほどしか離れていない平昌オリンピックも批判しなければならないし、ナチスドイツの歴史を繰り返すという観点からすれば、先の北京オリンピックも批判されなければ筋が通らないでしょう。
    にもかかわらず他は馬耳東風で、まるで日本さえ批判すれば、世界は自動的にすべて良くなるといわんばかりの批判の仕方……。
    日本の集団安全保障容認や武器輸出の緩和に目くじらを立てて非難するのに、他の国々の軍拡や武器輸出には馬耳東風という日本の平和主義者の発言に説得力が無いのと同様に、筋の通らない論理では、ほとんどの日本人に共感されないでしょう。
    むしろホリエモンの「キモい」発言に賛同する日本人の方が多いのは、因果応報というべきかもしれません。
    「愚劣さと危険性」という苛烈な言葉で切り捨てる前に、今一度、自身の論じ方を再考されるべきではないかと僭越ながら愚考を、国民の知る権利への多角的アプローチに資する可能性もあるとも思い、ここに投稿致しました。

  5. miura keita より:

    論語に「述べて作らず、信じて古を好む」とありますが、私も所有権や著作権ということについて、自分の生活では主張している一方で、同時に違和感も感じています。想田さんの意見に共感しました。

  6. 想田和弘 より:

    もしかしたらわざと書いておられるのかもしれませんが、僕はマルキストではありません。文章をよく読めば分かる通り、私有財産制を否定しているわけでもありません。かなり丁寧に論旨を展開したつもりですけど、ピースメーカーさんのようにレッテル張りをして済まそうという態度の人には微妙なニュアンスが伝わらないのだなあと思います。とても残念に思います。

    「なぜ日本で行われるオリンピックのみを目の敵にする」とおっしゃいますが、別にそんなことはありません。たとえ「日本で行われるオリンピックのみ」を批判したとしても、それは「僕が日本人だから」であり、祖国の行く末に他国のそれよりも格別の関心を抱くのは自然なことでしょう。「これを論じるにはあれもこれも論じなければならない」という論法が正しいと信じるなら、ピースメーカーさんは東京オリンピックを批判する無数の人間全員を批判しましょう。今のままだと、「まるで想田さえ批判すれば、世界は自動的にすべて良くなるといわんばかりの批判の仕方」ですよ。

  7. ピースメーカー より:

    >かなり丁寧に論旨を展開したつもりですけど、ピースメーカーさんのようにレッテル張りをして済まそうという
    >態度の人には微妙なニュアンスが伝わらないのだなあと思います。とても残念に思います。

    「すべての事物は本来は誰の所有物でもないようにしか思えない。」という言葉の後に、「僕は私有財産制を否定しているわけでもありません。」と続けた瞬間に、観客席の聴衆は全員ズッコケると思いますよ(笑)。
    故・いかりや長介氏が草葉の陰から現れて、「だめだこりゃ!」とツッコミ入れるかもしれません(笑)。
    やはり、「すべての事物は本来は誰の所有物でもないようにしか思えない。」という言葉の後に、「すべての事物は本来は神の所有物である。」と続けた方が、万人が読んだら大半の人が文章的につじつまが合うと理解されるだろうと、いささか自画自賛的な愚考をしますが、想田さんとしては如何でしょうか?
    そして、「僕は私有財産制を否定しているわけでもありません。」というのが本心ならば、色々趣向を凝らして「かなり丁寧に論旨を展開」をするよりも前に、文章の冒頭でそれを率直に明言しなければ、想田さんとしては残念な事かもれませんが、私の様な文章読解力の無いおバカな人々には誤解されてしまうリスクが高いと思います。
    「今一度、自身の論じ方を再考されるべきではないか」という諫言は、そういう言動を理由にしているのです。

  8. 想田和弘 より:

    なるほど、参考にします。いや、いちおうは考えたんですよ、「私有財産制を否定しているわけではない」という文言を入れることも。でも、そう入れることは読者の読解力をあなどっているように思ったので、入れずに済ませました。甘かったようです。

    ちなみに、「すべての事物は本来は神の所有物である。」などと考えたことはありません。

  9. >招致決定に歓喜する大多数の日本国民も、その嘘に目をつぶっている。
    これ本当でしょうか。例えばこの記事「コントロール、ほど遠く…」http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201309130667.html?ref=reca 招致決定に喜びながらも首相の演説には疑問という見方も決して少数ではないと感じます(これは別に矛盾しません)。

    それは兎も角、今回の記事、オリンピックは誰のもの→オリンピック関係の商標登録は一部企業に独占されている→オリンピックは一部企業のもの、というのは飛躍があると思いませんか。

    仮に経済に特化された見方をしても、所謂経済効果は直接的に観光業界や建築業界も潤すでしょうし波及効果も期待できるでしょう。
    もちろん、五輪効果をバラ色に考えるのは危険ですが、商標を使えないからといって「オリンピックは一部大企業のもの」みたいな言い方は、かなり「ある方向」への論理のバイアスを感じてしまいます。

    ただ仰る通り東京オリンピックを歓迎するしないは個人の自由ですし、誰に押し付けられるものでもありません。商業主義等オリンピックのあり方自体についても牽強付会にならない議論を望みます。

  10. 中矢 理枝 より:

    読みながら、東京都が尖閣諸島を買うと言い出して、購買相手の個人の所有者がいると知った時に感じた疑問を思い出しましたよ。最初に所有を主張したのは誰なんだろう?って。

←「マガジン9」トップページへ   このページのアタマへ↑

マガジン9

想田和弘

想田和弘(そうだ かずひろ): 映画作家。ニューヨーク在住。東京大学文学部卒。テレビ用ドキュメンタリー番組を手がけた後、台本やナレーションを使わないドキュメンタリーの手法「観察映画シリーズ」を作り始める。『選挙』(観察映画第1弾、07年)で米ピーボディ賞を受賞。『精神』(同第2弾、08年)では釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を、『Peace』(同番外編、11年)では香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。『演劇1』『演劇2』(同第3弾、第4弾、12年)はナント三大陸映画祭で「若い審査員賞」を受賞した。2013年夏、『選挙2』(同第5弾)を日本全国で劇場公開。最新作『牡蠣工場』(同第6弾)はロカルノ国際映画祭に正式招待された。主な著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs.映画』(岩波書店)、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)、『熱狂なきファシズム』(河出書房)、『カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論』(集英社インターナショナル)などがある。
→OFFICIAL WEBSITE
→メルマガ「想田和弘の観察道場」

想田和弘の観察道場

最新10title : 映画作家・想田和弘の観察する日々

Featuring Top 10/51 of 映画作家・想田和弘の観察する日々

マガ9のコンテンツ

カテゴリー